─十九章 ささやかなる決着(3)─
「これで、オレの話は終わりだよ」
川のほとりにあぐらをかき、黄昏の光が水面に映すきらめきを見つめながら、イノは長い話を終えた。
「素直には……信じられない話だ」
相手と同じ姿勢で川を眺めていたスヴェンは、ごく短い感想を言った。
『虫』を生みだしている『樹』という存在。そして、それが持つ絶大な〈力〉を行使することのできる『樹の子供』という人間──イノが語ったのは、聞き知ら
ぬ言葉で綴られた途方も
ない話だった。こんな状況でなければ、相手の正気を疑うような内容だ。酒場にいる酔いどれでも、これよりは現実味のある話をする。
「無理もないよ。オレだってフィスルナを出発したとき、こんなことになるなんて想像もしてなかったんだから」
肩にいる金色の光に目をやって、イノは苦笑した。話している間も今も、彼はあぐらをかいた脚の上にのせている左手を、ゆっくりと開いたり握ったりしてい
る。スヴェンには見覚えのない癖
だ。
「セラ・シリオスに関することも、事実なんだな?」
スヴェンの問いに、相手は静かにうなずく。
「あんたも見たはずだ。ネフィアの本拠地で、あいつがレアやサレナク、そして『虫』に対してあの〈武器〉を使うのを」
シリオスの周囲で起こった理解のできない現象の数々。カレノアが怖れ、自身も英雄に感じていた畏怖の正体を、スヴェンはイノの話を聞くことでようやく知っ
た。
人ならぬ〈力〉で高みへと上りつめた男。そして、その彼が成そうとしている目的。
「セラ・シリオスは……『楽園』へたどり着いた後、『樹』とやらを使って本当に『虫』を世界に解き放つ気でいると、お前は思うのか?」
「間違いないよ」
イノは強く答えた。
「上手く説明するのは難しいけど、この〈力〉が目覚めてから、ネフィアの本拠地であいつと再会したときに、それがはっきりとわかったんだ。そのためにも、
オレは『楽園』へ行くと決めた。あいつもそうなる可能性を怖れていたんだと思う。だから、あんた達にオレを始末するよう命令したんだ」
スヴェンは沈黙した。『自分達を破滅から救える』という英雄の言葉。それは真っ赤な嘘だった。シリオスがもたらそうとする破滅は、自分が怖れていたものと
は比較にならないほど決定的なものだ。『虫』が世界に溢れ、すべての人々が殺されてしまうというのなら、セラーダも反逆者もあったものではない。
「『彼は誰も助けようなんて思っちゃいない』……なるほど、あのときお前の言っていたことは、そのまま本当だったわけだ」
目先の現実に捕らわれ、踊らされていた自分を苦々しく振り返った。
「あんたが悪いんじゃないよ。誰だってこんな話は信じられやしない。立場が逆なら、オレもあんたと同じように行動していたと思う」
こちらに一度殺されかけたという事実を無視しているかのような、穏やかな口調で話しかけてくるイノを、スヴェンはあらめて見た。黒い装い。水面を見つめる
横顔。外見に大きな変化があるわけではない。だが、それでも相手が大きく変わっているのを感じた。どことなく暗さをただよわせるその表情に、かつて自分と
くだらない話を交わしていた小生意気な少年の印象はどこにもなかった。
その彼が顔を向けた。
「今度は、あんたが父さんの話をする番だ」
「ああ」
いよいよか──スヴェンは覚悟を決めた。
「その前に一つ教えてくれ。その話は誰から聞いた?」
「ガティさ」イノは少し顔を曇らせた。「彼が死ぬ前に言ってたんだ」
スヴェンは怪訝そうな顔をした。今は彼方の地に眠っている、かつての仲間の顔を思い浮かべる。だが、彼に話したという記憶はなかった。
「あんたが、そうとう酔ってるときに聞いたらしいよ」
こちらの内心を見抜いてイノが補足した。そうか、とスヴェンはつぶやく。覚えてはいないが、よほど自分が潰れていたときだろう。酒と罪の意識とに。
やがて、スヴェンは重い口を開いた。
「俺とグレン隊長とが、最後にトルナドの砦に配属されていたことは覚えているな?」
イノはうなずく。その砦から戻ってきたのは、父の剣だけだったことを思い出しているのだろう。そして、自分がそれを届けたあの雨の日を。
