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─八章  破滅の足音(8)─



「ネリイ!」

洞窟の脇で待機していたイジャが、近づいてくるイノ達を見て声を上げた。

「心配させやがって……まったくロクでもねえ先輩だな、このおチビさんは」

「うん。ごめんね、イジャ」

イノの腕からネリイを抱きとめ、半分泣き顔で、彼女の頭をくしゃくしゃと撫でているイジャ。

よかった。本当によかった──二人の様子を見て心からイノは思った。肩の荷が下りたような気がした。

「行きましょう。今ならまだ、先に発ったみんなに追いつくわ」

背後の光景を眺めていたレアがいった。ひろがりゆく炎の瞬きは、今や中央にある町をも飲みこもうとしているのが遠目にもわかった。

レアは、ネリイの視界をふさぐかのような立ち位置にいる。自分達の住んでいた家が戦火で焼かれているのを、なるべくこの幼い少女の瞳に映させまいとしているのだろう。

イノは壊滅していくネフィアの本拠地に目をやった。ネリイは無事に連れ戻した。もう自分にできることはない。後はこの地を後にするだけだ。

(本当にそうか?)

と、問いかけてきた心の声。無視して背を向けた。

少女を抱きかかえたイジャが、洞窟へと入っていった。レアが先に行くよう目でうながしてくる。イノは黙ってその指示に従おうとした。

そのときだった。

背中から襲ってきた衝撃に、イノの身体が殴られたかのごとくよろめいた。

「ちょっと、どうしたのよ?」ぎょっとしたようなレアの声。

自分の顔が色を失っているのが、イノにはわかった。吐く息も荒くなっている。全身にのしかかるような重圧。氷の中に放りこまれたような寒気。

〈繋がり〉──突如おとずれた〈力〉の相手。イノはもう見たくもなかった彼方の光景に目をやった。

あいつだ……あいつがこの地に入りこんできたのだ。アシェルの部屋にいた自分達に向けて〈力〉を送ってきたあいつが。この〈繋がり〉はその到来を意味しているのだ。イノには、それがはっきりと理解できた。

いまだ見ぬ相手。しかし、人ならぬ〈繋がり〉によってその正体を知っている相手。セラーダ軍にいるもう一人の『樹の子供』。世界を『虫』に蹂躙させようとしている男。かつて軍にいたアシェルの仲間だった男。

(アシェル……そういえば彼女は?)

遠くにある『館』。広がる炎を背景に、黒々とした大きなその姿が映し出されている。最後に『館』を出たとき、まだ建物内に残っていたアシェルを〈繋がり〉によって感じたことを思い出した。

まさか、彼女はまだあの中に──

そう思った瞬間、自らの心の奥底にあるなにか≠ェ、はっきりとした形を取った。『手』──イノはそれをそう認識した。〈力〉で形作られた手。まるで光と熱でできた粘土のような手。そして、心の内にあるその『手』は待っていた。自分の意志を。

驚くことも、疑問に思うこともなく、イノはごく当たり前のように『手』に命じる。『館』にまだいるかもしれないアシェルを探すように。目に見えない『手』が素直なまでに従い、彼方へと伸びていく。

『館』へと伸ばした『手』──そして触れた。アシェルの〈力〉に。忘れようのない暖かさと柔らかさ……『手』が探り当てたそれが全身に伝わってくる。まる で本来の皮膚の内側に、もう一つ別の皮膚があるような感触。さらに『手』を動かすと、彼女の側にあるもう一つの存在に触れた。微かな……でも知っている温 もり。シリアという名の少女のものだ。では、あの『金色の虫』もアシェルと一緒にいるのか。

『手』は、どこまでも、どこまでも、伸ばすことが可能だった。新たな〈繋がり〉を求めるように、彼女達を越えて、さらにその先にいるもう一つの存在まで──

「聞こえてるの?」

鋭い声に、イノは我に返った。とたん、自らの中に存在していた『手』がかき消えるようになくなった。

目の前にある現実に注意をもどす。不審げな顔つきのレア。心配そうに眺めているイジャとネリイ。

気づけば、身にのしかかっていた重圧が消えていた。身体は落ち着きを取りもどしている。それでも悪寒はまだ背筋にわだかまっていた。

あいつは、セラーダ軍にいる『樹の子供』は、今このときも自分を捉えている──イノは自然にそれを理解できた。なぜなら、さっき自分がやってのけてしまったからだ。〈力〉で形作った『手』を使うことによって。

意図的にやったことではないにしろ、イノは自分が何をしたのかがわかっていた。〈力〉で〈力〉を探り当てる。これまでのようにただ相手から一方的に感じるだけではなく、あの『手』を使って自分自身の意志で相手を探し、〈繋がり〉を持ったのだと。

さらには、今の一連の行為が、自分の内に深く刻みこまれてしまったということも理解していた。やろうと思えばまたやれるだろう。二本の足で歩くことを覚えた人間が、二度と赤ん坊のハイハイ歩きに戻ることがないのと同じに。

「あなた達は、先に行ってて」

イノの様子が普通でないことを察したのか、レアがイジャにそう指示した。彼はうなずき、ネリイを抱きかかえたまま洞窟の闇へと姿を消した。

「どうしたっていうの。時間がないのはわかってるでしょ? 今さら抵抗したって、力ずくで連れてくから」

再びイノに視線を戻したレアが、厳しい声でいった。

「アシェルは……」

イノが口にした名前に、彼女がびくりと反応した。

「ここに残るつもりなんだな?」

「なんで……あんたがそれを」

「だめだ。彼女達をここに残しちゃいけない」

さっき触れたアシェルの〈力〉。それが伝えてきたのは、悲壮なまでの強い決意だった。彼女は対決するつもりなのだ。この地に現れたあいつと。かつての仲間と。

『手』でアシェル達を探し当て、レアの声に現実に引き戻されるまで間、イノは彼女達の先に存在するもう一つの〈力〉にも触れていた。それは、この地に足をふみいれたセラーダ軍の中にいる『樹の子供』だった。

