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─十二章  邂逅ふたたび(3)─



「スヴェン……」

かすれたつぶやきが、自分の口からもれた。

そんな。まさか。なんで。それらの言葉が思考を埋めつくす。身体がよろけそうになる。 

「聞いているんだろう? イノ」

相手の気配は感じられない。ただ声だけが、静まり返った木々の間に響き渡る。 

「俺達はセラ・シリオスから直々に命を受けた。それは『隊内から出た裏切り者の処分』だ」

(シリオス──そうか、そういうことか!)

イノはすべてを悟った。標的は自分なのだ。『反逆者』ではなく、『樹の子供』としての。この追跡はセラーダ軍の意志ではない。シリオス個人の思惑なのだ。

素早く視線をめぐらす。スヴェンの口振りだと、これを実行しているのは「黒の部隊」のみのようだ。ということは、『あの二人』も間違いなくこの付近に潜んでいる。

「お前は、自分のしたことがわかっているのか?」

夕暮れの森に響くスヴェンの声。

「そのために、俺達やクレナが破滅するかもしれないのを知っててやったことなのか。どうなんだ?」

みんなが破滅する……その言葉が大きくイノを揺さぶる。むろん、そんなことは望んでいない。だが、それが『反逆者』という自身の取った行動の結果なのだ。あの夜、ガティからも十分に思い知らされている。

わかっている。わかってはいるが──

「お前一人のために他の者まで……彼女まで犠牲にするわけにはいかない。今ならまだ事態を公にすることなく処理できる、とセラ・シリオスはおっしゃった。だから、俺は『黒の部隊』の人間として、今ここで彼の命令を実行させてもらう」

「ちがう!」

イノは木々に向かって怒鳴った。

スヴェン達は知らない。自分達が防ごうとしている破滅よりも、さらに大きな破滅が目の前に迫っていることを。そして、それをもたらそうとしているのがシリオスなのだということを。

「みんな騙されているんだ。あいつは、スヴェン達を助けようなんて思っちゃいない。いや……誰一人助けようなんて思っちゃいないんだ!」

だが、返ってきたのは沈黙だ。姿こそ見えないが、スヴェンはもう行動を開始しはじめたのだろう。言うべきことは言った……ということか。さっきの矢も、それを告げるためにわざと外したのにちがいない。

「戦うしかないわ」

歯がみするイノの顔をのぞきこんで、レアが囁いた。

決然とした瞳。彼女からすれば、スヴェン達は「敵」以外の何者でもないだろう。しかも、両親とアシェルを殺した憎き男の命令を、今まさに遂行しようとしている相手なのだ。戦うことに躊躇いはないだろう。

追っ手は三人。数こそ少ないが、イノが知りすぎるほどにその強さを知っている相手だ。そして、彼らを迎え撃つレアの腕も知っている。まともにぶつかれば、決してお互い無事ではすまない。

殺るか。殺られるか。

前者を選ばなければならないのは明白だ。しかし。

くそっ、なんだって今さら迷わなきゃいけないんだ!──

じれったさに、内心で舌打ちしたそのとき。

(アレを使えばいいじゃないか)

自身の中の自身が囁いた。

自らの内にある〈力〉。その深奥にある扉。その向こうで、解放される時を待っている黒い輝き。絶対の〈武器〉。

(アレなら、あんな連中すぐに片付けられるぞ)

斬られ、貫かれ、砕かれ、引き裂かれ、噛みちぎられた『虫』達の死骸。その有様が、かつての仲間達の姿に重なる。そして……目の前にいるレアとも。

だめだ。〈武器〉は使えない。もし、またあの巨大な〈力〉と『声』達に飲まれるようなことがあれば、それは自身が何よりも怖れている結果を招くことになる。

(情けなんていらないだろ。それに、もしかしたらあの男は……)

奥歯を砕きそうになるぐらい噛みしめて、イノは囁きを押し殺す。

「……逃げよう」

やがて低い声でいった。

「本気なの?」

レアの咎めるような視線が痛い。当然だ。

「戦えない……オレには」

「逃げ切れるかどうかわからないわ。それに、成功したところで向こうが諦めるとは思えない。また同じ状況の繰り返しよ。わたし達には目的がある。そのためには今ここで戦うべきだわ」

