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─十六章  自由都市シケットの殺戮(3)─



避難所をぐるっとまわって、塔へと続く路地を少し進んだところで、ズラセニは後ろの方が騒がしくなってきたことに気づいた。

「なんだ?」と振り返る。となりのマッセも首をめぐらせた。周囲に連れている武装した部下も、一門の大砲をガラガラ引いていた下っ端も、そろったようにそ ちらを見た。

今頃は避難所の住民とよろしくやっているはずの部下達が、バラバラと駆け出してくるのが目に映った。遠目にも、連中がやたらめったら怯えているのがわか る。見慣れた格好さえしていなければ、出てきたのは住民の方かと思ってしまうぐらいのビビりようだ。

「おいおい。どうしたってんだよ?」

まさか住民の反撃に遭ったとでもいうのだろうか。だが、避難所にいたのは、『レアの前の男』だというあの小僧の一派以外、たいした根性のなさそうな連中ば かりだったと記憶している。

何から逃げ出してるのかは知らないが。事と次第によっては部下共を処分しなければならない。あの避難所には、これまで手に入れた中で最高の娘が置きっぱな しになっているのだ。お楽しみの前に逃げられでもしたら……あんまりすぎる。

ちっ、と舌打ちして、ズラセニはこちらへ駆けてくる部下達を待った。

昇り始めた月が照らす街の石畳の上を、唾をとばしてわめきながら近づいてくる部下達。怯えているどころの表情じゃない。死に物狂いだ。血走った目。ぎらぎ ら輝く汗。

まるで、あのバケモノ達に襲われたときの、故郷の村人連中みたく……。

忌々しい記憶を呼び起こす顔の群れに、ズラセニは少し不愉快になった。

「お前ら──」威嚇を込めた声を上げた瞬間、

走っている部下達の脚が一斉に吹っ飛んだ。

爆薬でもぶつけられたみたいに突如として股から下を失い、絶叫を上げながらその場に倒れ、血と肉と骨の欠片の中でもがいている部下達。赤ん坊のように泣きわめきながら、呆然とそれを眺めているズラセニ達へ救いを求め、血みどろの手を差し伸べている部下達。

(なんだよ?)    

ドシン、と大きな音がした。ズラセニは思わずびくりと身体を震わせてしまった。大砲のそばにいる下っ端どもから悲鳴が上がった。

血の海で泣き叫んでいる部下達が、一人、また一人とたたき潰されていく。ドシン、ドシン、と地面が揺れるたびに鈍い音がし、街路に盛大な血しぶきが上がっ た。まるで見えない巨人が踏みつけているみたいに。

ドシン──グシャッ──バシャン──ドシン──

いや……ただの巨人じゃない。子供の巨人≠セ。水たまりで足を踏みならすみたいにはしゃいでいる、アホみたいにでっかいガキだ。目の前の光景は、なぜか ズラセニにそんな印象をあたえた。

(なんなんだよ?)

ズラセニをふくむ全員が動けなかった。もちろん声も出ない。目の前で起こっている現実に思考が追いついてこない。

最後の振動が止み、やがて静寂が訪れた。

「おい……」ズラセニはマッセを見た。

こいつらの脚を吹っ飛ばしたあげく、上からぶったたいて挽肉みたいにしちまったのは『なんなんだよ』?──と問いかけたはずの言葉が、口から出ていなかっ たことに気づく。

「何か見えたか?」

回らない舌で、手早く縮めてたずねた。

マッセも、誰も答えない。

そのとき、絶叫が路地のあちこちから聞こえてきた。声なんていちいち覚えていないが、あれも避難所から逃げてきた部下のものだろうと、ズラセニは確信し た。

不意に怒りがこみあげてきた。

どこの誰だか知らないが、そいつらは自分達を「喰おう」としているのだ。

「おい、武器構えとけよ。お前ら!」

「た、大将!」部下の一人が叫んだ。「何と戦うっていうんだよ?」

「『これをやった連中』とだろうが! お前、目玉ついてるのかよ?」

思いきり怒鳴りつけた。だが、自分の目玉は『これをやった連中』の影も形も見てはいない。

何か仕掛けがあるはずなのだ。ひょっとしたら爆破した傭兵斡旋所の腕利き達の何人かが生き残って、これをやっているのかもしれない。そうだ。それに決まっ てる。こんな奇怪きわまる武器も技も知らないが。

