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─三章  二人の少女(4)─



イノが屋外へ出る通路を歩いていたとき、まるで落雷でもあったかのような大気を引き裂く音と、激しい振動とが建物を震わせた。

あの『金色の虫』に、一人で会いに行こうとしていた途中だった。

食事を終え、明日の出発に備えて眠りについたスヴェン達とは別に、イノだけは、ただ一人いつまでも寝つけずにいた。

不思議な光景。謎の少女。みんなと談笑しているときは、頭の片隅に追いやれていたそれらが、再び頭を悩ませていたからだ。

ただの夢だったのか。まぎれもない現実だったのか。もし本当のことならば、いったいどのような意味があるのか。

悲しげな微笑みを見せた少女。彼女の切迫した言葉。

もう一度、あの子に会うことができるだろうか?──そう思い、イノはそっとベッドを抜けだした。スヴェンらを起こさないよう、静かに装備を身につけ部屋を出た。飛び道具までは必 要ないだろうと思い、それは置いていった。

少女の呼び声は、もう聞こえていない。だが、自分そのものを引っぱられるような奇妙な感じは、砦に来たときほど強烈ではないもののまだ存在している。

繋がっている──そう思わせる不思議な感覚。まるであの『金色の虫』と自分とが、見えない糸で結ばれでもしてしまったかのようだ。少し意識をかたむけれ ば、その糸が身体の内に伝えてくる微かな温もりまで感じられる。

指先同士を合わせているのに似た感触と暖かさ。不快さはなかった。得体が知れないというのに、なぜか心を落ち着かせるものがあった。

(これは何なんだ?)

夜更けの静かな砦の中を、ときおりすれちがう兵士らと敬礼を交わしながらイノは歩いた。目指すは屋外だ。

イノが倒れた後、ビネンは『金色の虫』をすっかり気味悪がってしまったらしい。あの人のよさそうな砦管理者は、謎の『虫』がイノに何かしたのではないか、と 考えたようだ。

ガティはその様子を笑いながら話していたが、イノは笑うことができなかった。それは事実なのだから。

そのため『金色の虫』の保管場所は、ビネンの執務室から外の資材倉庫へと変わった。明朝までの間だし、警護の兵士もつけているので、移動させても問題はな さそうだと、スヴェンも判断したようだ。

反組織ネフィアのことは気がかりだったが、ビネンの話では、『金色の虫』がこの砦に持ちこまれて以来、付近一帯を警戒しているにもかかわらず、人っ子一人見かけ ないのだという。

そもそも、ネフィアが本当にこの一件に関わっているのかも定かではない。仮に『金色の虫』を取り返すにしても、彼らが軍の砦に直接攻め入るような真似をす るとは考えにくかった。

現状は無視こそしているが、砦を攻められたとなれば、セラーダ軍も黙ってはいない。たかが反組織一つをたたき潰すことぐらい、軍にとっては造作もない ことだ。小さな砦を襲うことで、大きすぎるツケを払うのはネフィアの方である。

だから、その轟音が初めて耳に飛びこんできたとき、イノは一瞬、それが本当の落雷だと思ってしまった。

そして、二度目の轟音。

雷などではなかった。なにかの爆発によるものだ。

もちろん『虫』ではない。それに、あのバケモノどもこの地域には現れない。

ネフィア──その名がイノの脳裏に閃いた。

「敵襲だ! 眠っている奴を起こせ!」

まだ呆然としている近くの兵士に怒鳴りつけると、イノは通路を駆けだした。

三度目の轟音。思わず身をふせそうになるほどのすさまじさだ。

入り口から外に飛びだしたイノは、目の前の光景に唖然とした。

あたり一面が真っ白な煙につつまれている。ものすごい量と濃さだ。おかけで、目と鼻の先の様子すら見えない。息をのむと同時に、その煙まで吸い込んでし まい、イノは慌てて片手で口をおおった。

だが、体調に変化はない。毒というわけではなさそうだ。刺激臭があるわけでもないため、火災の煙ともちがう。ただの煙幕だろうか。

四度目の轟音が鼓膜を打った。同時に、目のくらむ閃光が煙霧をつきぬけるようにはじける。

イノは一瞬うめいてしまった。建物の中で聞いたときとは大ちがいの、腹の底までふっとばすようなとんでもない大音量だ。おまけに、まぶしい光まで放ってい た。

連中なにを使ってるんだ?──煙幕はともかく、こんな落雷そのままの効果音や光を出す兵器なんて聞いたことがない。

辺りから怒声や悲鳴やらが聞こえる。だが、この分厚い煙の壁のせいで誰が発したのかはわからないし、その位置すらつかめない。

してやられた。どう考えたってこの状況はまずい。

今頃は砦内部のスヴェン達も他の兵士達も飛び起きて、こちらへ駆けつけているはずだ。だが、外がこの状態では同士討ちもありえる。うかつには 動けない。

しかし、それはネフィアにとっても同じはずだ。かといって、音と光と煙を放つ謎の兵器以外に、なにかを仕掛けてきている様子はない。砦を制圧するつもりな ら、こちらが混乱している今が絶好の機会だというのに。

そうか! 奴らは──イノは再び駆けだした。

すぐさま気づくべきだった。ネフィアの目的は砦の占拠ではなく、この混乱に乗じて『金色の虫』を奪い去るつもりなのだと。

五度目の轟音が大気をふるわせる。だが、イノはもう立ち止まらない。

煙がはれる様子はないが、ときおり、白い壁の向こうに人影がちらほらと見える。しかし、いちいち確認している暇はない。

『金色の虫』はまだ持ち去られていない。イノはそう確信していた。それどころか、その距離と方角すら手に取るようにわかる。

あの感覚が‥‥‥「繋がっている」という感覚がそれを教えてくれる。襲撃の動揺から 立ち直ったいま、度重なる爆音にも、煙霧にもさえぎられることなく、イノはその見えない不思議な糸のようなものを、自身の内にしっかりと感じていた。

