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─十七章  騒乱と殺戮のあと(1)─



「退屈そうだな」

傍らにいるガルナークがいった。

「閣下こそ、退屈しているのではないですか?」

シリオスは微笑んだ。

ふん、と鼻を鳴らし、将軍はシリオスから目を外すと、近くにあった手すりを握りしめ眼下に広がる景色へと身体を向けた。もっとも、そこには鬱屈そうな彼の 気を晴らすものは、何一つとして存在しない。草と岩ばかりの人の住む気配のない赤茶けた大地があるだけだ。はるか横手には、うっすらと森林こそ見えるが、 それも目の保養にはなりそうもない。

二人は今『ギ・ガノア』の背面後部に設えられた展望台に立っていた。足下にある鋼鉄の床から伝わってくる振動と、今ではすっかり耳慣れた地響きの音が一つ 起こるたびに、周囲の風景が少しずつ進んでいく。暗赤色の巨大な獣が闊歩している下では、五万以上の兵士と、物資を積みこんだ貨車を引い たガル・ガラの群れが黙々と行進していた。

『聖戦』の大部隊が首都フィスルナを発ってから十日以上。『楽園』への侵攻は順調すぎるほどに進んでいた。今のところ問題らしい問題も起こっておらず、多 方面の砦から合流し、首都を出発したときよりも数を増した兵士達はきちんと統制され、稼働した『ギ・ガノア』も何一つ不備は起こしていない。さらには、い くつかの「発生領域」を踏み越え、現在もその中の一つを通過しているにもかかわらず、戦うべき『虫』すらもその姿を現してはいなかった。二人の間に「退 屈」という言葉が出てきたのには、そういった事情があるのだ。

「これでは『聖戦』にならんな」

不満げな表情のまま、ガルナークが口を開いた。

「この裁きの獣≠焉Aただの獣のままではないか」

「お気持ちはわかりますが……それはそれでかまわないでしょう」

シリオスは笑った。将軍は先祖から託され完成させた兵器が、憎むべき相手に猛威を振るうところがただ見たいだけなのだ。

「もうじき『死の領域』です。『虫』達と事をかまえることなく突入できるなら、それに越したことはないではありませんか」

ガルナークは答えない。いつにもまして機嫌が悪そうだ。

まるで楽しみにしていた贈り物を受け取れなかった子供だな──彼の表情を見て、シリオスは内心で苦笑した。とはいえ、自身も『ギ・ガノア』が戦う姿を見 たいことに変わりはなかった。

伝説に聞く『楽園』の文明の遺産。その技術の結晶たる『ギ・ガノア』に勝る兵器は、この大陸のどこにも存在しないだろう。人の手が造り出した最強の 「力」。それがどのようなものなのか、ぜひともこの目で見てみたかった。

これほどの巨大な金属の塊が、生き物のように動いているだけでも驚嘆に値する。胴体内部でその動きを管理している技術士官らの言葉によれば、この獣は行動 のほとんどを「頭脳」で考え自力で行うことができるのだという。人間は操作室に設置された「文字盤」を使って、簡単な指示をあたえてやるだけでよいのだ。

まだ『ギ・ガノア』が未完成だった頃に、シリオスは獣の操作室を見物させてもらっていた。そこには、『楽園』の文字が無数に刻まれた小さな板が何カ所も設 置されていた。その「文字盤」に触れることで形作られる言葉の数々が、獣の「頭脳」に対しての語りかけになるのだそうだ。指示の結果やその他の情報等は、 それぞれの「文字盤」に設えられた光輝く「窓」に映しだされる仕組みになっていた。

今ではもう見慣れてこそいるが、最初に見たときは素直に目を奪われてしまった。『継承者』となったさい、『楽園』の技術に関する資料には積極的に目を通し ていたシリオスだったが、実際に目の当たりにすると、その高度さは理解の範疇を超えていた。

もっとも、それは獣の動きを管理している技術士官達も同じだった。『ギ・ガノア』の仕組みすべてを理解するとしたら、それこそ途方もない時間がかかる。彼 らは自らが受け持つ範囲のみを何年もかけて学んできたのだ。

『ギ・ガノア』を構成する最も重要にして高度な部分(頭脳、心臓、操作室、兵装)は、『継承者』の先祖達が『楽園』から脱出したときに使用した乗り物を基 礎としているらしい。逃亡の末たどり着いた未開の地で、これらを一から造り上げるのは不可能だと判断されたためだろう。彼らはいったん手放した技術の衰退 する早さをよく知っていた。そのため、後の子孫にとって手に余りそうな箇所を自分達で組み上げることにしたのだ。

そして『楽園』を追われた民達の生涯は、セラーダという国家の基盤、大陸最大の都市となるフィスルナの建造、さらには『ギ・ガノア』の完成に必要な地下の 設備までをも造り上げたところで潰えてしまった。

