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─七章  ゆらぎだす運命(2)─



小さなため息を一つ出し、ソウナは眼下に広がる平原に目をやった。

「なんだ。また姫さんのことでも考えてるのか?」

「うるさいなあ」

傍らから聞こえた年配の男の声に、ぶっきらぼうに返す。

樹上に建てられた見張り小屋の中、二人きりでいる狭い空間には、うっすらと月の光が差しこんでいた。こうした見張り小屋は、本拠地周辺の森の中に何カ所も設置されている。

夜風が頭上にある木の葉をそよがせた。いつもと同じく穏やかな夜だ。

「レアもああいう娘だからなあ。お前がもっと積極的にいかないとさ」

「だから、うるさいってば。ビズには関係ないじゃないか」

ソウナは口を尖らせた。見張りは地味な仕事だ。交代が来るまでのほとんどの時間は、相方とのおしゃべりで終わる。

小屋の中央には、一本の紐が垂れ下がっている。それは木々の間を巧妙にぬって、本拠に一番近い小屋へと続いていた。有事が起これば、紐を引いて連絡を送る仕組みになっている。

といっても、セラーダはこの本拠地の存在を知らないし、『虫』もこの地方には現れない。これまでに紐を引くような事態が起こることはごく稀だっ た。

「そう突っぱねるなよ。こっちは長年妻子持ちやってんだぞ? 先輩の助言には、素直に耳をかたむけろって」

そう笑ったビズに肩をたたかれても、ソウナの視線は、月明かりの照らす平原から動かなった。

澄んだ湖のような青い瞳を思い浮かべる。五年前この地にやってきて、レアと初めて出って以来、ソウナはずっと彼女に惹かれ続けていた。

だが、今にいたるまで、あの青い瞳の中に自分は映っていない。少なくとも『男』としては……そんな自覚が悲しくもあり、悔しくもあった。

あの瞳は、何を見ているのだろう?

出会った当初、ソウナは、レアのことを自分と同じ境遇の人間だと思っていた。しかし、相手と接するにつれて、それだけではない何かを彼女が抱えこんでいるのがわかってきていた。

もちろん、レアはそれを語ろうとはしない。こちらがたずねたところで、答えてくれそうな気配すら見せない。お互い、もう何年も顔をあわせているといのに。

ソウナは息をついた。出るのは無意味なため息ばかりだ。しかし、こんなに出し続けているにかかわらず、気分はどんどん重くなっていく。

「そういやさ、あいつはどうなってるんだ?」

話題でも変えて気をまぎらわせようと、ソウナは口を開いた。

「あいつ?」

「こないだ連れられてきた捕虜だよ。セラーダ軍の」

「ああ。あの若いあんちゃんか」

サレナク達に引き連れられてきた捕虜の姿を、ソウナは思い浮かべた。夜だったし、相手が頭から足の先まで黒ずくめだったために、おぼろげにしか覚えていないが、自分と歳の変わらない少年だったと記憶している。

『黒の部隊』──相手の格好ですぐにそれとわかった。でも、あんなに若い奴がいるとは思ってもいなかった。正直、今でも信じられない。

「アシェル様はあいつを野放しにしているそうじゃないか。大丈夫なのかと思ってさ」 

ソウナやビズも含めた一部の人間にしか、セラーダの捕虜に関する情報は知らされてない。つまりここに暮らしている大半の人間が、自分達の中に現役のセラー ダ兵が混じって生活している、という事実を知らないことになる。しかも、相手は物騒な噂の絶えない「黒の部隊」の兵士だ。いくら指導者アシェルの厳命とは いえ、心配になるのは当然だった。

しかし。「まあ、アシェル様もお考えあってやってることだろうからな。ウチらがあれこれ言ったってしょうがないさ」

と、ビズはあまり気にしていない様子 だ。

「そりゃあ、そうだけど……」

ソウナ自身は、あの夜以降、捕虜とは顔をあわせていない。夜の警備が主な任務のため、日中は寝て過ごしているせいもあるが、関わりたくないと思うのが一番の理由だった。自分から捕虜の話題を口にしたのも、これが初めてだ。

「それに、ウチの娘がな」

「ネリイがどうかしたのかい?」

最近はあまり遊んでやれなくなったが、妹のように可愛がっている少女の顔を、ソウナは思い出した。

「ああ。どうやら、あのセラーダの若いの……イノって言ってたっけな? とにかく、すっかりなついちまったみたいでさ。最近はその話ばかりしてくるんだよなあ」

「なついたって……なんで会うのをやめさせないんだよ? 相手はセラーダの捕虜なのに」

あくまでも呑気な様子のビズに、怒るよりも先にあきれてしまった。

「楽しそうに話してる娘に、そんなこと言うのもなあ。それに、こっちからその理由を説明するわけにもいかんだろ。そんなことしたら、オレがアシェル様に怒られちまう。まあ、いいんじゃないかと思ってるよ」

