─二章 首都フィスルナ(1)─
朝日が照らす赤茶けた大地を、イノ達を乗せた五頭のグリー・グルが駆けていく。
長距離を高速移動する手段として使われるグリー・グルは、二本脚で立ったトカゲのような動物だ。土煙を上げる発達した脚。それとは対照的な小さな腕。長い
尻尾と首。頭についた大きな瞳は、走ることそのものが楽しくて仕方ないというように輝いている。もともとは野生の動物だったものを、人間が乗るために品種
改良
したらしい。
スラの砦の激闘から三日が過ぎていた。砦を発ってから、休息のために各所の駐屯地や砦に立ち寄る以外、イノ達は休むことなくグリー・グルを駆り続けてい
た。
やがて一行の前に、セラーダの首都フィスルナがその巨大な姿を現しはじめた。高い防壁で周囲をぐるりとおおった円形の都市が、中央を横切る大きな河と、大
地に点在する木々と岩があるだけの荒涼とした景色の中で、朝の光に白っぽいくすんだ輝きを見せていた。
現在イノ達が走っている小高い丘からは、遠大な首都のすべてが一望できた。いくつもの区画にわかれている居住区。これから大量の煙をはきだす煙突がたくさ
ん並んでいる生産区。この時間はまだ活気のない商業区。祭りや式典に使用される大広場。多くの死者が眠る墓所。都市はずれに見える堂々とした建物と演習場
は、
セラーダ軍本部だ。そこからは、幅広い通りが都市を突っ切り、首都の巨大な正門へと伸びている。
ひときわ目をひくのは、都市中央にある『継承者』達が住まう区画だ。曲線をえがく白い建造物が整然と並び、市街では珍しい樹木がいたるところで青々とした
輝きを放っている。その区画は、あらゆる意味でセラーダの中枢としての場であることを誇示するように、周囲とは大きな壁ではっきりと隔てられていた。こう
して遠方の高い位置から眺めるのでもないかぎり、都市内部の一般市民にとっては見ることすらかなわないのだ。
久しぶりに見る首都の姿に、イノはため息をついた。こうして全容をながめるたび、人間がこれほど広大なものを造りだしたことへ驚嘆の念をおぼえてしまう。
フィスルナぐらい大規模な都市は、この大陸には存在しない。はるか北に位置するという、伝説の『楽園』をのぞいては。
フィスルナという名前は、『楽園』で使われていた言葉で「かりそめ」という意味なのだと聞いたことがある。その名には、はるか昔に『虫』達によって故郷
を追われ、この地で暮らすことをよぎなくされた『継承者』達の、深い悲しみと憤りとがこめられているのだ。
『楽園』の言語は、そこに暮らしていた民の子孫である『継承者』の間でしか使われていない。ちなみに、彼らの名前に冠され国家の名称にも使われている「セ
ラ」
という言葉は、「継ぐ」という意味なのだそうだ。それが示すものは、この「かりそめ」の都ではなく、彼らにとって真の故郷である『楽園』だということはい
うまでもない。
故郷──イノは、ときたまその言葉について考える。
自分が生まれたという辺境の村。本当の両親。それらは記憶に刻まれるよりも前に、『虫』によって奪われてしまった。何度考えてみたところで、やはり実感と
いうものがわかない。とくに「母親」というものは、他人のそれを見ておぼろげに想像するより他はなかった。
でも、思い出に残る前に失ってしまったのは、ある意味よかったことなのだろう。何をなくしたのかすら覚えていないのだから、そのことで
苦しむことはない。養父グレンのように‥‥‥。
そうこうするうちに、イノ達はフィスルナの正門の前までたどり着いた。首都建設時から存在していたという正門は、間近では視界に収まりきらないほど巨大
だ。その下には、早朝だというのに雑多な人々がたむろしている。出入りを厳しく取り締まっている兵士達。毛むくじゃらの大きな身体と角を持ったガル・ガラ
という動物に荷車を引かせ、遠方からやってきた行商人達。
そして、『虫』に故郷を襲われ、この地に流れ着いた難民達。
以前に見たときよりも、難民達の数が増えていることにイノは気づいた。年々激化している『虫』の攻勢。それは戦場にいる者達だけでなく、戦とは無関係な人
々にまで
深刻な影響をおよぼしているのだ。
しかし、押し寄せる難民をすべて受け入れるほどには、首都フィスルナも広くない。よその人間が首都で暮らすには認識証が必要であり、その発行手続きは、八
年前の
「アシュテナ卿暗殺事件」の後、特に厳しくなっている。その理由は、暗殺の犯人達が外部から移住してきたばかりの人間だったためだ。
よほど内部にツテを持っているのでない限り、今いる難民達はセラーダ管理下の村や街に送られることになるだろう。そのときに、家族が離ればなれになる場合
も少なくないと聞く。さらには、その新しい住み処も、勢力を広げつつある『虫』の前に絶対安全とは言い切れない。
巨大な門の脇に、ちょっとした集落のようなものを築き、新たな行き場をあたえられるための手続きを待っている難民達。彼らの顔は一様に暗く沈んでいる。そ
れは幼い子供でさえ同じだった。門の向こう側で暮らしている子供達は、元気に走り回っているというのに。
ここにも『虫』の犠牲者がいる‥‥‥イノの胸にやるせなさがあふれた。しかし、『聖戦』が始まれば、怪物達がこの世界から一掃されれば、それも必ず終わる
はずだ。
イノ自身は、フィスルナの外で拾われたにもかかわらず、軍人であった父グレンの手ですんなりと市民として暮らすことができた。父は一介の兵士だったが、わ
りと色々なところに顔がきいていたらしい。なんにせよ、父にはすべての意味で感謝している。
イノはふとスヴェンを見た。彼の顔は生気のない難民達に向けられていた。その瞳はどこか遠くを見つめているようで悲しげだ。そういえば、彼自身も子供の
頃、難民
としてフィスルナに来たのだと聞いたことがある。
隊長として、いつもはきびきびとしているスヴェンだが、ときどき人が変わったように暗い顔をしているときがある。それは、きっと彼の過去に関係のあること
なのだろうと察しはつく。だが、イノも仲間もそのことについて深く探ろうとはしない。それは自分達だけにかぎらず、この大陸に暮らす人々の間にできた暗黙
のルールのようなものだ。
『虫』という怪物がもたらす悲劇。みんなその中で心に傷を負っている。そして、自分からそれを吐き出しでもしない限りは、他人がその傷をつつき回ることは
許されない。
グリー・グルにまたがったまま、門兵らの敬礼に応え、イノ達はあっさりと正門をぬける。軍の兵士であると同時に、他に例のない「黒の部隊」の装いは、それ
自体が身もとを保証してくれるのだ。
多くの人々の羨望と畏怖のまなざしを受けながら、漆黒の一行をのせたグリー・グルは、大通りを元気よく駆けて、セラーダ軍本部へと向かっていった。