─十二章 邂逅ふたたび(1)─
「ただ今戻りました。セラ・ガルナーク将軍閣下」
扉の開く音と聞き慣れた声に、執務室の中で窓の外を忌々しそうに睨んでいたガルナークは振り返った。
「貴様がフィスルナに到着したと同時にこの雨だ。もうじき『聖戦』の式典だというのにな」
「あいにくですが、雨雲は私の連れではありませんよ。それに、式典まではまだ五日もあるではないですか」
微笑むシリオスに、ガルナークは視線を据える。外を睨んでいたときよりも不機嫌そうに。
「ネフィア討伐の報は聞いた。ご苦労だった……と言っておこうか」
「恐れ入ります。ですが、閣下よりお借りした兵を少なからず失ってしまいました。その責任は取る所存です」
「かまわん。あの地に奴ら≠ェ現れるなど、貴様でも予見できなかっただろうからな」
ネフィア殲滅の最中に、突如として『虫』が乱入してきたのは聞いていた。忌々しいバケモノども。所詮、奴らは人の理解の範疇に及ぶ存在ではないのだ。こち
らは、ただその動向に振り回されるだけ。祖先が『楽園』より追放されてから今まで、それは変わらない。
下手に防ぎに回るより、どのような犠牲を払ってでも、バケモノどもの中枢を一気にたたく。これが幾十年にも渡り続いてきた不毛な戦争に勝利し、終わらせる
ための唯一の解答なのだ。
なぜ、こんな簡単なことに気づかなかったのだろう。
祖先が『ギ・ガノア』を残した意味すら考えず、目の前の幸福に安寧し、くだらない理想のために帆走していた過去の自分。その罪に下された罰は、あまりにも
大きかった。あまりにも……。
「ネフィアの残党狩りはしなかったそうだな」
「ええ。指導者は、私自らの手で討ちましたからね。もうあの組織に我々を阻む力はありません。それ故の判断です」
ふん、とガルナークは鼻を鳴らした。もともと、反組織のことなどどうでもよかった。ネフィアに執着を見せていたのは、この成り上がりの『英雄』の方であ
る。その理由は不明だが、討伐に使った兵達もすんなりと返し不穏なことを企んでいる気配もなかったため、これ以上追求する気はなかった。
それに、この男と
不和をかもしだすのは、こちらにとっても望ましくない。
セラーダを掌握する将軍と、市民の尊敬を勝ち得ている英雄が、八年前の『アシュテナ卿暗殺』の首謀者であることは、絶対に伏せておかなければならない事実
なのだから。
同じ『継承者』を……いや、血を分けた実の兄弟を手にかけたという事実。だが、他に方法がなかったのだ。たび重なる説得にも応じる気配のなかった兄。フィ
スルナを新たな『楽園』にするなどという夢物語を掲げていた兄。そして、その兄がいる限り、セラーダは決して大戦の流れに動こうとはしなかった。
除くしかなかった。『楽園』の奪還と『虫』の根絶を果たし、息子アナセスの死を無駄とさせないためには、兄を亡き者とする以外に手はなかった。
むろん、暗殺は極秘の内に遂行しなければならなかった。そのための刺客は、少なければ少ないほどいい。優秀で、なおかつ自分に忠実な者を選ぶ必要があっ
た。
そこでガルナークが目を付けたのが、当時から『英雄』と評され、自身も目をかけていたシリオスだった。『死の領域』からも生還したこの男ならば、単独であ
ろうとまずしくじることはないという確信があった。そして、『継承者』の地位という破格の待遇を好餌に、『英雄』はそれを了承したのだ。
そして──兄は消えた。
大いなる正義のためだ。悔いはなかった。事実、兄の死後セラーダは自分の思惑通りに動きはじめ現在に至っている。
だが、兄夫婦と共に殺させた姪のレアリエルに対してだけは、ガルナークは気の毒なことをしたと思っている。まだ九歳の女の子だった。もし生きていたなら
ば、今は十七歳……さぞかし美しい娘に育っていたことだろう。彼女だけは生かして引き取ることも考えたが、結局はそうしなかった。あの子は、兄と自分との
不和を知っていた。いずれ感づかないという保証はなかった。
暗殺の真実を知るのは当事者の二人のみ。故に、それ以降のガルナークは、シリオスとより密接した関わりを持つようになったのだ。
自身、それを望まないにもかかわらず。
「各地へ派遣している『黒の部隊』を、式典に間に合うようフィスルナへ呼び戻す手配をしておけ。市民が見たがっておるだろうからな」
「心得ております」
「儂から言うことはそれだけだ。後は式典まで休んでいるがいい」
「了解しました。ならば、私はこの天候がよい方向へむかってくれるよう、静かに祈ることにでもしますよ」
「貴様の祈りか」
ガルナークは再び鼻を鳴らした。
「せいぜい効能があるとよいがな」
シリオスの笑みが広がった。
「では失礼します。セラ・ガルナーク将軍閣下」
黒衣の背中が出て行った扉を、ガルナークはじっと見つめていた。
兄の暗殺以後も、シリオスは以前と変わらぬ忠実さを自分に示している。互いの破滅を意味する秘密を共有しながらも、決してつけあがるような態度は取ってい
ない。
だが何故だ。何故、自分はあの男に不穏なものを感じてしまうのか。こちらが見出さなければ、いまでも下賤の輩でいたであろうにすぎない男に。初めて出会っ
たときからずっと……。
ガルナークは窓の外に視線を転じた。その顔はさらに不機嫌になっていた。