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─十三章  動きはじめた『獣』(5)─



式典から一夜が開けたその日。

首都フィスルナの各層を突っ切るように、セラーダ軍の本部から正門までへと伸びている巨大な通り。その両脇に群がり、『聖戦』へと赴く兵士達を見送る市民 の中にクレナはいた。幾万もの群衆が上げる喝采と拍手の中を、整然と並んだ兵士達が次々と行進していく。

昨日、式典が終わった後、首都の各層はお祭り騒ぎに包まれた。日々の労働からのつかの間の解放、そして、いよいよはじまる『聖戦』がもたらす戦争からの解 放。市民達の興奮と熱狂は、夜が更けてもいっこうに冷める気配を見せなかった。

クレナ自身も、最初は職場の仲間達と飲み、次は昔馴染みの女友達と飲み──といった具合に夜遅くまで過ごしていた。職場の同僚は毎日顔を合わせているけれ ど、友人達に関しては、お互い働く場所も休日も違うために顔を揃えることなんてめったにない。だから、ずいぶんとはしゃいでしまった。もっとも、それは昨 日の夜大衆酒場にいた人間すべてが同じだったのだけれども。

おかけで、今日のクレナは少し寝不足である。それでも朝早く起きて、同じく眠そうな顔をした友人達と一緒に、見送りの最前列を確保するだけの元気は十分に 残っていたが。

手前に張り渡されたロープの向こうを、歩調をそろえて行進していく兵士達。各々が胸の前で屹立させている剣が、日の光を受けてきらきらと眩い。普段は見慣 れている鉛色の鎧姿が、両脇から群衆が投げる花びらや紙吹雪に彩られ、いつになく立派に見えた。

数百の単位に区切られ歩みを進めていく兵士達の合間合間には、グリー・グルに跨り、白銀に輝く立派な鎧をまとった『継承者』の悠然とした姿があった。兜に はそれぞれ家紋が施されている。クレナはよほど有名な紋章しか知らなかったが、脇にいる親友の一人が、『継承者』が目の前を通り過ぎる度に、その家紋につ いて説明してくれた。

「なんで、あんたそんなに詳しいのよ?」

周囲の上げる声援にかき消されぬよう、クレナはその親友に顔を寄せてたずねた。

「『継承者』様達って、子供の頃から全部の家の紋章を頭にたたきこまれるらしいの。上の方々にとって、家紋っていうのはすごく重要な意味を持つんだから」

「それは知ってるけど。その家紋とあんたと、どう関係があるのよ?」

「そりゃあ……」と、相手は取り澄ました顔でいった。「人生何が起こるかわからないもの。ひょっとしたら『継承者』の御曹司様との素敵な出会いだってある かもしれないじゃない。見初められて輿入れなんてことになったら、一躍上の方々の仲間入りよ。家紋ぐらい覚えてたって損はないわ」

「バッカねえ……」と、クレナは呆れた。

「そんなことあるわけないじゃない」

「ゼロじゃないわよ」

「ゼロよ。大ゼロ。夢見るなら、せめて一層区のお金持ちとかにしときなさいよ」  

だいぶ前から、『継承者』の若者と使用人の市民の娘との恋物語を描いた読み物が、若い女の子達の間で流行っているのは知っている。この親友はそれに『かぶ れて』しまったのだろう。クレナ自身は読んではいないが、なかなか面白いらしい。

だが、所詮は作り事である。市民が『継承者』と結ばれた、なんて話はついぞ聞いたことがない。そんな恐れ多い物語が出回っているのを、よく政府が黙認して るもんだと思う。

「たしかに、いい人のいる誰かさん≠ノは関係のない話だわね」

別の友人からいきなり矛先を向けられて、クレナは少したじろいだ。

「あの『黒の部隊』にいる人なんでしょ? いいわよねぇ」

「だからそういうのじゃないってば。昨日も言ったでしょ」

慌てて手を振る。またまたぁ、と相手はからかうように言った。

「なら今度紹介してよ。その人」

う、と声を詰まらせる。

ほらごらんなさい、とみんなに笑われた。

昨日の集まって騒いだときでも、話題の八割方は恋愛事についてだった。クレナが持ち出した『ギ・ガノア』と呼ばれる未公開の新兵器についての話題の小舟 は、その濁流の中、どこにも漂着することなく彼方へと流されてしまった。少し寂しかった。

