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─七章  ゆらぎだす運命(4)─



同じだ──彼女と出会ったあの瞬間、そう理解していた。

言葉を交わしたわけでもなく、触れ合ったわけでもなく、ましてや、それまでお互いの姿を目にしたことすらなかったというのに。

〈力〉と〈力〉の交流。肉体や意識を超え、存在そのものを結びつけるかのような初めての感覚に、当時の自分は金縛りにあったように動けなくなってしまっ た。それは彼女の方も同じだったらしい。おかげで二人とも「一目惚れしあった」などと、仲間達にからかわれてしまった。

無理もない。傍目から見れば、言葉もなく呆然と見つめ合う二人はそのように映っていたことだろう。だが、あのときの自分を打ちのめしていたのは、彼女の美 しい容姿や、毅然とした佇まいではなかった。

繋がった≠ニいう鮮烈そのものの感覚。それは、金縛りから立ち直り、思い出したように彼女へ歓迎の言葉を述べた後も、永遠に続いていくように思えた。

自身の率いる小さな部隊に配属される以前から、彼女──アシェルの噂は耳に入っていた。大部分を男が占めるセラーダ軍において、ただでさえ女の戦士の存在 は目立つ。しかも、腕の立つ優秀な者ならばなおさらだ。それなりに興味こそあったが、まさか、自分と『同じ人間』だとは想像すらしていなかった。

我が身に他者にはない能力があるのは、幼少の頃から自覚していた。セラーダ軍に入り『虫』と戦う日々を送るようになってからは、なおさら強く意識するよう になった。この不可思議な力は、なぜか怪物達との戦いの中で、真価を発揮するように思えたからだ。が、そのことを周囲に吹聴したり、実演してみせたりする ことはしなかった。それがどのような事態を引き起こすかは、知りすぎるほどに知っているのだから。

人の持ちえぬ〈力〉。アシェルが来るまで、この事実を知っているのは、自分とサレナクの二人だけだった。彼とはフィスルナまでの旅の途中に、ふとした縁で 出会った。

あの頃は、〈力〉について三人でよく密談したものだ。だが、いくら言葉を重ねたところで、それが存在する意味も理由も、自分達にはわからないままだった。

そんな自分達をよそに、『虫』とセラーダの戦争はますます激化していった。そして自分とアシェルの〈力〉は、その中で華々しい戦果という形となって周囲の 人間を圧倒してく。やがてその活躍は、セラーダを支配する『継承者』達の目にも止まるようになった。 

出世そのものに興味はなかった。『虫』と戦い続けていたのは、金や名誉のためではない。正したかっただけだ。世界を。醜く歪みきったこの世界を。あの頃の 自分は、その原因を人知を超えた怪物達に見いだしていた。幼いときから抱き続けていた情念。それが自身のすべてを突き動かしていた。

やがて、ある一つの任務が自分の部隊に下されることになった。『継承者』セラ・ガルナーク将軍から直々に。

ガルナークの下へ一人召喚されたときのことは、よく覚えている。

とくべつ感想もない──というのが、セラーダ軍の頂点に立つ男に対する印象だった。周囲を威圧する風貌や雰囲気にもかかわらず。自分のような一介の兵士が 一人で拝謁するには、恐れ多すぎる立場の人物であるにもかかわらず。

それは、将軍以外の『継承者』達にも同様のことが言えた。もちろん、彼らのことは常識として知っていた。伝説の『楽園』を追われた民の子孫にして、セラー ダという巨大国家を築き人々の上に君臨している絶対者……。だが、他者のように顔色を変えて接さなければならないほど偉大な人間だとは、どうしても思うこ とができなかった。

