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─三章  二人の少女(7)─



見事にやられた、とスヴェンは認めざるをえなかった。

最初の爆音で飛び起きたときから、一刻も経っていない。それでも、この襲撃が相手側の勝利に終わったことはわかっていた。

まだ漂っているものの、あのうっとうしい煙は砦の様子が見えるぐらいには晴れてきていた。敷地を囲っていた柵の二、三カ所に穴がうがたれているのがわか る。だ が、被害と呼べそうなものはそれぐらいだった。建物等が火災を起こしている様子もない。死傷者は今のところはっきりわかっていないが、『金色の虫』を見 張っていた二人の兵士が、ただ気絶させられていただけから判断すれば、おそらく無きに等しいだろう。

そして、その『金色の虫』は持ち去られていた。敵ながらあっぱれという他ない。

証拠こそないが、襲撃者がネフィアと呼ばれる反組織であることは、ほぼまちがいないだろう。やはり、彼らはこの一件に関わっていた。そして、その謎の組織 とやらを、自分達はあまく見過ぎていた。これほどの大胆さと実行力を持っているとは思ってもみなかった。これまで行動らしい行動を何一つしていなかったか らこそ、警戒すべきだったのだ。

とんだ「英雄の部隊」だな──襲撃のさい何もできなかったに等しい自分達を振り返って、スヴェンは自嘲ぎみに笑った。

だが、まだ完全に敗北したわけではない。奴らはまだ遠くへは行っていないはずだ。例の『虫』を取り返すチャンスはまだある。

「隊長殿」

ガティの声にスヴェンは振り返った。

「カレノアが、キンピカが持ってかれた倉庫の近くにあった足跡を見つけたぜ。一つは襲ってきたの連中のもので、もう一つは『虫』バカのだとさ。二つとも、 近くの柵に空いてた穴から外の森に出ちまってるらしい」

『虫』バカ──イノの姿は、襲撃があった以降から見あたらない。
 
「まちがいないのか?」

「まあ俺にゃよくわからねえけど、カレノアがそう言ってんだから、そうなんじゃないかな?」

本人はあまり語らないが、カレノアはクドゥークと呼ばれる東方に住む狩猟民の出身だ。「鋼の男」というあだ名こそつけられているが、無骨な外観からは想像 できない並み外れた感覚の持ち主で、普通の人間が見逃して しまいそうな些細な痕跡から、様々な事実を導き出すことができた。とくに追跡などはその本領である。その彼が断言しているのならば、まちがいはないだろ う。

「わかった。すぐに使えそうな連中を集めてその足跡を追ってくれ。ビネンにはそう伝えておく。俺もフィスルナへの報告が終わりしだい合流する」

「了解。『虫』バカに先を越されるわけにはいかねえからな。あのクソ連中、俺らに喧嘩をふっかけたことを後悔させてやる!」

ガティがこぶしを打ち鳴らす。だいぶイラついているようだ。無理もない。ここまでコケにされては、「黒の部隊」の指揮官であり、彼の敬愛する英雄シリオス の面目が丸つぶれだからだ。

「そうだ。コレ」駆けだした途中でガティが振り返って、ひょいと何かを放り投げてきた。

スヴェンは空中でつかんだそれを目の前にかざす。短剣だった。戦闘用の造りだが、セラーダ軍が使用しているものではない。

「キンピカのあった倉庫に刺さっていたんだとさ。カレノアは、ネフィアと『虫』バカがそこではち合わせしたんじゃないか、って言ってるぜ」

(アイツ──また一人で突っ走ったな)

ガティの去った後、短剣を見つめスヴェンは考えた。

砦の奇襲で自分達が飛び起きたとき、すでにイノの姿はなかった。おおかた寝つけずに外に出たのだろうと予測はつく。

ブレイエに向かう旅の途中から、彼の様子がどこかおかしかったのには気づいていた。どうせたずねたところで否定するだけだろうから、何も言わなかったのだ が、気絶したときにはさすがに驚いた。

最近は『虫』との激戦が続いていたから、その無理がたたったのだろうとスヴェンは思っていた。自分自身にも似たような経験がある。それに、目覚めた後のイ ノはとくに問題なさそうに見えた。

それにしても──たまたまその場に居合わせたとはいえ、ネフィアを一人で追っていったのは無茶のしすぎだろう。人との戦いは『虫』のそれとはちがう、お まけに、周辺はアイツにとって不慣れな森林だ。それぐらいの判断はできる奴だと思っていたが‥‥‥。

