─十五章 自由都市シケットの騒乱(6)─
「このぐらいで十分だろう」
用意してきた移動式の大砲達が何度目かの火を噴いたところで、ズラセニは傍にいるマッセを見た。相手は、ひょいと頭を下げて同意を示す。
「よし。止め止め止め!」
パンパンと手をたたきながら、ズラセニは熱心に玉込め作業をしている部下達に言い放った。
「住人共は十分ビビっただろう。これ以上は撃たんでいい。オレ達の新居が減る。大砲の持ち玉が減る。イイ女が巻きこまれちまって減る。減る減るだらけで楽
しいことなんか一つもないぞ!」
笑い声を上げる部下達の下には、シケットの警備隊の服を着た死体がいくつも転がっていた。都市のあちこちで派手な花火が上がった後、巻きこまれなかった制
服連中が正門の守りを固めようと群がった所に、遠距離から自前の大砲達をズドン! ズドン! とぶっ放したのだ。その数発で連中の大半はバラバラ。後は自
分達で乗りこんで制圧するだけだった。堅牢と言われた商業都市シケットの正門。あまりにもあっさりとした陥落だった。
もちろん、事前に内部に潜りこませた部下達の功労のおかげである。防壁に設置された砲台の内の幾つかには、あらかじめ彼らの手で細工が施されていた。だか
らこそ、こちらは相手に一発も撃たれることなく正門に乗り込むことができたのだ。
そして街中への無差別砲撃。住民達は怯え、追い立てられた動物の群れのように、塔近くの避難所へと流れていったはずだ。
「さあさあ。とっとと住人共を追いつめるぞ。連中はびっくりして泡吹いてる最中だ。墜とすなら今だぞ、今!」
石畳の上の血だまりを踏み越えながら、ズラセニは幅広の剣を頭上にかざして叫ぶ。これから一行は、まだ街でウロウロしている人間を駆り立てながら、避難所
へと突き進む手はずになっている。
今のところ流れは順調だ。抵抗してきた者といえば、正門にいた警備隊ぐらいなものだったが、それとて少数だ。警備隊の詰め所と、傭兵斡旋所の爆破は期待通
りの効果を上げた。だが、それでこの街にいる戦士のすべてが死に絶えたわけではないだろう。爆発を免れた者や、地方から来た隊商の警護をしていた連中だっ
ている。
何が出てくるやら……ズラセニは指を鳴らした。計画通り上手くいくのも楽しいが、予想外の敵に出くわすというのも面白い。この巨体を女との性交以外に使う
のは久し振りだからだ。かつて部下も持たず、一人で獲物を「喰らって」いたときの、獣そのままの力強さと敏捷さはまだまだ失われてはいない。
ズラセニはマッセを見た。
「俺らは、のんびりとこっちから行ってみようぜ」
と、白く太い指を市場の方へと向ける。
「あい。大将」
小太りの自称副官はいつものごとく、ひょいと頭を下げた後、背後にいる部下達に手振りで指示を出した。武装した男がいくつかの手勢に別れ、さっと他の街路
に散っていく。残された下っ端が、移動式の大砲を慌ただしく押し出して彼らの後を進んでいった。血だまりの中を通った車輪が、石畳の上にまるで蜘蛛の巣の
ようないくつもの赤い轍(わだち)を残した。
三人の部下を先行させ、ズラセニはマッセを伴い鼻歌交じりに歩みはじめた。
* * *
押し寄せる人々の群れにようやく隙間が空き、レアは流れに逆らうように、後へ後へと戻りはじめた。途中、脇をすれ違った商人が抱えた木箱に激しく腕を打た
れる。一瞬、顔をしかめたものの、それでも視線は前に向けたままだ。
戻れば戻るほど、人の群れはまばらになっていく。だが、いくら進んでも、レアが探している二人の姿は見当たらなかった。
自分とは、別の路地に流されてしまったのだろうか。そもそも、あの二人自体一緒にいるとは限らない。
押し流されているときは、何処へ向かっているのかわからず恐怖したが、人々はこの街の避難所へと向かっていたのだろう。今頃はホル達もいるのだろうし、二
人とはそこで再会できるのかもしれない。
