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─十四章  老婆と隊商(3)─



「おや。嬢ちゃん、さっきから顔色がよくないんじゃないかい?」

夕食に招かれた席で料理を食べ終えた後、ヤヘナがたずねてきた。

「ええ。でも『病気』じゃありませんから」

レアはむっつりと答えた。その返事で老婆はすぐに悟ったようだ。

「ああ。そりゃ難儀だね。あたしにゃもう関係ないけどね」

「やっぱり、トナに診てもらった方がいいんじゃないか?」

もうすっかり体調の戻ったイノが、気遣うように声をかけてくる。今朝からずっとこの調子だ。こっちがいくら「病気じゃない」と言っているにもかかわら ず……。どこまでニブいんだろう。ちなみに、トナとは彼を手当してくれた隊商の医者の名だ。

(女に生まれなけりゃよかった)

レアはこれまで生きてきた中で、自分が女でよかったと思ったことは一度もない。

肉体が成長するにつれて、はっきり出てくる男女の違い。脆弱な身体。膨らんでくる胸。女の身にあたえられるそれらすべてを、レアは一度も歓迎したことがな い。断れるものなら断りたい、と本気で願ってさえいた。

そして……今は最も歓迎していない出来事のまっただ中にいる。

下腹の鈍い痛みと。怪我したわけでも、許可したわけでもないのに、身体から勝手に出て行ってしまうモノのせいで起こる貧血と。月に一度とはいえ、なんでこ んな目に遭わなければならないのか今だに理解ができない。女である以上、それは当然のものなのだと知っていても、さっぱり納得ができない。

男と女。人生最初の半々のクジ。自分が引いたのは絶対にハズレの方だ。レアはそう信じている。

唯一の救いだったのは、自分達がいま隊商の人達と共にいることだ。こちらに好意を寄せてくれる人々の中には女性もいるから、この事を話せば当然理解してく れたし、処理するのに必要な物もくれた。

『楽園』へ向かう旅の途中で、この「最低の数日間」が来るだろうことは予想していた。だから、最初に調達した荷物の中に、それ用の物もちゃんと入れておい たのだ。

荷物を失ったときレアは、食糧等の大きな問題と一緒に、いずれ来るこの数日をどうやり過ごすかという問題も抱えていたのである。もちろん、イノに相談でき るわけもない。

ひとまず、このたびの「最低の数日間」は隊商にいる間にやりすごせそうだった。この幸運には感謝している。荷物を失ったまま、イノと二人でいるときに「こ れ」が起こっていたら、さらに処理しきれなかったモノを彼に見られでもしたら……恥ずかしさと惨めさのあまり、その場で倒れて死んでいただろう。

「明後日にはもうよくなってるから。心配いらないわ」

気だるそうにイノへ返事する自分の声と。面白げに眺めているヤヘナと。

「シケットまで共に来ないか」という老婆の提案を、レアはイノと相談した結果、素直に受けることにした。この辺りが物騒だという話は本当らしいことも含 め、やはり二人だけで行動するのは危険が大きいと、これまでの経験から判断したためだ。

もちろん、シケットから先は、また二人きりの旅がはじまる。だが、それまでの行程を多少なりとも安全に進めるのなら、それに越したことはない。自分達の抱 えている問題 に、相手を巻きこむのではないかという悩みは常にあるが、それで『楽園』にたどり着ける可能性が少しでも上がるのならば、背に腹は代えられなかった。

今のところ問題は起こっていない。追っ手が現れる気配もないし、シリアはイノのポケットの中でおとなしくしている。ここまでの道中も平穏そのままだ。しか し──

「シケットの噂を聞いたんですけど?」

まだ心配顔をしているイノが再び何か口にする前に、レアはヤヘナにたずねた。

「ああ。あれね」

「このまま向かって大丈夫なんですか?」

三日ほど前、この隊商は、シケットから故郷の村へと帰路につく別の隊商とすれちがった。イノとレアは人前に出ることを避けるため、移動中のほとんどを、荷 車にかけられた覆いの中に座りこんで過ごしている。だから、シケットの不穏な話は、後でホルから聞いたのだった。