「ありゃあ、誰だ!」

声を上げた部下が指さす先、避難所の建物をまわって人影が歩いてくるのが月明かりの中に見えた。 

ズラセニは目を細める。

「あの小僧じゃねえか」

それは『レアの前の男』だった。押さえつけていた部下達が逃げ出してしまったので、自由になったのだろう。しかし、なんで一人で歩いているのかは不明だ。 自分の女が寝取られそうだから、こちらを殺しに来たのかもしれない。

だが、よく見れば相手は丸腰だ。両手はだらんと脇に下げられている。歩き方もなんだかフラフラしている。まるで寝ぼけて歩いてるみたいだ。

ズラセニは笑みを浮かべた。わけのわからない現実より、とりあえず、はっきりわかる現実に目を向けよう。どこへ持って行ったらいいのかわからない怒りを、 あのガキにぶちまけてしまうのも悪くはない。

「よう。名前は知らねえけど!」

小僧がはっきりと見えるところまで近付いてきたところで、ズラセニは気さくに声をかけた。

相手が立ち止まった。うつむいているため、前髪が邪魔で表情はよく見えない。その髪も、袖のない上着もズボンも、脇に下げた腕も、全部血みどろだ。すでに 部下達に痛めつけられでもしたのだろうか。

「おいおい。また、ずいぶんひでえ格好だな」

そう続けてみたものの返事はない。それに……よく見たら小僧に怪我をしている様子はない。

「愛想がねえなあ。そんなにお怒りか? 大切なレアのおっぱい見せ物にされたのがよ。ま、あれはお仕置きだからしょうがねえだろ。それにこの先、あの娘が 服を着ることなんてないんだしな」

周りの部下達から笑い声が上がった。しかし、それは乾いた笑いだった。

小僧は動かない。

(なんなんだよコイツは?) 

避難所でのときと違い、あからさまな挑発にも反応しない相手に、ズラセニは何か得体の知れないものを感じた。それは、マッセも他の部下も同じらしい。なんというか「飲まれている」──この小僧に。丸腰で手をぶら下げて突っ立っているだけのこの小僧に。

(ちょっと待てよ。なんで俺達が、こんな立ちん坊のガキ一人にビビらなきゃならねえんだ?) 

「つまらねえな。手足でも撃っちまえ」

ズラセニは、クロスボウを構えている部下に指示した。少しでも相手から反応を引き出さないことには、薄気味悪くて仕方がない。

部下が矢の狙いを小僧に向ける。しかし、相手は避ける気すらなさげだ。

そして──部下の腕が、構えた飛び道具ごとスパッと切り刻まれた。

きれいに輪切りになったクロスボウと自分の腕が地面に落ちるのを見て、その部下は、これまでズラセニが聞いたことのない奇妙な声を上げた。

さらに次の瞬間には、別の部下のどてっ腹に幼児が通り抜けできるぐらいの穴がズボッと開けられた。花火みたく盛大にぶちまけられた骨やら内臓やら血やらが、後ろにいた者達にまともに浴びせられる。

わめき声。叫び声。おののき声。

裂かれる音。砕かれる音。刻まれる音。

色んな悲鳴と不快な音とが奇妙なリズムを奏でる度に、月が照らす街路に次々と屍の山が気づかれていく。

ズラセニはただ口を開けてそれらを眺めていた。混乱した勢いにまかせて小僧に斬りかかっていった部下の一人が、紙切れでも裂くようにビリッと二つに分かれ て路地の両脇へすっ飛んでいったのを見てもなお、ぽかんとしていた。

肝心の小僧は一歩も動いていない。頭も腕もだらんと下がったままだ。

それでも。

垂れ下がった前髪の奥で、相手がうっすらと笑っているのがズラセニにはわかった。

(コイツだ……全部コイツがやってやがるんだ!)

遠くの路地から聞こえてくる絶叫の数々。この街の方々に散った部下達も、ここと同じような目にあわされているのだ。

訪れた事実に、全身に鳥肌がたった。

こんなにビビるのは久しぶりだ。となりにいたマッセが後ずさるのが聞こえる。自称副官につられて思わず尻込みしそうになるのを、ズラセニは必死でこらえ た。ありったけの怒りをかき集める。

(ありゃあただのガキだぞ。首が簡単にねじ切れるぐらいのチビでヤセのガキだ。わけがわからない奴に、わけがわからないやり方で「喰われて」たまるか よ!)

