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─一章  『虫』(3)─



「たしかに静かだな」

北棟に入ってしばらくして、スヴェンが口を開いた。

バリケードにいた兵士の言っていた通り、建物内は静まりかえっていた。ところどころに備えられた松明の明かりが、石造りの通路を薄暗く照らしだしている。

松明のはぜるパチパチという音以外、聞こえてくる物音はない。何者かが潜んでいるような気配もなかった。怪物達がこの建物に存在しているということがわ かっているだけに、この静寂がよけい不気味に感じられる。

「『虫』が襲ってきたとき、ここには何人ぐらいの人間がいたんだ?」

スヴェンがクロニクにたずねた。『虫』の殲滅はもちろんだが、生存者がいる場合は、その救出を優先させなければならない。

「二十人ぐらいか。あんた達も知ってると思うが、ここは食堂とか倉庫に使われているんだ。奴らが襲ってきたときは、ちょうど警備の交代の時間だったから な。ここで飯でも食おうとしてた連中がほとんどのはずだ。無事だといいがな‥‥‥」

辺りの静けさに飲まれたように、彼の声から快活な響きが消えていた。

一行は、通路をぬけた先の広間まで行き着いた。あいかわらず、建物内は沈黙したままだ。

「どうするよ。いっそここで大声出して呼んでみるかい? 生きてる連中が、応えてくれるかもしれないぜ。バケモノ連中の方は、声なんてないからダンマリの ままだろうけどさ」

軍で支給されている小さなクロスボウを肩にかけて、ガティが軽口を叩いた。

「生存者が、 隠れていそうな場所はわかるか?」

ガティを無視して、スヴェンは再びクロニクにたずねた。配属初日に案内されたものの、まだ日も浅いし、『虫』との交戦のためにほとんどの時間を外部ですご していたため、イノも仲間達も、砦の内部については熟知していなかった。

「食堂方面か、倉庫方面だろうな」と、彼は行く手に見える三つの通路を指した。

「屋上は外していいと思うぜ。あそこに行くまでの通路には、隠れる場所なんてないからな」

「なら、ここから二手に別れて探索を行おう。どのみちこの人数だと、通路で『虫』と出くわした場合、身動きが取りづらいからな」

クロニクがうなずく。

「片方の隊はあんたが仕切ってくれ。カレノアとドレクをそっちにつける。もし生存者を見つけた場合は──」

スヴェンが言葉を中断する。先に見える通路の奥から聞こえてきたかすかな物音。全員の注意がそちらに向けられる。

松明の明かりが届かない闇の奥に、無数の小さな輝きが次々と生まれはじめた。

静かにゆらめく深紅の灯火。だがあきらかに炎の光ではない。イノをふくむ全員が、ゆっくりと近づいてくる輝き達に向けて、素早くクロスボウをかまえた。

やがて、暗がりの中から一匹の『虫』が姿を現した。その背後には、同じような怪物の群れが、ぞろぞろと蠢いているのが見える。

あらかじめ示しあわせていたかのように、他の二つの通路からも、『虫』達が続々と現れ始めた。各個体は、灰色の甲殻や紅い瞳などの共通点はあるものの、そ れぞれが微妙に異なった容姿をしている。

脚の先端が床に当たるカツカツという音のみの、静かすぎる怪物達の行軍。唯一、血の色をした瞳だけが、バケモノがこちらへ抱いている激しい憎悪と殺意を はっきりと感じさせる。

「こりゃあ‥‥‥また、ずいぶんな数だな。おい」

じりじりと迫ってくる、自分達の倍以上はいるだろう相手の数を見て、ドレクがうんざりしたようにいった。

「こうじゃなきゃ、面白くねえだろうが」

ガティが唇をつり上げる。

「わざわざ歓迎に来てくれたんだぜ? こっちも、ちゃんと応えてやらねえとな」

瞬間、彼の手にあるクロスボウから、うなりを上げて矢が放たれた。金属の鈍い光が空を裂き、最初に姿を現した『虫』の瞳に突き刺さった。

それが戦闘開始の合図になった。

『虫』達はじりじりと這い寄るのをやめ、いっせいに飛びかかってきた。ガティに続いて間を置かず放たれた無数の矢が、そのうちの何匹かを床に叩き落とす。

 だが、怪物はやられていく同胞にはおかまいなしだ。あっというまに間合いをつめてきた。

イノは素早く飛び道具を収め、剣を抜いた。せわしなく跳躍し、這い回っている『虫』達の姿を目で追う。怪物の群れは、こちらを取り囲もうとしていた。紅い 瞳 の輝きが視界を入り乱れる。クロニクと部下達の上げる怒声が広間に響きわたる。