まさに「鬼気迫る」と表現するにふさわしい、すさまじいまでの行動力だ。聡明な彼らは、自分達の世代では二度と『楽園』へ戻れないことをすでに理解してい たのだろう。それでも、故郷への妄執と『虫』への憎しみは消え去ることがなかったのだ。

シリオスは思う。『楽園』の民達の想いの中で、『樹の子供』達はどういう位置づけを占めていたのだろうかと。

訪れていたはずの世界を拒絶した民達の罪。その最たるものが、自分が今立っているこの巨大な獣なのだ。罪に罪を重ねるための兵器。その名が『裁きの獣』と は……人とはどこまで愚かな生き物なのだろう。

そう考えていたとき。

ふと、シリオスは揺らぎを感じた。今も絶えず足下から伝わってくるものとはちがう振動が、自らの身体と心の奥底に働きかけてくる。

夜の彼方へ顔と意識を向ける。しだいに脳裏に広がるいくつもの印象。そこに刻まれている人ならぬ存在の意思達。それはこの自分にとって、もはや寝食に等し いほど馴染みのものだ。

この場にいるすべての人間の中で己のみにあたえられた予兆に、シリオスはうっすらと笑みを浮かべ、ガルナークを見た。

(将軍。我々の退屈は解消されそうだ)

一瞬遅れて、『ギ・ガノア』が立ち止まった。

巨大な頭部をゆっくりとめぐらせる。そして、八つに並んだオレンジ色に燃える瞳が一つの方向を見据えた。

はるか前方にのぞいている獣の顔が、自分のそれと同じ方角に向けられているのを見て、シリオス思わず「ほう」と声をもらしそうになった。

たいしたものだな──と胸の内で感心する。どうやら、以前に聞いた『技術士官の説明』は本当だったようだ。

「どうしたのだ?」

獣の様子を見て、ガルナークが眉根を寄せた。

やがて。「『虫』です。北西の方角!」と、内部にいる技術士官の声が、展望台入り口扉の脇にある小さな箱から流れてきた。

ガルナークの顔から不機嫌さが消えた。彼は扉へと近づいていった。

「アテレスとリダイアの隊をいったん後退させろ。獣のみで片付ける」

「獣への指示はどうしますか?」

「かまわん。こやつが先に見つけた≠フだ。好きにやらせてやれ」

将軍はそう命令し終えると、手すりへと歩みよって目を細めた。遠く北西に見える黒々とした森の中から、小さな塊達がわらわらと飛び出してくるところだっ た。 

「ただの獣としても優秀だったな。そうは思わんか?」

目を輝かせこちらを見た相手に、シリオスは穏やかにうなずいた。

『ギ・ガノア』は自身で『虫』を感知することができるのだ。技術士官の説明では、頭部の耳にあたる箇所に、人の目には見えない特殊な「波」を一定間隔で放 つ仕掛けが組みこまれているらしい。その「波」が、怪物達の持つ「核」が放つ「波」と共鳴することで、この獣は敵の位置や距離などを正確につかむことがで きるのだそうだ。

この高度な仕掛けを造ったのは、もちろん『継承者』の祖先だ。捕獲した『虫』や死骸を、限られた設備で徹底的に調べ上げた結果なのだという。もしこの仕掛 けが量産できるものだったとしたならば、後のセラーダ軍と『虫』との戦局は大きく変わっていたにちがいない。だが技術的な問題から、それは『ギ・ガノア』 に使用されるだけに終わってしまった。

まるで『自分達』と同じだな──シリオスは思った。原理こそちがうだろうが、少なくとも『虫』を感知するという意味では、この『ギ・ガノア』と『樹の子 供』とは同質の能力を有している。言うならば人造の〈繋がり〉だ。

ひょっとしたら『継承者』の祖先は、『樹の子供』の能力をもとに、この着想を得たのかもしれない。ありえる話だ。彼らは子供達のことをよく知っていたのだ から。

眺めているうちに『虫』の群れは近づいてくる。素早く、そして静かに。小型種のみの編成だが、その数は五十匹以上はいるだろう。

北西に展開していた部隊が後退する。兵士達はかたずをのんで、距離をつめてくる怪物達の群れを見つめている。

『ギ・ガノア』も燃えるような眼を『虫』達に向けていた。その様子は、巨大な牙の並んだ鋼鉄の口をニヤリと歪め、舌なめずりしているような印象さえ受け た。

獣の瞳には、あの怪物達がどのように映っているのだろう。この自分と同じように、夜の闇よりもなお黒く輝く光の群れを見ているのだろうか。

やがて静かな駆動音と共に、『獣』の胴体側面にある兵装の一部が動き出した。細長い形状をした砲塔の群れが生き物のごとく滑らかに向きを変え、彼方にうご めく標的達に狙いを定める。