あの頃から、すでに自分にはわかっていたのだろう。いかに『継承者』などという大げな呼び名がついていようが、しょせん彼らは「ただの人間」でしかないの だと。

むろん、ガルナークの前ではそんな態度をおくびにも出さず、彼の言葉に耳をかたむけていた。

「死の領域」への潜入──それが下された任務の内容だった。

「来るべき戦いのため」と将軍は語った。彼らの祖先が『楽園』を追われて二百年あまり。彼の地と周辺一帯の現状は、謎に包まれたままだった。その調査のた めのものだと。

任務は極秘に行わなければならなかった。これは、この作戦が『継承者』の議会で正式に承認されたものではなく、ガルナークの独断で決定されていたためだ。

当時の議会は、彼の兄であるセラ・サリエウスの影響もあって、『虫』に対し積極的に攻勢に出ることに反対する派閥が優勢を保っていた。なによりも人命を尊 ぶ彼らが、『虫』の大群が巣くうといわれる「死の領域」への派兵など許すはずもない。

ガルナークの最終目的は、『楽園』に対しての大規模な侵攻だった。それは『虫』をこの世界から根絶させ、祖先の宿願である真の故郷への帰還を果たし、その 地を中心として、再び人の繁栄の世を築くための神聖なる戦だった。兄サリエウスをはじめとする『反対派』をうなずかせる具体的な計画を打ち出すには、「死 の領域」の詳細を明らかにすることは必要不可欠だったのだ。

『反対派』の人間に気取られないよう、大部隊で事を進めるわけはいかない。そのためにガルナークは、軍の中で「負け知らず」と評される小さな部隊に白羽の 矢を立てたのだ。もちろん、他の部隊からも人員が加わることになっていた。だが、それでも「死の領域」へ踏みこむには無謀としかいえない兵数だった。

わざわざ死地に赴くような任務……。むろん、選択権は与えられた。まともな頭を持つ者ならばそうするように、断ることもできた。だが、自分はほとんど二つ 返事に近い形でそれを引き受けた。

ガルナークの熱弁に動かされたわけではない。約束された莫大な恩賞のためでもない。

醜い世界を正したい、という強い想い。その醜さの根源である怪物達の巣窟といわれる『死の領域』。それをこの目で見てみたかったのだ。

任務の内容を仲間達に伝えたとき、当然ながら全員が息を呑んだ。だが、アシェルやレナクをはじめ、誰一人部隊を去ろうとする者はいなかった。皆信じてくれ ていたのだ。この自分を。

そんな仲間達の想いが、純粋に嬉しかったと記憶している。〈力〉のことは内密にしてたとはいえ、アシェルやサレナク以外の仲間達を軽んじていたわけではな い。自身に与えられた人ならぬ力は、『虫』達を駆逐し、彼らを護り導くためのものかもしれない……。そのときまでは、そんなふうに考えてもいた。

そのときまでは。

「死の領域」での戦闘は想像を絶していた。昼夜を問わず襲い来る怪物の大群に、毎日のように犠牲者が続出した。自分の〈力〉にも限界はあると知ったのはそ のときだった。それでも、必要なだけの調査を終えることができたのは僥倖といえるだろう。

ようやく目的を達し、後は撤退するだけだった。だが自分はその命令を下そうとはしかった。いや、できなかったのだ。

感じていたからだ。途方もなく大きな〈力〉を持った存在を。

その何者かは、「死の領域」に入ってからずっと自分に呼びかけてきていた。正確には自らの〈力〉にというべきだろうか。それは、アシェルとの間に感じてい る〈繋がり〉とよく似ていた。だが、その大きさ強さは比較にならなかった。

「死の領域」を越えた先、伝説の地『楽園』から感じる〈力〉。いったい、彼の地に何者が存在しているというのか。

行かなければならない──あのときの自分を支配していたのは、その想いだけだった。抗うことのできない欲求。襲い来る『虫』のことも、犠牲となる者のこと も、そして、これまで自身を突き動かしていた情念すら忘れさせるほどの欲求。