手近な場所に着地してきた『虫』めがけ、イノの身体が動く。

相手がこちらに気づくのと、黒い刃が振り下ろされるのは同時だった。たしかな手応えとともに、 「核」ごと胴を断ち切られた灰色の身体が、赤黒い体液を床にぶちまける。

すぐさま次の標的を探す。再び頭の芯が熱くなってくる。

周囲に満ちる喧騒の中、張りつめた神経に鋭敏になったイノの聴覚が、自分の背後に迫る一つの音をとらえた。

そくざに脇に飛びのく。瞬間、襲いかかってきた『虫』の鎌のような前脚が目の前をかすめる。

冷や汗をかく暇もなく、イノは反撃に出た。駆けだす身体。横薙ぎに振り払われる黒い刃。 着地の後、再度跳躍しようとしていた『虫』の脚が斬り飛ばされ、宙を舞った。

ためらうことなく、イノは次の攻撃にうつる。踏みこむ足先。流れるように振り下ろされる黒い刃。 もがく『虫』が背中をつらぬかれ、動きを止めた。

頭の芯にうずく憎しみの熱。横たわる怪物の死骸をメチャクチャに踏みつぶしてやりたくなる。

その衝動を抑えて、イノは視線を周囲に走らせた。スヴェン達が次々と『虫』を葬り去っている。クロニクとその部下も、怪物達の猛攻をしのぎきっていた。

今この場にいる『虫』の群れは、どれも「小型種」と分類される犬ぐらいの大きさをした個体ばかりだ。数では脅威だが、それも徐々に減少しつつある。このま まいけば、こちら側はたいした被害も出さずにすみそうだった。しかし、油断はできない。姿を現していないだけで、強力な「大型種」が後にひかえている可能 性だってある。そうなれば状況が一気に悪くなるかもしれない。

考えている間にも、イノの十数歩手前に新たな『虫』が降り立つ。

そいつは、周りにいるバケモノとは姿形が微妙にちがっていた。鎌のような前脚がないかわりに、鋭いトゲに おおわれた大きな尻がある。過去にも見たことがない形だ。

他の不明な部分と同じく、『虫』の形態に関してもまた、大まかな分類以上のことは解明されていない。いかに「小型種」といっても、中にはこちらの想像を超 える能力を有している場合だってあるのだ。

イノは一気に間合いをつめようと駆けだす。相手の能力はわからないが、それを振るわれる前に始末するつもりだった。同じ相手を目がけて、クロニクの部下が 剣をかまえて接近するのが視界のすみに映った。

迫る二人に対して、『虫』がトゲだらけの尻を持ち上げる。紅い瞳が笑うように瞬く。

イノの背筋を嫌な予感が走った。

「伏せろ!」床に滑りこむように身を伏せながら、クロニクの部下に向かって叫ぶ。

怪物のトゲだらけの尻が、瞬時に倍の大きさにふくらみ、破裂するような音を立てた。それと同時に放たれた無数のトゲが、床に這いつくばったイノの頭上をも のすごい勢いで駈けぬけた。トゲの幾本かが、黒い兜に叩きつけられる。振動が頭蓋をふるわせる。 

クロニクの部下が床に崩れ落ちた。『虫』の撃ち出したトゲは、彼の顔や喉、その他鎧のない部分を無惨に刺しつらぬいていた。

怒りとくやしさに顔をゆがめ、イノはすぐさま身を起こした。

『虫』は尻を持ち上げた姿勢のままだ。どういう仕組みなのか理解できないが、そこには再びトゲが生えはじめている。

膨張しはじめたトゲだらけの尻を、肉迫したイノの剣が薙ぎ払う。空気のぬける音と共に、しなびた袋のようになったそれが宙を飛んだ。

イノが続けて出した二撃目をかわし、『虫』が背後に回った。そのまま周囲の喧騒をぬって、先にある通路の一本へと向かっていく。尻を斬りおとされたにもか かわらず、怪物の動きに衰えはない。

逃がすか!──声に出さず叫び、イノはその後を追う。

全身のいたるところを、トゲにつらぬかれ殺された兵士の脇を過ぎる。その彼の名前も人となりも、イノは知らない。だが自分と同じように、笑いもすれば泣き も したであろうことは知っている。そして、それらが永遠に失われたことも。

いや、奪われたのだ。今、目の前を逃げていく怪物によって。

父のように。

憎しみの熱。それが心と身体のすべてを突き動かす。

戦列から離れようとしていることも、それが危険で違反だということもわかっていた。だが、駆けている身体を止めることはできない。

自分を呼び止める誰かの声が聞こえた気がした。

そして、広間の喧騒を背に、イノは一人通路へと飛びこんでいった。



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