瞬間、何かが焦げるのに似た大音量と共に、砲の先端から人間の肩幅ほどの太さをした光が放たれた。まるで頭上にある月の光をすべて凝縮したかのようなその 青白い輝きにまともに顔を照らしだされ、展望台にいるシリオスとガルナークは思わず目を細めた。

「光の槍」──まばたきするよりも速く夜気を貫く一 条の光を見て、シリオスの脳裏にその言葉が浮かんだ。否、そうとしか言い表しようがない。これこそが伝説にうたわれる『楽園の光』なのだ。

微かな明滅を伴って放射されている青白い輝き。自身が扱う光≠ニは異なる光≠、シリオスは驚嘆の思いで眺めていた。

目のくらむような眩さと共に、さっきまで寒々と吹きすさんでいた風を押し退けるような熱波を肌に感じる。この光が美しさだけではなく、いかなる者の存在も 許さないほどのすさまじい熱量を持っているのだと理解するには、それだけで十分だった。

夜であることに加え、人の肉眼ではようやく相手の姿を視認できるかできないかの距離であるにもかかわらず、「光の槍」は見事なまでの正確さで疾走する灰色 の群れに突きささった。硬い大地の岩盤が、バターでもすくうかのようにごっそりと削りとられる。先頭にいた『虫』が、身体ごとその光の中に飲まれあっさ りと焼かれた。いや──蒸発したといった方がふさわしいだろう。血煙ひとつ上げることすらなかった。

妨げられることなく突き進む青白い輝きは、その他数匹の『虫』をこの世界から消し去ると、しだいに細くなりながら、名残惜しげに夜闇の中へと溶けていっ た。展望台にいる二人も、眼下にいる多くの兵達も、誰一人言葉もなくその残光を眺めていた。

消滅させられた同胞にもかまわず、生き残った『虫』の群れは、なおもこちらへ接近しようと大地を疾駆する。憎悪に燃える怪物達の瞳。それらを真っ向から 受け止める『ギ・ガノア』の瞳もまた、相手と変わらぬ憎悪をたぎらせているようにシリオスの目には映った。

そして、獣は次々と砲塔から二射目、三射目を撃ちだしはじめた。

夜の中に乱立する幾条もの光。それはもはや「槍」ではなく、獲物に飛びかかる幾匹ものヘビのようにシリオスの瞳に映った。大地を喰らい、灰色のバケモノ達 を喰らい、この世界に存在しているわずかな時間に、より多くのもの飲みこもうとする貪欲なまでのヘビに。

青白い輝きの中に消えていく黒い輝き。遠くから響いてくる子供達の絶叫。脳裏にある印象に刻まれる苦痛と怒りと憎しみの数々。それらすべてをシリオスは捉 えていた。自らが行う一方的な殺戮に興奮しているがごとく、らんらんと目を光らせているこの鋼鉄の獣も、もしかしたら自分と同じものを感じているのだろう か。

そして、光の最後の一筋が夜気に消え去ったとき、『聖戦』最初の戦闘はあっけなく幕を閉じた。無惨な傷跡を刻まれた大地に残っているものは、薄煙を上げている『虫』の断片がいくつかのみだった。彼らの一匹として、こちらに近づくことすらできなかったのだ。 

ゴオッ、と『ギ・ガノア』が口から呼気をはき出す。獣は再び頭を前方に向けた。さらなる獲物を求めるがごとく巨大な脚が踏み出される。

理解を超えた圧倒的な力を目の当たりにし、呆然としていた兵士達がようやく喝采を上げた。彼らの畏怖と期待のまなざしを一身に受け、人造の獣は地響きを立 てながらゆっくりと前進を再開した。

「『壱の光』のみか。ずいぶんと出し惜しみをするものだな」 

万雷の拍手と歓呼が地上からわき起こる中、ガルナークは不満げにいった。だが表情はその逆をしている。それは、受け取った贈り物に満足した子供そのままの 様子に見えた。

『裁きの獣』に備わる四つの「光」──いま使われたのは、そのうちの一つにすぎない。それは『虫』という汚れを払い、人をかつての至福の地へと導くための 聖なる輝きなのだ。

「ほう。貴様でもそのような顔をするのか」

そうガルナークに声をかけられ、シリオスは自身も彼らと同じような表情をしていたことに気づいた。勝利への確信と、希望に満ちた顔を。

否定はしない。目にしたのはその一部とはいえ、獣の力は期待していた以上のものだった。やがて激戦の中で解放されていくであろう残りの「光」。それについ ての説明はすでに受けている。言葉だけでは少々大げさすぎる印象を持ってこそいたものの、今ではそれが真実なのだとはっきりわかった。

十分すぎるほどだ。『楽園』──そして『樹』の下へと自分がたどり着くためには。

「むろんですとも」シリオスは微笑んだ。

「これが喜ばずにはいられるでしょうか。将軍閣下?」



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