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─十章  交わる剣 ・ 重なる意志(2)─



「なんてこったい」

もう何度目になるかわからないドレクのつぶやきが、ぽつりと洞窟に響いた。

しかし、彼の足下に横たわるガティの亡骸が、それにいつもの軽口を返すことはない。

スヴェンは仲間の遺体から目をそむけた。だが、視界に入ってくるのはまたもや屍だ。そこかしこに散らばる『虫』達の死骸。洞窟の一面を染め上げる血、また血。吹き抜ける風にも流されることのない濃密な異臭。

この地に現れた『虫』達を明け方になってようやく殲滅させ、部隊長達に事後処理の指示を出すと、シリオスと「黒の部隊」は、逃亡者とそれを追っていったガティの捜索を開始した。そして……。

ガティは死んでいた。その無残な遺体は、あきらかに彼が『虫』の手で殺されたことを示していた。そしてその『虫』達もまた、何者かによって殺されていた。

「どれもちがう殺され方をしている」

怪物達の死骸を調べていたカレノアがいった。

「ここに何人もの人間がいたということか?」

「わからない。武器で刻まれたような跡もあれば、獣に食いちぎられたような跡もある。だが……俺はそんな武器も獣も知らない」

何事にも動じないカレノアの顔に浮かぶ怯えの表情。それほどまでに、この場の惨状にはすさまじいものがあった。これを為した者……あるいは為した者達の、尋常ではない怒りや憎悪といったものを肌で感じるぐらいに。まさしく「修羅場」と表現するのがふさわしい。

(いったい、ここでなにがあったんだ?)

スヴェンは再びガティの遺体に目を向けた。片手片足を失った彼の傍らには、剣が一振り添えられていた。ガティのものだ。それが弔いを意味しているのは明白だった。 

アイツが弔った──としか思えなかった。

アイツはこの場にいたのだ。もっとも、ガティは彼を追っていったのだから、そう考えるのはごく自然なことだ。ガティはここで逃亡者に追いついた。そして、その二人に『虫』が襲いかかった……そこまではわかる。しかし、そこから先の出来事は推察することすらできない。

スヴェンは、傍らにいるシリオスを見た。英雄は無言だ。深く思案するような表情は、これまでに見せたことのない真剣さをたたえていた。自分達と同じくこの惨劇に圧倒されているだけなのだろうか、それとも……。

「別の血痕が、ここから先へと続いている」

カレノアの言葉に、スヴェンは洞窟の入り口付近に残されていた『虫』の死骸と、それに襲われたらしき人間の血の跡を思い出した。

傷を負ったのはアイツか。それとも、彼と共に逃げたネフィアの二人の内のどちらかか。

「追ってみよう」

スヴェンはいった。自分のその言葉に、事実の確認よりも、ガティの無残な亡骸と、それ以上に残忍な殺され方をした『虫』の死骸達から、少しでも離れたい気持ちがあることを、否定する気はなかった。

「なんてこったい」再びドレクがつぶやくのが聞こえた。


*  *  *


木の根元に背をあずけ、その男は静かに横たわっていた。

スヴェンは彼を覚えていた。自らが矢で腕を貫いた男として。アイツと共に逃亡した男として。そして……セラ・シリオスと何らかの因縁を持っていた男として。

ガティほどではないにしろ、この男も全身にむごい傷を負っていた。ここで力尽きるまで移動できたという事実だけでも、彼が持つ肉体と精神がいかに強靱なものであったかが、うかがい知れた。 

そして、遺体の脇に立てかけられた剣。彼もまた誰かによって弔われたのだ。同じ剣を扱う戦士として。

彼と共にいたネフィアの娘か、それとも……。

「スヴェン君」

静かな眼差しで男を見つめていたシリオスがいった。

「少し話があります」

二人は、周辺を調べているドレクとサレナクから離れた位置に移動した。

「ガティ君のことは残念でした。貴重な人材を失ったことは『黒の部隊』にとっても、セラーダにとっても大きな痛手です」

淡々と紡ぐシリオスの言葉に、スヴェンは重々しくうなずいた。まだ彼の死の悲しみはない。だが、それはいずれやってくる。これまで多くの仲間を失ってきたときと同様に。

「そして我々は、大きな問題を抱えてしまった」

鼓動が跳ね上がる。「と……いいますと?」

「『裏切り者』はまだ生きているということです」

スヴェンの全身が凍りつく。裏切りもの──それが誰を意味するのかはあきらかだった。

「彼があの場にいたことは間違いないでしょう。そこで何が起こったのかは定かではありませんが……結果としてガティ君は死んでしまった。私に剣を向けたこ とといい、ネフィアの人間達と逃亡したことといい、非常に遺憾ですが、もはや、彼の行動はセラーダへの反逆と見なすしかありません」

スヴェンの瞳を見つめながら、英雄は続ける。

「もしかしたら、彼は以前からネフィアと通じていたのかもしれない。ブレイエが奇襲されたさい、彼が無茶な単独行動を取って捕虜になってしまったという不可解な事実も、そのときすでに相手と結託していたのだと仮定すれば、筋の通るものになります」

そんなバカな──という言葉が浮かび上がろうとして消えた。

「幸いなことに、この事実を知るのは我々だけです。かといって、このまま見過ごすわけにもいきません。現にガティ君は、そのために命を落としてしまったのですから。そして……彼が、今後セラーダに害を為す行動を起こさないという保証は誰にもできない」

