─十八章 最果ての小さな村にて(1)─
朝日が昇りはじめた頃、スヴェン達は自由都市シケットにたどり着いた。
「おいおい。戦争でもやらかしたのかよ?」
数十年ぶりに目にする都市の、あきらかに大砲で撃ち破られたとわかる大きな鉄門を見て、ドレクが驚きの声を上げた。
「ここで何があったんだ?」
門の付近に散らばった瓦礫を片づけている男達の中から、制服(この街の警備隊のものだとドレクに聞いた)を着た少年をつかまえて、スヴェンはたずねた。
「昨日……この辺りを根城にしている盗賊連中が、たばになって襲ってきたんです」
寝不足の目で、荷物を背負い灰色の外套をまとった三人をいぶかしそうに眺めながら、相手が答えた。
「そして、ついに街の中にまで入り込まれちまったってわけだ。堅牢一徹がシケットの自慢だったってのにな」
ドレクがいった。
「ええ。相手は大勢だったし、大砲も持ってたし、それに、街に爆薬まで仕掛けてたみたいで……僕らは防いでる余裕もなかったんです」
こちらをただの旅人だと判断したのだろう。少年の目から警戒の色が消えた。
スヴェンは周辺で忙しなく働いている人々を見渡した。
「そのわりには、すでに連中を撃退したように見えるな」
とたんに、少年の顔に影がさした。
「あいつらは……ほとんど殺されました」
「殺された?」
「はい」
「この街の傭兵連中と、おたくら警備隊とで片づけたのかい?」
ドレクの質問に少年は首を振った。
「じゃあ、どこの連中がやったんだ?」
「……わかりません。僕には」
あきらかな恐怖と怯えを見せた少年は、これ以上語るのを拒絶するようにスヴェン達に頭を下げると、立ち働く人々のところへそそくさと戻っていった。
相手の態度が理解できず、三人は怪訝そうに視線を交わした。
「まあ……とにかく中へ入ってみようぜ」
やがてドレクが肩をすくめていった。
破壊された建物。街路に横たわる住民の死体。そして立ちこめる血の臭い。柔らかい朝日に照らしだされた自由都市の光景は、ドレクが口にした、「戦争」とい
う言葉に似つかわしい有様だった。
だが、スヴェン達が抱いたその印象は、瓦礫やら死体やらを運び出している人々の間を通り、都市の中心部に近付くにつれて徐々に変化しはじめていった。
街路に横たわる死体の数が増えてきた。いや、散らばっている残骸と言った方がいいのかもしれない。まともな形を残しているものは一つとしてなかった。それ
でも、この死骸の群れが住民ではなく、街を襲った盗賊達のものだという判別はついた。バケツの水をぶちまけたように通りを汚している血と臓物。石畳に染
みついたそれらを洗い流すだけでも、相当の手間と時間を必要とするだろう。
「えげつない殺し方だな。『虫』よかひでえ」ドレクが顔をしかめた。
惨殺された死骸の数々。スヴェンの脳裏に、今見ている状況と同じような光景がよみがえる。
あの洞窟と。そして『虫』達と。
似ている──心の奥底で起こった戦慄。
スヴェンはカレノアを見た。大男が緊迫した眼差しを返してくる。彼も同じように感じているのがわかった。
やがて、いくつかの通りが交わった広場らしき場所へと出た。中央に置かれた荷車に、顔から下を布でおおった男達が、手袋をはめた手で黙々と屍を運んでい
た。その荷台に積まれた肉の山には、もうハエがたかりはじめている。運んでいる死骸からずるっと地面に落ちた臓器を、舌打ちしながら回収している者。民家
の軒下でげえげえと吐いている者。
「あんた達、今日来たばかりかい?」
一人の男がスヴェン達に目をとめて、話しかけてきた。
「ああ。たった今着いたところだ」
「そりゃ運がなかったな。今はごらんの通り大変な有様でさ。市場が再開できるのも、当分先になるかもしれないって話だ」
「この街が盗賊連中に襲われたというのは、門のところで聞かせてもらったよ」
「ろくでなし共さ」男は布でおおった顔を歪めて言った。
「この街を好き放題荒らしやがって。死んだ後でもこうやって迷惑かけやがるしな。この気持ち悪い死体共を、荷車で街の外まで運び出して燃やすのだって一苦労なんだ。通りも洗わなきゃならないし……」
「そのろくでなし共を殺した人間のことで、あんたは何か知らないか?」
スヴェンがたずねると、男は顔をくもらせた。布で下半分は隠れてはいても、そこにはさっきの少年と同じ恐怖と怯えがあるのがわかった。
「……わからねえ。ただ、みんなは、ヤヘナ婆さんとこにいた小僧がやったんだって言ってる」
「ヤヘナだって?」ドレクが声を上げた。
「ん。あんた、あの婆さんと知り合いかい?」
「まあ……昔な。そうかまだ生きてやがったのか」
「それよりも、その小僧について聞かせてくれ」
胸騒ぎをおさえ、スヴェンはたずねた。
「ああ。十六、七ぐらいの小僧さ。真っ黒な剣持ってさ。でも、剣でこんなことはできやしねえ。ありゃあ……きっと人間じゃねえよ。バケモンさ」
真っ黒な剣。希少な『闇の金属』で鍛造された剣。そんな剣を持った少年が他にいるわけがない。読みは外れていなかった。アイツはやはり自由都市シケットに
来ていたのだ。
──だが、この有様はどういうことだ?
