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─三章  二人の少女(2)─



気づけば見知らぬ場所にいた。

頬にあたる風。そこは屋外だった。今さっきまでビネンの部屋にいたはずなのに。そして、その場所はブレイエですらなかった。

遠く先まで広がる景色にびっしりと立ち並んでいるのは、森林の木々ではなく、見たことのない建造物の群れだった。流れるような丸みをおびた形をし て純白に輝いているそれらは、フィスルナの『継承者』の居住区にあるものとよく似ていた。ただし、その大きさはケタちがいだ。

巨大にして優美な建造物の間には、幅の広い通りが見える。それは地面だけでなく、空中高くにまでのびて複雑に絡みあっていた。

通りのあちこちには、奇妙な物体があった。短いイモ虫のような形だが、生き物には見えない。それら人を飲み込めそうなぐらい大きな白銀の物体は、路地の端っ こにきちんと身を寄せているものもあれば、路地の真ん中で腹を見せて寝そべっているものもあった。

イノが見ているのは都市だった。大陸で一番の規模をほこるフィスルナよりもさらに壮大で、それこそ絵に描いたように美しい都市。だが、どれほど目をこらして も、人の姿どころか、いかなる動物の姿も見られない。動いているものといえば、整然と植えられ風になびいている木々だけだ。

その大都市を見下ろす丘の上に、イノは立っていた。なだらかな丘の周辺は、頑丈そうな防壁にぐるりと囲まれている。

いきなり見知らぬ場所にいるというのに、不思議なぐらい気分は落ち着いていた。それどころか、懐かしさのようなものさえ感じる。

イノはふと背後をふり返った。だいぶ離れた先に、くすんだ茶色の壁がそびえ立っているのが目にとびこんできた。

大きな壁だ。視界の端から端までを埋めつくすぐらいはある。さらに、それは緩やかな傾斜をえがきながら、自分が今立っている丘と一つに繋がっていた。 土でもなく、石でもない、たくさんの皺が刻まれた奇妙な材質で造られているようだった。

壁は左右だけでなく、はるか上方までのびている。イノは何気なく視線を上げ、そして息をのんだ。

はるか頭上に見えたのは、空をおおうかのごとく茂っている緑の葉。

目の前にそびえたっているのは壁ではないと知った。自分が立っている場所は丘ではなかったと気づいた。

それは一本の樹だった。いくつもの街を飲みこんでしまえるほどの太い幹を持った、途方もなく巨大な樹だった。イノが今まで丘だと思っていた場所は、その大 樹の根の上だったのだ。

あまりにも常識を外れた大きさの存在に。イノは顔を上げたまま、しばらく呆然としていた。

視界いっぱいに広がっている緑色の葉。輝くばかりの美しさで、これまで目にしたどの植物の色とも異なる緑。それでいて、どこか見覚えのある緑。

あの色。いったいどこで見たのだろう。

一陣の風がふく。空におおい茂る葉達が、気持ちよさげにそよいだ。互いに触れあい、互いにささやきあいながら。天から降りそそいでくるそれらの音は、まるで歌声のようだった。黄金色の日の光にまたたく、星々のような緑のきらめき。

心地よさに出るため息。イノにはわかった。この不思議な場所に来たときから感じていた懐かしさ。それを自分にあたえてくれているのはこの樹なのだと。そし て、樹は他にもまだ何かを、自分に贈りとどけようとしているのだと。

『力』──そうとしか表現しようのないものが、この巨大すぎる姿を持った存在からイノへ伝わってきていた。

音のように。風のように。波のように。その『力』がイノに語りかけてくる。

身体をこえ、心をこえ、自分の奥にあるなにか≠ノ。

目を覚ましていく己のなにか=B恐怖はない。むしろ安らぎがあった。大事なものをゆっくりと思い出していくような──そんな気持ちだった。

〈待っていた‥‥‥〉

幼い声。イノは視線を下げた。いつのまに現れたのか、一人の少女が大樹の根本にたたずんでいた。

十一、二歳ぐらいだろうか。肩まである亜麻色の髪。小さな身体をつつんでいる白い長衣。風に吹かれ、静かにはためていているその衣には、複雑な線で構成さ れた紋章が描かれていた。それは、上下に枝と根とを広げた一本の樹のように見える。ちょうど今、彼女が背にしている大樹を表現しているのだろうか。

