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─十二章  邂逅ふたたび(2)─



目を閉じる。呼吸を整える。

闇に包まれた視界に意識を向け続ける。すると、自身の持つ〈力〉がいつもより明敏に感じられた。体温のそれとはちがう温もりが、血液のように身体中に満ちているのがはっきりとわかる。

その温もりに触れている別の温もり……それは、自分の肩に止まっている『金色の虫』だ。互いが持つ力と力による〈繋がり〉。指にから みついた細い糸のような微かな感触。その糸が、肩にいる小さな存在からはるか北へと向かって伸びているのを、しっかりと捉えることができた。

この細い糸の先に彼女がいる──『金色の虫』を通じて自分と繋がっているシリアが。それを確信した。

探し求めるように、脳裏に少女の姿を思い浮かべた。自らの〈力〉がその想いに素早く反応する。形作られた目に見えない手が、音もなく彼方へと伸びはじめていく。

〈繋がり〉をたどって。遠く、もっと遠く、彼女のいる場所へ。

〈力の手〉を伸ばせば伸ばすほどに、肉体が捉えている感覚が薄れていった。自分が今座っている地面の柔らかさも、頭上の木々がざわめく音も、その間から差す夕暮れの光の暖かさも。

だが、いくら〈力の手〉を伸ばしても、〈繋がり〉の細い糸の他に触れるものはなかった。

やがて手が停まる。これが自分の限界だと知った。糸はまだまだ遠くへと続いている。わかるのはそれだけだ。

だめか──

イノは目を開けた。肉体の感覚が一気に戻ってくる。全身にどっと汗が吹き出てきた。

「どうだったの?」

イノが大きく息をはき出したのを聞きつけて、背中を向けたままレアがたずねてきた。彼女はすこし離れた場所にある大木の根元にしゃがみこんで、何かを探している様子だ。

「だめだったよ」

地面にあぐらをかいた姿勢で、イノは肩をすくめた。

〈力〉による探知──ネフィアが崩壊したあの夜に初めて使った能力を、イノは再び試してみたところである。

シリアと……あの少女ともう一度話をしてみたかった。これまでの自分と彼女の会話は、すべて向こうからの接触で成り立っていた。ならば、こちらから彼女に接触することはできないのかと考えたのだ。

結果は失敗だった。シリアははるか遠くにいる。自分自身の〈力〉だけでは触れることのできないほど遠くに。つまり、『楽園』はまだまだ先だということだ。

『死の領域』で何が待ち受けているのか。アシェルが『導き手』と呼んでいた者の正体は。『楽園』で具体的に何を為せばいいのか。そして、シリオスが『真実』と呼んでいたものとは……。

『楽園』を目指す自分達にとって、わからないことはあまりにも沢山あった。そして、アシェルとサレナクの亡き今、そのすべてに答えを出してくれそうな者はシリア以外にはいないのだ。

しかし、〈力〉による探知でも接触できない以上、シリアを頼みにするのは無理だとあきらめるしかない。数日前、夢の中で『これが話をする最後』だと告げた彼女の言葉は本当だったのだ。

何も知らないままに進み続ける──薄々わかっていたこととはいえ、あらためて認識してしまうと、どうしても不安な気持ちになる。それが、失敗の許されない旅ならばなおさらだ。考えれば考えるほどに、振り払うことのできない重圧をひしひしと感じる。

思わず出たため息、そして、ずきりと走った鈍痛。イノは顔をしかめながら、痛みを訴えている腕に目をやった。それは、ガティの剣で貫かれた傷だ。

レアが調達してくれた荷物の中には、とうぜん薬類も含まれていた。イノはそれを使って、腕の傷にきちんと手当を施していた。ここまでの道中の間に痛みは去り、もう大丈夫だと最近は放置していたのだが……。

(あとで確認してみよう)

