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─二章  首都フィスルナ(3)─



「おいおいおいおい! お前だけで、なんだよそりゃ!」

ガティが声を上げた。

「わからねえこともあるもんだな」とはドレクだ。

カレノアは‥‥‥見なくてもわかる。

今イノ達がいるのは、軍本部の市街地側にある門の外だ。目の前の通りを、多くの人々が騒がしく行き交っている。見上げれば、突きぬけるような青い空の てっぺんに、太陽が差しかかろうとしていた。

セラ・シリオスの部屋を出た後、イノは本部の中の「黒の部隊」にあたえられている部屋で装備を外し、身体を洗い、汚れていた服を新しいものに着がえて外へ と出た。

久々にさっぱりした気分だ。まだ乾いていない髪を風がなでていくのが、なんとも心地よい。そして何といっても、ついさっきの英雄との会話が、イノの心を浮 き立たせていた。

先に着替えていた仲間達にさんざんせっつかれたものの、「後で話すから」といって、英雄との会話の内容は黙っていた。べつにもったいつけていた わけではない。あの栄誉ある瞬間を、もう少し一人でかみしめていたかっただけだ。

スヴェンは遅れてくるため、四人は門のところで彼を待つことにした。隊長として明日の出立の手配やら色々あるらしい。さすがに今回は、イノに押しつけるわ けにはいかないようだ。

「俺も一度でいいから、そんなこと言われてみてえなあ」

ガティはまだ羨ましがっていた。イノより八つ年上の彼は、「セラーダの英雄」の熱烈な支持者である。シリオスが『継承者』として迎え入れられたときの式典 で、他の『継承者』や多くの市民の眼差しを一身に受けながらも、正々堂々とした立ち振る舞いをしていた姿が今でも目に焼きついているのだという。そんな 英雄に憧れたから、というのも軍に入った理由の一つらしい。

それをよく知っているだけに、ガティにはちょっと悪いな、と思いつつも、イノの胸はまだ高鳴っていた。

でも、なぜ「セラーダの英雄」は、自分だけに声をかけてくれたのだろうか。

目覚ましい進歩、とシリオスは言ってくれたが、イノは戦士としての自分をまだまだだと思っている。仲間達の戦いぶりに比べると、よけいにそれが自覚で きた。

きっと、自分が「黒の部隊」に入ってまだ一年目で、みんなよりもだいぶ年下だから励ましてくれたのだろう。でも、名誉なことには変わりない。生きた伝説と なっている男に、「期待している」なんて言われたのだから。

イノはちらと背後を見た。門と鉄柵の向こうでは、新兵達の演習が行われていた。教官の号令と、それに応える威勢のいいかけ声が演習場に響きわたっている。 彼らが手にした剣が陽光に映えるたびに、周囲の鉄柵に群がって見学している子供達が、まぶしそうに目を細めていた。

剣をふる新兵達の中に、イノは三年前の自分を見ていた。あの頃は一日でもはやく訓練過程を終えて、『虫』と戦うことしか考えていなかった。アルビナでの事 件、「黒の部隊」への配属、そんな未来が先に待ち受けているなんて、想像もしてなかった。

「しかし、妙ちきりんな仕事だよな」

ドレクの声に、イノは視線をもどした。

「まあ、そのキンピカの『虫』っての持って帰りゃいいだけだろ? 楽なもんじゃねえかよ」

「まあそうだけどよ‥‥‥」

今は四人とも剣以外の装備を外している。さすがにいつもの格好で市街を歩きまわるのは、人目を引きすぎるからだ。とはいえ、全員にシャレっ気なんてなく、 隊の黒服をそのまんま着ていたりするから、こうして一塊になっていると結構目立っている。