「ま、大丈夫なんじゃないかね。あそこじゃたまにそういう物騒な状況になることがあるんだよ。あたしも何度か出くわしたことあるしね」

噂の内容とは、この辺りを物騒なものにしている「荒くれ者」達が徒党を組んで、自由都市を襲おうとしているという話だった。

「シケットにゃ、ちゃんと自衛用の設備やら自警団やらがある。それとは別に、傭兵連中だっているからね。これまで襲ってきたゴロツキ共は、散々な目に遭わ されてるよ。それよか、連中がまとまって行動してくれるぶん、一網打尽になるぐらいさ。なもんで、ここら辺がちょっとでも静かになるんだから、かえってい いぐらいじゃないかね」

「それならいいんですけど」

気楽に手を振るヤヘナの様子に、レアは安堵した。自分達も面倒事に巻きこまれるわけにはいかなかったし、何よりも、親しくなったここ人達のことが心配だっ たからだ。

「なんで、そんな危険な連中がこの地方には沢山いるんだ?」

イノの質問に、ヤヘナは少し難しげな顔をした。

「ま、ここがセラーダの管理外ってのが大きな理由だろうけどね。取り締まる軍もいないからさ。ちなみに、ゴロツキ共のほとんどは、昔はどこかでただの村人 やってた人間だよ」

「そうなのか?」

「そうともさ。それがあぶれちまって、ここに流れてきて、どうしようもない悪党になったのさ」

「どうしてそんなことになったんです?」レアはたずねた。

「戦争だよ。セラーダと『虫』とのね。大国とバケモンとの板挟みになって潰れちまった町や村は山ほどあるからね。そっから流れてきてるのさ」

セラーダ──レアは苦々しい思いがした。二度と戻ることはない故郷。それでも、生まれ育った国が引き起こしている争いの余波が、こうして関係のない土地に まで及んでいるという話を、平気で聞き流すことはできなかった。ましてや、自分はその国を動かしている『継承者』の血を引く人間なのだ。

そして今、セラーダは『聖戦』というかつてない規模の大戦を起こそうとしている。いや、もうそれは始まっているのだろう。その結果が、すべての人々にどれ ほどの破壊と死をもたらすのかも知らずに……。

その『聖戦』を指揮するガルナーク。叔父の暴挙を止める意味でも、『楽園』への旅は成功させなければならない。レアは最近そう思うようになっていた。

「これこれ。坊やと嬢ちゃんが、重苦しい顔するこたないよ」

押し黙った二人を見て。ヤヘナはいった。

「そんな人間の全部が悪党になってるってわけじゃないんだよ。つらい過去持ってたって、まっとうに生きようとしてる連中は沢山いるんだから」

老婆の言葉に、ネフィアで共に暮らしていた人々の顔をレアは思い出した。みんな、今頃どうしているだろう。

「ゴロツキ共は、ただ単に自分らを襲った出来事への怒りだの恨みだのを、どこ持ってっていいかわからなくて暴れ回ってるだけだよ。それで迷惑してるのは、 全然関係のない人間だってのにね。同情してやることたない、とあたしゃ思うよ」

イノと初めて出会った頃の自分がそうだったのかもしれない──とレアは考える。シリオスや叔父、そして理不尽な現実を心の底から憎悪し、その勢いのまま行 動していた部分が、あのときの自分にはあった。

だが今はどうだろう。もちろん、彼らを憎む気持ちはある。だけど……。

考え事にうつむいているレアの視線の前に、すっ、と湯気の立つ飲み物の入った器が差し出された。

「お飲みよ。こいつは血が足りないときにも効くやつだからね」

「ありがとうございます」

相手の笑顔に、自然と口元がほころんだ。

「血が足りないって……じゃあ、病気じゃなくて怪我ってこと?」

驚きと、不思議さと、心配のごっちゃになったイノの顔。まだ気づかないらしい。なんでこんなにニブいんだろう。『虫』を見つけるのは、あんなに敏感なくせ して。

(……それは関係ないか)