突きささる言葉の数々に、イノの表情が苦悶にゆがむ。

「……だめだ」

「イノ!」

「頼む。オレは……彼らを知っている≠だ」 

なおも言いつのろうとしたレアの口が閉じる。彼女はそのまま唇を噛みしめ、素早く周囲に視線を走らせた。

「わたしに付いてきて。なるべく音を立てないように。さっきの男がしゃべっている間に、他の連中はこっちまで回りこんでいるかもしれない。だから周りには 注意して」

イノは黙ったままうなずくと、目立つ『金色の虫』を肩からズボンのポケットにねじこみ、その場を離れるレアの後に続いた。

とんだ腰抜けだ──これほど自分を情けなく思ったことはない。

木々の密生している場所へと、レアはすみやかに進んでいく。姿をくらますのと、相手の飛び道具を少しでも封じるためだろう。

息を殺し、足音を殺す。静寂に包まれた森。自分の鼓動の音がやけに耳障りだ。

いまだにスヴェン達の気配はない。だがどこかにいる。必ず。

相手は自分達よりも歴戦の戦士なのだ。それをひしひしと感じた。

見られているのか。聞かれているのか。それすらもわからない。

逃げ切れるのか。逃げ切れず戦うのか。戦って殺すのか殺されるのか。

わからない。何もかもわからない。

頭上から差しこむ夕暮れの光。苔の生えた老木のところどころを染め上げ、視界をちらついている赤い輝きがやけに目障りだ。 

そのとき、イノの目のすみで光の反射が瞬いた。

同時に身近に生まれた殺気。そして、その場に忽然と現れたかのような二つの黒い人姿。

瞬時にイノとレアはとび退く。その空間を薙ぐ二本の黒い刃。

見慣れた顔。髭面の壮年の男と、赤銅色の肌をした岩のような大男。

ドレク。カレノア。

見知らぬ表情。冷たい光を宿した瞳。冷酷に任務を遂行する兵士としての顔つき。

「こうなっちまったのは残念だ。若いの」

自分に向けられる馴染みの声。しかし、馴染みではない響き。

「俺はお前さんに恨みがあるわけじゃねえ。だが、仕事なら斬らなきゃならん。それに、ガティの奴が逝っちまったツケは払ってもらわんとな」

片手に剣を下げたまま、ドレクは淡々と告げる。

腕の傷が脈打つようにうずく。ガティ──それを与えた者の名に呼応するするかのように。この痛みは、『彼の死に対するツケ』に含まれているのだろうか。

口を開くドレクの横で黙しているカレノア。いつもながらの無表情が、恐怖さえあたえる。

戦う気はない……そんな意志は、この二人にもはや通じない。戦わずしては逃げ切れない。イノはそれを知った。

「おい嬢ちゃん」と、ドレクの声がレアに向く。

「俺達は、あんたの命までもらおうとは思っちゃいねえんだ。悪いが邪魔しねえでもらえるかな」

「その言葉。そっくりそのままあんたに返すわ」

相手の眼光に少しも怯むことなく、レアはいった。

「そうかい。それならしょうがねえな」

ドレクの剣先がこちらに向けられた。カレノアの刃も静かに構えに入る。

(やるしかないのか?)

イノとレアは素早く同時に剣を抜き放った。二つの刀身が鞘をすべり出る鋭い音が辺りに響いた。

張りつめた空気。互いに向き合う意志と瞳。そして黒い刃。

耳障りな自分の鼓動。目障りな夕日の輝き。

(やるしか──)