必要以上に繰り返される戦闘に疲弊していく部隊。それでもなお「死の領域」を突きもうとする自分に、真っ向から反対の意を唱えたのはアシェルだった。 〈力〉で劣る彼女は、自分ほどには、あの狂おしい衝動に捕らわれていなかったのだ。

そのときからかもしれない。誰よりも深い部分で繋がっていた自分達の確執がはじまったのは。

そしてついに、部隊はこれまでにない『虫』の群れにかこまれた。肉体と〈力〉の双方を酷使しても対処できない数の怪物達に、次々と殺されていく仲間達。気 づけば、自分、アシェル、サレナク以外の者はすべて屍となっていた。

死を覚悟した。世界を正すこともできず。自分にあたえられた〈力〉の意味もわからないまま、この地で朽ち果てるのだと。

そのとき、自分達を取り囲んでいた『虫』達が消え去った。文字通り、宙に溶けこむようにすべてかき消えてしまったのだ。唖然とする自分達の前に、やがて一 人の少女が姿を現した。人と『虫』の血の海にたたずんでいる彼女。清楚なまでのその姿は、あまりにも現実ばなれした存在だった。

それがシリアとの出会いだった──

「セラ・シリオス」

兵士の声に、シリオスは閉じていた目をあけた。騎乗しているグリー・グルの上から、兵士を見下ろす。

思わず小さな笑みが浮かんだ。過去を回想するなど久しぶりのことだ。彼女達との再会が近づいているせいだろうか。

「先行していた隊から報告がありました。見張り小屋とおぼしき施設を数カ所発見、その制圧に成功したとのことです。そのさい、見張りの一名を取り逃がして しまったようですが……」

「その者が、どこへ逃げたかはわかっているのですか?」

「前方に見える巨大な岩山へと向かったようです。追跡したところ、そのふもとに洞窟があり、逃亡者はその中へ入っていったものと思われます。他の小屋で捕 らえた捕虜を尋問したところ、本拠地はその先にあるとのことです」

「なるほど。そうですか」

シリオスは岩山に目を向けた。現在待機している森の木々の間からでも、夜空に黒々と浮かぶ巨大な姿が確認できる。

「全部隊長に通達。速やかにその洞窟から中に進軍してください。こちらの存在に気かれてしまった以上、相手に時間をあたえるわけにはいきません。捕らえて いる捕虜からは、可能なかぎり内部の情報を引きだすように」

ぎりぎりまで相手に接近を気取られぬため、松明などの光は使用していない。その闇の中、自分の周囲に待機している者達の間に緊張が走るのが感じられた。

「敵は我らセラーダに仇なす組織です。抵抗する者に一切の遠慮はいりません。徹底にこれを殲滅するように、とも伝えておいてください」

兵士がその場を立ち去った後、シリオスは背後に控えている「黒の部隊」を振り返っいった。

「あなた方は、私と行動を共にしてください」

「了解しました」スヴェンが答える。

「捕まっているイノ君の身が心配ですが、彼の救出は、ひとまずネフィアの本拠地を制圧してから……ということでよろしいですね?」

「異存はありません」

はたして、アシェルはあの少年と接触しただろうか? おそらくしたに違いない。彼女の資質では、シリアの願いを叶えるに十分でないのだから。

だが、どこまで真実を告げただろうか。

あのとき、「死の領域」でシリアが自分達に語った物語。それは人々にとってあまりも重い真実だ。ましてや〈力〉を持つ者にとっては。

アシェルのことだ。きっと、それを彼に告げるのに迷いを感じているだろう。

これ以上は考えても仕方がない。少年については後回しでも構わなかった。その前に着をつけなければならないことがある。

決着──これはもう一つの『聖戦』だといえるのかもしれない。誰も知ることのない自分達だけの小さな戦い。しかし、その結末こそが、これからの世界の有り 様を決めるのだ。

『樹』の願いか。それとも、シリアの願いか。

「さて、我々も向かうとしましょうか」



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