「怪我病気じゃないよ。女だけの日ってやつだよ。坊や」

ホッホッ、と笑うヤヘナの言葉にも、彼はさっぱりといった様子。どうやら致命的にニブいのではなく、単に知らないだけのようだ。教えてくれる人がいなかっ たのだろうか。今まで女性に出会ったことがないわけではないだろうに。

イノには、フィスルナにクレナという幼なじみがいるというのは聞いた。なんでも刀鍛冶をやっている変わった女の子らしい。話ぶりから、彼とその彼女とがだ いぶ親しくしているのはわかるが、詳しい間柄までは知らなかった。

近頃のレアは、何故だかそのことが妙に気になっていた。もちろんイノには聞けやしない。そんなことを根掘り葉掘りたずねて、勘違いでもされたらかなわな い。彼の目に映らなければならないのは「頼れる相棒」としての自分であって、「色話に浮ついた相棒」ではない。そんなふうに思われでもしたら最低すぎる。

それなのに──気にしている自分がいる。

なんだかモヤモヤしてきた気持ちを押し流すように、レアは器に入った飲み物を口に運んだ。ちょっと苦かった。

遠くでゴロゴロという音が聞こえてきた。

「こりゃあ、一雨くるね」

はためきだした天幕を見てヤヘナはいった。

「ま、あと三日ほどでシケットには着くよ。あそこの状況が物騒だってのなら、お互い長居するこたないね。あんた達もすぐに発つといいよ。別れるときには、 約束通りちゃんと荷物も用意したげるからさ」 

「ごめん。なんか、オレ達あんまりそっちの役に立てなかったみたいで」

イノがすまなそうに頭をかいた。

「警護のことかい? 気にするこたないよ。何事もなけりゃそれが一番だからね」

褐色の顔を歪ませて笑うヤヘナ。彼女と出会えて本当によかった、とレアは心から思っている。まるで本当のおばあちゃんみたいだった。もっとも、これまで生 きてきた中で、そう呼べる人はいなかったからよくわからないけれども。

ありがとう、と頭を下げたイノがこちらを見ていった。

「なんだかわからないけど……調子悪いんだから、レアは先に休んだら?」

優しげなイノの瞳を、レアは見返す。不思議な色をした緑色の瞳を。

すると、どうしてか思い出してしまった。あの夜、泣きじゃくっていた自分に彼が一生懸命かけてくれた言葉と、抱きとめてくれた腕の力強さを。

きっと飲み物が効いてきたせいだろう。胸の内が暖かくなったのも、頬が少し火照ったようになっているのも。

「ほれほれ。ぽうっ、と見とれとらんで、坊やの言うとおりにしときなよ」

パシッ! と横面をたたかれたように、レアは、イノからヤヘナへと顔を向けた。

「わざわざ言われなくたって……もう行きますから!」

無駄に大声を出したのと、必要もないのに勢いよく立ち上がったのと、意味もわからず高鳴った動悸のために、身体中の血液があたふたと慌ただしく駆けめぐっ ている気がする。

ただでさえ減ってるときなのに……よけいにフラフラしてきた。

褐色の顔を歪ませて笑うヤヘナ。『浮ついたちょっかい』さえかけてこなければ本当にいい人なのに、とレアは心から思った。

口を開けたままのイノを残して、レアはさっさと覆いをくぐって外へと出た。北へと近づくにつれ冷たくなってきた空気をはらんだ突風が、勢いよく髪をなびか せる。立ち並ぶ天幕と、借り物の袖のない上着が、あおりを受けてバタバタと音を立てる。