「あの頃のトルナドは、『虫』の発生領域にこそ指定されていたが、大規模な戦闘が起こった歴史のない地域だった。オレ達が配属されてからもそれは変わらな
かった。三日に一度ほどの割合で、小競り合いが起こる程度だった。俺は、任期中ずっとそんな日々が続くのだろうと思いこんでいた。あの頃の俺は……『虫』
に対する理解が全然足りていなかったんだ。『奴らにこっちの常識が通用すると思うな』と、いつもグレン隊長に言われていたのにな」
そして、その夜は来てしまった。トルナドの歴史始まって以来の『虫』の大攻勢──群がる小型種に加えて、圧倒的な力を誇る大型種までもが容赦なく襲ってき
た
のだ。小競り合いに慣れきっていた砦の防備はひとたまりもなかった。他の砦と連絡を取るための『音石』はそうそうに破壊され、自分達は血と悲鳴の織りなす
地獄に孤立してしまった。
「まともに戦っていたのはグレン隊長だけだった。あの人だけが、そうなる事態を常に予測していたんだ。でも、たった一人ががんばったところでどうにかなる
数じゃなかった。周りの連中が次々殺されて……気づけば、俺と隊長の二人きりだった」
『虫』達の目を逃れ、自分達はいったん身を潜めることができた。そこはグリー・グルの宿舎の中だった。柵の中を暴れ回っている彼らの発狂した鳴き声が、ス
ヴェンには自分に対する死の宣告のように聞こえていた。事実、このまま隠れ続けていられないのはわかっていた。血に飢えた怪物達は、新たな獲物を探し回っ
ている。そして、トルナドの砦の規模は大きくない。ここが嗅ぎあてられるのは時間の問題だった。
そんな周りで泣き叫ぶ動物達と変わらない心境でいたスヴェンの下に、グレンが柵の一つを開けて一頭のグリー・グルを引っ張り出してきた。泣きそうな潤んだ
目をして極度に怯えてこそいたが、そいつだけ
がまともに使えそうな一頭だった。
『お前は、こいつでタルタスまでひとっ走りしてきてくれ』
いつもと変わらぬ呑気な口調で、グレンはそう命令した。
その言葉の意味。グリー・グルに二人は乗れない。彼が囮になって自分を逃がそうとしているのはあきらかだった。
「もちろん拒絶した。どう考えたって、援軍を呼びに行く間、隊長一人で持ちこたえられるわけがなかった。あの人は死ぬ気だったんだ……俺を助けるために」
グレンこそ援軍を呼びに行くべきだと言い張った。だが、あの頃の自分には、大勢の『虫』を一人で引き付ける囮役をつとめるほどの技量はなかった。どちらが
囮をやれば、もう一方が脱出できる可能性が高いのかは、はっきりしていた。
それでも素直に行くわけにはいかなかった。仲間を失い、そして恩師ともいえるグレンまでをも見殺し同然の形で失う。耐えられるわけがない。
「最後には『共に討ち死にする』とまで俺は言った。だが、結局は押し切られてしまったよ。俺はグリー・グルにまたがり、隊長は出口までの活路を開いた。
たった一人で。すさまじい戦い振りだった。あの人は強かった。本当に強かったんだ。今の俺なんか比較にならないぐらい。そして……お前が想像しているより
もずっとな」
横目でイノを見る。彼は黙ったまま川を眺めていた。
「そして俺は砦を脱出した。一人で戦っているあの人の後ろ姿を、置き去りにしてな」
溢れる自己嫌悪に、顔が歪むのがわかった。
「俺はひたすらにグリー・グルを走らせ続けた。一秒でも早くタルタスの砦にたどり着いて、援軍を連れて隊長を助けたかった。どんなに儚い望みだとわかって
いても、あの人を残してきた俺はそれにすがるしかなかったんだ。でも、同時にほっとしていた。俺の心の一部は……逃げ出せたことに安堵していたんだ」
苦悶の告白。自らの意志で口にしたのは初めてだ。まるで内臓を吐き出すような気分。
やがて、イノが静かにたずねてきた。
「それが、あんたが父さんを殺したっていう意味なのか? つまり……見殺しにしたんだと」
「……それもある」スヴェンは首を振った。
「だが、話はこれで終わりじゃないんだ」
