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─十六章  自由都市シケットの殺戮(5)─



閉ざされた鉄扉を外からたたくガンガンという音。救いを求める声。

それらから逃れるように、塔の入り口にある広間の奥へと、ズラセニ達は後退した。左右には階段が見える。左は塔のてっぺんにある皿のような展望台へと通じ、右は基部へと通じている。主に観光客が使うのは左の階段だ。

塔へと入るには防壁から鉄扉を通るしかない。その扉は都市の正門と同じぐらいの頑丈な造りになっている。もう自分達をかくまってくれそうな建物はここぐらいしかなかった。 

分厚い扉を通して聞こえてくる外の狂乱はまだ続いている。だが、逃げ遅れた奴らのことなど、もはやズラセニの知ったことではなかった。

「何なんだよ、何なんだよ、何なんだよアイツは!」

ズラセニは叫んだ。

マッセも、他の部下達からも返事はない。二百人以上はいた自軍が、今では二十人にも満たない数に減らされている。たった一人の……たった一人のガキのせい で。

外から絶叫が聞こえてきた。耳をふさぎたくなるむかつく音。アイツが殺しはじめているのだ。 

「あんたのせいだぞ!」

となりで叫んだマッセの言葉に、ズラセニは自分の耳を疑った。恐怖にゆがみ血走った目をした自称副官。彼のこんな表情は見たことがない。

「あんたがアイツを怒らせたから、こんなことになったんだ! あの娘に手を出したりしたから……全部あんたのせいだ!」

取り乱しているとはいえ、これまで自分にピタリと付き従っていた男の放つ信じられない罵声に、一瞬、返す言葉に詰まった。

「アイツは、俺達全員を皆殺しにするまで追いかけてくるぞ! いまさら謝ったって許しちゃくれないだろうさ! 俺達はみんな死ぬんだ……他の奴らみたい に……グチャグチャにされて! そして、あんたは一番ひどい殺されかたを──」

狂乱してわめくマッセの頬に、ズラセニの拳がめり込んだ。派手な音を立てて床に転がった小太りの男は、起き上がることもなく、おいおいと泣き出した。

「ふざけんじゃねえぞこの野郎!」

ズラセニは怒鳴った。

「俺のせいだと? 誰のおかげで、これまで好き勝手やってこれたと思ってやがるんだ。脳みそ足りねえお前らを引っぱってきたのは誰だと思ってやがるんだ。 それを……俺のせいだと?」

子供のようにピイピイ泣いているマッセ。その影響を受けて泣き出してしまった部下もいる。かろうじて立っている部下達が自分に注いでいる視線。これまでの ような尊敬と畏怖をこめたものではなく、失望と恨みがましい光に揺れている瞳の群れ。

(何だよコレは? 何でこんなことになっちまったんだよ?)

本当なら、今頃は街に隠れている住人をあぶりだしているはずだった。そして、これまでにない大きな獲物を「喰らった」祝杯を仲間達とあげ、この街の金持ち連中の屋敷をぶんどって、豪華なベッドの上であのレアという娘と一晩中楽しむことになっていたはずだ。

それなのに。

二年という時間をかけて、このちっぽけな都市の占拠を計画したのに。しくじることがないように、人生の中で一番頭を使ったのに。そして、それは途中までうまくいっていたのに。

全部、全部ぶっ壊れそうになっている。アイツの。あのバケモンのせいで。

あの紅い目。かつて自分の故郷を「喰った」奴らと同じ目。

あいつらはまた自分を「喰い」に来たのだ。食べ残し≠ナある自分を。

『あんたは一番ひどい殺され方を──』

(嫌だ嫌だ嫌だ……「喰われる」のは嫌だ。俺は「喰らう」側なんだ)

ふいに扉の外が静かになった。あれほどやかましかった絶叫が止んでいる。

しん、とした広間。窓から差す月明かり。吹きこむ風の音。

「いくらアイツでも、この扉は破れねえんだろうさ」

全身の震えを押さえ、自身の言葉にすがりつくようにズラセニは口を開いた。

「ここにいる限り俺達は安全だ。いまのうちにアイツをぶっ倒す方法を考えようぜ。なあ?」

誰も答えない。ズラセニ自身も、「安全」という言葉が自分の辞書から消えてしまった事実と、あのバケモノを倒す方法なんて今もこの先も永遠に思いつけない事実とを知っていた。

しん、とした広間。窓から差す月明かり。吹きこむ風の音。

コンコン、と扉から音がした。   

小さなノック。楽しげなノック。中に誰がいるのかちゃんと知っているノック。

コンコン、コンコン、コンコン。

一つ、また一つ……増えていく。大勢の人間が扉の外にでもいるように。

コンコン、コンコン、コンコン、コンコン、コンコン、コンコン、コンコン。

増えていく。どんどん増えていく。大きな扉一面に広がっていく。

何十……何百……それとも何千……もうわからない。

子供だ。恐怖に痺れた頭でズラセニは思った。無邪気に扉をたたきまくっているのは沢山の子供達だ。

コンコン、コンコン、コンコン、コンコン、コンコン、コンコン、コンコン
コンコン、コンコン、コンコン、コンコン、コンコン、コンコン、コンコン
コンコン、コンコン、コンコン、コンコン、コンコン、コンコン、コンコン
コンコン、コンコン、コンコン、コンコン、コンコン、コンコン、コンコン

絞られるような雄叫びを上げて、ズラセニは耳を塞いだ。それでも指の間から漏れてくるノックの音。さっきまで聞こえていた絶叫や肉の潰れる音の方がまだマ シだった。部下達の何人かが、キイキイと笑い声を上げ始めた。とうとう正気を失ったのだ。しかし、こちらもその寸前だった。かろうじて保っている理性の糸 は、もう髪の毛一筋ほどの細さしかない。

「もうやめてくれよぉ!」マッセが泣き叫んだ。

ノックがピタリと止んだ。

瞬間、骨まで振るわせるようなとんでもない轟音と共に、扉の中央が内側に膨れ上がった。ズラセニは女のような悲鳴を上げた。

二度目、三度目、大音響とともに歪み、ひしゃげていく大きな鋼鉄の扉。外にいるのはもう子供達ではなかった。怒り狂った猛獣だ。中にいる自分達をぶち殺したいあまり、我を失ったように扉を殴りまくっている巨大な猛獣だ。

殴りつけるのが止まったとたん、鼓膜が破れるぐらいの甲高い音を立てて、頑丈な扉がメチャクチャに引き裂かれていった。目に見えない怒り狂った猛獣の爪は、ズラセニ達の最後の砦だけではなく、希望をもズタズタにした。

そして、隔てる物のなくなった入り口の外に、血と肉と汚物の海の中に、アイツがぼんやりと立っていた。

夜に輝く紅い瞳が、こちらを見た。

ズラセニは忍耐というものを知っていた。しかし、それにも限度があった。

ついに理性の糸が切れた。狂気に笑い、ワアワア泣きわめいている部下達に背を向けて、ズラセニは塔の頂上へと続く階段に脇目もふらず逃げ出した。自身も子供のように泣き声を上げているのにも、ズボンの股がぐっしょりと濡れているのにも気づいていなかった。

殺戮はまだ止まらない。



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