─五章 反組織ネフィアと
その指導者(3)─
「どうぞ」
扉をたたく音に、アシェルは返事をした。
「会ったのか? あの少年に」
サレナクが部屋に入ってくるなりたずねた。
「ええ。ついさっきね」
「どうだったんだ?」
「素直でかわいらしい子ね。わたしは好きよ」
「そういう感想を聞いているんじゃない」
「知ってるわ」
いたずらっぽく笑った後、アシェルは真顔でいった。
「まちがいないわ。会った瞬間にわかった……おそらく向こうもね」
「やはり、か。お前以外では確かめようがないからな。しかし驚いたな」
それはアシェルも同じだった。まさか『自分達と同じ人間』が他にも存在しているとは、予想さえしていなかった。しかも──
「あの子の〈力〉……わたしよりもずっと『その資格』があるわ。おそらく、シリアもそう思ったはず。でも、本人はそのことを何も知らないみたい」
「確かなのか?」
「ええ。あの人は彼に何も話していないようね」
「奴が少年の力に気づいていない、ということはないのか?」
「それはないわ。でなきゃ、彼があの年齢で『黒の部隊』にいることの説明がつかないもの」
「ならば、なぜ奴は何も話していないんだ?」
「あの子の〈力〉は、いままで眠っていたのじゃないかしら。あなたの報告では、彼は自分自身の振るまいにひどく動揺していたようだし──」
イノと自分との〈繋がり〉を思い返す。それが伝えてきたもの。力強さと、そして、見知らぬ場所で目を覚ました幼子ような印象。
「あの人は、彼の〈力〉が目覚めるきっかけをまっていたのだと思う。打ち明けるのはその後でもいい、と判断したのでしょうね。慎重なあの人のことだもの、いくら同胞かもしれないとはいえ、何も知らない人間に事実を語ったりはしないわ」
そして、そのきっかけは起こった──アシェルは背後のテーブルを見た。卓上にある小さな金色の輝き。ブレイエの砦で、シリアがイノに接触をはかったことは疑いの余地がない。
「『シリアの半身』は何と言っている?」
サレナクも視線を部屋の奥に向けた。
「静かよ。何も感じられないわ。どうやら、彼女の方から〈繋がり〉を断ち切っているみたい」
サレナク達を襲ったという『虫』。発生領域からはるか遠く離れたこの地に怪物が現れた原因は、シリアとイノとの接触に関わりがあるとみて、まちがいないだろう。再び同じ事態が起こることを怖れて、彼女は沈黙しているのだ。
シリアの〈力〉は弱まっている。九年前、初めて自分達と出会ったときよりもずっと。
「残された時間は少ないのね‥‥‥」
アシェルは呟いた。
「セラーダは着々と『聖戦』の準備を進めている。議会はもう賛成派一色に染まってしまったらしい。おそらく‥‥‥例の兵器もすでに完成しているとみていいだろう」
「『ギ・ガノア』……ね。あんなものを持ちだすぐらいだもの。それだけ彼らも必死だということよ。だからこそ、自分達が破滅に向かっていることを知らない。あの人の動きはどうなの?」
「いまのところ、フィスルナを離れたという報告はないな」
「おかしいわね。すぐにでも動くものかと思っていたけれど。なんにせよ油断はできないわ。必ず何かしかけてくるはずよ」
『シリアの半身』が裏切り者によって持ち去られ、ブレイエの砦へ逃げこまれてしまったのは手痛い失敗だった。そして派遣されてきた『黒の部隊』──「彼」がこちらの存在と、意図しているものに気づいたのはまちがいなかった。
ひとまず『シリアの半身』の奪回には成功した。だが砦を奇襲したことで、セラーダ軍はこれまでのように自分達を放ってはおくまい、そして、何よりも「彼」がこのまま黙っているとは思えなかった。
できることなら、誰にも感づかれることなく計画を進めたかったのだが……それは、もはや叶わぬ願いと思うより他はない。
しかし、悪いことばかりではない。この事件が起こらなければ、あのイノという少年と出会うことはなかった。シリアと同じ色の瞳、そして大きな〈力〉を持った彼と。
「あの少年をどうするつもりだ?」
こちらの内心を見透かしたように、サレナクがいった。
「それでいま悩んでいるのよ」
アシェルは小さくため息をついた。
「お前の言うことが確かならば、彼は俺達にとってぜひとも必要な人物になる」