終わりにできたらどれほどいいたろう。
無事にタルタスの砦に到着し、トルナドの危急を告げ、組織された援軍と共にスヴェンが再び戻ってきたときには、『虫』達はどこかへ去った後だった。朝焼け
の光の中、残されていたのは、兵士達の死体の山と『虫』の死骸とが放つ血と汚物の臭いだけだった。
絶望と後悔に苛まれながら、スヴェンはグレンの遺体を探そうとした。だが自分を逃がしてくれた恩師の姿はどこにもなかった。そして、援軍の兵士達から離
れ、一人で砦の中をさまよったあげく、ようやく小さな武器庫に彼を見つけた。
「父さんは……」イノが初めて驚いた表情をした。
「生きていたのか?」
スヴェンは重々しくうなずいた。「信じられないような話だが、あの人は生きていたんだ。しかし、ひどい……とてもひどい姿だった。もう助からないのは……
誰にだってわかる姿だった」
イノの顔が厳しく張りつめた。死に瀕していた父の姿を、これ以上彼に詳しく伝える必要はない。だが、スヴェンは覚えている。武器庫の冷たい空気と、おぼろ
げなランプの光と、血の海に浮かぶようにして壁に背を預けていた彼の無残な姿を。
辛うじて残っていたグレンの片方の目が、立ちすくんでいる自分を見た瞬間、声を上げて泣いていたのを覚えている。
『うちの坊主だって……そんなひどい泣き方しないぞ』
声とはよべない声。顔とはよべない顔。それでも彼は笑っているのだとわかった。
自分は、ただひたすらに泣き、ただひたすらに謝ってるだけだった。
『スヴェン』
彼は言った。自分の名を呼ばれたのはそのときが最初で最後だった。
『悪いが……俺を楽にしてくれないか?』
その意味を理解するのに、永遠の時間がかかったような気がした。
できない。できるわけがない──そう泣き叫ぶ自分をなだめるように、相手は言った。
『見ればわかるだろうが……かなりしんどいんだ。お迎えは……チンタラしててまだ来てくれそうにないしな。頼むよ』
彼が弱音を吐くのを、「頼むよ」と口にをするのを、スヴェンは初めて聞いた。それが覚悟を決めた。いや、それが覚悟と呼べるものだったかどうか、今となっ
てもわからない。
嗚咽を止められないままうなずき、剣を抜いた。
『暇なときには……坊主の様子でも見に行ってもらえると嬉しい』
うなずいた。剣先を相手に向けた。どうしようもなく手が震えて狙いが定まらなかった。
「そして──俺はあの人に剣を突き刺した」
沈みゆく日の投げかける最後の光を映す川面を見つめ、スヴェンはその言葉を吐き出した。もはやイノの方を見ることはできなかった。その彼は黙りこくったま
まだ。
「俺は辺境の生まれだ。戦争で故郷を失い、難民としてフィスルナに流れ着いた。下層区の過酷な生活の中で母と姉を失い、すべてを信じられず、やり場のない
怒りをぶつけるために兵士になったんだ。お前と同じ歳の頃だな、グレン隊長と出会ったのは」
淡々と言葉を紡いでいく己の口。まるで話が終わるのを防ごうとするかのように。そして、話が終わることで、イノと向き合わざるを得
なくなるのを怖れるように。
「すさんでいたよ。あの頃の俺は。誰とも打ち解けず、『虫』も仲間も何もかもが敵に見えていた。気に入らなければ誰であろうが喧嘩してぶちのめす……ま
さに絵に描いたような問題児だったな。もしグレン隊長と出会わなければ、ずっとそのままだったろう」
周囲から煙たがられている自分に、彼はなんの屈託もなく話しかけてきた。うざったく思った。そしてついに喧嘩をふっかけ──手も足も出ず惨敗した。
「悔しかったな。『いつかぶちのめす』……未来になんの希望も持ってなかった俺の、それが最初の目標になったんだ。今考えるとアホらしいけどな。でも俺は
真剣だった。あの人の技を盗もうと観察するために、ずっとそばに張りついていた。気安く話しかけられ、からかわれたりするのに耐えながら。それが──」
気づかぬうちに師弟の間柄になっていた。それは剣だけの話ではなかった。思いやり。信頼。母と姉以外の者に感じることのなかったものが互いの間に存在して
