─十一章 優しさへの追憶(2)─
木々の間を黙々と歩いて行くうちに、なだらかな窪地へと出た。一面をおおう草地に人気のない街道が伸びており、その先に家が建ち並んでいるのが眼下に見渡せる。あれがレアの言っていた村だろう。
「あなたは、ここで待ってた方がいいわ。面倒事は起こしたくないから」
レアの言葉に、イノは黙って同意した。どのみち、彼女と一緒に村に入る気はなかった。「黒の部隊」の鎧姿はあまりにも目立ちすぎる。行ったところですることもないし、ネフィアに協力していた村の人間を警戒させてしまうだけだろう。
近くにあった木の根元に座りこみ、イノは村の中に入っていくレアをぼんやりとながめた。やがて、彼女の白い姿は、村の中央付近にある建物の中へと消えて
いった。おそらくは宿場だろう。行商のものと思える荷車を引いた毛むくじゃらのガル・ガラが、建物脇にある小屋に何頭かつなぎ止められていた。
宿場から目を外し、村全体を見渡す。家々の間を元気に走り回っている子供達。柵に囲まれた畑の中で、楽しげにおしゃべりしながら働いている大人達。午後の日の光が、それらすべてにまぶしく降り注いでいる。
こちらの置かれた境遇とはあまりにも対照的な人々の姿に、イノの口から自然とため息が出た。こののどかな風景のすぐそばに破滅が迫っているなんて、誰が想像できるだろう。それを知っている自分の方が、なんだか嘘の存在のように思えてしまう。
これから自分の為そうとしている目的の成否が、彼らのような人達の運命をも左右してしまう……そう考えると気が遠くなる。事実にはちがいないだろうが、そんな自覚は永遠に持てそうもなかった。それは、一人の人間が抱えるにはあまりにも大きくて重すぎるものに思えた。
二度目のため息を吐き出し、村から目を外して木に背をもたれる。とたんに鈍い痛みが腕に走った。ガティに負わせられた傷が。
脳裏に浮かぶ彼の死に様。それを招いてしまった自分自身の行動。いくら悔やんだところで、二度と取り返しはつかない。腕の傷はいずれ治っても、深く心に刻まれたこの罪の意識は、死ぬまで消えることはないだろう。
『お前の親父を殺したのは隊長殿だ』
あのときのガティの言葉。あれは本当のことなのか。父を殺したのはスヴェンだという信じがたい事実は。
嘘だと思いたい。幼い頃から兄のように慕ってきた彼が父を殺した仇だなんて、どう考えたって嘘にしか聞こえない。そんなのあまりにもひどすぎる。嘘でなければならない。
しかし、あの状況でガティが嘘をつく理由なんてあるのだろうか。
兄ような存在として、隊長として、これまで自分に向けられてきた優しさや厳しさがすべて偽りだったというのか。反逆者となってしまった今となっては、イノにはそれを確かめることはできないし、確かめたくもない。
なんにせよ、もう二度とスヴェンと会うことはないだろう。もちろん、クレナとも。それでも、彼らが自分にとって大切な人達であることに変わりはない。だからこそ、みんなが死ぬのが嫌だからこそ、『楽園』へ行くなんて無茶をやろうとしているのだから。
『お前の親父を殺したのは隊長殿だ』
バン!──と村の方で大きな音がした。
はっ、としてイノは目を向けた。さっきレアが入っていった宿場の扉が開き、そこから一人の男が飛び出してくるのが見えた。顔を押さえている彼の両手の間から、ダラダラと血が流れているのが遠目にも確認できる。
そして、顔から血を流した男は、唖然と眺めている村人達の間を駆けぬけて、イノの視界から消えてしまった。
宿場でなにか事件が起こったのだ。イノの全身に緊張が走った。
当然、ここからでは宿場の中にいるレアの安否まではわからない。すぐにでも駆けつけるべきだろうか。しかし、「黒の部隊」の格好をした自分が、『金色の
虫』を肩に乗っけたまま村に飛びこんでいったら、ますます事態が悪くなるような気がする。かといって、それらをいちいち外してここに置きっぱなしにしてい
くのも──
と……見慣れた白い姿が、宿場から姿を現したのが見えた。二つの大きな袋を両肩にぶらさげている以外、とくに変わった様子はなさげだ。
ぽかんと口を開けて眺めている子供達のそばを通り、悠々と村を出て行くレアの姿にひとまず安堵した。
「大丈夫だったのか?」
やがて戻ってきた彼女に、イノはたずねた。
「大丈夫って?」
「あんたの入った建物から、男が飛び出していったのが見えたんだけど」
「そうみたいね」
だから? とでも言いたげな様子である。
「血を流してたみたいだったし、中でまずい事でもあったのかと思ってさ」
「わたしが殴ってやったのよ」
「えっ?」
(面倒事は起こしたくないんじゃなかったのか?)
