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─六章  静かな庭園で(5)─



「うわ、ひっでえなこりゃ!」

鼻を押さえたガティが、派手な声を上げた。

頭上から差す日の光を歪ませるかのような臭気。濃密なそれを放っているのは、地面に転がっている死体達だ。その中を、鎧姿の兵士達が調査のために黙々と動 きまわっている。

セラ・シリオスの警護についていたスヴェン達が、先行していた部隊から報告を受けたのはついさっきのことだ。内容は……この目で見るまでは信じられなかっ た。

いま目にしている光景そのものは、「黒の部隊」の人間にとっては見慣れたものだ。無惨な姿をさらした人間の死体。そして、その中央に弧をえがいて横たわっ ている異形の死骸。

『虫』──冗談かと思えるぐらい巨大なヘビのような姿をしている。これまでに見たことのない形状だが間違いなかった。こんな異質な生物は自然には存在しな い。

「ネフィアの連中だと思うか?」

「わからん。だが、その可能性は高いだろうな」

転がっている人間の骸を見ながらたずねてきたドレクに、スヴェンは答える。

どれ一つとして、まともな形を残していない三つの死体達。しかし、それぞれが武装しているのは判別できる。この付近に村や街はなく、セラーダ軍のものでも ないとすれば、ブレイエの砦を襲撃し逃亡したネフィアの人間のものと見るのが妥当だろう。

「しかし、なんだってコイツがここにいやがるんだ?」

横たわる『虫』の死骸を爪先でつつきながら、ガティが誰にともなくたずねる。

むろん、答えられる者はいない。この地方に出現するはずのない怪物の死骸が、この場にあることの説明などできるはずがない。

だが、それは否定しようのない現実として目の前にあった。

スヴェン達はもちろん、まわりにいる兵士の表情にも、少なからず動揺がうかがえた。「ネフィア討伐」という本来の目的に加えて、いつ襲ってくるかわからな い怪物の脅威まで抱えこんでしまっては、この先かなり厄介なことになる。

さらに、問題は自分達だけにおさまらない。この地が『虫』に侵されはじめたのだとすれば、セラーダはバケモノどもの勢力図を新たに書き直さなければならな くなる。兵の配備やら、地域の村や街への対処やら……一匹の死骸で引き起こされる事態は、かなり大きなものだ。

スヴェンはとなりに視線を向けた。そこには、自分達と共に現場をおとずれたシリオスがいる。彼は『虫』の死骸を見つめていた。やはりというべきか、その表 情には動揺のカケラも見られない。

「それにしても……」

やがてシリオスが口を開いた。

「見事なものですね」

「見事?」

「ごらんなさい」

黒い手袋をはめたシリオスの指先が示す。それは『虫』の死骸にある傷跡だった。怪物の身体を構成している節の一つで、灰色の甲殻の裏からは無数の脚が生え ている。そこには大量の体液が噴出した跡が見て取れた。その部位に、怪物の心臓である「核」があったのだろう。

「この傷は、あきらかに剣によって付けられたものです。他に目立った外傷といえば、斬り落とされた前脚の一方のみ……つまり、この『虫』をしとめた人物 は、ほぼ一撃で決着をつけた可能性が高い。そうだとすれば、実に見事な手ぎわじゃないですか」

感心した口ぶりでシリオスは語る。『虫』の死骸そのものについては、まるで興味を持っていない様子だ。

もちろん、彼の言うことにはスヴェンも気づいていた。『虫』が死んでいるということは、当然、誰かがそれを倒したということである。しかし……。

「偶然ってことはないですかね?」

ドレクがおずおずと口をはさんだ。

「こんな奴を一発で倒しちまうなんて、俺達にだって無理な話でさ。もしまぐれじゃないってんなら、それこそバケモンじゃあないですかい?」

「もちろん、ただの偶然ということもありえますけどね」

シリオスは、なぜか嬉々とした様子でうなずいた。

「焚き火の跡から見て、襲撃があったのは夜中でしょう。周囲の状況もふくめて、とても『虫』との戦闘に適しているとはいえません。そんな劣悪な環境で、こ のような大型種を一撃の下に葬り去る……もしそんな人物がいるのならば、たしかに怪物以上の怪物と言えるのかもしれませんね」