ふと、地面にぽつん、ぽつん、と横たわっている人間の姿がレアの目に入った。すっかり汚れてしまっている衣服。血の流れている口。開きっぱなしの目蓋。そ
して、ぴくりとも動かない身体。
恐慌にかられた人々に延々踏まれ続け、命を奪われてしまった者達。身動きのままならぬまま押し合いへし合いされていたときに、足下に感じた感触をレアは思
い出す。どうにもならなかったとはいえ、胸のむかつくものを覚えた。
(もし、二人ともこうなっていたら)
その考えが浮かんで、レアは身を震わせた。ヤヘナは小さな老婆だし、イノだって大きな体格の持ち主ではない。それに、自身も危うくそうなるところだったの
だ。
一度浮かんでしまった想像──打ち消すことができなかった。
レアは急ぎ足で街路を戻りはじめた。この場にいるのが危険なのはわかっていたが、せめて、探す二人のうちのどちらかが、通りに無残な姿をさらして横たわっ
ていないという確認だけでもしなければ、気が気でならなかった。
気づけば、通りを歩いているのは自分一人だけだった。沈もうとしていく太陽の赤く暗い光。大砲の玉に破壊された家のギザギザの屋根が、牙だらけの獣の顎の
よ
うな
形をした影を、血の色に染まった街路に投げかけている。
がらん、とどこかで何かの転がる音がした。
不意に、一人でいることへの不安と寂
しさがレアの胸に兆した。見知らぬ街に独りぼっちでいる自分。それは、両親が殺され逃げ出したときの状況そのままに思えた。
(バカバカしい。あのときのわたしは、まだほんの子供だったじゃないの)
そう自分を叱咤したものの、心細さは強くなっていくばかりだった。そして、我知らないうちに、レアは腰に吊した剣の柄を強く握り締めていた。まるで、ぬい
ぐるみを抱きしめている幼い子みたいに。
このときほど、知っている誰かに会いたいと思ったことはなかった。ヤヘナでもいい。ホルでもいい。隊商の傭兵達の一人でもいい。
だけど、一番会いたいのは──
もし、今「レア」といういつもの呼び声をかけられたら、安堵のあまり泣いてしまうかもしれない。それでも、その声を求めている自分がいる。
ふっ、と苦笑が出た。
(わたしは、こんな情けない人間だったっけ?)
やがて大市場の門が見えてきた。降り注いだ家屋の破片に混じって転がっているいくつかの人影、その中に橙色の服を着た白髪の人物が横たわっているのが夕日
の光に見えて、レアの苦笑いはいっぺんで凍りついた。
息をのんで駆け寄る。震える手が、うつ伏せになっている死体を裏返す。
──知らない顔だった。
よく見れば白髪以外は、肌の色も服の色もちがう。夕日のせいでヤヘナのものと似た色に染まっていただけだったのだ。
肩から力が抜けた。周りにはもうそれらしい格好の者は転がっていない。となると、あの二人は無事に避難所まで行った可能性が高い。それがわかった以上、自
分も急いで向かうべきだった。他にも生きている者がいないかどうか確認すべきかもしれないが、その時間はないだろう。
レアは立ち上がった。
「おい。お前!」
いきなり声をかけられ、心臓が跳ね上がった。
正門へと続く街路の曲がり角に、三人の男の姿が見えた。それぞれが武装を施している。シケットの警備隊ではない。ならば傭兵だろうか。
粗野な顔つき。陰気な目。欲望につり上がった唇。殺伐とした雰囲気。
敵──すぐさま直感した。
レアは来た道を駆け出す。
「おうい。逃げんじゃねえよ!」
「若い女だぞ。とっ捕まえろ!」
嘲笑うような声と共に、男達が追ってきた。
広い通りに転がる死体を跳び越えながら、レアは隠れ場所になりそうな路地を探す。だが、追っ手を撒くのに必要なだけの距離はもう稼げそうになかった。こち
らの姿は向こうから丸見えだ。さらに、不慣れな都市の町並みが判断を鈍らせる。下手に動いて、袋小路に追いこまれるような事態だけは避けねばならない。