まあ、みんなそろってしゃべる機会なんてめったにないことだし、お祭り騒ぎの開放感もあったし、それはそれでかまわなかったのだけれど。 

クレナは思う。みんなのこの浮かれ騒ぎは、『聖戦』という最終戦争への不安や怖れの裏返しなのだろう、と。勝利と敗北。戦場に送り出した者の安否。確実に わかる未来なんてない。兵士とちがって戦場に赴くことなく、戦況報告という形でしか事の成否を知ることはできない自分達は、よい結果を信じて祈ることしか できないのだ。その日々は、今こうして行進している兵士達を見送った後からはじまる。だからこそ、このつかの間のお祭りを存分に楽しもうとしてるんだろ う。自身がそうであるように。

だからといって、自分とスヴェンとの事が『やり玉』にあげられるのはかなわない。昨夜も、そして今もそれは同じだった。

何が面白いのか知らないが、勝手に盛り上がってしまった友人達から、やた らめったらとクレナはせっつかれた。右に避けても、左に避けてもかわしきれない。おかげで、周囲の熱狂とはまったく関係のないところで、顔が熱くなってし まった。

そのとき、大通りの曲がり角のむこうで、群衆がひときわ高く喝采を上げるのが聞こえた。親友達の注意がそちらにそがれる。ほっと胸をなで下ろしたクレナ は、無駄にカッカとしてしまった頬を両手で押さえたまま、みんなと同じようにロープ越しに身を乗り出した姿勢で、曲がり角の奥へと視線を向けた。

「シリオス様よ!」親友の一人が嬌声を上げた。

遠目にもそれとわかる漆黒の一団が姿を現していた。市民に知らぬ者のない『セラーダの英雄』と『黒の部隊』。朝日でも消せない夜闇の残滓といった鎧姿は、 明らかに他の兵士達とは一線を画した雰囲気をかもし出している。だが、その不気味な出で立ちにもかかわらず、彼らは熱狂的な歓声を引き連れて進んでいく。

先頭を行くシリオスは、他の『継承者』と同じくグリー・グルに騎乗している。黒い鎧姿を同色のマントで包み、口元に微笑をたたえながら周囲から浴びせられ る歓喜の声に顔を向けていた。その立ち振る舞いは優雅で落ち着いていて、とても市民の出身とは思えないほどに様になっていた。

尊敬と、羨望と、恋慕と。この自分達と同じ出自を持つ『継承者』に送られる市民の声援はすさまじい。親友達も声を枯らせとばかりに、彼の名を叫んでいる。 クレナは、改めて彼の人気のすごさを思い知った。

「ちょっと──わたし、目が合っちゃったわ!」

卒倒せんばかりの親友の声に、「はいはいよかったわね」と平らな声で応じて、クレナは忙しなく視線を動かしていた。

クレナの瞳が求めているのも『英雄』だ。しかし、騎乗で周囲の注目を一身に浴びている天上の英雄ではなく、もっと身近な英雄だった。

自分だけの二人の『英雄』。少女の頃から見上げ続けていた「彼」と。見守り続けてきた「彼」と。

「お目当ての人はいた?」

漆黒の一団が目の前を通り過ぎていった後で、親友の一人が優しく声をかけてきた。

ううん、とクレナは首を振った。シリオスの後に続く黒鎧をまとった兵士達の中に、探していた二人の姿はなかった。兜の下に見えたのは見知らぬ顔ばかりだっ た。

「そうしょげないの。きっと後から合流する部隊の中にいるんだわ」

フィスルナを出立した後、『楽園』へと進軍する大隊は、遠方にある各地の砦からの派兵を併合して、さらに戦力を拡大させるのだと聞いている。

クレナは親友の励ましに笑みで応えた。それでも、やっぱりあの二人がいなかった落胆は大きい。直接会うことができないのならば、せめて見送ってあげたかっ た。最後の戦いへと赴く彼らを。それ以外には無事を祈ることぐらいしか、もう自分にできることはないのだから。 

