─四章 黒い輝き(5)─
「これで五つめか‥‥‥どうなってんだよ」
ガティが不審げにつぶやいた。
スヴェン達は、ブレイエの砦の内部にある部屋から、眼下の光景をながめていた。
二十人ほどのセラーダ軍の小隊が、門から入ってきたところだった。昨晩から到着した小隊とあわせると、砦の広場にいる兵士の数は、ざっと二百名を超えてい
る
だろう。
最初の一隊がやってきたときは、てっきり砦の援助とネフィア追跡調査のための援軍だと思っていた。だが、事前にこちら側にはなんの連絡もなかった。さらに
は、やってきた隊の指
揮官が、自分達がここに来た目的を知らされていなかったのだ。
その後も、続々と二十名ほどの小隊が到着しはじめた。援助と調査のためにしては、あきらかに数が多すぎる。
ブレイエの砦の責任者ビネンは、この事態にどう対処してよいのかわからないようだった。フィスルナに回答を求めても、「追って指示あるまで待機」という返
事しか受けとれないらしい。
スヴェンら「黒の部隊」も、あいかわらず待機命令のままだ。セラ・シリオスからその後の指示はない。
(なにが起ころうとしているんだ?)
眼下に集う兵士達をながめてスヴェンは思った。この召集がネフィアがらみ以外のものとは考えられなかった。だが、連中の足取りは以前としてつかめないまま
なの
だ。
それとも、軍は謎の組織について確証のある情報でも得たのだろうか。でなければ、『聖戦』を目前に控えたいま、あやふやなことに人員を動かすわけがない。
「なんだか気味が悪いな」ドレクがいった。
同感だった。何かの計画。それが自分達の知らないところで動いている。
はたして自分達もそれに含まれているのだろうか。ここでの待機を命じられている以上、その可能性も十分ありそうに思える。
スヴェン自身はまだこの地から立ち去りたくはなかった。イノはまだ行方不明のままだ。せめてその生死だけでも確認するまでは、ネフィアを追い続けたかっ
た。
(あいつの生と死‥‥‥お前はどっちを望んでいるんだ?)
再び、自分の中で暗い囁きが聞こえた。スヴェンはその声を無視して、瞳を空に向けた。
夜が明けようとしていた。
* * *
ただよう血の臭いの中、誰かの嘆く声が流れている。
木立の間から見える、しだいに白みはじめた空。
夜の暗闇が薄れていく。周囲に転がっている、かつては人間だったもののなれの果てが、ゆっくりと日の光の下にさらされていった。
『虫』の犠牲となったネフィアの人間は三人。
サレナクの指示で、他の者達は死体から形見となるものを回収している。むごいようだが、弔ってやる時間はないと判断したのだろう。
死者を悼む声に混じって、何人かが嘔吐するのが聞こえた。
彼らから外れた場所で、イノは死骸となった『虫』のそばに両膝をついたまま動けずにいた。
いまなら逃げ出せる──頭ではそう理解している。いまは誰も自分のことなど気にかけてはいない。サレナクやレアでさえも、沈痛な面持ちで仲間達の遺体を
見つめている。自分の剣は手の届くところにあり、すこし離れた場所には『金色の虫』が入った荷が、忘れ去られたように放置されている。つつんでいた布がめ
くれて、檻の
中にいる金色
の小さな姿がのぞいていた。
脱出には絶好の好機だった。しかし身体が動かない。疲れたわけでも、傷を負ったわけでもないのに。
『虫』にとどめを刺し、黒い輝きが散り、不思議な感覚が消えた瞬間、イノの身体は、すべての神経が断ちきれたようになってしまった。
今は、ようやく手を動かせるようになってきたところだ。いままで数えきれないほど『虫』を殺してきたが、こんな状態になったことはない。
目の前に横たわる巨大な『虫』の死骸。ヘビのようにのたくっていた身体は力を失って、無様な円をえがいている。そして、その死骸の真ん中あたりに、墓標の
ように突きささっている自分の剣。
黒い刃──見事なまでに相手の「核」を一撃でつらぬいていた。
イノは自分の戦いぶりをあらためてふり返る。どう考えても異常だった。サレナクの協力があったとはいえ、こんなバケモノを無傷であっさりと片づけてしまっ
たの
だ。今までの自分では絶対に不可能だった。それは断言してもいい。
(今までの自分‥‥‥じゃあ今のオレは何なんだ?)
わからない。なにも。ただ、もう二度と「今までの自分」には戻れないかもしれない。そんな気がしていた。
それに──とイノは思い返した。
あの『声』。
戦っている最中に聞こえてきた声。とどめを刺したときに響き渡った絶叫。
あれは『虫』の声だった。イノはそれを確信していた。声を持たないと言われている怪物の声を自分は聞いたのだ。そして、それを耳にすることができたの
は、
ここにいる人間達の中で己ただ一人だけだったということも。
クスクスと楽しそうに笑い、怒りにわめき、苦痛に泣き叫び。
あれは、まぎれもなく人間の声だった。
人間‥‥‥それも幼い子供達の。
ふと、自分に向けられている視線にイノは気づく。それは離れた場所に転がっている檻の中からだった。
すべての発端。すべてを知る鍵。
『金色の虫』──今その相手からは何も感じない。
それでも小さな瞳はイノを見ていた。
すごく悲しそうに。