目の前の二人が動いた。ドレクはイノへ。カレノアはレアへ。

突き出されるドレクの切っ先。それを剣で弾くイノの腕に走る衝撃。黒い刃同士が生じさせた淡白い光の飛沫が、夕暮れの赤い光に溶けこんで消えていく。

激突の金属音が消え去る前に、イノは返す刃をドレクへ向ける。腕。致命傷にならない箇所。だが読まれていた。あっさりと防がれる。

じれったさに歯がみする。木々が多いため、お互い自由に剣を振り回すことができない。攻め方は限られる。読みやすいが読まれやすい。

加えてイノには迷いがある。躊躇いがある。ついこの間まで仲間だった相手に対する記憶、感情。それらが周囲の木々よりも動きを制限させる。

振り払えない。追いやれない。

少し離れた位置では、レアがカレノアと刃を交えている。彼女はイノとちがって、彼らと戦うことへの躊躇いがない。相手より小回りのきく身体を生かし、力勝負に持ちこませないよう付かず離れずの立ちまわりで、見事なまでに大男と互角に渡り合っていた。

命を削りあう者達の場。夕暮れの森に満ちる緊迫した空気と、奏でられる剣撃の音色。その中でただ一人、迷いを抱く自分だけが浮いているのをイノは感じていた。

もどかしさに焦るイノの眼前に、ドレクの刃が迫る。

払いのける。反撃に出ようとした自らの剣。しかし、相手の致命にならないようどこを狙うべきか一瞬だけ判断に迷ってしまった。

動きの鈍った自分めがけて、すかさず相手の拳が繰り出される。

鎧ごしに激しく腹を打たれた。

衝撃が背中へと突き抜ける。それに便乗するように、左腕の痛みが雄叫びを上げる。

さらに繰りだされる拳。今度はその左腕を打たれた。

まるで腕が爆発したかような激痛に、イノの視界が揺らいだ。声すら出すことができない。

遠のきかけた意識にかすんだ光景の中に、ドレクが容赦なく剣を振りかざそうとしている姿が見えた。

いまだ悲鳴を上げ続ける腕の痛みを、イノは決死の思いで押し殺す。危うく取り落とすところだった剣を強く握り締め、歯を食いしばって脚を踏み出し、兜をかぶった頭を相手の見知った髭面に勢いよくたたきつけた。

ごつん、という鈍い音と衝撃。

イノの頭突きをまともに喰らって、ドレクはたまらず後ろに下がった。思わず顔面を押さえている彼の手。その指の間からダラダラと流れている血。

嫌な思いがした。

それでも気力を振り絞る。後退した相手に一気に肉迫し、体重をのせた蹴りをその胴めがけて放った。

ドレクが完全に体勢を崩した。よろけ、背後にあった木に背中をぶつける。

イノはさらに追撃をかける。相手に向けた剣先。狙うは足だ。そこなら殺すことなく力を奪える。

カレノアが味方の不利を察知した。すかさず援護に動こうとする巨体。しかし、影のように素早く前に回りこんだレアの白い姿が彼を阻む。

我が身にせまる刃にドレクが気づいた。慌てて剣を構える。だがもう遅い。

自分の剣が、父の剣が、見知った者を貫こうとしたそのとき──

「そこまでだ」

冷たい声が、イノの動きを止めた。

目を向けた先にたたずんでいる、新たに現れた黒い姿の男。彼の手にしたクロスボウが、木漏れ日に鋭く輝く矢の突端がイノを狙っていた。

スヴェン。

「お嬢さん。あんたも剣を引け」

鋼鉄の矢とイノとを交互に見て、レアは唇を噛みしめながら剣を持った腕を下げた。それでも、敵意を宿した瞳のまま相手をにらみつける。

「すまないな」スヴェンがドレクにいった。「少し遅れてしまった」

「面目ねえ」

と、ドレクは血の混じった唾を地面に吐いた。

「だけど……歳のせいじゃねえぞ」

冗談めいた彼の言葉にも、スヴェンは笑い一つ見せない。

「後の始末は、俺につけさせてくれないか?」    

どこまでも冷たい顔と声。非情な戦士のそれに、イノの知る男の面影は欠片もうかがえなかった。

「……オレを殺すのか?」

相手の瞳を見て、静かな声でイノは聞いた。

「それが任務だ」

「さっきも言っただろ。みんなシリオスに騙されているだけだ。あいつは『英雄』なんかじゃない。それどころか──」

「セラ・シリオスが何者だろうと関係ない。彼は指揮官で、俺達は兵士なんだ。命令に逆らうことは許されない。それぐらい、お前にだってわかっているはずだ。いや……わかっていなかったからこそ、こんな状況になってしまったんだぞ」