『虫』の根絶も、『楽園』の奪還も大切なことだとは思う。でも、クレナにとって何よりも大事なのは、あの二人の無事だった。たぶん、そういった気持ちはみ んな同じなのだろう。ただ口に出さないだけで。ガルナーク将軍の演説に高揚こそしたものの、自分達はしょせんただの市民である。日々小さな世界であくせく 生きている人間にすぎない。上の人達のように、大きく物事を見ることなんて永遠にできないのだ。

ここでクヨクヨしてても仕方がない。それなら、今日から精一杯二人のことを祈ってあげよう。そう気を取り直し、まだ続く兵士達の行進にクレナが目を向けた ときだった。

ズシン、と地響きがした。

「なんだ? 地震か?」と、後ろの方で男性の声がした。

途切れることなく続いていた周りの歓声が、なりを潜める。

ズシン、ズシン、地鳴りは断続的に続く。

「地震じゃないわ」

動揺しはじめた親友達に向かって、クレナは口にした。その証拠に、目の前を行進する兵士達の動きに乱れはない。つまり、彼らはこの振動が地震ではないと 知っているのだ。

地鳴りは、一定の間隔を置きながらしだいに近づいてくる。そう……まるで足音のように。

そのとき、彼方の曲がり角に並んでいる群衆にどよめきが起こった。小さな悲鳴すら聞こえる。遠目にではあるが、金縛りにあったような人々が、こちらからは 見えない『何か』を注視しているのが、クレナにはわかった。

群衆の顔は一様に上に向けられている。その視線の先、立ち並ぶ居住区の建物の合間に、暗い深紅の色をした途方もなく巨大な物体が蠢いているのが、ちらりと のぞいた。

ズシン──

そして、曲がり角の奥からそれ≠ヘ現れた。

「何なの……あれ?」

親友の一人が震える声を発した。

クレナは答えられなかった。一瞬、自分が見ているものが理解できなかったのだ。冗談のように大きなものだということぐらいしか。

少し遅れて思考が追いついてくる。クレナは、それ≠ェ暗い深紅の鋼鉄に覆われていることと、鉄色の鋭い四本の爪がついていることを認識した。

脚。あれは脚だ。鋼鉄でできた脚。だが大きい。立ち並ぶ群衆を、二、三十人はまとめて踏みつぶせるほどはある。 

やがて、曲がり角から踏み出された脚に続くように、ぬっ、と巨大な頭部が建物の背後から現れ出た。

獣だ──そう思った。クレナの知るどの動物とも異なるが、確かにそれは獣の頭をしていた。伸びた鼻面。大きく裂けた口。並んだ鋭い牙。朝日よりもなお強く 輝くオレンジ色の光を宿した左右四対の瞳。しかし、それらは見上げるほど高い位置に存在していた。

らんらんと瞬く八つの目を持った獣の顔が、ぐるっとこちらを向いた。後ろで誰かが悲鳴を上げた。

ズシンという地鳴りを大通りに響かせ、やがて、獣はその全容をクレナ達の目の前に現した。あまりにも理解を超えたものを前に、動く者も、言葉を発する者も いない。畏怖をこめて見上げるすべての人々に、巨大すぎる影が投げかけられる。

これが新兵器『ギ・ガノア』。セラーダの切り札。『楽園』の遺産──

周囲の人々と同様、麻痺したように固まっているクレナの脳裏に浮かぶ言葉の数々。それでも、武器製造を生業としている者としての意識は、眼前を闊歩する 『裁きの獣』の子細を観察しようと働いていた。

大きな耳のついた頭部。胴体から伸びた逞しい四本の脚。そして長い尻尾。獣の姿は全体として犬にそっくりだった。だが、こんな冗談みたいな大きさをして、 体毛の代わりに鎧のような鋼鉄で身体を覆われ、さらには八つもの瞳を持つ犬など、この世界にいるわけがない。動物というよりは、巨大な建物に手足が生えて 動き出しているかのような印象を受ける。

その獣の暗い赤色をした全身のいたるところには、可動式と思える砲塔が幾門も備えつけられていた。そのどれ一つとっても、既存の大砲よりずっと洗練された 細身の形状をしている。砲塔は、複数の関節で滑らかに動いている尻尾の先にも確認できた。さらには、ときおり蒸気を噴き出し呼吸しているかのような口内に は、ひときわ大きな砲門がのぞいている。

