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─一章  『虫』 (1)─




狂ったように打ち鳴らされる鐘の音が、イノを眠りから呼び覚ました。

目覚めた瞬間、身体がはね起きた。手が寝具のかたわらに伸びる。そこに置いてある夜の闇のような黒一色の防具をつかみ、慣れた動作で身につけていく。

突然起こされたことへの戸惑いはなかった。それは周囲の薄闇の中に見える仲間達も同じだ。みな黙々と自らの装備を整えていく。

「これで昨日から四度目だぜ? 勘弁してくれよな」

イノが剣を腰に帯び、兜に手をかけたところで、ガティがぼやいた。寝ぼけたような口調だが、彼はとっくに準備を終えていた。

「だったら、お前さんだけ、まだ寝てりゃいいだろうが」

最年長のドレクが、からかうように返した。

「マジでそうさせてもらいてえよ。配属されて二日でこれじゃ、身体がもたねえって」 

「だから俺達がここに呼ばれたんだろうが。文句なら『奴ら』に言えよ」  

「でも、俺らの班だけってのはナシだろ? 他の班の連中も呼んでくれりゃいいのによ」

「今はどこも手一杯なんだぜ? どうしても不満だってなら、シリオス様にそう直訴すりゃあいいじゃねえか」

「うへっ! それこそ無理ってもんだ」

「お前ら、おしゃべりしている暇はないぞ」

二人をたしなめるように、隊長のスヴェンがいった。

そのとき、やかましく鳴り響いていた鐘の音がぴたりと止んだ。それと入れかわるように、どこか遠くで悲鳴が上がる。部屋の扉の外がなんだか騒がしくなっ た。

「様子が変だ。はやく出た方がいい」

不穏な気配を伝えてくる扉を見て、ふだんはあまり口をきかないカレノアがうながした。武装を整えた彼の姿は、部屋にいる五人の中でもひときわ大きい。

すでに全員の準備は終わっていた。小さな窓から差しこんできた弱々しい朝の光が、顔以外の全身を黒い服と防具でおおった五人の姿を浮かび上がらせる。

「よし行くぞ。まずは──」

スヴェンが口を開いた瞬間、部屋の扉がすさまじい音をたててぶち破られた。木くずの飛び散る中、犬ぐらいの大きさをした塊が三つ室内に飛びこんできたの を、 全員の目がとらえた。

それは犬でもなく、いかなる動物でもなかった。灰色の甲殻につつまれた甲虫を思わせる身体から、複数の関節で成り立った幾本もの脚が生えている。そのうち の前脚にあたる一対は、先っぽ が鎌のような形状をしており、胴体と不釣りあいなほど大きい。そして、小さな頭部には丸い瞳が無数に並び、血のような紅い輝きを放っていた。

ノックもなく部屋に乱入してきた怪物達に、考えるより先に身体が反応し、イノをふくむ全員は、はじかれたように剣に手をかけた。

刃を抜きながら、先頭にいる一匹めがけてスヴェンが斬りかかる。黒い金属で鍛造された刀身が、相手の甲殻の隙間へむかって正確な軌跡をえがいた。胴を寸断 され二つ の塊となった怪物が、飛びこんできた勢いのまま床を転がっていく。

獲物の予想外の反撃に、他の怪物達の動きが一瞬だけ鈍った。間髪を入れずガティが飛びかかり、二匹目を斬りふせる。

続いて繰り出されたドレクとカレノアの刃をかいくぐって、最後の一匹がやぶれかぶれとばかりに、イノへと飛びかかってきた。

鋭い鎌のような前脚に首をかっさばかれるところを、イノは軽く身をかがめてやりすごす。虚しく空を裂きながら頭上をこえた怪物が、背後にあった寝具を巻き こんで激しく壁に激突した。

イノは素早くふり返り、薄汚れた寝具をはねあげて、暴れている怪物に剣を突き出した。切っ先が相手をつらぬき、体内へとめりこむ。

はめた手袋ごしに伝わってくる肉 を裂く手応え。寝具が異臭をはなつ赤黒い体液の色にみるみる染まっていく。

もがく『虫』を片足で踏みつけ、イノはさらに刃を押しこんだ。先端のとがった相手の脚が、狂ったように寝具を引き裂き、石の床をこすって耳障りな音を立て た。

やがて剣先に感じた硬い感触に、イノは刃が相手の「核」に達したのを知った。

「核」を一気につらぬき、剣を抜いた。痙攣するバケモノの傷口からどっと噴きだした体液が、ずたずた になった寝具をさらに汚す。

イノは完全に動きを止めた怪物を見下ろした。頭の芯が熱くなっている。こいつらを目の前にするといつもそうだ。

『虫』──人間の敵であり。父の仇でもある怪物。

ふり返れば、仲間達はすでに『虫』にとどめをさし終わっていた。怪物の生命力はなみ外れている。いくら手傷を負わせようとも、「核」と呼ばれる心臓部を破 壊してとどめをささない限りは、決して気を許すことはできない。