「そんなことわかってるわ。でも、いま説得したところで応じてくれるとは思えない。まだわたし達のことも、自分自身が何者なのかも知らないんだもの。いきなり全部打ち明けたところで、それを受け入れることなんてできやしないわ。ま、しばらくは様子見ってとこかしらね」
「『時間がない』と言っているわりには、ずいぶん気楽なものだな」
「うるさいわね。そうでもなきゃ指導者なんてやってられないわ。よければいつでも代わってあげるけど?」
相手が苦笑した。「遠慮しておく」
「俺はそういうのに向いてない。それに、お前のそのしゃべり方も、すっかり板についてきたことだしな」
「それはどうも」
アシェルは肩をすくめた。
「使い続ければなんだって慣れるものよ。言葉づかいも。武器も。そして、人の理解を超えた力でさえもね」
目を覚ましたばかりのイノの〈力〉。もし、彼がそれを理解し、自由に行使することができるようになったら……それが自分達の救いとなるのか、あるいは破滅となるのか、今はまだわからない。
はたして彼を巻きこんでいいものか、という迷いもある。何も知らないのは、ある意味幸福なことなのだから。知る必要のない真実というものが、この世には存在するのだ。
だが、イノはシリアと出会ってしまった。目覚めた〈力〉は二度と眠りにつくことはないだろう。本人が望もうが望むまいが、もうそれから逃れることはできない。
この自分、そして、「彼」がそうであったように──
「あの少年は今どうしている?」
「レアにここの案内をさせているわ」
「あいつが?」
サレナクが眉を上げた。これまでの話題で一番驚いたようだ。
「あいつが……よく引き受けたな」
「まあ色々と、ね」
「大丈夫なのか?」
「あら心配? あの子が知らない男の子と二人きりでいるのが」
アシェルは、からかうような口調で続けた
「そんなに気になるなら、同伴でもしてあげなさいよ。二人ともまだ部屋にいるでしょうから」
「バカをいうな! 俺が心配なのは……あの少年の身の安全だ」
あきらかにうろたえた彼の様子がおかしくて、アシェルは大きく噴きだしてしまった。
「大丈夫よ。案外うまくやってるんじゃないかしら、あの二人」
「どう考えても、そうは思えんがな……」
「そう? なんとなく──そんな気がするわ」
渋い顔をしたサレナクとは反対に、楽しそうな様子でアシェルはいった。
* * *
「いい? ここで待ってるあいだ勝手な真似をしたら、ぶん殴ってやるだけじゃすまさないから!」
そう怒鳴るだけ怒鳴り、レアは扉をたたきつけて出ていった。
イノは連れてこられた部屋にぽつん、と一人残された。
(あんな奴に連れられて、ここを案内されるのか……)
自分を待ち受けているおぞましい未来に、イノの口からため息が出た。案内人があの調子では、ネフィアという組織についてのまともな説明はおろか、真剣に我が身の命が心配になってくる。
アシェルに使うよう言われた部屋は、ごく少数の家具があるだけの質素な内装だった。フィスルナにある自分の家と同じぐらいの広さで、客用というだけあってきちんと掃除がされていた。大きめの窓からは、遠く立ち並んでいる家々が見下ろせる。
ベッドに腰かけ、イノはアシェルとの会見を思い出す。彼女の優しそうな眼差しと声とを。
不思議な女性だった。敵組織の首領で、何を考えているのかよくわからないところがあったが、敵意だとか、警戒だとかの感情を少しも抱くことができなかっ
た。
そう思わせるのは、繋がった≠ニいう例の奇妙な感覚のせいもあるのだろう。出会った瞬間から伝わってきた彼女のそれには、優しさと、強い意志と、そして
な
ぜか悲しみのような印象を受けた。
相手は自分と『同じ』だ──イノはそう確信していた。そして向こうもそれに気づいている。だが、あの会見では、そのことが話題になることはなかった。
「また会いましょうね」と彼女が口にした言葉。いずれこの感覚について語ってくれる、という意味なのだろうか。
それもふくめて、イノはまたアシェルに会いたい気がしていた。あんなにきれいで優しそうな女性には会ったことがない。なんというか……「大人」という表現
がピタリと当てはまる感じだ。美人というだけならレアという女だって同じだが、両者の間には天と地、もしくは人間と『虫』ほどの大きなひらきがある。もち
ろん、どちらが後者かは言うまでも──
そう考えていたとき、派手な音を立てて扉が開いた。はっ、とイノが現実に引き戻されたとたん、やわらかい何かが、ものすごい勢いで顔面にとんできた。