ひょっとしたら、それらの砲塔から撃ち出されるのは、火薬を使った鉄の玉ではないのかもしれない──クレナは思った。なにせ、目の前の相手は、これまで 自分が抱いていた兵器の概念を完全に覆すものなのだ。得体の知れない形をした砲塔達が、『未知の何か』を放つものであったとしても少しもおかしくない。

そう。例えば『楽園』の昔語りに出てくる、圧倒的な破壊力をもつ『光』の数々などを──

胴体の上部両脇には、横向きにした盾みたいな形の大きな装甲があった。一瞬だけだがその盾の裏に、折りたたまれた腕のような物体と、三角状に連なっている 砲門、そしてバカでかいハサミにも似た鋭い刃とが収納されているのを、クレナの目は捉えた。

新兵器についてあれこれ想像をたくましくしてきたクレナだが、このようなものだとは夢にも思わなかった。そもそも、この兵器を、動く巨大な鋼鉄の塊を、何 と呼び現していいのかすらわからない。そんな言葉は誰も知らないだろう。見た目通り『獣』とでも言うしかなかった。

永い時を経て獣は産声を上げた──昨日の将軍の演説を、クレナは思い出す。

これだけのものを完成させるのに、いったいどれほどの膨大な資材が必要だったことだろう。関節等、要所要所に見える黒い金属は、「黒の部隊」の剣にも使わ れているジステリウスだ。希少な「闇の金属」を、ここまでの量調達するだけでも、途方もない時間と金と人員とがかかる。何十年という単位ではない。考えた だけで気が遠くなった。

おまけに、これほどの金属を鍛造できるような工房は、クレナの知るかぎりこのフィスルナには存在しない。軍本部の地下には、『継承者』だけが出入りのでき る、とんでもない規模の工房が隠されているという噂を聞いたことがあるが、どうやらそれは本当だったのだ。

はるか頭上にある獣の背面後部には、幅広の展望台が設えられていた。そこには、居並ぶ群衆を見下ろしているセラ・ガルナーク将軍の姿がある。

威厳のある将軍のたたずまいを見て、クレナはこの獣が人の手になる『兵器』なのだと、あらためて実感することができた。胴体下部には、装甲に閉ざされた入 り口らしき場所も見える。

こんなものが造れてしまうほどの『楽園』の技術。自分達のそれとは、あまりにも次元が違いすぎる。

腹の底を振るわせるような低く重たい音を各所から立て、目の前をのっそりと横切っていく『ギ・ガノア』。その力強い脚が闊歩する通りの路面……。

ふいにクレナは悟った。今、自分達のいるこの巨大な通り、そして途方もなく大きな正門。首都建設の当時から存在していたというこれらの構造物。どうしてこ こまで大きく造る必要があったのかを、ずっと疑問に思っていた。その答えが今ならわかる。

広すぎる通りも、門も、すべてはこの獣のために周到に計画し用意されていたのだ。百年以上も昔から……来るべきこの日のために。

これを子孫に託したという『継承者』の祖先達。彼らが抱いていた故郷への妄執。そして『虫』達への憎悪。緋色の巨大な獣にそれらをまざまざと感じたような 気して、クレナは身体の内に少し寒いものを覚えた。

やがて。

沈黙していた群衆が一斉に湧いた。狂喜ともいえる歓声。理解はできなくとも、戦うところを目の当たりにしなくとも、それでも、この『ギ・ガノア』が自分達 の想像を絶する力を持つ存在だということが、人々にはわかったのだ。

勝利への確信──獣の雄々しい姿は、首都に残される人々が抱いている不安や怖れを一掃するのに、十分すぎるほどの迫力を持っていた。気づけば、周りにいる 親友達も、その熱が伝播したかのように歓喜の声を上げている。

クレナが感じた寒気は、周囲の熱気にあぶられるように溶けて消えた。よくよく考えれば、禍々しい印象すらあたえるこの獣は、自分達の味方なのである。その 力が裁くのは『虫』という敵なのだ。怖れることは一つもない。

だから、去りゆく獣の後ろ姿へ、クレナは声を上げるかわりに目を閉じて祈った。『楽園』の奪還ではなく。『虫』の根絶ではなく。自分にとって一番大切な願 いを。

見送ることの叶わなかった大切な『二人』を、どうかあの『獣』が守ってくれますように──と。


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