「足を狙え! 足を!」
後ろでがなり声がした瞬間、レアの足下にある石畳で金属音と火花が飛び散った。全身に鳥肌が立つ。連中は飛び道具を持っている。このままでは狙い撃ちだ。
意を決して、レアは通りの脇で大きく口を開けている商店の一つに飛びこんだ。色鮮やかな陶器が並ぶ広い店内を駆ける。裏口から抜けて時間を稼ぐつもりだっ
た。
建物の奥を目指す。後ろの方で、男達がドタドタと店内に入ってくる音がした。
最後に飛びこんだのは倉庫らしき場所だった。自分の頭一つ分低い位置に積み上げられた木箱。だが、そこにレアの期待していた裏口の扉はなかった。
舌打ちする。追っ手はもうそこまで迫っている。
レアは積まれた木箱の一つに身を潜めた。剣に手をかける。
この場を切り抜けるには戦うしかない。
呼吸を整え、覚悟を決めた青い瞳に、どんよりとした光が宿る。
不安を消す。怖れを消す。
人を殺めるのはもう経験している──そう自らに言い聞かせて。
このときだけは、一人でよかったとレアは思った。これから自分が為すことを、ヤヘナや「彼」に見られずにすむのだから。
「こっちだ! こっち!」
追っ手の一人が倉庫の入り口から飛びこんできた。
瞬間、レアは木箱の影から飛びだした。身をかがめ、床を滑るように駆ける彼女の姿に男が気づいたときには、うなりを上げて突き出された黒い刃がその喉元を
貫いていた。
手に伝わってくる肉と骨の感触。初めてではない感触。自分が致命傷をこうむったことも理解できず、目と口をあんぐりと開いたままの男のすぐ後ろに、別の男
が続いているのが見
える。
レアは素早く剣を引くと、喉から血を噴き出す男の身体に思いきり体当たりをかました。よろけてくる仲間にぶつかって、二人目の男が間抜けな格好で体勢を崩
す。
レアが間髪入れず斬りかかる。もはや防ぎようない状況で男へと迫る黒い刃。そして、真横に裂かれる喉。「あわ──」というのが、彼の残した最後の言葉に
なった。
「なんだよ、このアマは!」
後ろにいた最後の一人が、怯えた声を上げて背を向ける。
レアが追う。仲間を呼ばれたら面倒だ。
立場を逆にした追撃。派手な音を立てて逃げる男と。それを静かに追いかける少女と。やがて、二人は陶器の並ぶ店内へとさしかかった。
テーブルの上にある陶器の一つを駆けながらひっつかみ、レアは逃げる男の頭を狙ってぶん投げる。
ガシャン! という軽快な音。わめき声。
割れた陶器の破片を後ろ髪にひっつけたまま、思わずふり返った相手の怒りの形相。しかし、それは一気に距離をつめたレアの黒い軌跡と共に胴から離れ、店内
の隅へ転がっていった。中途半端な位置まで腕を持ち上げていた身体が、首のないことに気づいたかのように倒れこんだ。
レアは大きく息を吐きだした。
険しさの消えつつある瞳で周囲を見渡す。窓から差しこむ夕日。それぞれが持つ形にあわせて紅と黒の陰影をまとう陶器の群れ。そして、自らが殺めた人の死
体。
去来する苦い思いを振り切り、耳をすます。とくに何も聞こえない。この騒動が、他の敵に気づかれた様子はなさそうだった。ならば、後は警戒しつつ避難所へ
と向かえばいい。
そう考え、レアが店の入り口を出たときだった
「こりゃあ、驚いたな」
男にしてはやけに甲高い声が、すぐそばでした。
ぎょっとして目を向けた先に、見上げるような巨体の男が立っていた。声をかけられるまで気配すら感じなかった。
身につけた服と武装の間から見える異様に白い肌。その上に乗っかっている、のっぺりとした造りの顔。強烈に輝く瞳がこちらを見下ろしてニヤリと
笑った。
「まさか、こんなにはやくドンピシャなのを見つけちまうなんてさ」
その言葉に含められた淫らな響きに、ぞっと全身に鳥肌が立つのを感じて、レアはすぐさま男から飛び退こうとした。
しかし、遅かった。
