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─五章  反組織ネフィアと
          その指導者(1)─



イノを連れたネフィアの一行が、目的の本拠地にたどり着いたのは、ブレイエの砦が襲撃されてから六日目の夜のことだった。

森林はあいかわらず延々と続いていた。しかし、しだいに樹木の種類が変わり、柱のような形をした岩が緑の風景に混じってくるようになった。天にむけて堂々 と屹立する石柱は、まるで巨人が打ちこんだ杭のように見える。大きなものは、フィスルナの居住区に並んでいる集合住宅ぐらいの太さがあった。

ようやく変化しはじめた景色にもたいして興味を示すことなく、イノは捕虜として黙々と歩いていた。その両手は再び縛られている。

沈黙しているのは、ネフィアの人間達も同じだった。『虫』に襲われて以降、誰も口を開こうとはしない。一番口数の多いイジャや、つねに怒りをぶちまけてい るようなレアでさえも、その例外ではなかった。

怪物に殺された犠牲者の遺品は、イノの前を歩く男が担いだ袋の中に収められている。袋からは、かすかに血の臭いが漂っていた。

重苦しい雰囲気をひきずる一行に従いながら、イノは『虫』と戦ったあの晩のことをひたすら考えていた。黒い輝きをはじめとした、過去に経験のない現象にみ まわれた戦闘。しかし、どれほど頭をひねったところで、納得のいく説明などつけられなかった。

サレナクと一緒に先頭を歩いているレアに目を向ける。正確には、彼女が持つ小さな荷物に。

あの夜以降、『金色の虫』からは何も感じられない。これまで自分達を繋げていた糸のようなものが、すっぱりと断ち切られてしまったかのように思える。つま りは、得体の知れない感覚につきまとわれる以前の状態にもどったわけだが、そのことに寂しさを覚えている自分が不思議だった。

イノは大きくため息をついた。捕虜となっている自分。わけのわからない出来事に襲われっぱなしの自分。この問題だらけの状況に、頭がどうにかなってしまい そうだ。

ふと先頭を歩いていたサレナクが立ち止まり、指を口にあてて鳥の鳴き声のような口笛を吹いた。おそらく、近くにいる見張りに合図を送ったのだろう。その証 拠に、木立の奥から似たような口笛が響いてきた。

しばらくして、一つの石柱の前にたどりついた。それは他のものよりもはるかに大きく、岩山と表現した方がふさわしそうだった。切りたった崖のふもとには、 人が二人ほど並んで通れそうな洞窟が口を開けていた。

ネフィアの人間達が、ためらうことなく洞窟の中に入っていく。入り口から少し奥に進んだところに、箱が一つ置かれていた。サレナクがその中から松明を一本 取り出す。やがて、松明の先端に灯された炎がぼんやりと周囲を照らしだした。

大勢の人間が歩く足音が、ひんやりとした岩壁と空気に響きわたる。洞窟の中を歩くのは、イノにとって初めての経験だ。夜のそれとは異なる密閉された暗闇は なんだか不気味で、これから先への不安がよけいに煽られる気がした。

ネフィアの人間はこの洞窟に暮らしているのだろうか──そう思っていると、やがて前方に出口が見えてきた。そこに立っていた人影が、近づく一行に気づいて 喜んだ声を上げた。

「サレナクさん。みんなもおかりなさい!」

イノと同じ年頃の少年だった。切りそろえた髪の下にある茶色の瞳が、興奮ぎみに輝いている。

「ソウナ。ここにいるのはお前一人だけか?」サレナクがたずねた。

「はい。みんなが帰ってくるまでここの見張りをさせてもらうよう、アシェル様にお願いしたんです。それで……うまくいったんですか?」

レアが無言で、『金色の虫』の入った荷を見せた。

「レア! 無事だったんだね」

「ええ」と、彼女はそっけなく返す。

「よかった。心配してたんだよ。もし──」

「ごらんのとおり任務は成功したし、わたしも無事よ。それより、アシェル様は起きていらっしゃるの?」

「え? ああ、みんなが帰ってきたってのは、もう『館』に伝わってるからそうだと思うけど……。あれ、そいつは?」

イノに視線を止めたソウナが、眉をひそめた。  

「捕虜よ」

こちらを見ようともせず、レアがいった。

「捕虜だって?」彼の眼が鋭くなった。「なんでまた……」

「悪いが立ち話をしている時間はない。それと、俺達が捕虜を連れてきたことを、誰にも話すんじゃないぞ」

厳しい声でサレナクがいった。   

「でも──」

「これは命令だ。お前はこのまま見張りを続けていろ」

彼が差し出した松明を受け取って、ソウナはしぶしぶとうなずいた。それでも視線はこちらから外さない。挑みかかるようなそれは、一行が再び歩き出したあと も、ずっと背中に張りついてきた。