とりあえず痛みを無視し、イノは後ろ姿を向けているレアを見た。

「さっきから、レアは何をやってるのさ?」

「今夜食べる物を探しているのよ」

しゃがみこんだ彼女の手が、木の根本をせっせと掘っているのが見える。

「食糧なら、準備してきたのがまだ沢山残ってるけど?」

「あれだけじゃ、この先足りなくなるわ。それに何が起こるかわからないんだし、日持ちする食糧は、いざというときのために取っておかないと」

なるほど、と感心すると同時に、つくづく自分は考えなしだな、と苦々しく思ったイノだ。

旅の中では、「食べる」とか「飲む」とかいったこれまで当たり前のように享受してきたものが、何よりも重要なことだった。そして、イノは自力でそれらを得 る手段をまったくといっていいほど知らなかった。狩猟民の出身だったサレナクに教わったというレアの知識がなければ、きっとどこかで餓死していたか、変な 物を食べて中毒死でもしてたにちがいない。

彼女がいることに改めてありがたみを覚え、イノはあぐらをかいたまま頬杖をついて、明るい栗色の髪が流れている相手の背中を見つめた。

あの夜、彼女が自分に語ってくれた過去を思い出す。

まさか『継承者』だったなんて……。複雑な事情を抱えているとは予想していたが、その事実には心底驚いた。今ですら信じられない気でいる。

『姫さん』というイジャが勝手につけたレアのあだ名は、的外れどころか、ものすごく真実に命中していたのだ。とはいえ、セラーダに王というものは存在しな いため、厳密には「姫様」でなく「お嬢様」と言うべきだろう。しかし、『継承者』の中でも位の高い家柄である彼女の出自は、その資格に十分すぎるほど当て はまるものだ。

幼いころから「絶対者」と教わってきた雲の上の人々……そんな人間と剣を交え、喧嘩をし、なおかつこうして二人連れで旅までしている。フィスルナ市民として育った者には、夢の中ですらありえない出来事だ。

だが、レアの話は決して華々しいものでも優雅なものでもなかった。それどころか、イノには想像もおよばないつらい経験の中を、彼女はいままで生きてきたのだと知った。

過去を語ったときのあの夜のレア。積み重なった絶望に押しつぶされ死を望んでいたレア。しかし、イノはそんな彼女の中に、まだ希望と救いを求めている「もう一人の彼女」がいるのを感じた。

だから必死になって話しかけた。教養もなく口下手な自分の言葉が、ほんのわずかでも「もう一人の彼女」に少しでも届くようにと。落ち着いてしゃべれていたとは思うが、内心では無我夢中だった。

泣きじゃくるレアに語りかけ、そして、最後には抱きしめた自分。

よくもまあ、あんな大胆なことができたもんだ──と思い返すたびに、イノは自分で自分に驚いてしまう。女の子を抱きしめるなんて、唯一身近な女性であるクレナにでさえしたことはないというのに。

衝動的な行為だったとは思う。しかし、その衝動がどんなものだったのかまでは記憶になかった。はっきりと覚えているのは、レアをこの腕に抱いたときの感触だけだ。

すっかり見慣れた白い服の中にある身体がすごく柔らかかったのと、頬や顎に触れた髪の毛が少しくすぐったかったのと……。

自身の大胆な行為もふくめて、その場面を思い起こすたびに、照れくさいやら恥ずかしいやらで、イノはついつい顔に血がのぼりそうになってしまう。もちろん、それは相手も同じなのだろう。あの夜のことは、お互い話題に触れないようにしていた。

あのときの自分の言葉や行為に、どれほどの効果があったかはわからない。でも、それ以降のレアは、ときどき暗い顔をしていることはあるものの、食事も睡眠 もちゃんと取れている様子だった。こちらを不安にさせた影のようなものが、彼女の姿から少しずつ薄れてきているような気さえする。

なんにせよ、あんな事は二度とないだろう──イノはそう思っていた。「やれ」と言われても無理である。レアは大丈夫になったのだし、理由もなく同じことを しようものなら、いつぞやの村の男のように肘で殴られるに決まっている。そんなくだらないことで、この旅が頓挫してしまったりしたら目も当てられない。

しかし、なぜかそのことに残念な気持ちを覚えてしまうのが、自分でも不思議であったりするのだが……。

「イノ」

と、呼ばれて我に返った。最近では、お互い意識せずともすっかり名前で呼び合うようになっていた。人間、何にだって慣れるものである。

「ちょっと、火を起こしておいてくれる?」

「わかった。で、何を食べるのさ?」

「これよ」

レアは肩越しに何か放ってきた。

ぼとん、と目の前の地面に落ちたそれを、イノはしばらく見つめた。

まるまると太った何かの幼虫。

「これって……」

なにかの間違いだろう。もしくは、彼女流の冗談とか。

「クル・クイの幼虫よ。焼いて食べるんだけど、イノは知らない?」

もちろん知らない。そして、どうやら間違いでも冗談でもないらしい。この幼虫を食べるのだ。まだ眠りたいのに無理やり布団をはがされた人間みたく、モソモソと気だるそうに動いているこの幼虫を。