「撃てよ……」

大砲の脇にいる下っ端達に命じた。しかし、景気よく出したはずの自分の声は、みっともないほどに震えていた。  

「ほら撃てって! 玉は入ってんだろうが! アイツ目がけてぶっ放すんだよ! こんな距離で外しやがったら、てめえらをぶち殺すからな!」

ズラセニは唾を飛ばしながらわめいた。得体の知れないものへの怯えと、首領への怯えで、弾かれたように部下達が動きはじめた。

ゴロゴロと車輪を回しながら、大砲に狙いを定められているにもかかわらず、小僧は一歩も動く気配を見せなかった。まるで撃たれるのを待ち受けてでもいるか のように、得体の知れない殺人劇がぴたりとやむ。

あわてふためき、情けない声を上げながら、生き残っている部下達がいっせいに大砲の後ろへ下がった。本当はもっと遠くへ逃げたいのだろうが、ズラセニがそ れを許さないことを知っているのだ。

だが、それももう限界に近いのかもしれない。

「撃てよ! 吹っ飛ばしちまえって!」

もはや、願い事に近い感情でズラセニは叫んだ。

とたん、鼓膜の破れそうな音と共に大砲が火を噴いた。火薬の爆発が撃ち出した大きな鉄色の玉が、だらんと突っ立ってる標的のちっぽけな身体目がけてうなり を上げて襲いかかる。そして、小僧にぶち当たって木っ端微塵に──

沈黙。ズラセニも、マッセも、二十人ほどの部下も。凍りついたまま動けなかった。

彼らの視線の先には、小僧がさっきと変わらぬ姿で突っ立っている。その前には大砲の玉がある。

撃ち出され標的にぶつかる寸前のまま、宙に停まっている大砲の玉が。

ゴトン、と地面に落ちた大砲の玉。やがて、それはひとりでに転がり、跳ねはじめた。街路の石畳を砕き、建ち並ぶ家々の壁を砕き、大音響と騒音をまき散らし ながら、麻痺しているズラセニ達の前でせわしなく暴れはじめた。まるで猫だか犬だかがじゃれついているみたいに。が、もちろんそんな動物は影も形もない。

さんざん周囲をぶっ壊しながら跳ね回ったあげく、だしぬけに鉄の玉は再び宙で停まった。そして、耳をふさぎたくなるような甲高い音と共に、丸い形がいびつ に歪みはじめる。もはや、それが『握りつぶされて』いるのか、『噛みつぶされて』いるのかは、麻痺したように目撃しているズラセニ以下全員にとってどうで もよいことだった。

やがて、萎んだ袋のような形にされてしまった「元」大砲の玉は、飽きられた玩具よろしくズラセニ達の前に放り出されてしまった。

ガラン、ガランというわびしげな金属音。

再び沈黙。この摩訶不思議すぎる状況に対して、どんな反応をしたらいいのかを理解しているものは誰一人いない。壇上に立った演説者を見つめるかのように、 ただすべての瞳が小僧一人に集中していた。

そして、相手はゆっくりと顔を上げた。

乾きかかった血がべっとり付いた焦げ茶色の髪。

その下で輝く──紅い瞳。

それが、ズラセニの怒りも驚愕をも吹き飛ばしてしまった。

(ああ……あの目、あの目、あの灰色の連中と同じあの目!)    

「バケモンだぁ!」

部下の誰かがようやくのことで放った一声が、ありとあらゆる意味での限界を破った。

ズラセニも、マッセも、部下達も、悲鳴を上げて路地を駆け出した。

小僧がゆらりと踏み出す。血のぬかるみへ。一歩。また一歩。

そのたびに。

一塊になって突っ走っている自分達の誰かが、身体ごと握りつぶされる音がズラセニの耳に聞こえた。

追う側の一歩一歩が、逃げる側の一人一人を殺していく。

恐怖と断末魔の織り混ざった絶叫を奏でながら、街路を疾走していく男達。その行く手には自由都市シケットの象徴たる塔がそびえていた。

殺戮はまだ止まらない。 



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