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─十七章  騒乱と殺戮のあと(2)─



隊商宿の一室で、レアは自分の身体を見下ろしてみた。視界に映る着慣れた白い装い。身につけていなかったのは十日ほどの間だが、まるで一年ぶりに見た気がした。

最後に、剣を吊したベルトをカチリと止めた。

「着替え終わった?」

背後でイノの声がした。「うん」と小さく返事をする。

「行こうか」

振り返ったレアの目に、「黒の部隊」の姿をしたイノがいた。兜の下にある彼の顔は、血こそ洗い流されていたものの、やつれた様子はそのままだった。

扉を開けたイノの後に続いて、レアは部屋を出た。ふと振り返ると、部屋の床に脱ぎ捨てられている服が見えた。ヤヘナ達から借りていた服。人の血ですっかりと汚れてしまった服。それは、彼女達とすごした楽しい一時のうち砕かれた残骸のように思えた。

「レアだけでも挨拶してきたら? オレは門の外で待ってるから」

気づかう口調でイノが話しかけくる。悲しそうな、そして、どこか観念したような相手の表情を見て、レアは首を振った。

イノは黙ってうなずくと、再び前を向いて廊下を歩き出した。隅でなにやら相談しあっていた四人の男達が、二人の姿に気づいた。彼らは会話をぴたりと止めて、自分達の方へ近づいてくる黒ずくめの少年に目を向けた。

今にも悲鳴を上げて逃げ出しそうなほど怯えている男達の顔──この街を出て行く間に、いったいどれぐらい同じような顔を、自分達は見ることになるのだろう。

塔を出たレアとイノを待っていたのは、避難所から出てきた大勢の人々の目だった。この街を襲った悪党達の末路がどうしても気になり、勇気を持って様子を見にきたのだ。血と肉で汚れた街路と、塔でズラセニが上げた断末魔の絶叫が、彼らにとっての道しるべになったのだろう。

そして人々は知ったのだ。少女に支えられて塔から出てきた少年が、避難所からたった一人でならず者達を追いかけていったその少年が、得体の知れない「方法」で今夜の殺戮を行ったのだと。

見物人から上がったのは、悪党達が全滅したことへの喝采ではなく、純粋な恐怖の悲鳴だった。ある者は逃げだし、ある者は腰が抜けたようにその場にへたりこんだ。もはやそれは、都市が襲われた直後に起きた恐慌となんら変わりないものに、レアの目には映った。

人々が見せるあからさまな恐怖の反応に対し、イノのために弁明しようと口を開いたレアは、その本人に止められた。 

「今すぐ、ここを出よう」彼は静かにいった。

自分に向けられる感情。それが自身の為した行いの結果であることを、イノは覚悟して受け止めている様子だった。

レアは人々に訴えかけようとしていた言葉を飲みこんだ。胸の張り裂けそうな想いと共に、イノの判断が正しいものであると理解したからだった。自分達がどれ ほどこの出来事について説明しようと無駄なことなのだ。彼らの頭にあるのは、得体の知れない『何か』に殺された悪党達の無惨な姿と、その『何か』が我が身 に降りかかるかもしれないという恐怖だけなのだから。そしてその想像は、『何か』と関わりのあるイノがこの場所にいる限り、永遠に消えることはないのだ。

人々の怯えた視線の中を、二人は無言のまま自分達の装備が預けてある隊商宿へ向かって歩いて行った。そして、小さな水場で身体を洗い、着替えをすませ、今街を出ようとしている。ヤヘナやホル達に別れを告げることもせずに。

世話になった人達に黙って去るのはつらかった。だが、街の人々の多くは、自分達の怖れている少年がヤヘナの隊商にいたことを知っている。これ以上、会って いるところを見られるわけにはいかなかった。彼女達がこれからこの街で行う交易に、支障が出るようなことは避けねばならない。 

そして何よりも──

レアは前を歩くイノの背中を見つめた。きっと彼は見たくないのだろう。つかの間とはいえ、自分と親しくしていた者達の表情に、この街の人々が向けているのと同じもの≠読み取ってしまうことを。

二人は隊商宿を出て、北門へと向かう街路をひたすら歩いて行った。夜明け前の暗い通りを立ち止まることなく……まるで逃げるように。

避難所から解放された人々の姿が、都市のいたるところにあった。もちろん、彼らからは感謝もねぎらいもない。みな例外なく、この都市の救い主に恐怖の眼差しを注ぎ、凍りつくか、急ぎ足で逃げ去っていく。

我が身で直接それを受けているわけでもないし、頭ではイノに対する人々の反応は無理もないとわかってはいても、レアはみじめで悔しい気分になった。例え意味のないものだとしても、怯えた人々の一人一人を捕まえて、「イノ」がどういう人間かを説明してやりたかった。

その衝動を抑えながら、レアは少し歩みを早めてイノのとなりに並んだ。うつむくことなく前を見据えた彼の横顔。強く……それでいて脆そうな悲しい横顔。

ごく自然に片手を伸ばして、レアはイノの手を握った。彼がそれを必要としているような気がしたから。だけど、求めていたのは自分自身かもしれない。自分達 がこれから挑もうとしている戦いへの気持ちが。誰も知らず、誰にも誉められることのない目的へと向かう意志が、くじかれそうになっていたからかもしれな い。

相手は頑なに前を向いたままだった。でも、黒い手袋の中の手は、しっかりと握りかえしてくれた。それだけで、レアは人々の向けてくる目に耐えられる気がし た。

南に開いている大きな正門とはちがって、防壁の下にある北門はずいぶんと小さかった。それでも頑丈に造られた鉄扉が、騒動のためか今では開けっ放しになっ て いた。その外には、大小様々な岩が点々とする荒野と、北へと伸びている細い道とが見えた。

人々の視線が背中に張り続けているをレアは感じた。彼らは怯えながらも、その原因であるイノが目の前から去るのをはっきりと見届けようとしているのだ。

かたく手を繋いだまま二人は門を出て、薄闇の荒野の中へ歩み去っていった。

遠ざかる自由都市シケットの姿。お互いに一度も振り返ることはなかった。



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