「大丈夫か? あんた達」
三人の顔色が変わったのを見て、男が不審げな顔をした。
「その少年は……まだこの街にいるのか?」
「いや。連れの女の子と一緒に、夜明け前に街を出ちまったみたいだぜ。ようやく一安心ってやつだよ。まったく、こんな騒動はもうこれっきりにしてほしい
ね」
ヤヘナという老婆の居所をたずねると、男は隊商宿の場所を教えてくれた。地方から集まってきた隊商は、騒動の片づけが終わり市場が再開するまで、宿に逗留
することになったらしい。
「あの若造達の後を追わないのか?」
男と別れ、隊商宿に足を向けたスヴェンにドレクがたずねた。
「ここまで来れば、アイツを捕まえるのはすぐだ。その前に、ヤヘナという婆さんに聞いておきたいことがある。その時間ぐらいはあるだろう」
あの洞窟で見た光景と。この都市で見た光景と。そして、その両方の現場にいたアイツ。ただの偶然かもしれない。だがスヴェンは偶然というものを信じていな
かった。
「それに……あんただって昔の知り合いに会えるじゃないか」
内心で形を取りはじめたものを押し殺すように言った。
「いや……俺はべつに会いたかないんだがな」と、ドレクは苦々しく返した。
そのとき、幾人かの男達が目の前を横切った。彼らは、首を縄で繋がれた一人の男を引き立てている。おそらくは盗賊連中の生き残りだろう。小太りのその男
は、大怪我でもしたかのように両腕を血染めの布をぐるぐると巻かれ、殴られたらしき顔はひどく唇が腫れていた。しかし、彼は自分の境遇にも怪我にも関心を
持っていなさそうに見えた。
もはや正気を失った様子の男の虚ろな瞳──それは想像を絶する出来事によってもたらされたものであることが、スヴェンには容易に読み取れた。あらためて街
の惨状を見渡し、うなじの毛が逆立つのを感じた。
* * *
「こりゃあ驚いたね! 見たような顔と思えば、『細腕のドレク』じゃないか」
「『豪腕』だ! わざとまちがえてんじゃねえよ」
宿の一室に入ったスヴェン達の姿を眺め、そこに見知った顔を発見した老婆のさも大げさな言い方に、ドレクが不機嫌そうに返した。
「しっかし、まあ、あのピーピーうるさかった傭兵の若造が、今やセラーダの『黒の部隊』にいるなんてね。世も末だね。あの国の軍隊は、そんなに人手不足か
ね?」
「お──」
「どうして、俺達が『黒の部隊』だとわかったんだ?」
何か叫ぼうとしたドレクを制してスヴェンはたずねた。こちらの身分はまだ明かしていないはずだ。
「さっき部屋に入ってきたときに、外套の下からちらっと黒い鎧がのぞいたからだよ、お兄さん。つい最近、『同じ鎧』を見たあとだしね。一発でわかるさ」
皺だらけの表情や口調こそ穏やかではあるが、彼女の眼光は鋭かった。
この老婆はこちらの目的を察している──スヴェンにはそれがわかった。アイツから詳しく聞いているのかもしれない。
「その同じ鎧を着ていた奴の話を聞かせてもらいたい」
単刀直入にきりだすことにした。
「あなた達と行動を共にしていたことはわかっている」
「ばあちゃん、何も言うことはないぞ! こいつらは、イノとレアを追っかけてきたあくどい連中なんだからな!」
寝台にあぐらをかいているヤヘナの横で、腕組みをしている男が警戒心むきだしの目を向けて言い放った。スヴェンと同じ歳ぐらいだろう。どうやら老婆の孫ら
しい。
イノ──見知らぬ他人が口にしたアイツの名前。それは不思議な現実味があった。
「お前は黙ってなよ。ホル」
そっけなく孫に言うと、ヤヘナはスヴェンを見た。