「ここらはアレマスの木が多いから、食べたいだけ取れるわよ」

「へえ」

と、軽い口調で答えたものの、イノには喜んでいいのかどうかの区別がつかなかった。食べ物に好き嫌いはないはずだが、コレの見た目はいくらなんでも強烈すぎる。立ち直るのに少し時間がかかった。

食べたくない──とは言えない。レアに腰抜けみたく思われるのが、なんだかすごく嫌だから。それに彼女が言っている以上、口にしても大丈夫な「食べ物」なのだろう。

目の前で面倒くさそうに身をよじっている幼虫とまったく同じような動作で、イノは火を起こす準備をはじめようとした。こんなものを食べたと言ったら、クレナは「近寄らないで!」と悲鳴を上げるだろう。

クレナ。当たり前のように思い出す幼なじみの姿。反逆者となってしまった今、彼女にも二度と会うことはできないのだろうか。

クレナと最後に交わしたやりとりは、イノにとってあまりにも日常的すぎて、どうしても『最後』という言葉にふさわしくない。お互いそんなことをまったく考えてもいなかったのだから当然なのかもしれないが、それでも『最後』だったと素直に認めたくはなかった。

胸に去来した悲しみを押し戻す。そして、荷物の入った袋へと手を伸ばした瞬間。

イノの耳が空を裂く音を捉えた。

視界のすみで輝いた小さな銀色のきらめき。どすっ、という衝撃の音。

伸ばした手の先にある荷袋から突き出ている鋼鉄の矢。

瞬時におとずれた緊張。イノの全神経が一気に高まった。

「隠れて!」

レアの叫びと同時に身体が動く。

手近にある大木の幹の裏へ、二人は弾かれたように飛びこんだ。

息を殺し、辺りの様子をうかがう。再び矢が飛んでくる様子もなく、何者の気配もない。

しん、と静まり返った木々。さきほどまでと変わらない風景。しかし、荷袋に突きささり夕日に鋭く光っている矢は、間違いなく現実のものだ。

見慣れた形状の矢。

セラーダ──その名が何を意味するのかは、イノにはすぐわかった。

自分達を追ってきたのだ。反逆者≠ニ反組織の生き残り≠。

うかつだった……イノは唇を噛みしめた。行く先のことばかり頭にあったために、自分もレアも、追われている可能性なんてまったく考えてはいなかった。そのため、野宿等の痕跡すら消さずに急いで進んできたのだ。追っ手にとっては楽な追跡だったろう。

この辺りにセラーダ軍は駐留していない。ということは、追っ手はネフィアの本拠地を襲った討伐隊の人間だと考えていい。だが、いくら痕跡を残してきたとは いえ、これだけの距離を追ってくるというのは執拗すぎる追跡に思える。こちらはたかが二人。しかも、どちらも重要人物と呼べるほどの人間ではない。

指導者を失ったネフィアが、すでに力を失っているのは明白な事実だ。それでも生き残り追っかけてくるほど、軍だって暇ではないはずだ。これから、『聖戦』という大事が控えているというのに。

わきあがる疑問。しかし、自分達が追っ手を目の前にしているという状況は揺らぎようがない。

当然、向こうに見逃してくれる気はないだろう。

捕らえられるか。殺されるか。

戦うか。逃げるか。

どちらにせよ、ここでやられるわけにはいかない。自分達は何がなんでも『楽園』へ行かなければならないのだから。

イノは、となりで息を潜めているレアを見る。周囲の様子を探る青い瞳の輝きが、すでに戦う者のそれに変わっていた。

やるしかない──と固めた決意。

だが、それは次の瞬間あっさりと崩壊する。

「聞こえるか。イノ!」

木々の奥から響いてきた声。あまりにも聞き慣れたその声によって。 



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