いることを知ったとき、スヴェンは心底驚いた。あれほどうざったがっていた彼との会話を楽しんでいる自分がそこにいた。
「その頃だよ。お前とクレナに会ったのは」
初めて他人の家に呼ばれたのと、幼い子供に接したのとで緊張している自分を、好奇心に満ちた眼差しで見上げていた少年と少女。その少年とこんな形で語らう
未来が来ようとは、誰に予測できただろう。
スヴェンは一息ついた。もう語れる言葉は終わりに近づいている。
「断言してもいい。あの人がいなければ、今の俺はなかった。あの人のためなら死んだっていいと今だって言える。あの人は俺の恩人で、恩師で、そして……」
父だった──そう呼ぶことが許されるのならば。
「だが俺はそんなグレン隊長を殺した。命令であれ、頼みであれ、見捨てたあげく……とどめを刺した事実には変わりない」
スヴェンは両手を見つめた。
「この手はまだ覚えているんだ。あの人の身体を刺し貫いたときの感触を。俺はその手でお前にあの人の剣を渡し、その後もそばに居続けた。何食わぬ顔こそし
ていたが、心の中ではいつか罪が暴かれるのではないかと怯えていた。お前が軍に入ると決めたときすら何も言えなかった。お前が取ろうとしている父の仇が
『虫』ではなく、目の前にいる男なのだと言うことが」
だが、自分が本当に怖れていたのは罪の発覚そのものではなかった。スヴェンはそれを知っていた。
「俺が本当に怖かったのは……一人になることだ。お前やクレナから冷たく突き放されることだった。昔は何も感じていなかった孤独に、今は耐えられそうにな
かったんだ。それに、一人でいるときよりも、お前達といるときの方が、不思議と犯した罪のことを思い出さずにすんだ。だから、のうのうと居続けた。いや、
利用していたんだな……きっと。そのあげく、ついにはお前まで手にかけようとした。そしてこの結果だ」
汚れた両手で顔をぬぐい、スヴェンはようやくイノを見た。
「これで終わりさ。恩知らずの卑怯者が犯した罪の話はな」
すべてをさらけ出した。後はこの話の聞き手から受けるべき裁きを待つだけだった。それが目の前から永久に立ち去ることであれ、この場で殺されてしまうこと
であれ。
イノは張りつめた顔を川面に向けたままだった。スヴェンは静かに待った。
沈黙。そして。
ふっ、と相手は表情を緩ませた。
「よかったよ」
「よかった……だと?」
かすれた声を出したこちらを、イノが見た。
「あんたが父さんを殺した──って聞いたとき、すごくひどい話を想像をしてたんだ。オレの知らない『父さん』や『あんた』が出てくるような話を。それが、
オレの持ってる思い出を永遠に変えてしまうんじゃないかと怖れていたし、悲しかった」
穏やかな声と顔で、彼は続ける。
「でも、あんたの話はオレが想像してたものじゃなかった。その話では『父さん』は『父さん』のままで、『あんた』は『あんた』のままだった。オレの思い出
の中にいる二人そのまんまだよ。それがわかったから、『よかった』と言ったんだ」
「……いいものか」スヴェンは否定した。
「お前はわかっちゃいない。俺の……あの人をこの手にかけた罪と、それをお前達に隠し続けてきた罪とを。それが許せるのか?」
許すもなにも──と相手は少しもたじろがなかった。
「あんたは罪なんか犯しちゃいないよ、スヴェン。オレはもちろん、クレナも、そして父さんだって、あんたのやったことが罪だなんて思わないよ」
その言葉に、虚しさの満ちた胸に何かが打ち込まれた気がした。これまで抱えてきたものを壊そうとする何か。しかし、それに抵抗しようという自分がいる。
「だが、俺がお前を殺そうとしていたことはどうなんだ? セラ・シリオスに騙されていたとはいえ、それは揺るぎない事実だ。俺は本気で任務を遂行する気で
いたんだぞ」
「わかってるよ」イノは言った。
「でも、それはあんた自身のためじゃない。ドレクやカレノア。そしてクレナのためにやろうとしたことなんだろ? それに……そもそもそうなった原因はオレ
にあるんだ。悲しくはあったけど、憎んではいなかったよ」