目の前に現れた資材倉庫の影。イノはためらうことなく、その脇を駆けぬける。目指すのはこの奥にある倉庫だ。『金色の虫』のはそこにいる。まるで身体全体 が方位磁石にでもなったような気分だ。

ふとイノは、さっきまであれほど悩まされていた奇妙な感覚を、当たり前のように信じて使っている自分に気づいた。

砦の警鐘が、今さらのように鳴り響く。

最初よりも若干薄れてきた煙の向こうに、目的の倉庫の入り口が見えた。その前で、兵士が二人倒れている。『金色の虫』を見張っていた者達だろう。生死のほ どはわからない。無事を確認するのは後まわしだ。

倒れた兵士をとびこえ、イノは一直線に倉庫の中に飛びこんだ。

さほど煙の入りこんでいない内部。広い空間のところどころに高く積み重ねられた木材。

そして、中央の開けた場所にたたずむ白い人影。

あきらかに砦の兵士ではない。

「お前!」

駆けながら、イノは大声で叫んだ。

白い服装の人物が振り向く。その脇に、布でくるまれた小さな荷をかかえているのが見えた。『金色の虫』はあの中だ。それがわかる。

相手の背丈はこちらと同じくらい。男にしては小柄な方だ。銀色の兜が顔の上半分をおおっているため、人相まではわからない。

イノと目があった瞬間、兜の奥からのぞいている青い瞳に強烈な光が走った。

「そいつから──」

手を放せ! とイノが続けようとしたとたん、男の自由な方の手が素早く動いた。

イノは反射的に脇に飛びのいた。身体のすぐそばを、きらめく物体がすさまじい速さで空を斬り裂いていった。

再び男の腕が動く。すかさず身をかがめたイノの頭上を、駆けぬけていくきらめき。そして、それが後方に命中する音。

一瞬だけ振り返ったイノの目に、立てかけてある材木に突きささった短剣が映った。

ちっ、といういまいましげな舌打ちをした相手。短剣を使いきったのか、これ以上投げてもむだと思ったのか、小さな荷をかかえたまま身をひるがえして、倉庫 の奥へと駆けだした。

イノはすぐさまその後を追う。

倉庫の奥には開いた窓がある。白服の男はそこから逃げるつもりらしい。だが、窓の位置は高く、下に材木が積み重なっているものの、足場にして上るには手間 が かかりそうだ。その途中をふん捕まえる時間は十分にある。

しかし、イノのもくろみは見事に外れた。窓の下までたどり着いた男は、駆ける勢いそのままに、片手に荷物をかかえているとは思えない身のこなしで高く積 み重なった材木をあっというまに上りきって、窓の外へ姿を消したのだ。

男のあまりにも鮮やかな逃走ぶりに、イノは素直に驚いてしまった。こんな状況じゃなければ、拍手でも送りたいところだ。

だが感心している場合ではない。相手ほど優雅ではなかったが、イノも同じぐらい素早く材木を上りきって窓から飛びだす。いまだ立ちこめる煙霧の中に、走り 去っていく白い影が一瞬だけ見えた。着地したときには、もう相手は煙の壁の先だったが、かまわず駆けだす。

白服の男の姿は見失った。しかし、彼が持ち去った『金色の虫』の存在はしっかり把握している。とぎれることのない繋がりが、身体の内にある不思議な温もり が、相手の逃げていった方向と距離とを正確に伝えてくれている。

(おかしい。こんなふうに追跡ができるなんて普通じゃない)

いまさらに浮かぶ自分への疑問。しかし、悩んでいる暇はない。ひとまず、奪われた『金色の虫』を取り返すのが先決だ。

やがて煙の中に、砦を囲んでいる木の柵が見えた。爆薬か何かで破壊されて、人一人通れそうな穴が口をあけている。そこから先は夜の森林が広がっていた。そして、そ の闇の向こうに、逃げ去った白服の男が持っている『金色の虫』の存在をはっきりと感じた。

移動している。離れていく──

だが柵にあいた穴をぬけ、暗闇につつまれた木々を前にしたところで、イノは一瞬ためらった。

この先はなにが待っているかわからない。いま感じているのは、あくまでも『金色の虫』の存在だけだ。ネフィアが罠をしかけていたとしても、この不思議な感 覚は、そこまで丁寧には教えてくれないだろう。それに、森の中での行動はあまり経験がない。

いったん仲間を集めるべきだった。でも、怒鳴りあっている無数の声こそ聞こえてくるものの、イノの近くには誰もいなかった。大声で呼んだところで、まだ晴 れていない煙の中では、自分の位置を知らせるのは難しいだろう。

そう考えている間にも、『金色の虫』はどんどん遠ざかっていく。その「繋がり」の糸が引きのばされ、細くたよりないものへと変わっていく気がする。そのう ち、プツリと切れてしまいそうだ。そうなれば、二度と取り戻すことはできないかもしれない。

このまま追ってやる──イノは決意した。なにも単独で危険に突っこむのは、今にはじまったことじゃない。

またスヴェンに怒られそうだが、『金色の虫』を奪い返すことは「黒の部隊」の任務でもある。いつものような説教はないだろう。

そしてなによりも、イノ自身がもう一度『金色の虫』に会いたかった。これまで起こった不思議な出来事。今のこの感覚。これらすべての答えを、あの『虫』は 持っているはずなのだ。なんとしても確かめなければならない。

あの少女‥‥‥決して夢や幻覚ではなかった。今ではそう断言できる。

イノは駆けだした。闇の中へ。



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