─四章 黒い輝き(2)─
「しかし、ずいぶんと若いんだな」
いきなり話しかけられて、イノは顔を上げた。前を歩いている背の高いひょろひょろした男からだった。たしかイジャという名前だ。歳は二十五、六ほど。ガ
ティと同じぐらいだろう。きれいに剃った頭の下から、よく動く眼が興味深げにこちらを見ている。
イノは黙って相手を見つめ返した。捕虜となって連行されて以来、普通に話しかけられたのは、これが初めてだ。
「『黒の部隊』ってのは、お前さんみたいな子供でもなれるもんなのかい?」
続いた彼の質問に、思わずむっとしたがこらえた。いまの自分の立場を考えたら、ここで怒り出すわけにもいかない。それに相手は悪意からでなく、本当に好奇
心からたずねてきているようだ。
「わるかったな」と、ぶっきらぼうに返すだけにした。
「気を悪くしなさんなよ。なんだか、あんまり『それらしく』見えないんで、聞いてみただけさ」
「そういうあんただって、少しも『それらしく』見えないぞ」
イジャは面白そうに笑った「俺は物騒なのは苦手なんでね」
たしかに彼は短剣以外、武器らしきものを身につけていない。そのかわり、背中になにやら大きな袋をしょっている。
変な男だ。そう思った。これがイジャとの最初の会話だった。
その後も、ネフィアの一行は森林を進んでいった。進路の決定は、先頭を歩いているサレナクに任されているらしかった。後に続く者は、彼の指示に黙々と従っ
ている。当然、イノもそれにならわされた。
ネフィアの人間は全部で十人。みな年齢も、服装も、装備すらもちぐはぐだった。きちんとした兵士らしい格好をしているのは、皮肉にも捕虜のイノだけである。こんな連中が、あんな見事な襲撃を行ったのだとはいまだに信じられない。
相手に対しおとなしく従っているイノだったが、脱走の機会はつねにうかがっていた。しかし、自分の剣はサレナクが持っているし、『金色の虫』はレアという
女が抱えている。他の者達とちがって、この二人だけは絶対に隙を見せない。両手を縛られ監視されているこの状況では、どちらか一方を奪い返すだけでも不可
能に近かった。その気になれば逃げ出すぐらいはできるかもしれないが、任務の目標はおろか、自分の剣すら取り上げられて、おめおめと「黒の部隊」に戻れる
わけがない。それぐらいの意地はあるつもりだ。
それに捕虜としての扱いは、想像していたよりもひどいものではなかった。殴られたりということもないし、水も食事もちゃんと与えられている。でも、周囲の
ほとんどの者が、自分に警戒心むき出しの視線をよこしてくるのにはうんざりした。もちろん、家族のような扱いを受けることを期待していたわけではないが、
息のつまりそうな雰囲気だ。
ただイジャだけは、最初に言葉を交わしてからというもの、ひんぱんに話しかけてくるようになった。イノが『それらしくない』見た目をしているためだろう。
初めてこちらの黒い姿を見たとき、まるで死に神でも出会ったかのように蒼くなっていたのが嘘のようだ。
「お前さん、うちの姫さんと派手にやりあったんだって?」
あるとき、彼が声をひそめながらたずねてきた。
「姫さん?」
それが誰を差すのか、イノにはとっさにはわからなかった。
「ほら、前を歩いてるだろ」
イジャの指した方向には、特徴的な白い服装をした女が歩いている。いうまでもなくレアだ。思えば、ネフィアの一行で彼女以外に女性はいない。
それにしても「姫さん」とは‥‥‥イノは納得するよりもあきれてしまった。マト外れにもほどがある。お姫様がどんなものかはおとぎ話等で知っている。小さ
い頃は憧れたことだってあった。しかし、どんなに悲惨な内容の童話であっても、剣を振りまわして人を殺そうとするお姫様なんて出てこなかった。
「どこがだよ」心の底からいった。
「まあ、俺が勝手にそう呼んでるだけなんだけどさ」
「そんなことより、あんた達はどこに向かっているんだ?」
イノは話題を変えた。負けた(でも完敗とは思っていない)ということもふくめて、あの女の話はしたくない。それに、いい加減目的地ぐらいは知りたかった。
「そりゃあ、これから家に変えるのさ」
「家? アジトのことか」
「まあ、そうともいえる──」
「イジャ!」鋭い声がとんできた。
呼ばれた本人が、ぎくりと身体をこわばらせる。
「そんなの≠ノ、よけいな事をしゃべらないでちょうだい」
こちらを振り返っているレアがたたきつけるようにいった。距離もあり小声だったというのに、彼女にはこちらの会話が聞こえていたらしい。
(そ、ん、な、の?)