「おいおいおいおい‥‥寝起きにこりゃあねえだろ!」

床に転がっている怪物の死骸につばを吐きかけながら、ガティが大声で毒づいた。

「二度寝ができなくなって残念だな。おい」 

ドレクが笑いながら返す。

「クソうるさい鐘が鳴ったのはついさっきだぜ? なんでもうここまで連中に入りこまれてんだよ」

「知るか。ここにいるんじゃ何もわからん。すぐにセラ・アレシアのところへ向かうぞ」

スヴェンがきびきびといって、『虫』のせいで無惨な姿となった扉から出て行った。カレノアの大きな身体が彼の後に続く。

スヴェンが口にしたセラ・アレシアとは、このスラの砦の司 令官でである『継承者』の名だ。配属された日から、イノ達は彼の直属の指揮の下で行動することになっていた。

「おい」

ドレクに続いて部屋を出て行こうとしたイノは、ガティの声に顔を向けた。

「どうかした?」

たずねたものの、相手はただニヤニヤ笑いながら親指で背後を指し示している。その先には、さっき自分が倒した『虫』の死骸があった。

イノは首をかしげた。やがて、ガティが指しているのが『虫』の死骸ではなく、死骸が横たわっている寝具の方だとわかった。つまりは彼の寝床だ。今の今ま で、まったくもって気づ かなかった。

「あ! ごめん」
 
「『あ! ごめん』じゃねえよ。お前、今日からあれ使えよな」

「‥‥‥わかったよ」

イノは肩をすくめた。とはいえ、ずたずたに裂け、おまけに『虫』の体液でべっとり汚れた寝具なんて使えるわけがない。代わりのをもらってくるか、そのまま 床で寝 るかしかない。

「まあ、あの状況で寝床に気を使え、とはいわねえけどよ。それにしたって、おまえの戦いっぷりは無茶すぎるぜ? 毎度毎度、危なっかしくて見てらんねえっ て」

「そうかな?」

「コレだもんな! お前は『虫』を見ると、すぐのぼせ上がるからしょうがねえよ」

イノは再び肩をすくめた。こうしてとぼけた振りをしてみせているが、ガティのいっていることは自分でもよくわかっていた。

頭の芯では、さっきの熱が今だにうずいている。『虫』との戦いで生まれる熱。抑えることのできないその熱に突き動かされて、自分は戦っている。

憎しみ──という名の熱に。

「おい若造ども。グズグズしてると、スヴェンにどやされるぞ」

穴の空いた扉から、ヒゲだらけの顔をのぞかせて、ドレクが声をかけてきた。

「やべえやべえ。隊長殿のお説教は、『虫』より面倒だからな」

ガティがおどけた顔で笑いかけてきた。

「そりゃそうだ」と、イノも小さく笑って返した。


*  *  * 


イノ達「黒の部隊」が、スラの砦にやって来たのは二日前のことだ。『虫』の攻勢がますます激化している近年、スラはそれが特に激しくなった「領域」の一つ だった。『虫』との戦闘と調査を主な任務とする「黒の部隊」が配属されたのも当然といえた。

『楽園』に『虫』が現れてから二百年、そして、セラーダと『虫』との戦争が始まってから七十年あまりが経つ。だが、敵である怪物達については、その出生や 生態等、いまだに解明されていない部分があまりにも多い。

たとえば、「領域」と名付けられた『虫』の発生区域にしても、大まかな基準で定められたものでしかない。バケモノ達が『楽園』を本拠地にしていることは はっきりしているもの の、そこからどのような経由で、他の地域へ移動しているのかということは、いまもって不明である。

怪物達は予告もなく突然に襲いかかってくる。そして、一つの地域を集中的に攻めたか思えば、今度は複数域を攻めたりする。その行動に何かの意図や計画性 があるとは思えず、あったとしても人間には理解のできないものだった。イノがセラーダ軍の新米兵士か ら、対『虫』を主眼とする「黒の部隊」に入隊して一年、その配属場所は面白いぐらいにコロコロと変わった。

激しい戦場を渡り歩きながら、ただひたすら怪物達と命を奪いあう‥‥‥。並みの兵士よりはるかに過酷な日々だったが、イノは不満を抱いていなかった。それ は自分自身の望みであり、「黒の部隊」はその望みを叶えるのに最高の環境だと思っていた。

父グレンの死──あれから八年が経っていた。



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