ここが敵地のど真ん中であるということを、イノは強く意識した。

洞窟をぬけた先は、広大な土地だった。ところどころに小さな林があり、幾筋かの川まで流れている。

ふと見上げて、イノは驚いた。円く切り取られた星空が見える。どうやら、この場所は岩山の内部にできた空間らしい。土地の周囲が垂直の崖でぐるりとおおわ れていた。まるで、とんでもなく大きな鍋の底にでもいるみたいだ。

遠くに見える土地の中央部分には、立ち並んでいる家々の影が見えた。そのいくつかは明かりがともっている。深夜のため細部まではわからないが、この閉鎖さ れた大地の中に、小さな町が丸ごと収まっているような印象を受けた。

一行は、家が密集している中央を迂回して進んでいった。やがて、行く手にひときわ大きな建物が現れる。そこが目的地らしい。

「お前達はこのまま『館』に入れ。俺も後から行く」

小川にかけられた小さな橋を渡り終え、建物の正面に近づいたところで、サレナクがレア達に指示を出した。そしてイノに顔を向け、ついてくるよう眼でうなが した。

二人は建物の裏側に回りこんだ。イノには、この大きな建物が石造りをしていることと、かなり古い昔に建てられたものであることがわかった。裏手に広がる草 地の中に、建物の地下へと通じているらしき階段がある。相手に言われるがままに階段を降り、木の扉を軋ませて中に入った。

「こんなところで悪いが、今夜はここで寝てもらう」

入り口から差しこむ光以外に明かりのない地下室で、サレナクがいった。

「あんたらは、オレをどうするつもりだ?」

イノは思いきってたずねた。

「それは俺達の指導者が決めることだ。だが、お前が妙な真似さえしなければ、手荒に扱われることはないだろう」

彼の言葉に嘘はない、とイノは判断した。敵対こそしているが、平気で人をだましたりするような人間ではない──そう思わせるものが、このサレナクという男 にはあった。

「お前には礼を言っておく」

「礼?」だしぬけに言われて戸惑った。

「あの晩、お前が『虫』を倒してくれなければ、俺達は確実に命を落としていた」

「べつに……あんた達のためにやったわけじゃない。それに、オレに手を貸してくれたのはあんただ。礼を言うことなんてないだろ」

弁解するようにイノはいった。なんだか居心地のいいような悪いような気分だ。

「そうか」

薄闇の中で男が浮かべた小さな笑み。それは、気のせいか遠い昔を懐かしんでいるように見えた。

「おそらくだが明日の朝、俺達の指導者がお前に会いたがるはずだ。そのとき迎えにくる」

「わかった。そういえばあんたは──」

あの『金色の虫』のことを何か知っているのか? と、イノが続けようとする前に、サレナクは扉を閉めて出て行った。かんぬきの閉まる音がした。

地下室に一人取り残されたイノの目に、まわりの様子がぼんやりとだが見えてきた。フタの閉まった大きな樽が、まとめて壁際にならんでいる。それ以外はとく に何もなさそうだ。かび臭くホコリっぽいところからみて、この地下室はあまり使われてはいないらしい。

腰をおろして樽の一つに寄りかかったとたん、どっと疲れがきた。思えばネフィアが砦を襲撃したあの夜以降、まともにくつろいだことなんてなかった。

もっとも、今がくつろげる状況かといえばそうでもないのだが。

スヴェン達は心配しているだろうか。それとも、もう死んだものと思われているかもしれない。いくら「黒の部隊」といっても、兵士である以上「死」は家族よ りも身近な存在なのだから。みんなそれを知っている。本人も、仲間も、そしてその家族も。

(オレが死んだなんて聞いたら、クレナは絶対に泣くだろうな)

そう考えると胸が痛む。でも、その後で「実は生きてました」とひょっこり彼女の前に姿を見せようものなら、感激されるよりも前に、思いっきりぶったたかれるのはまちがいない。