相手の態度は微塵も揺らがない。内面の感情は、何一つ読み取れない。怒っているのか、悲しんでいるのか、すべては彼の言う「兵士」の仮面に覆われてしまっている。

「クレナには、どう説明するつもりだ?」

「もう二度と……俺が彼女の前に姿を現すことはない」

その一瞬だけ、イノには仮面の奥にいるスヴェン自身が見えた気がした。そして、相手の抱く悲痛なまでの覚悟を読み取るには、そのわずかな間だけで十分だった。

後ろにいる二人と同じく、この「兵士」にも自分の言葉は届かない。それがよくわかった。敵と味方。決して交わることのない意志と意志。これはその結果なの だと知った。

かつて仲間同士であった、アシェルとシリオスがそうであったように。

悲しかった。そして、彼女との〈繋がり〉が伝えてきた悲しみの正体はこれだったのだと、イノは今さらながらに理解した。

しかし、むざむざとここで死ぬわけにはいかない。自分には絶対にやらなければならないことがある。

追いつめられた状況。どうすれば逃れられるのか。

(逃げる必要なんてないさ)

再び囁きが聞こえた。

(使ってしまえよ)

あの輝きを。あの〈武器〉を。

『虫』よりも脆い人間に。誰よりも親しかった者達に。

「恨むなら、俺を恨んでくれていい」

スヴェンが言葉をつむぐ。こちらへ確実に狙いをつけている矢の先端が、放たれる瞬間を待っている。

だめだ──それでも。使うわけにはいかない。

圧倒的な〈力〉で邪魔者を排除する。それでは、シリオスと変わらないのではないか? 自分が止めようとしているあの男と。

そのとき、イノの視界に白い影が立ちふさがった。

レアだった。

「どいてもらおうか」 

「あんた達にイノは殺させない!」

毅然とした態度。彼女は『命を賭けてイノを守る』との誓いを、文字通り実行しようとしているのだ。白い背中がそれを言葉よりも強く語っていた。

胸が熱くなった。

スヴェンとレア。対峙する二人。動かない二人。失いたくない二人。

どうすれば。どう逃れれば……。じっとりと汗ばむ身体。肌に吸いつく衣服。ズボンのポケットにねじ込んだままの『金色の虫』の感触が、やけに鮮明に肌に感じられる。それは、反対側のポケットに入っている物に対しても同様だ。

反対側のポケットに入っている物──これは。

はっ、とイノは息をのんだ。

「待ってくれ!」

目の前の二人に声を上げた。

「わかった。もうたくさんだ。オレのことは好きにしてくれればいい!」

仮面をかぶる。自分を狙っている男と同じように。うまくいくだろうか。

「だから……彼女は見逃してやってほしい」

レアが振り返った。驚きと怒りと。

「何を──ふざけたこと言わないでよ!」

「彼女については指示を受けていない。おとなしくしているならば、命は保証する」

こちらの真意を探るような視線で、スヴェンはいった。

「勝手に決めないで! わたしは──」

「レア」

イノは、いきり立つ彼女の腕を引いた。そして剣を収めた。

「彼女と話をさせてくれ」

沈黙。やがてスヴェンはうなずいた。

「いいだろう。だが妙な真似はするなよ」

三人の張りつくような視線を意識しつつ、イノはレアを引いて距離を取る。

「どういうつもりなの?」

押し殺した声で、レアがにらみつけてきた。怒りもあらわに……でも、今にも泣き出しそうに見えた。その表情にイノの胸が再び熱くなる。彼女に言うべき想いが口から溢れそうになった。しかし、あたえられた時間は少ない。