「お前の持つ〈力〉で俺達を殺す、と言っていたのにか?」
「あれはたんなる脅しだよ。木をぶち抜いたのだってそうさ」
「脅し……」
唖然としたこちらに、相手は肩をすくめた。それは、これまで幾度も見てきた見慣れた仕草だった。
「ああでもしなきゃ、本当に戦いになってただろ? まあ、そうなってしまったら、吹っ飛ばして武器だけ壊すぐらいはするつもりだった。邪魔するならば何者
であ
ろうと〈力〉を使うことにためらいはない──って言ったのは本当だ。でも、それは『誰かれ構わず殺す』って意味じゃない」
まあ、と彼は悲しげに笑った。
「シケットであんなことやった後じゃ、こんなこと言ったって少しも説得力ないのはわかってる。だけど、そう思うのは本心からなんだ」
澄んだ相手の眼差しに、虚ろさが、抱えてきた罪が、すっと身体の内から出て行ったのを感じた。それは、グレンに初めて喧嘩を挑んだあの日に感じたものとよ
く似ていた。完敗した──という気持ち。ただあのときと唯一ちがうのは、悔しさがまったくなかった点だ。
あらためて眺めるイノの姿に、グレンの姿が重なったようにスヴェンには見えた。いつか越えたかった男。そして永遠に越えられない男の姿を。外見は似ず、両
者には血の繋がりすらもないが、それでも彼の面影がそこにはあった。
と──
「ひょっとして、クレナの気持ちに応えようとしなかったのは、それが原因なのか?」
まったくのだしぬけに振られた話題に、スヴェンの反応が一瞬おくれた。
「……まあな」ようやく返事をした。
「そうか。なんだか色々余計なこと言って悪かったかな。オレ、てっきりスヴェンが女にうといものだとばかり思ってたからさ」
唖然としている自分へのズケズケとした物言い。それが微妙に核心を突いているところがまた腹立たしい。しかも、わざとではなく、本心から謝っているのだか
ら余計にタチが悪い。
──こういうところも父親似だ。
「まあ、でもそういうことだからさ。これからは、クレナにはちゃんと応えてやった方がいいよ。今の話を彼女に聞かせたって、嫌われるなんてことは絶対にな
いんだからさ」
「お前こそどうなんだ?」ごく自然に言い返していた。
「オレ?」
「あの娘とのことを聞いているんだ」
と、背後の丘の上にいる人影を示す。
「ちょっと──待ってくれよ!」
揺るぎない静けさを保っていたイノが、ついにたじろいだ。
「たしかに大切だけどさ……レアはそういうんじゃないよ」
「あんなに肩寄せあって座ってたのにか?」
「見てたのか?」
「こんな殺風景な場所だからな。遠くからでもよく見えた」
「あれは……彼女から寄ってきたんだ。『死の領域』を前に緊張してたんだから、無理もないだろ?」
「俺にはいい雰囲気に見えたがな」
ないない、とイノは軽く手を振る。
「レアはそういう『浮ついた』話が大嫌いなんだ。だって、オレが女の子と口をきいたりするだけですごく怒るぐらいだぜ? だからないよ」
「お前、それは……」
こいつはやきもち≠ニいう言葉を知っているのだろうか?
「よくそれで……人のことを『女にうとい』なんて言えるな」
「どうしてさ?」
これまでの語らいから、うって変わってのバカバカしい会話。過去から幾度も繰り返されてきた自分達の会話。
永久に失われたと思っていたそれが当たり前のように存在していることが、そして、すっかり様変わりしてしまったように見えていた相手の中に、まだ間の抜け
た部分が残っていたことが、抱え続けていた罪の意識を否定してくれた言葉よりも何よりも、スヴェンの目の奥を熱くさせた。
だが、それを表に出すことはしなかった。こいつに泣かされるのだけはごめんだ。完敗したと感じたことは撤回しよう。こいつに比べれば、まだ自分の方が
「女」というものを理解している気がする。そんな奴を相手に、完敗なんて認められるわけがない
ふっきれたのかどうかはわからない。しかし、今のスヴェンは身内に清々しいものを感じていた。それと同時に、一つの決意がその胸に固まりつつあった。
そして二人は川縁を離れ、互いの仲間が待つ丘の上へと戻っていった。