かつて経験したことのない失礼な呼び方に、思わず捕虜という自分の立場も忘れて、イノはカチンときた。
「それと、今度わたしのこと『姫さん』なんて呼んだら、半殺しにしてやるから」
「わ、わかったよ」
目に見えてうろたえながら、イジャは手をバタバタと振った。相手はずっと年下の女だというのにである。なんだかこの男が、ひどくかわいそうに思えてきた。
ふん、と鼻を鳴らしてレアは前を向いた。イノに憎々しげな一べつまでくれて。まるで農作物についた害虫でも見るような目つきだった。
この女!──イノはあのとき手加減してしまったことを本気で後悔した。
やたらと静かになったイジャと、やたらと腹を立てたイノを連れた一行は、その後も黙々と歩みを進めていった。
* * *
ネフィアの追跡は暗礁に乗り上げた。
砦周辺に残されていた痕跡すべてをたどったにもかかわらず、反組織の足取りは途中で見事に途絶えてしまった。
砦が襲撃されてから、すでに四日が経っている。
「黒の部隊」は、フィスルナのシリオスから、追って指示があるまでブレイエの砦に待機しているよう命じられた。しかし、待機とはいえ何もしないでいるわけ
にはいかず、スヴェン達はいつものように森林への調査へと出かけた。
焦りがつのっていた。日がたつにつれて逃げた相手は遠く離れていく。だが、こちらはその方角すらまんろくにつかめない有り様なのだ。
「やっぱ、はっきり痕跡がわかる場所は、ここ以外ねえな」
ドレクがいった。スヴェン達がいるのは森の中に開けた草原だった。他の場所に残されたものとはちがって、ここだけはいまもなお、過去に激しい戦闘があった
ことをしめす跡を残していた。
踏み荒らされた草地。戦っていたのは、イノと彼が追跡してた相手だろう。
その結果‥‥‥。
「あの『虫』バカ。あんな連中にとっつかまりやがって」
ガティがつばを吐きながら毒づいた。追跡が思うように進まないことが、彼のイラだちに拍車をかけている様子だ。
「ま、殺られてねえだけマシだろ」とドレク。
「そりゃそうだけどよ。今度会ったら首しめて落としてやる」
イノは戦いに負け、捕まった。スヴェン達はそう判断した。本人はもちろん、死体も見つからず行方不明という事実が、その可能性を物語っている。
草原の痕跡は、その戦いが一対一であったことをしめしていた。イノの腕前は仲間である自分達がよく知っている。相手もよほどの腕の持ち主だったのだろう。
そのとき、一人で森に入っていたカレノアが出てくるのが見えた。
「どうだった?」
スヴェンの質問に大男は首を振った。
「やはりだめだ。森の奥に大勢の足跡が一ヶ所にまとまっている場所がある。少年の足跡も混じっている。だが、そこから先がどうしてもわからない」
「そうか‥‥‥」
「ひょっとしたら、クドゥークの者が関わっているのかもしれない」
「お前と同じ出身の人間がか?」
「そんな気がする。少年が追っていた相手は、森を知る者の動きをしている」
「へえ。あのボウズ、よくそんな奴を一人で追っかけられたな」
ドレクが感心していった。
「でもどうすんだよ隊長殿。連中のことがいくらわかったって、どこに逃げたのかがわからないんじゃ手の出しようがないぜ?」
ガティがいった。
「そんなことはわかってる。だが、セラ・シリオスがここでの待機を命じているんだ。次の指示があるまで、地道に調査を重ねていくしかないだろ。まだ追跡不
可能と決まったわけじゃない」
スヴェンはそう答えるしかなかった。
しかし、少なくともイノが生きていると思えるのは不幸中の幸いだ。襲撃のさい一人として人命を奪おうとしなかったネフィアの手口から見ても、その期待は大
きい。もっとも、相手は反組織なだけに楽観はできないが。
イノが死んでいるとは想像もしたくなかった。彼は部下で、自分が弟のように面倒を見てきた少年で、恩師でもある上官の息子なのだから。
(本当にそう思っているのか?)