わずかな時間の〈繋がり〉でしかなかったが、それでも相手から伝わってきたものを読み取るには十分だった。〈力〉の強大さと、そして、アシェル達を亡き者にしようという意志とを。

「そんなの……あんたに言われなくたってわかってるわ!」

レアが怒鳴る。暗い光をたたえた瞳が揺らいでいる。

「だけど、これはアシェル様の意志よ! あんたを連れて、みんなを『谷』まで守っていくようにって……わたしはそう頼まれたんだから!」

彼女の言葉は、まるで自分に叫んでいるみたいに聞こえた。

「だめだ。オレは行かない」

すさまじい剣幕で迫る彼女に、イノは強くいった。

逃げれない──それがはっきりとわかった。アシェル達が貫こうとする意志から。セラーダにいる『樹の子供』から。そして、しだいに成長していく自分自身の〈力〉から。この地を後にしたところで、それらは自分が生きている限りずっと付いて回ることになるのだと。

シリアという少女の悲しい笑顔。アシェルの優しい微笑み。その彼女達が立ち向かおうとしている大きな危険。一人だけ背を向けることなんてできない。なぜなら、自分も『同じ人間』なのだから。

自分と彼女達を結びつけているもの……断ち切ることのできない、決して忘れることのできない、敵味方の立場を超えて存在する〈繋がり〉。それがこのまま立 ち去ることを拒絶していた。そして、彼女達が失われてしまうかもしれないことを怖れている。身体よりも、心よりも、ずっとずっと奥深いところで。

なにができるかはわからない。でも放っておくことはできない。

だしぬけに背中から岩壁にたたきつけられた。イノの目の前に、こちらの胸ぐらをつかんだレアの顔があった。

「いい加減にしてよ! いったい何なのよ、あんたは!」

「説明してる暇なんてない!」

イノは怒鳴り返した。こうしている間にも、アシェル達の対決は迫っている。なにも知らないレアが激怒するのは当然だが、詳しく言って聞かせる時間なんてない。

「アシェル達が危ないんだ! あんたが考えてるよりもずっと! 」

はっと息をのんだ彼女の手を振り払い、イノは声を上げた。

「オレは『館』に行く。斬りたきゃ斬ったってかまわない」

互いの意志をぶつけるようなにらみ合い。やがてレアがいった。

「本当なのね? アシェル様が……危険だっていうのは?」

すがるような瞳。揺れている光。

真剣な眼差しを返して、イノはうなずいた。

「いいわ。わたしも一緒に行く」

決意したようにレアはいった。

「どのみち、あんたの監視はしなきゃいけないんだから。そのかわり、もし妙な真似をしたら……」

「そのときは、好きにすりゃいい」

それ以上言葉を交わす必要はなかった。二人は無言のまま、『館』へ向かって駆けだした。


*  *  *


燃えさかる家々の倒壊する音が、近くを進んでいるスヴェンの耳を激しく打った。それでもなお飽き足らないとばかりに、炎は容赦なく瓦礫となった建物におおい被さっている。熱にあぶられ砕けて溶けていく家財の音が、まるで救いを求める悲鳴のように聞こえた。

嫌なものでも見たように、スヴェンはその光景から目を外した。だが、視線をどこへ移そうが、炎はいたるところで燃えている。

『ネフィア』本拠地の制圧は、あっさりと終わった。やはり洞窟での戦闘は、彼らにとっては時間稼ぎのためのものだったようだ。こちらが突破に成功したとき には、戦っていた者達はすみやかに撤退した後だった。シリオスは追跡を指示したが。今のところ、ネフィアの人間を捕らえたという報告すらない。もっとも、 この英雄にとっては、逃げた者の行方など、どうでもいいことなのだろうが。

スヴェン達がシリオスと共に洞窟を抜け、その先に開けた大地に足を踏み入れたときには、広大な草地に点在している施設と、中央付近に密集している民家が、 火の手を上げている最中だった。想像していた反組織の本拠地とはだいぶかけ離れたのどかな光景が焼かれているのを見るのは、あまり愉快なものとはいえな かった。

そして、その炎の彼方には、ひときわ目立つ巨大な建造物が姿を見せている。

この地に入るなり、シリオスは、すぐさまその巨大な建物には手を出さないよう各部隊に通達を送った。そのときの彼の表情に、何かを悟ったような笑みが浮かんでいたのを、スヴェンは見逃さなかった。

シリオスの命令どおり、その建物は、蹂躙されていく大地の中で無傷のまま黒々とした巨大なたたずまいを見せている。まるで、そこだけは侵せざる神聖な領域であるかのように。

「我々はあの建物へと向かいます」

事後の処理を手近にいた部隊長に指示した後、シリオスはスヴェン達にいった。

「我々……だけでですか?」

「ええ。私と、あなた方『黒の部隊』だけでです」

あらかじめ、そうすることが定められているような口調だった。

そして今、スヴェン達はシリオスと共に巨大な建物へと向かっている。

いったい、あそこに何が待ち受けているというのだろう。『ネフィア』の指導者か。巨大な『虫』をあっさりと葬れる人間離れした戦士か。それとも……。

(アイツは……あの場所にいるのだろうか)

英雄はそれ以上なにも語ろうとはしない。ただ迫りつつある建物へと顔を向けているだけだ。炎が彼の横顔に陰影を造る。懐かしむようなその表情。

再び、近くで施設の倒壊する音がした。

スヴェンはもう目を向けなかった。



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