「よくないだろ。ネリイに何かあったらどうするんだよ」

「ぜんぜん心配してないってわけじゃないぜ。オレは直接その兄ちゃんに会ったことはいからな。でも、アシェル様がわざわざ自由にさせてるぐらいだから、そんな物騒な奴じゃないんだろ。あの人の目は、ウチらより確かだからな」

ソウナは黙りこんだ。ビズの言うとおり、アシェルが危険な人間を住人の間に野放しさせておくことは考えられない。現に、あの捕虜がなにか問題を起こしたという話は聞なかった。

かといって、相手が現役のセラーダ軍兵士であることに変わりはない。仲間として来わけではないのなら、決して気を許すことはできなかった。今はただおとなしくしていだけかもしれないのだ。ビズのように、簡単に割り切ることはできない。

セラーダ──人々の幸福を謳い、『虫』の根絶と『楽園』の奪還を掲げたあの国が、自分達にした仕打ちを忘れることはできない。ビズや他のみんなだってそうだろう。ただ口に出さないだけで。

捕虜の話題はそれっきりになった。ソウナとしても、べつにあの捕虜をどうこうしようというつもりで持ち出したわけではない。話題を変えるために、口にしただけだ。

どのみち、相手はあの「黒の部隊」である。同い年ぐらいとはいえ、仮に喧嘩を吹っかけたとしても、自分で太刀打ちできるとは思えない。手に負えるとしたら、サレナクかレアぐらいなものだろう。そこで彼女の名前が出てきてしまうのも、ソウナとしては複雑な気分だ。 

「ところで話を戻すけどな」と、ビズがいっ た。

「戻すって?」

「おまえの姫君にさ」

「いいよ。戻さなくたって!」

「そういうなって。まだ夜は長い──」

背後から聞こえた音に、ビズの言葉が途中で止まる。

かすかに木の軋む音。梯子の音だ。誰かが、この小屋まで上ってこようとしている。

「お? お客さんだぞ」

ビズが梯子穴へと向かっていく。何事もなければ(それが一番なのだが)見張りというのは退屈な仕事である。みんなそれをよく知っているため、非番の人間が 差し入れ等を持って、小屋まで顔を出しにきたりするのはよくあることだ。ソウナ自身は、蒸し返されそうになった話が断してほっとしていた。

梯子穴をのぞきこもうと、ビズが身を乗り出した瞬間、シュッという空を切る小さな音がソウナの耳に届いた。

いきなり驚かされたみたいに、ビズの背中がビクリと震える。ぐらり、とよろける彼の身体。前のめりになって、梯子穴の中へと消えていった。

そして、重いものが地面に激突する鈍い音。

一連の出来事を目にし、耳にしていてもなお、ソウナはまだ事態を理解きずにいた。呆けたように、ビズの消えた梯子穴を見つめていた。

やがて、再び梯子の軋む音とともに、鉛色をした塊が梯子穴からぬっと現れた。塊の正体が兜だと気づいた瞬間、その奥にある冷たい光をやどした見知らぬ双眸が、ソウナを見据えた。

相手の肩が持ち上がる。現れた片腕が構えているクロスボウ。武器の先端で、持ち主の瞳と同じ冷たい光を放っている鋼鉄の矢。 

殺される──矢先が自分に向けられた瞬間、ソウナは弾かれたように相手めがけて突っこんでいった。

目算もなく、無我夢中でとった行動。だが、相手は虚をつかれたようだった。思わず放ってしまった相手の矢が、自分の脇腹をかすめていったのも気にせず、ソウナは死に物狂いで、梯子穴から上半身を出している鎧姿に飛びかかった。

組みついた相手が身にまとっている鎧の冷たく硬い感触を意識したとたん、ソウナは相手と一塊になって、梯子穴から落下していた。もつれあいながら叫んでいるのが、自分なのかそうでないのかもわからぬままに衝撃が起こり、身体が地面の上に投げ出された。

慌てて身を起こしたソウナの目に、梯子の傍らで折り重なるように倒れている二人の人間の姿が映った。一人は自分と一緒に落ちてきた相手だ。ピクリとも動かない身体に身につけているのは、鉛色の鎧と兜。

セラーダ軍──横たわる兵士の姿が、忘れられない過去の記憶と重なる。

そして、もう一人は。

「ビズ……?」

そう呼ぶ自分の声が震えている。だが、ついさっきまで話をしていたはずのビズは答ない。ありえない角度に傾いた首から、なにかを訴えるようにこちらを見上げている顔虚ろな眼球。でもそれは一つだけだ。もう片方の瞳は、鋼鉄の矢が深々と突きささっていた。

ビズが死んでる。殺されて死んでいる。

その事実が、遅れて湧き出したソウナの恐怖を、一気に頂点まで押し上げた。

「こっちから聞こえてきたぞ」

木々の向こうから聞こえてきた静かな声に、麻痺していた身体がビクリと反応する。殺気を含んだ知らない声達。近づいてくる。

殺される。見つかれば殺される。かつて自分の両親がそうなったように。いま目の前にいるビズがそうなったように。

そうだ!──みんなに知らせないと。

恐怖と義務とに突き動かされ、ソウナは脇目もふらず駆け出した。



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