その場面を想像すると少し笑えた。そして、まだ笑えることに驚いた。

今後、自分はどうなるのか。手荒な扱いはされないにしろ、捕虜の生活というものが、イノにはいまいちピンとこなかった。それは、明日ネフィアの指導者とや らに会うまではわからない。

いったい、ネフィアの指導者とはどんな人物なのだろう。反組織の親玉で、なおかつサレナクやレアのような戦士を従えているのだから、とんでもなくごつい男 で凄腕の戦士なんだろうと予想はつく。

その男は『金色の虫』と得体の知れない感覚について、何か知っているのだろうか……。

ふぅ、とイノは大きく息をついた。もう考えるのはやめだ。本当に疲れた。

両手は縛られたままだし、快適とはいえない環境だが、ようやく一人きりになれたのだ。

いまは休もう──イノは闇の中でゆっくりと目を閉じた。


*  *  *


ブレイエの砦に集結した小隊は全部で十七になった。それ以後は、ガル・ガラに引かせた大量の食糧等が続々と到着しはじめている。

スヴェン達はいつものように、砦の部屋からその様子をながめていた。敷地内に、三百名以上の兵士達が夜営を行っているのが見下ろせた。

「こりゃどうみたって遠征だな」ドレクがいった。

「遠征たって、どこの誰とやりあうんだよ?」ガティがたずねた。

「ネフィアの連中以外にいないだろ」

「奴らの居所がわかったってのかよ?」

「そんなの俺が知るわけねえだろ。だけど、他に考えられんだろうが」

二人のやりとりを黙って聞きながら、スヴェンはカレノアのとなりで夜営地に灯る火を見つめていた。多方面から召集された小隊。そして運び込まれていく食糧 や備品の数々。ドレクの言うとおり、これは遠征のための準備としか思えない。

しかし、いまだにフィスルナからの指示はなかった。小隊の指揮官達も、誰一人目的を知らされていない。この作戦は、よほど極秘の内に行われているのだろ う。

そして、この遠征の指揮を誰が執ることになるのかも不明だった。いまのところ、それらしい立場の人物は現れていない。何からなにまで謎だらけのまま、事態 だけが静かに進行している。

(あいつは、今頃どうしているだろうか)

ネフィアの追跡調査も行き詰まり、手持ちぶさたとなった今、スヴェンが考えるのは自然とイノのことになる。

そう……純粋にあいつの安否を気にしているだけだ。決して、自分のためではない。

いつもの暗い声がささやく前に、スヴェンは自身に対してそう言い聞かせた。イノが行方不明になってから、彼のことを思う度にしゃしゃり出てくる声。ここし ばらくは、耳にすることもなかったというのに。

暗い囁き。それはつねにしゃべりかける機会をうかがっている。あの日からずっと。

「おい。誰か入ってきたぜ」

ガティの声に、スヴェンは思考を中断した。

砦の門から、グリー・グルにまたがった三つの人影が入ってくるのが見えた。三人ともフードのついた灰色の外套をまとっているため、何者なのかはわからな い。だが、少なくとも軍の人間であることは確かだ。彼らが騎乗している動物の管理は、セラーダ軍が一手に担っている。民間人が使うことはまずない。

三人を乗せたグリー・グルは、そのまま砦内部の発着場へと消えていった。

「発着場に行ってみよう」

スヴェンは口にした。この謎の作戦に関する情報をたずさえた使者かもしれない。それに、行動している方が、あれこれ考えているよりもはるかにマシだった。

あの暗い囁きを、出しゃばらせないためにも。

スヴェン達が発着場についたとき、すでに灰色の外套を着た三名は、グリー・グルから降りたところだった。その中の二人が外套を脱ぐ。鎧で武装した兵士だっ た。

外套をまとったままの最後の一人に向かって、その兵士らがうやうやしく膝をついた。それだけで、この謎の人物が『継承者』だとわかった。

兵士にならい、スヴェン達をふくめ発着場の全員が膝をついた。

『継承者』が一同のもとへ静かに近づいてくる。フードを目深にかぶっているため、顔はよくみえない。

「みなさん、ご苦労様です」

フードの奥からの聞き覚えのある声に、スヴェンは耳を疑った。

まさか──

唖然としている一同に、素顔を現したセラ・シリオスが穏やかに笑いかけた。



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