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─二章  首都フィスルナ(5)─



夕暮れ時の墓所に、人の姿は少ない。

自分の背丈より高い墓標が立ちならぶ中を、イノは静かに歩いていく。

墓標といっても、死者の数だけそれが存在するわけではない。居住区にある建物と同じく、巨大な墓石に個人を示す小さな金属の認識証が無数にかけられている のだ。それらは、区画ごとにきちんと整理されている。

ときおり吹く風に、つるされた認識証同士がふれあって、カチャカチャと音色を奏でる。

一つの墓標の前でイノは立ち止まり膝をついた。そこに父グレンは眠っている。

父の認識証。手のひらに収まる小さな金属の板に刻まれている記録。

名前。性別。年齢。職業。市民階級。それだけだ‥‥‥それだけ。

語りかけてくれた力強い声も、抱きしめてくれた温もりも、そこには刻まれていない。

父さん──それでも、イノは目を閉じた。

ひたすら心の中で話しかけた。楽いことを。くだらないことを。

ひたすら心の中で追い続けた。失われたものを。二度と取り返せないものを。

そして、静かに目を開けた。父の認識証が心地良さげに風にそよいでいた。

膝をついた目線よりちょっと高い位置で揺れているそれは、八歳のときに自分でつるしたものだ。スヴェンやクレナ一家、その他の父を知る人達に見守られなが ら。

できるだけ高い場所にしてあげようと、せいいっぱい背伸びしたのを覚えている。

小さな金属の死者達が奏でる音。あのときと変わらない音。

父が死んでから、初めて泣いたのがこの場所だった。

認識証をぶらさげそれを見上げているうち、いきなり父がもういないのだという事実が襲いかかってきて、どうしようもない悲しみに心がつぶされそうになっ て、思いっきり声を上げて泣いた。クレナが痛いほどの力で抱きしめてくれた。その彼女も自分に負けないぐらいの大声で泣いていた。

まるで競いあうかのように泣き声を張り上げる幼い自分達の横で、スヴェンはじっと顔をふせて何かに耐えるようにしていた。

懐かしいやら恥ずかしいやら‥‥‥イノの頬が苦笑でゆがんだ。

あのとき、すべてを涙で流したつもりだった。でもだめだった。涙はなにも洗い流してくれなかった。

『時間が解決してくれる』と誰かが言った。でも嘘だった。時間はただ過ぎていくだけで、なにも解決してくれなかった。

だから戦っている。今も、そしてこれからも。

イノは立ち上がった。

離れたところにある墓標の前で、一人の老婆が祈っている姿が見えた。

正面に姿勢を戻す。姿勢を伸ばす。

剣に手をかけて一気に抜く。鞘をこする小気味よい音と共に、黒い刀身が夕日に輝く。 

イノの剣。刃は「黒の部隊」のものだが、柄の部分には父グレンの剣の一部が使われている。無理を言ってクレナに造ってもらったのだ。

父の夢は『虫』と人との戦争を終わらせることだった。その仇を討ち、夢を引き継ぐことを決意したイノは、どうしても父の剣で戦いたかった。

剣を優雅にまわし、柄を胸の位置に持ってくる。剣先が紫色の空に屹立する。

戦場で、兵士が死者に対して行う追悼の構え。

戦士として。息子として。

イノは静かに目を閉じて、父に祈りを捧げた。

小さな金属の死者達が奏でる音。あのときと変わらない音。

これから先も変わることはないだろう。

また来るよ。父さん──

祈りを終えて、イノは墓標を後にした。

背後では小さな死者達が、いつまでも風にそよいでいた。


*  *  *


夜が明ける前、イノは家を出て軍本部へと向かった。

「黒の部隊」の部屋には誰もいなかった。つまりは一番乗りだ。

手慣れた動作で、漆黒の鎧を身につけていく。鎧といっても、全身をおおうような重装備のものではない。動きやすさを重視し、身体の要所を保護するよう設計 された軽装の防具だ。これは、一般の兵士が身につける鎧にも共通している。ただ「黒の部隊」のそれには独自の改良が施されており、材質はもちろん見た目も 大きくちがう。クレナの言葉を借りるなら、「手間も、暇も、金もかかっている」のである。