巨体に似合わぬ素早さで繰り出された拳が、レアの腹を激しく打った。悲鳴すらもだせず思わず身をかがめた瞬間、相手のもう一方の手に首がっしりとつかまれ
る。すさまじい力に為す術もなく、出てきたばかりの店内に荒々しく引きずりこまれてしまう。
そして、首をつかんでいた男の手が離れたと思ったとたん、レアは自分の身体が宙を飛んでいるのを意識した。ど派手な音と共に襲ってきた衝撃。陳列棚にたた
きつけられた背中で、そこに飾られていた色鮮やかな陶器の数々が砕け潰れるのを感じた。
細々した破片が散らばる中、床にうつ伏せて激しく咳きこんでいる自分に、男が歩み寄ってくる。
レアは歯を食いしばって、ニヤニヤしている男の顔を見上げた。
「お前、この街の人間の格好じゃあねえな。どこぞの地方から来たのか?」
嬉しくてたまらない、といった様子で男がさらに迫ってくる。
「なんにせよ世間は広いよなあ。こんな超高級品があるんだからさ」
目の前に自分の剣が転がっている。腹と背中の激痛をこらえ、レアは手を伸ばした。しかし、剣をつかんだ瞬間に男に手首をつかまれた。千切れそうな勢いで捻
り上げられる。思わず出そうになった悲鳴を押し殺す。
レアはそのまま無理やり身体を起こされ、後ろから男に抱きかかえられた格好になった。相手のもう一方の腕が、顎の下に入ってぎりぎりと締め上げてくる。頭
の後ろに密着した分厚い胸板から、むっとする汗の臭いがした。
「黒い刃の剣とはね」
捻られながらも、かろうじてレアが手に握っている黒い刃の剣を見て男がいった。
「お前、何者なんだよ?」
腕の痛みと、締められて窒息しそうな苦しさと体臭に耐え、レアは足の裏で相手の膝を打ちつけようとした。
だが、男はそれを素早く察した。さらにねじ上げられる手首。焼きごてでも当てられたかのような激しい痛み。
今度は悲鳴を上げた。そして、剣の落ちる音。
男は忍び笑いをもらした。
「まあ、お前が誰だろうと、俺にゃ関係ないんだけどな」
熱い息が耳もとにかかる。ねっとりとした湿っぽい舌が、レアの耳を、首筋を、頬を這い回った。逃れようとした頭を乱暴に引き戻される。それでも逃れようと
すると、男は手首をつかんでいた手を放し、脇腹を殴りつけてきた。激痛。再び悲鳴を上げた。
抵抗を止めた自分の頬をなめる男の舌。そのあまりにもおぞましい感触。
「おい。マッセ」
男が呼びかけると、外から小太りの男が店内にそそくさと入ってきた。
「店の奥から、こいつを縛れそうなもん探してきてくれよ」
マッセと呼ばれた小男がひょいと頭を下げて奥に消えると、男は再びレアを見下ろした。
「今すぐにでも、お前をモノにしたいんだけどなぁ……」
欲望をむきだしにした声。いまだ自分の肌を這いまわっている舌と、卑しさそのままの手に無遠慮にまさぐられる胸。しかし、レアの脳天に突き上げたのは怒り
ではなく恐怖だった。命の危険とはちがう危険に。女である我が身が、この男から受けてしまうかもしれない可能性に。
『嬢ちゃんの方は、命取られるだけじゃすまない目にあうよ』
いつかのヤヘナの警告が脳裡をよぎった。
かつて経験したことのない恐怖。それは、シリオスから人ならぬ力で痛めつけられたときと同等の、いや、それ以上のものにさえ感じられた。全身が震えるのを
どうしても抑えられない。大声でわめきそうになるのを、喉もとに押さえこんでおくのだけで精一杯だ。
「俺はまだこれから一仕事残ってるんだ。だから、それまでおとなしくしてろよ。妙な真似してみろ。その綺麗な指を一本ずつ切り落としてやるからな」
レアはうなずいた。男の言葉が本気であろうことを、一片も疑いはしなかった。
「もう、お前は俺のもんだ。なあ?」
耳もとでの囁き。それもまた相手の本心であることは間違いなかった。
店の奥に消えていた小太りの男がもどってきた。その彼の手に握られた縄が、まるで自分の運命すらも絡め取ってしまうもののように、レアの瞳には映った。