「宿場のおじさんと話をして、旅に必要な道具を用意してもらっているときだったわ──」
地面に荷物をおろして小さく息をついたレアは、さきほど彼女を眺めていた村の子供達と同じくぽかんとしているイノに向かって話し出した。
「男が近寄ってきたの。知らない顔だったから、よそから来た人間ね。色々話しかけてきたから、適当に答えてたんだけど、ソイツったら、だんだん馴れ馴れしくなってきて──」
憮然とした表情でさえもきれいに整っているレアの顔だちを、イノはあらためて眺める。彼女を口説こうとしたその男の気持ちが……わからないでもない。
「うっとうしくなってきたから、わたしはもう無視してたんだけど、向こうは少しもやめようとしなかったの。最後には──その、触ってきたわ。だから思いきり顔面を殴ってやったのよ。肘で」
文句あるのか? とでも言いたげな様子である。
そんな彼女に、「どこを触られたのか」と聞くほどイノは馬鹿ではない。
「そうなんだ」
という当たり障りのない感想を口にして、イノは村の方を見てみた。とくに騒ぎになっているわけでも、誰かが追いかけてくるような気配もない。剣で斬ったの
で
はなく、肘で殴ったのなら、あの男も死んだりはしないはずだ。
問題はないのだろう。たぶん。
「ほら。これがあなたの分」
レアが差し出してきた荷物を、イノはおとなしく受け取った。
気を取り直し、ずっしりとした袋を肩に担いでみる。その重みが、自分に旅のはじまりを告げているような気がした。
やらなければならない──決意を新たにする。何が待ち受けようとも。
「さっさと出発するわよ」
男に触られた≠アとが、よっぽど腹に据えかねているのだろう。レアはまだ怒っている。
おいそれと話しかけられる雰囲気ではなかったが、イノはそんなレアの姿に少しだけ安心した。昨日から今までの打ちのめされた様子から、彼女がわずかにでも立ち直ったように見えたからだ。それが嬉しくもあり、頼もしくもあった。
しかし。
その考えの甘さにイノが気づかされたのは、しばらくしてからだった。
* * *
その小屋は、木々と茂みの間に埋もれるようにして隠されていた。ぱっと見た限りでは、建物があることすらわからなかった。小屋まで続いてきた足跡と、それを見つけることのできたカレノアの眼がなければ、こうも易々と発見はできなかったろう。
ドレクとカレノアを後ろに配置して、スヴェンは慎重に小屋の扉を開けた。予想はしていたが中は無人だった。
周辺の探索を二人に指示し、スヴェンは小屋の中へと入った。人気はないものの、最近まで何者かがいた痕跡はある。
何者か──それが、イノとネフィアの娘だったのは間違いない。
雑然と積み上げられた木箱に占領されている内部からして、この小屋は倉庫のようなものなのだろう。
狭い床の上に、無造作に投げ出された布が目についた。血が付着している布。それが傷の手当てに使われたものだとすぐにわかった。イノか、あの娘か……。血
の
量からしてかすり傷ではない。
あの二人は、どんな様子で過ごしていたのだろうか……ふと、そんなことを考えた。もっとも、アイツが若い女の子と二人きりでいる場面を想像するのは難し
い。
それに、彼らがどういう関係なのかすらわからない。
あの娘がシリオスに殺されそうになった瞬間、彼の剣をたたき落としたイノの様子が脳裏に蘇る。その行為が何を意味するのかは、アイツだって十分にわかって
いたはずだ。それを承知でやってのけたのだから、まったくの赤の他人同士というのでもあるまい。まさか、恋仲だとまでは考えがたいが。
最後に見たイノの切迫した表情。惚れた女のために、祖国や仲間を裏切った……これは、そんな簡単な話ではないだろう。アイツはそこまで単純ではない。
「カレノアが新しい足跡を見つけたぜ」
ドレクの声に、スヴェンは我に返った。
いけない……まだアイツを『イノ』として考えている。
「二人のものか?」気を取り直し、入り口に立っている彼にたずねた。
「他に人間の足跡はない、って言ってるから間違いねえだろうな。ここから西へ向かったみたいだ」
「わかった。ならば、その跡を追おう」
小屋の中には、もう見るべきものなかった。スヴェンは外に出た。二人がどこへ向かっているのか、何か目的があるのか……。なんにせよ情報が少なすぎる。今のところ、こちらはただ残された足跡を追いかけるだけしかできない。
今、あの二人と自分達との間には、どのぐらいの距離が開いているのだろう。時間的には、一日と少しの差であるが、こちらは彼らの痕跡を探しながら追っているために、どうしても進みは遅くなってしまう。
向こうは自分達が追われているとは考えていないだろう──とスヴェンは見ていた。消すこともなく、ありありと残されている痕跡がそれを物語っている。だが、
いつまでもあてにできるものではない。時間や、天候の変化や、二人が人通りの多い街道に出た場合等、痕跡を見失う要素はいくらでもある。そのためにも、彼
らがどこを目指しているのかの情報は欲しいところだった。この先、それを示す手がかりがあればよいのだが。
食料等、必要な道具はネフィア討伐軍から調達してはいるが、それにも限界はある。追跡を長引かせるわけにはいかない。
追う側には不利なばかりの状況。それをじれったく思う反面、どこか安心している自分がいることにスヴェンは気づいていた。
嫌なことを手早く終わらせたいと願う自分と。嫌なことをできるだけ引き延ばしたいと願う自分とが。
過去に犯した罪。これから犯す罪。
そんな己に与えられる罰は、どのようなものだろうか。