乱れる髪を片手で押さえて、夜闇の彼方にそびえる山脈に目をやる。その上にわだかまる黒雲の中で、亀裂のような稲光がいくつも瞬いていた。

夜風に少し身体が震えた。レアは急ぎ足で自分達の天幕へ向かった。


*  *  *


身にまとった外套を、薄闇に浮かび上がる木々と草地を、そして目の前に散乱している『虫』の死骸を、そのすべてを打ちすえるような激しい雨の中にスヴェン 達はたたずんでいた。

周囲に人影はない。東西北へと伸びている街道が交わるこの地点に立っているのは自分達だけだ。動くことのない怪物達と一緒に。それは、慣れ親しんだ戦場の 光景そのもののようにスヴェンには思えた。二人の仲間が欠けていることと、『虫』を殺したのが自分達でないことをのぞけば。

「どうするよ?」

耳障りな雨音に負けないようドレクが声を上げた。

外套のフードを目深にかぶったスヴェンは答えず。『虫』の死骸に目を注いでいる。

数日前、とある隊商が『虫』に襲われたという場所を目指して、スヴェン達はほぼ一日中移動を続けた。たどり着いたときにはすっかり日は暮れていたが、それ でも草地に点在する怪物の死骸を調べるだけの明るさはあった。

死骸となった『虫』が朽ち果てる時間は、人間や他の生物に比べてはるかに遅い。それは彼らの身体を構成している物質のせいらしいが、スヴェンは詳しい事は 知らなかった。ただそのおかげで、目の前の死骸はほぼ原型をとどめたまま存在している。調べるには十分だった。

雷光が一瞬、真昼のように周囲を照らした。遅れて大気の震える音。それでもスヴェンは身じろぎ一つしない、瞳は『虫』の死骸に魅入られたままだ。

長年『虫』と戦い続けてきたスヴェン達の眼は、死骸に残された傷跡から、その怪物を仕留めた相手の力量とか癖とかいったものが、ある程度は読み取ることが できる。

十一匹の死骸。その内の幾つかは、あきらかに『虫』と戦い慣れた者の手によってとどめを刺されていた。その死骸に残された痕跡が、スヴェンの心を捕らえて いた。

似ていた──アイツに。多少乱れはあるものの、その太刀筋は共に肩を並べ、そして今は反逆者として自分達が追跡している、かつての仲間を思わせるものが あった。これにはドレクとカレノアも同意している。

だが確証はない。似たような剣技を振るう傭兵が、襲われた隊商の中にいただけという話だってある。ここまで自分を急がせてきた予感めいたものは、儚い希望 という名のそれがもたらしているのだということも、否定はしない。

もし、これが「あいつ」だとしたら。荷物の調達のために隊商と交渉しているところを『虫』に襲われたのか、それとも隊商が『虫』に襲われているところに出 くわしたのか。それはどちらでもかまわない。問題なのはその後だ。

北へと伸びている街道。襲われた隊商は、シケットへ向かっていたという。 

そして、目的地は不明だが、反逆者達も北を目指している。

もし、『虫』を倒した後、同じ方角へ向かう両者が共に行動しているとしたならば。

わかっている。それがおぼろげな根拠でしかないことぐらい。それに、あの二人が街道を外れて行動している可能性だってある。だが……。

これからの自分達が取るべき行動。

このまま地道に周辺の村を調べるか。隊商を追うか。

これは賭けだ。そして外れた場合は、もうアイツを捕まえることは不可能だろう。 

夜空に走る雷光。そして大気の轟き。

隊長である自分が判断を下すのを、ドレクとカレノアが静かに待っている。

ネフィアの本拠地をあっさりと突き止めたセラ・シリオス。あの英雄が持っていた絶対的な自信は、残念ながら自分にはない。

それでも決めなければならない。

破滅かそうでないかを選ばなければならない。

救うべき者。倒すべき者。

やがてスヴェンは二人に顔を向けた。

「俺達は──」



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