少女の目はこちらに向けられていた。緑色の瞳。そして、その色は頭上高くでそよいでいる葉と同じものだった。不思議でいて、どこか馴染みのある緑だ。

そして、イノはようやく思い出した。大樹の葉。少女の瞳。両者に共通するその緑は、自分自身の瞳の色でもあるのだと。

〈ずっと探していたの。あなたのような人を〉

心に直接響いてくる声で、少女が静かに語りかけてきた。

待っていた? 探していた? いったい何を──

〈もうじき‥‥‥みんなが世界にあふれてしまう〉

困惑し問い返すイノの声に、少女の声が重ねられる。口調こそ落ち着いているものの、その底にある相手の焦りがはっきりと感じ取れた。

〈あの人に力を貸して‥‥‥そして来てほしいの。あなた達が『楽園』と呼ぶこの場所に〉

『楽園』? ここが──

〈わたしは、これ以上あなたと話すことができない。だから、お願い‥‥‥あの人に会ってあげて〉

語りかけること自体が苦痛であるかのように、少女の顔がはりつめる。同時に、周囲の景色が陽炎のようにゆらぐ。

イノは彼女との会話が終わろうとしていることを悟った。

お前は何なんだ? なんだってオレにこんなことを──

〈あなたが、わたし達と同じだから〉

同じ? 同じってどういうことだ──

自分を残して、すべてが消え去ろうとしている。美しい大都市も、巨大な樹も、そしてこの少女も。手のとどかない遠くへ去ろうとしている。

〈ラフスルエン〉

知らない言葉。それを伝えてきた少女が微笑む。苦しみと悲しみに押しつぶされそうな笑み。そんな痛々しい笑顔を、イノは生まれてはじめて目にした。

〈『樹の子供』なの‥‥‥あなたも〉

そして、なにもかもが消え去った。


*  *  *


砦を偵察していた仲間達がもどってきた。

あいかわらず木の根元に座りこんだままのサレナクが、彼らの報告を静かに聞いている。

(あきらめて引き返す、ってことにならねえかな‥‥‥)

サレナクの様子を遠目にうかがいながら、イジャはそんなことを思っていた。

イジャは戦士ではない。争いごとがからっきしダメなのは、自他ともに認めている。昔から、剣なんて物騒なものを扱うより、物を造ったりいじったりする方が 好きだった。ところが、それが災いして、今回の作戦にひっぱりだされてしまったのである。

だがイジャがいくら願おうとも、このまま撤退ということにはならないだろう。もっとも、それぐらいは自分でもわかっている。この作戦が終わるまでは、サレ ナクをはじめ仲間の誰一人手ぶらで帰る気はないはずだ。

とくに「姫さん」は。

イジャは、離れた位置に立っているレアを見た。彼女は腕を組んで木にもたれ、一人なにかを思いつめている様子だ。兜からのぞく眼が、「姫さん」という あだ名に似つかわしくない荒々しい光にいろどられている。もっとも、そのあだ名はイジャが勝手につけたもので、本人に聞こえないところで使っているだけ なのだが。

「黒の部隊」を見てからずっと、レアの機嫌は悪そうだった。無理もない。あの連中が出てくるなんて、誰も予想してなかったのだから。

黒い兵士達は、まだ砦の中にいる。彼らが作戦の障害となるのはさけられないだろう。

「よし。全員集まれ」やがてサレナクが声を上げた。イジャはいそいそと彼の下へ向かった。

ああ。いよいよか‥‥‥不安に胸をさいなまれながら、リーダーである彼の指示に耳をかたむける。

事の決行は、夜中と決まった。

とりあえず、イジャの役目は戦闘とはかかわりのないものだった。彼だけでなく、ほとんどの者がそうだ。サレナクは宣言した通りに、よけいな戦いを回避する つもりらしい。しかし、不安が晴れたわけではない。じっさいに事がはじまればどうなるかは、誰にもわからないのだから。

イジャは再びレアを見た。作戦の一番危険な役目をまかされた「姫さん」に、今までと変わった様子はない。見上げたものだと素直に感心する。すでにビビりま くっている自分とは大ちがいだ。

日は沈みかけている。ブレイエの森に、夜のとばりがおりようとしていた。



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