突如、自身の中で囁いた暗い声。
ぞくり、とスヴェンの身体が震えた。
「ひとまず砦に戻ろう。他を調べている連中から、何か報告があるかもしれない」
そう素早く口にして、スヴェンは仲間達に背を向けた。色を失った顔を見られないように。
* * *
ふと、イノは前方に目を向けた。
視界に入れるだけで気分が悪くなる白服の女が歩いている。その彼女が抱えている、布でくるまれた小さな荷物。
ふいに荷物のそばまで駆け寄って、その中にいる『金色の虫』を見たい衝動にかられ、イノは必死にそれを抑えつけた。そんな真似をすれば、あの女に問答無用
で斬り殺されるに決まってる。
(いったい何だっていうんだ?)
それはブレイエの砦に着いたあのとき、自分をとらえたものによく似ていた。
呼ばれている──という感覚だ。
以前ほど強烈なものではない。だが、ひどく落ち着かない気分にさせられる。
『金色の虫』とイノとにある見えない糸のような「繋がり」は、捕虜となってからもずっと存在していた。しかしそれは、意識しないとわからないほどの細く
かすかなものでしかなく、最初の身体ごと引っぱられるようなものに比べたら、服の袖をそっとつままれている程度の印象でしかなかった。
それが今は少し強くなっているように感じる。まるで、繋いだ手を弱々しく引かれているような。何かを訴えているような。そして、ここまではっきり知覚でき
ているというのに、その正体はいまだにわからないままだ。
「どうかしたか?」と話しかけられた。
こちらの様子に気づいたイジャだった。
「いや‥‥‥そういえば聞きたいんだけど」
イノは思いきってたずねてみることにした。
「あの『金色の虫』は、もともとあんた達のものなのか?」
「うーん。まあそうだな」
このあいだレアに怒られたことなど忘れたかのように、イジャはけろっとして答えた。どうやら、もともとこういう性分の男らしい。
「あの『虫』はいったい何なんだ。あんたらはあれを使って、何をしようとしてる?」
「そいつには答えられない‥‥‥ってのは、そのままの意味でさ。実は、俺もあの『虫』のことはよく知らないんだよ」
「ネフィアの人間なのにか?」
「俺は日も浅い下っ端なもんでね」
イジャはひょいと首をすくめた。何かを隠しているような様子はない。ネフィアの人間なら、『金色の虫』について当然のごとく知っているのかと思ったが、ど
うやらそうでもないらしい。
彼らのリーダーであるサレナクか、年少のくせに一行の中でやたら生意気に振るまっているレアという女なら、何か知っているかもしれない。しかし、あの二人
から聞き出すのは無理というものだろう。
「じゃあ、あんたはあの女の子のことも知らないわけか」
自分と同じ瞳の色をした謎の少女のことを、イノは何気なく口にした。そのとき、ずっと前を歩いていたサレナクが、ぴくりと肩を振るわせたことには気づかな
かった。
「なんだ女の子って? ひめ‥‥‥レアのことか?」
「ちがう。あんなの≠カゃない。まあ、なんでもないよ」
わけがわからない、といったイジャの反応を見て、イノはこの話を打ち切った。相変わらず聞き耳を立てていたのか、「あんなの」呼ばわりされたレアがものす
ごい目つきでにらんできたが、完全に無視してやった。やられたらやり返す。当たり前のことだ。
気づけば、『金色の虫』からの強い呼びかけはなくなっていた。それでも、自分達を繋げる目に見えない糸は、依然として存在したままだ。
(これは何なんだ?)
答えてくれる者はいない。