「さっさと着がえて」
盛大に扉を閉めるなり、レアがぴしゃりと言った。
「着がえる?」
「アシェル様の話を聞いてなかったの? まさか、そんな格好でここを歩きまわるつもりじゃないでしょうね」
顔に投げつけられたのは服だった。ここで暮らすさい、セラーダ軍の人間だということを隠しておくように言われたのを思い出した。
「オレのいま着てる服や装備は、どうなるんだよ?」
「わたしが知るわけないでしょ」
どうでもいい、といった調子のレア。それはそうかもしれないが、イノにとっては大問題だ。「黒の部隊」の装備は、クレナの言葉を借りれば「手間も暇も金も
かかっている」のである。没収だけでも屈辱だというのに、捨てられでもしたら、彼女とスヴェンの両方に問答無用で殺されてしまう。それに、剣は亡き父の形
見でもあるのだ。
「まさか捨てたりしないだろうな?」
無駄とは思いつつも、念を押してたずねた。
「知らないって言ったでしょ! しつこいわよ」
予想そのままの返答。なんにせよ、ここは脱ぐしかなさそうだった。捨てられることのないよう強く祈り、いずれここを脱走するときに必ず取り返すと固く決意した。
しぶしぶと防具を外し、イノは渡された服を手にとって広げてみる。袖の長い藍色の服とズボン。誰がどう見たってサイズが大きすぎる。この女のことだから、適当に選んできたか、わざと嫌がらせで選んだのにちがいない。
「グズグズしないでちょうだい」
レアがイライラと催促してくる。しかし、イノは服を手にしたままだ。いくらなんでも、自分と同い年ぐらいの知り合いでもない女性に、じろじろ見られながら裸になるのは、かなり抵抗があった。しかも、相手は口さえ閉じていればすごい美人なのだからなおさらだ。
「着がえるぐらい、見られていなくてもできる」
出て行け、という意味をこめて言った。
「じゃあさっさとして」
まったく伝わらなかった。
「武器も持ってないんだぞ? 監視したって仕方ないだろ」
「そんなのわからないわ」
だんだん腹が立ってきた。
「今さら何もしやしない。外で待ってりゃいいじゃないか」
「信用できないわね。だいたい、なんでわたしがあんたの言うとおりにしなきゃ──」
そこで何かに気づいたように、彼女の表情が変わった。
「へえ」と、あからさまにバカにするような笑み。
「恥ずかしいわけ? わたしに見られながら着がえるのが」
図星だ。言い返す余地もない。
「情けない。そんな度胸で、あの『黒の部隊』の兵士様だなんてね。『小さい』のは身体の方だけかと思ってたわ」
いよいよ本気で腹が立った。
ふざけんなよなんなんだよオマエいい加減にしろよこっちが捕虜だからっておとなしくしてれば言いたい放題いいやがって!──
と、ありったけの声で怒鳴りそうになるのを我慢するために、イノは一生分の自制心を使い切ってしまった。それに、どうせわめいたところで、この女をますます調子づかせるだけだ。
しかし、ここまでコケにされて、人として黙っているわけにはいかない。イノは大きく大きく深呼吸し、そして、思いきり意地の悪い表情をした。
「お前、なんだかんだ言って男のハダカが見たいだけなんだろ?」
瞬間、レアの笑みが音をたてて凍りついた。
「いい趣味してるよな。『姫さん』?」
最後の一言はかなり効いたらしい。相手の顔色が赤という段階をすっとばし、見事なぐらい真っ青になった。
あの夜、草原で対峙していたときと同じに、お互いに無言でにらみあっていた。異なる点は、場所と、今が朝であることと、そして何よりもイノが『やる気』になっているということだ。
小さな部屋に満たされた、殺伐とした空気。
と、部屋が揺れるほどの勢いで扉を閉めて、レアが出て行った。
再びぽつん、と一人取り残されたイノは、なんだか拍子抜けしたような安心したような気分でため息をついた。
あんな勢いで飛び出していったのだから、あのアホ女が案内役をほっぽり出したのはまちがいなかった。それはそれで全然かまわない。むしろ、せいせいしたぐらいだ。
こうなったら、自分だけでここを調べるしかない。敵地を一人で歩きまわるのは不安だが、怪しげな行動さえしなければなんとかなるだろう。
そう前
向きに考えて、イノはいそいそと身体に不釣り合いな服に着替えた。それだけでも十分すぎるほど怪しく見えるが、あえて黙殺した。
決意を胸に扉を開ける。
ものすごい形相をしたレアが待っていた。