「オレはイジャの造ったあれを持ってる。一発だけ彼からもらったんだ」

彼女に顔を寄せ、素早く、囁くように告げる。

とたんに、レアの青い瞳に浮かんだ理解の色。こちらの意図が伝わったようだ。

イノのズボンの中にある小さな感触。それは、ネフィアが崩壊したあの夜、ネリイを探しに向かおうとした自分にイジャが渡してくれた威嚇玉だった。結局使う ことはなく、かさばる大きさでもないため、ポケットに入れたままにしていたのだ。『虫』でさえも恐慌に陥れることができたあの音と光ならば、今の窮地を脱 することができるかもしれない。

もちろん、スヴェン達もネフィアとの交戦でこの兵器の効果は知っているはずだ。だが、彼らがその正体までを知っている可能性は少ない。ましてや、ついこの間まで仲間だった者がそれを使うとは、夢にも思ってはいまい。

「後はオレに任せてほしい」

交差する互いの視線。 レアはゆっくりとうなずき、剣を鞘に収めた。

彼女をその場に残し、イノは三人の前に進み出た。

スヴェンと、ドレクと、カレノア。剣をしまうことでレアが抵抗の意志を放棄したため、もはや三人の視線は自分一人に集まっている。それでよかった。

「話は終わったか?」

「ああ。もう彼女は邪魔しない」

「どういう関係なんだ。お前と彼女とは?」

「そんなことにも答えなきゃいけないのか?」

「そうか。それは失礼したな」

淡々と流れる自分達の会話。いくらこちらが抵抗する様子を見せまいとしても、スヴェンの警戒が解ける気配はない。飛び道具を構えているのは三人の中で彼だけ。あとの二人は「自分の手で始末をつける」という彼の言葉を尊重してか、剣を手に事の成り行きを見守っている。

スヴェンを見る。自分の挙動一つ一つに、相手の全神経が注がれているのを、イノは肌で感じていた。すこしでも不審な動きをしたら、たちまち撃たれるのはまちがいなかった。彼の腕前は十分知っている。この距離で外すことはありえない。それは奇跡を願うことに等しい。

彼の仮面を、突き崩さなければいけない。威嚇玉を取りだし投げつけるほんのわずかな時間だけでも相手を動揺させ、飛び道具の狙いを定められなくさせればいい。

こちらが動かせるのは口だけ。放てるのは言葉だけ。

そして、それを可能にするかもしれない言葉を、イノは一つだけ知っている。相手の持つ意志をゆさぶるかもしれない言葉を。相手のかぶっている仮面を引きはがすかもしれない言葉を。

しかし、言いたくはなかった。できることなら、心の奥底に閉じ込めておきたかった。

成功か。失敗か。はたして自分は、どちらを望んでいるのだろう。

「スヴェン──」

イノはゆっくりと口を開いた。

「一つだけ聞かせてほしい」

「なんだ?」

一拍の間。イノは相手の瞳を見すえる。

刹那のためらい。

そして。

「どうして父さんを殺したんだ?」 

放たれた言葉の矢。それが相手に命中した瞬間。

スヴェンがゆらいだ。

あっさりと崩れた彼の意志。あっけなくはがれた彼の仮面。その下から現れた隙だらけ表情。任務を遂行する冷酷な「兵士」ではない、ただのスヴェンとしての表情。

驚愕と。怯えと。色を失った相手の顔が語っているものは、言葉よりも何よりも明白だった。

イノは理解した。彼の矢の狙いが外れたことを。策が効を成したことを。そして、ガティの言葉が真実であったことを。

素早くポケットに手を忍ばせ、その中にある小さな塊を取りし、腕を振りあげる。こちらの動きに気づいたドレクとカレノアが、自分目がけて迫ろうとする。

そして、イノの目の前には、愕然とした表情のまま力なくクロスボウを構えているスヴェンがいた。

父を殺したスヴェンが。

怒りと悲しみがないまぜになった感情すべてをこめて、イノは鈍色の玉を地面にたたきつけた。

もうたくさんだ!──

心の中で絶叫し、目を閉じ、耳をふさいだイノを包むかのごとく。

何もかもを打ち消してくれるような大きな光と音が、夕闇の中に弾けた。 



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