耳に流れこんでくる言葉。否定しようのない事実。それを決定づけたのは、他ならぬアイツ自身だ。

「幸いこの問題を知っているのは、私とあなた方だけです。今ならばまだ内輪だけで処理できる。ですが、事態が長引くようならば……私は上層部にこのことを報告しなければならなくなるでしょう。そうなれば──」

スヴェンには相手の言わんとすることがわかっていた。

火の粉が自分達にも降りかかることになるのだ。そして、何も知らないクレナの一家にも。アイツの……反逆者の身近にいた者すべてが嫌疑の対象とされてしまう。その先にあるのは──。

「まだ、彼はそう遠くへは行っていないでしょう。追跡すれば発見できる可能性は十分にあります」

黒衣の英雄がスヴェンを見据える。絶対者としての瞳で。

「『黒の部隊』の長として、あなた方に命じます」

このとき、自らの存在を消すことができたなら、スヴェンには何だって差し出せる気がした。

「反逆者イノの追跡とその始末を」


*  *  *


スヴェン達を後に残し、シリオスは一人再び洞窟の中へと入っていった。闇の中へと歩み出したとたんに鼻孔を突く血の臭い。それは進むにつれてさらに濃密になり、やがて血みどろの光景が松明の光に照らしだされた。

シリオスは足を止め周囲を見渡した。正確には『虫』達の死骸の一つ、一つを。その中に横たわる部下の遺体には関心すら示さない。

怪物達に刻まれた死の痕跡。数多くの『虫』を葬ってきた「黒の部隊」をも戦慄させるほどの暴力的な破壊の跡。普通の人間には、この場で起こった出来事を推察することさえできないだろう。まさか、これを為したのが『たった一人の少年』であるとは夢にも思うまい。

シリオスにはわかっていた。あの少年は扉を開けたのだと。〈力〉の根源、すなわち『樹』の深部へと繋がる扉を。疑いの余地はない。なぜなら自分自身が、同じ扉を持つ者であるからだ。

扉から得ることのできる黒い輝き。主の思考のままに形を変え、絶対の破壊と死をもたらすあの〈武器〉を、彼は使ったのだ。

正直、あの少年がここまでの資質を持っていたとは思わなかった。だからこそ、彼が離反し逃亡したとき、追撃をガティ一人にまかせシリオスは『虫』の殲滅を優先したのだ。

しかし、その判断は誤っていたのかもしれない。『虫』の群れなどよりも、あの少年一人を先に始末するべきだったのかもしれない。

あの少年は自分の意志に共鳴することはないだろう──シリオスはそう結論を下していた。なぜならば、あの広間での彼との〈繋がり〉が、それをはっきりと証明していたからだ。

どうやら、彼はこちらの予想以上にアシェルに感化されてしまったらしい。しょせんは、青臭い子供にすぎなかったということなのだろう。それならば、もはや自分の目的にとって無用の者でしかない。

だが、その無知な子供は、野放ししておくにはあまりにも危険な力を持っている。もし、それがこちら側に向くようなことがあれば、何者にもまして重大な脅威となるだろう。

もし彼が『楽園』へ行き、『樹』と接触するようなことがあれば……。

いまさら、あの少年一人に何ができるとは思えない。アシェルもサレナクも散った今、彼に真実を告げ、『楽園』へと導ける者はこの世界には存在しない。彼と共にいるシリアも、大量の『虫』をこの地に引き入れことで衰弱し、今後の手助けはできないはずだ。

しかし……。シリオスは眼前の光景を静かに見つめる。決して楽観視することのできないものが、そこからは感じられた。

それは不安だった。アシェルを葬り、憂いを取り除いた今となって、まさかこんなものを抱えるとは思ってもみなかった。

ひとまず、あの少年の始末に関しては手を打っている。命令を受諾したときのスヴェンの張りつめた顔。差し向けることのできる人員が、彼らしかいないのは心許ないが仕方あるまい。

できれば、自身の手で少年を追跡し始末をつけたいところだが、ネフィア壊滅という目的をはたした今、これ以上自分自身や他の兵を動かすことは難しい。余計な行動は、ガルナークの不審を買うことになる。まだ彼の機嫌を損ねるわけにはいかないのだ。

シリオスは小さく鼻をならした。『継承者』だの『英雄』だのといった肩書きは、こういうときは不便な足かせでしかない。

だが、それもじきに終わる。『聖戦』という名の饗宴がはじまり、伝説の地ですべてが幕引きとなるその時に。誰であろうとその邪魔はさせない。そう。誰であろうともだ。

シリオスは自身の手を見つめた。新たな手袋の中にある己が手。人ならぬ硬さと冷たさとを持つ手。もっとも、それが「人」のものであった頃の感触など、とうの昔に忘れてしまってはいるが。

そして、この手を見てしまった少年の怯えきった顔を思い出す。

やはり、あの少年を脅威と捉えるのは杞憂と考えてもいいかもしれない。自分やアシェルが抱いていたのと同じ覚悟を、何も知らずに生きてきた彼が持てるわけがないのだ。

ありとあらゆる意味での覚悟を。

シリオスは唇をつり上げ、背を向けた。黒衣の男が去っていくその後ろで、幾多の亡骸達が再び洞窟の闇に飲みこまれていった。



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