「たしかに、あの坊や達はあたしらと一緒に行動してたよ。バケモンに襲われてるところを二人に助けてもらってね。そっからの小さな縁だよ」
やはり、あの『虫』達と戦ったのはアイツだったのだ。
「二人がどこへ向かったのかを知りたい」
「知ってどうなさるね?」
「俺達の任務は二人を追うことだ。それを果たさなければならない」
「何が任務だよ」ホルが吐きすてるように言った。「どうせひどい目にあわせるんだろ」
それを無視して老婆が口を開く。
「ま、教えてあげるのはかまわないけどね。でも、坊や達に追いついたところで、お兄さん達の任務とやらは果たせないと思うよ」
「どういう意味だ?」
「あんた方も、この街の様子は一通り目にしてきたろう?」
相手の含みある口調に、自分の鼓動が速くなるのをスヴェンは感じた。
「では……」声を低くしてたずねた。
「この街を襲った盗賊達を全滅させたというのは、本当にアイツなのか?」
「そうともさ。あの坊やが一人でやったことだよ」
あっさりと返ってきた答えに愕然とする。
「バカな、アイツは……」
「詳しいこと聞かれたってわからないよ。でも、あの坊やには『それができた』のさ。あんたらの方が、あたしらより坊やとの付き合いは長そうだけど、なにも
知らないのかい?」
知らない。知るわけがない。自分の記憶にあるアイツは、こんな人間離れしたことができる奴じゃなかった。このあいだ戦ったときだってそうだった。
いったい自分達が追っているのは『何者』なのだろう。もと「黒の部隊」の反逆者なのか。それとも、『虫』の群れと大勢の人間とを一人で虐殺することのでき
るバケモノ≠ネのか。
「ま、そういうことだからさ。ここまで追いかけてきたのはご苦労だけど、あきらめた方がいいよ。お兄さんも、そこの大きなお兄さんも、『細腕』も、三人ま
とめてあの坊やに返り討ちにあっちまうだけだよ」
「……『豪腕』だ」ドレクがその部分だけを小さく言い返す。
「ここを襲った連中のように、俺達がアイツにやられると言うことか?」
「最後に見た坊やの顔ね」老婆は語り出した。
「ふっきれたような落ち着いた顔してたよ。それまでは、一生分の悩み抱えてるみたいな顔を見せたりしてたけどねぇ。ほら、今のお兄さんのようにさ」
ぴくり、と外套の中の我が身がたじろいだのをスヴェンは感じた。
「ま、坊やは坊やなりの覚悟を決めたんだろうね。そして、それが揺らぐことはもうないとあたしは思うよ。自分達の目的を邪魔する者。お嬢ちゃんに危害を加
えようとする者。それが何者であろうと、坊やは容赦なくあの怖ろしい技を使うだろうね。そうなりゃ、お兄さん達がどんなに優秀な戦士だろうと勝ち目なんて
ないよ。大人と赤ん坊が喧嘩するみたいなもんだからさ。それは保証するよ。なんたって、あたしらはあの技を目の前で見てるんだからね」
だからやめときな、とヤヘナは締めくくった。沈黙が部屋を支配した。
勝ち目はない──その言葉に戦士としての自分が抗う。アイツに敵わないということを認めてたまるか、と意地になろうとしている部分が。
しかし、もう一人の自分は理解している。老婆の言うことは正しいのだと。記憶に焼きついた二つの惨劇の場。それを為せるような相手を己の力で倒すことなど
できない、と。
ここであきらめて引き返せというのか。アイツの姿を目にすることもせずに……破滅を受け入れなければならないのか。
自分だけならまだかまわない。しかしドレクは? カレノアは? そしてクレナと彼女の両親は?