イノ自身は、この黒い鎧があまり好きではなかった。その理由は、曲線を多様した装甲が、鎧というよりは昆虫の外皮みたいで、どうしても憎むべき『虫』を連 想してしまうからだ。

でも、あくまでも好きでないのは形だけだ。黒い鎧の着心地は、一年前に身につけていた一般兵のものとは比較にならないし、強靱な装甲には何度命を救わ れたかわからない。おまけに、英雄セラ・シリオスがその設計に携わったとあっては、文句など言えるわけがない。

「よう! ギリじゃねえか」

装備を整え、意気揚々とグリー・グルの発着場まで向かったイノは、ガティの一声にあっけにとられた。見れば人気の少ない発着場には、自分以外の全員がそ ろっている。

「いつからいたのさ?」

「だいぶ前からな。お前さん待ちだったってことだ」ドレクが答える。

四人ともいつもと変わらない様子だ。しこたま酒なんぞ飲んで、カレノア以外は無駄に騒いでたろうにもかかわらず。脱帽だ。その辺だけは一生勝てそうにな い。

「よう。どうやら寝過ごさずにすんだようだな」

カレノアと一緒に、グリー・グルに積んだ荷物を調べているスヴェンが笑った。

「それはお互いさまだろ?」

やり返した瞬間、ふと思いついて、イノは口を開いた。

「そういえば、昨日クレナがそっちに行かなかった?」

相手の動きが、ぴたりと止まった。

「それが、どうお前と関係あるんだ?」

やっぱり行ったんだなクレナ──イノは内心でほくそ笑んだ。

「オレは、来たかどうかを聞いているんだよ」

「まあ‥‥‥来たさ」

めずらしくスヴェンが口ごもる。こちらとしては痛快この上ない。

「料理を持ってったと思うんだけど。うまかった?」

「そりゃあ‥‥‥な」

「なにか言ってあげた?」

だからそれがどうお前と関係あるんだ?

おおありだ。彼女に食事を作ってあげるよう提案したのは、他ならぬこの自分である。事の成り行きぐらい知るのは当然だろう。

「なにを言ってあげたのかを、聞いてるんだってば」

「なにをだ?」

相手はだんだんイラついているようだ。しかし、かまうことはない。

「結婚しよう、とかその手のことをさ。言い方は色々あるだろうけど」

瞬間、イノの兜が派手な音を立てた。

「くだらんおしゃべりはやめて、さっさと出立の準備をすませろ」

力と言葉でばっさりと会話を打ちきり。スヴェンは荷物調べにもどった。これ以上追求すればまた頭をどつかれる。それぐらいはわかる。

ちょっとずれた兜を直しつつ、イノはむっつりと自分の荷物を調べにかかった。納得がいかない。こんなのどう考えてもおかしい。叩かれるような悪いことなん て、こっちはたずねていなかったはずだ。

周りはこの理不尽な仕打ちをどう思っているのかと見れば、ガティとドレクはまたなにやら言い争いをはじめているし、カレノアはいつもの‥‥‥。

(あれ。笑ってなかったか、今?)

まさかな──と思いなおす。目の錯覚だろう。「母乳代わりに砂鉄を飲んでいた」なんて噂されてる「鋼の男」が、こんなくだらないことでウケたりするはずが な い。

「そろそろ出発するぞ」スヴェンがいつもの調子で声を上げた。

目的地であるブレイエは、フィスルナのずっと西にある。何事も起こらなければ、四日ほどで到着できるだろう。

グリー・グルがイノを乗せるために身をかがめた。トカゲのような顔が「はやく乗れ」と言わんばかりにこちらを向いた。

「お前もおかしいって思うだろ?」

さっきの一件がまだ消化不良なイノは、大きな瞳をした相手に訴えかけた。

当然、返事はない。

ため息をついて鞍にまたがる。こんな不愉快なことは、とっとと忘れて任務に集中すべきだ。とはいっても、小さな『虫』とやらを受け取りに行くだけの、さほ ど 気張ることのなさげな内容の任務だが。

顔を出しはじめた朝日の下、黒い人姿を乗せた五頭のグリー・グルは、赤茶けた大地を駆けぬけていった。



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