「反組織が、からんでいるかもしれないから?」

イノは、煮え切らない様子のドレクにたずねた。任務に関する内容なので、さすがにみんな声をひそめている。

「まあな。もし、連中もそのキンピカを狙ってるってなら、ひょっとしたら厄介なことになるかもしれねえだろ」

へっ、とガティが鼻で笑った「ビビってんのかよ? 反組織なんてのは、しょせんセラーダから追っ払われた負け犬どもの寄せ集めだぜ?」

「相手は得体の知れない連中だ、ってセラ・シリオスも言ってたろ? 油断はできねえさ。ま、何もなけりゃそれがいいんだがな」

ネフィア──謎につつまれた反組織。彼らと戦うことになるのだろうか。

イノはそうならないことを願った。いくら反組織でも、同じ人間とは戦いたくない。自分にとって戦うべき、倒すべき相手は『虫』なのだから。

「なんだ? お前も今回の仕事が不満か」

ガティがこちらを見た。

「そんなことないよ」と慌てて否定する。

「そりゃ、いつもみたくバケモノ連中と殺りあうことはないだろうけどよ。お前にとって悪い内容じゃないと思うぜ」

「どういう意味さ?」

「俺らが受け取るっていう例の『虫』は、ずいぶんお美しいみたいだからな」 

意味ありげに笑うガティ。まだよくわからないといった顔つきのイノの横で、ドレクが噴きだした。

「そいつに惚れたりすんなって言ってんだよ。この『虫』バカが」

「なんだよそれ!」むっとして、笑っている二人に抗議した。

「だってそうだろ? お前、寝ても覚めても『虫』のことしか頭にないじゃねえか」

「スラのときも──」

「俺らが必死こいて戦ってたのに──」

「一人で勝手に抜けだして──」

「食堂で仲良くイチャついてたんだからな」

交互に繰り出されるガティとドレクの言葉に、イノはまったく反論ができない。この二人は、いつもくだらない口喧嘩をしてるくせに、こういうときは妙に息が あっている。しかも、言われている内容がまったくの事実なのが、なんとも悔しい。

誉めて認められたかと思えばもうコレだ。この先、ずっとこんな扱いなのだろうか。

「待たせたな」

そのとき、背後でスヴェンの声がした。イノは救われた思いで振り返る。兜を脱いだ彼は、短く刈った髪のせいもあって普段よりさわやかにみえる。

「じゃ、さっそく行こうか」

「行くってどこへ?」

ほっとしたのもつかの間、ものすごく嫌な予感がしてきた。

「決まってんだろ」とドレク「コレだよ、コレ」

そして、何かを飲むしぐさ。

「ああ」イノは反射的に手を振った「オレはいいよ」

「おいおいおい。つれねえなお前」ガティがいった。

「ホントにいいから。気にしないで行ってきなよ」

酒‥‥‥。ガル・ガラの肝臓を発酵させて造られたという飲み物を、イノは一度だけ、みんなに連れられていった酒場で飲んだことがある。

最悪だった。味もそうだが、飲んだ後はもっとひどかった。あんなみじめな思いをしたことはない。なぜ、みんなはあんなものを美味そうに飲んで、気持ち悪 くなったりせず、胃の中の物をぶちまけたりもせずに、バカみたいに騒いでいられるのだろう。

それ以来、イノは酒の誘いを逃げるようにしている。生涯を終えるそのときまで、なにがなんでも関わる気はない。

「いい加減慣れとけよ。これから先どうすんだ、おい?」とドレク。

「そうだぞ。それに、吐いたら吐いたで、すっきりするからいいじゃねえか」とガティ。

だから、それが嫌だってのに!

思考を限界まで回転させ、イノは窮地を脱するための方法を考える。このまま連れて行かれるわけにはいかない。いよいよとなったら、全力で走って逃げてしま うつもりでいる。

「無理強いすることはない」

と、意外なところから助け船が出た。これまで沈黙していたカレノアである。

「体調をくずされて、任務に支障が出ても困るだろう」

「ちぇ‥‥‥しゃあねえな」

さすがのガティも引きさがる。さも残念といった様子だ。

たすかった──イノは感謝の目でカレノアを見た。だが「鋼の男」は平然とそれを受け流す。「人間の腹からではなく、鍛冶場で鍛造されて産まれた」とい う彼についての噂は、本当かもしれない。

「さて。それじゃ俺達は行くからな」

事の成り行きを面白そうに見ていたスヴェンが、口を開いた。

「忘れるなよ。明日の朝六の刻だからな。それまでには、グリー・グルの発着場に来るんだぞ」

「わかってるって」

「寝坊したら、容赦なく置いていくからな」

「そっちこそ」

にやりと笑ったスヴェンに同じように返した後、イノはそそくさとその場を退散した。グズグズして、また誘われでもしたらかなわない。



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