「あなたは……」
スヴェンはこわばった口を開いた。
「アイツの目的を知っているのか?」
すでにシケットを発ったという二人。今だわからない彼らの行動の行方。
相手は落ち着いた表情でうなずいた。
「さてね。あたしが知ってるのは、目指してる場所だけだからさ」
「あの二人は、どこへ行こうとしている?」
「この街から北のカビン。そのさらに北の『死の領域』。んでもって、そっからさらにさらに北の──」
「まさか……『楽園』だというのか?」声がうわずった。
「そう。お兄さんらのお国が、大きな戦を起こしてまで取り戻そうとしている伝説の地。坊やと嬢ちゃんはそこへ向かってるのさ」
「おいおい。そりゃ……いくらなんでも正気じゃねえぞ」
ドレクがつぶやいた。
相手が、ひたすらに北を目指しているのを不審には思っていた。だが、まさか『楽園』だとは。しかも、たった二人で。まさに狂気の沙汰としか言いようがな
い。だからこそ、そんな可能性は微塵にも頭に浮かばなかった。
「たしかにバカげてるね。でも、本人らはいたって大真面目だよ」
「『あいつ』は……『楽園』で何をやろうとしているんだ?」
「行き先しか知らない、って言ったじゃあないか。ま、あの二人が、至福の都とやらに所帯をかまえて暮らすために行くんじゃないのだけは、たしかだろうけど
ね」
そう言ってホッホッと笑った後、老婆は真面目な顔をして続けた。
「あの坊やはあたしらにできないことができる=Bきっと、それをやりに行くんだろうさ」
相手の言葉に、ここに来るまでに目にしたアイツの人ならぬ所業と、『楽園』という現実感のない名前とが、自然に結びつくような気がした。だからといって、
それが無謀すぎる行為だという印象を変えることはできない。
すでに始動している『聖戦』。『楽園』は、もうじき『虫』とセラーダとの決戦の場になることは必須だ。それはスヴェンがこれまで経験してきたどの戦よりも
熾烈を極めたものになるだろう。いくら得体の知れない力を持っているといっても、「あいつ」とあの娘とたった二人でそんな場所へ踏み込んでいくというの
は、わざわざ死にに行くようなものだとしか思えない。
もちろん、そんなことは彼らにだってわかっているだろう。あの二人はバカじゃない。死に場所を求めているわけでもない。それでも『楽園』へ行ってやらなけ
ればいけない何か。
それは──何だ?
「気になって仕方ないみたいだね?」
心の奥底まで見透かすような視線に。スヴェンは押し黙った。
「この街から出てカビンまでは、だいたい半日の距離だね。坊やとお嬢ちゃんは今頃着いてるかもしれない。急げばすぐ追いつくよ」
「ばあちゃん!」と、ホルが抗議の声をだした。
「……『やめておけ』と言ったんじゃなかったのか?」
「二人に喧嘩をふっかけるのはやめとけ、と言ったんだよ、お兄さん。でも、会って話をするぐらいなら止めやしないよ。そっちが物騒な真似さえしなきゃ、坊
やの方だって何もしやしないだろうさ」
「会って……何を話すと言うんだ?」
「それぐらい自分で考えたらどうだい」
老婆はあくびをしながらいった。
話す──アイツと。父親を殺されたの息子とその仇。反逆者と追跡者。両者の間に、物騒事以外のどんな会話があるというのだ。
わからない。それでも自分達はアイツを追う以外にはない。
『任務』という言葉が、どれほど虚ろな響きに変わり果てても。
行こう、とスヴェンはドレクとカレノアに視線を送った。
「時間を取らせてすまなかった。あなたの協力に感謝する」
頭を下げると、ヤヘナはぱたぱたと手を振って応えた。となりの孫は相変わらず腕組みをしたまま、渋い顔でこちらをにらんでいた。
「あんたもいい歳なんだから、無理すんじゃないよ。『細腕』」
部屋を出るときに、老婆がからかうような声を飛ばしてきた。
「『豪腕』だ!」ドレクがすぐさま怒鳴り返した。
「それに、あんたに歳のことなんか言われたかねえよ!」
だから会いたくなかったんだ……と後ろでぼやいている彼を尻目に、スヴェンは黙々と急ぎ足で歩みを進める。一歩ごとに、「兵士」としての自分を維持するの
が困難になっていくのを意識しながら。