だが無理もないかもしれない。イノは新兵からたいした経験も積まずに、対『虫』を専門にした「黒の部隊」に入ってしまった。それはスヴェン達が歩 んできた過程とは大きく異なるものだ。

それはそれで、幸運なことだったのかもしれないが──

なんにせよ、こちらも急いで追うしかない。まあ、アイツのことだから無事ではいるだろう。

スヴェンの戦士としての目から見ても、最近のイノの活躍には驚かされるものがある。どうせ調子づくだろうからと、そのことは言わないでいるが。

案外、いまごろ森で迷子になっているかもしれない。そう考えると少しだけおかしくなった。むろん、そのときは厳罰である。

気を引き締めなおし、スヴェンは砦へと向かった。

 
*  *  * 

 
「わかりました。もう下がっていいですよ」

セラ・シリオスは従者にそういった。そして、一人きりになった執務室で、従者が持ってきたブレイエからの二度目の報告書に目を通した。

砦が襲撃されてから、二日が経過していた。

とくに目新しい情報は、報告書に記載されていない。『金色の虫』を奪ったネフィアの追跡は難航しているらしい。

まさに予想通りの成り行きだ。

やはり動いた──ブレイエの砦が襲撃を受けたと、最初の一報があったとき、シリオスはそれを当然のごとく受け止めていた。

ネフィアが『黄金の虫』を持ち去った手口は、実に見事なものだ。人的、物的にも、こちら側の被害を最小限に押し止めて、目的を完遂させている。

さすがは「彼女」だ。いや、実行したのは「彼」の方だろう。

謎につつまれた反組織ネフィア。その指導者の正体に、シリオスはうすうす見当がついていた。そして、『金色の虫』の正体が何であるのかも。

むろん、そのことは誰にも告げていない。これは自分達だけの問題なのだから。

いまのところは、こちらの思惑通りに事は進んでいる。

唯一、予想外だったのは、あのイノという少年に関してだけだ。どうやら、ネフィアを一人で追いかけていったらしいが、その後の消息は生死すら不明だとい う。

シリアは、あの少年と接触しただろうか。

そのはずだった。同胞≠ナある彼に、彼女が気づかぬわけがない。そのためにわざわざ戦場から呼び戻して、ブレイエまで向かわせたのだ。

できれば自身も共にブレイエに出向きたかったのだが、その場合はシリアを警戒させることになる。それに、わざわざ「英雄」が動いたりしてしまってはガル ナークが怪しむだろう。いま将軍の不興を買うのはまずい。とはいえ、彼がすべてを知ることなど永遠にないだろうが。

あの少年の中に眠っていたものは、シリアとの接触ですでに目覚めているはずだ。おそらく混乱したことだろう。できれば、それについて彼に語り導いてやりた かったが、行方が知れないのなら仕方ない。

とりあえず、少年ついては後まわしでもかまわなかった。もともとこちらの計画には入っていない存在なのだから。同胞≠ニいうことに驚き、興味を持っただ け だ。アルビナでの事件を知り、実際に彼に会ってそれを確信した。シリアの瞳や、『樹』の葉と同じ、あの緑色の瞳を見たときに。

さて‥‥‥とシリオスは立ち上がった。いよいよ動かねばなるまい。

これでガルナークは、ネフィア討伐のための兵を動かすことを承知するはずだ。「クズの集まり」と称した連中にまんまと砦を奇襲され、『聖戦』の前にケチが ついたと、今頃はさぞ怒り心頭だろう。現地に「黒の部隊」を派遣させていた責任と名誉挽回をかねて、「英雄シリオス」がその指揮を買って出ることになって も、なんの不審もい だくまい。単純な男なのだ。

人民の長たる『継承者』といえど、しょせんはただの人間にすぎない。

だが「彼女」もこちらの動きを警戒しているはずだ。ネフィアの内通者が、軍の内部にまで入りこんでいることは知っている。その者達に動きをさとられぬよ う、事は慎重に運ばなくてはならない。

ブレイエの砦から、ネフィアの足取りを追うのが困難になるとは考えていない。他の者には無理だろうが、この自分にならばたやすいことだ。

フィスルナの外に出るのは実に久しぶりだ。『継承者』という立場は、退屈で仕方がなかった。しかし、ようやくそれも終わりだ。これから忙しくなる。

すべてが計算通りにいくかどうかはわからない。だが、それはそれでいいとシリオスは思っていた。何事も、予想外の出来事が多ければ多いほど面白い。それ は、この終わりゆく世界での唯一の楽しみなのだから。

そう。自分は楽しんでいる。素晴らしい気分だ。

笑みを浮かべ、シリオスは静かに部屋を後にした。



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