「やはり、ネフィアの人間がこれを倒したと思われますか?」

スヴェンはたずねた。ネフィアそんな戦士を抱えているのなら、それを討とうとしている自分達には重大な脅威である。

しかし、シリオスは笑みをくずさない。

「まあ、それが何者であれ、いずれはわかることですよ。少なくとも、我々のとった進路が正しいものであることは、この場が証明してくれたわけですから」

『虫』。怪物じみた謎の戦士。厄介事が次々と重なっていくというのに、この英雄はそれを楽しんでいるかのような態度だ。いったいどこからそんな余裕がくる のだろう。

この場への興味を失ったのか、シリオスは黒衣をひるがえして去っていく。こうして行動を共にするにつれて、「黒の部隊」の指揮官への理解が深まるどころ か、ますます謎が増えていく気がする。

木々の中へと消えていく漆黒の背中に、スヴェンはなぜか寒々としたものを覚えた。


*  *  *


黄昏の色に染まるネフィアの本拠地に、夕刻の鐘が鳴った。

イノは約束どおりアシェルの部屋へ向かっていた。

一人の女性と会う。ただそれだけのことなのに、やたらと緊張していた。おかげで今日一日は、落ち着かない気分ですごさなければならなかった。一緒に散歩し ていたネリイに、「ぜんぜんお話を聞いてくれない!」と怒られてしまったぐらいだ。

アシェル──敵対する組織の指導者だというのに、たった二度会ったにすぎないというのに、なぜ自分はこうも彼女が気になってしまうのだろう。

もちろん、彼女が自分と同じ不思議な感覚の持ち主だというのもある。お互いが出会うたびに感じた〈繋がり〉が、それを証明している。今夜の誘いがただの食 事ではなく、そのことについての話だろうと見当がついていた。

しかし、それ以外にもアシェルに惹かれている自分に、イノは気づいていた。

きれいな容姿をした彼女に。優しくつつみこむような雰囲気を持った彼女に。

恋……というのもなんだかちがう気がする。だいたい、相手は自分よりずっと年上だ。恋愛とはちがった感情。それを自身にでさえうまく説明できないのが、な んともじれったい。

そんなことを考えているうちに、目的の部屋まで来てしまった。なんとなく予想はしていたが、扉の前にはレアが腕を組んで立っていた。

声もかけてこず、視線すらあわせず、彼女は顎をしゃくって部屋の中に入るようイノに指示してきた。なんだか知らないが怒っている。昨晩二人で稽古したこと などなかったかのような、無愛想な態度だ。

レアの様子をどう解釈してよいやらわからず、イノはそのまま黙って扉をぬけた。料理のならんだテーブルの向こうに、アシェルの座っている姿が目にとびこん でくる。

「いらっしゃい。イノ」

優しい声。

そして、互いの間に生まれる見えない糸のような〈繋がり〉。

鼓動が一気に跳ね上がった。

アシェルが、柔らかな所作で向かいの席を指す。

イノはどぎまぎしながら席についた。かすかに湯気を放つ料理の先には、ランプの灯りに照らされた銀色の髪と、こちらを見つめている鳶色の瞳がある。

驚いたことに、部屋には自分とアシェルの二人きりしかいない。当然入ってくるものだと思っていたレアは、扉の外で待機しているようだ。

「まずは乾杯しましょうか」

軽くグラスをかかげた彼女にならうように、イノもおずおずとグラスを手にした。幸いなことに、中身は酒ではないようだ。ひとまずほっとする。

アシェルが静かに口を開いた。

「わたし達をめぐり逢わせた、〈大いなる力〉に」

「大いなる力?」

「そう。この世界を飲みこんでしまえるほどの巨大な力。それが、わたし達がお互いに感じているものの正体」

「じゃあ、やっぱりあんたも──」

「まあ、おいおい話していくことにするわ。今は食事を楽しみましょ?」

勢いこむイノに、アシェルはそう穏やかに微笑みかけた。



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