─十九章 ささやかなる決着(4)─
「彼らは、どうするつもりかしら?」
自らが大穴を開けてしまった木の根本に座っているイノに、となりからレアがたずねてきた。
「引き返してくれるさ」
イノは、離れた場所に座っている黒姿の三人を見ながらいった。
「少なくともスヴェンには、もうオレ達と戦う気はないから」
「それならいいけど……」
こちらの言葉にうなずきつつも、レアの目はまだ警戒の色を宿していた。
辺りはすっかり夜の景色に変わっている。冷えこんだ風が流れていく丘陵。その彼方には、自分達の通ってきた荒野が見える。
夜空の下、カビンの村がある場所には、頭上の星々と同じ色をした青白いほのかな輝きが瞬いていた。あのクルクル回っている目印だろう。そういえば、夜にな
ると光を放つ
のだとバックは言っていた。
イノは再びスヴェン達を見た。声こそ聞こえないが、三人は座ってなにやら話しあっている。きっと、こちらが語った『樹の子供』に関するいきさつを、スヴェ
ンが他の二人に伝えているのだろう。
スヴェンと話せてよかった──とイノは心から思っている。お互いの抱えている事情。そして父の話をちゃんと語り合うことで、自分達の間にあったわだかまり
は、すっかり払拭された。そのことが何よりも嬉しかった。
これで心置きなく『楽園』へと向かうことができる。自分が守ろうとしている者達の中に、ちゃんと彼を加えることができ
る。それは、さらなる決意への力となってくれるはずだ。
やがて三人が立ち上がった。こちらへと向かってくる。レアが少し身構える気配がした。
「お前に頼みがある」
そばまで来るとスヴェンが言った。もはやそこにあるのは、任務をおびた兵士の張りつめた顔つきではない。幼い頃から見慣れ続けた優しげな表情だ。
「頼み?」
イノは眉をひそめた。別れぎわになんだろう。それに、彼から頼み事なんて初めてだ。
「お前のやろうとしていることの……その手伝いを俺達にさせてもらえないだろうか?」
その言葉を飲みこむのに、少し時間がかかった。
「ちょっと待ってくれよ。なんでそうなるんだ?」
イノは慌て気味に言った。不意打ちでも喰らった気分だ。戦いにならない以上、スヴェン達は立ち去るものだと思っていた。レアが不信もあらわな顔で彼らをに
らんだ。
「俺達は、お前の話を信じると決めたからだ」
対するスヴェンは落ち着いている。今までとは立場が逆になってしまった。
「信じてくれるのは嬉しいけど……『黒の部隊』としてはどうするのさ。そんな勝手な真似ができないことぐらい、スヴェンが一番よく知ってるだろ? それこ
そ、オレ
と
同じ反逆者になるじゃないか」
「この任務が失敗した時点で、『黒の部隊』としての俺達は終わったんだ。それに、セラ・シリオスのやろうとしていることが現実になれば、俺達や……クレナ
も含
めて、すべての人が死ぬことになるんだろ?」
イノはうなずいた。
「そうなれば、もう俺達の立場も何もあったものじゃない。そして、それを阻止できるのがお前しかいないのならば、ここで黙って引き返すわけにもいかない
さ」
「だけど。この先は『死の領域』と──そして『楽園』だ。その危険は、そっちだって十分わかっているはずだろ」
だからこそ、とスヴェンは言い聞かせるよう口にした。
「お前達だけで行かせるわけにはいかないんだ。たしかに、俺達が戦力に加わったところで、お前の〈力〉に比べればカスのようなものだろう。だが『死の領
域』は一日で越えられるほど狭いものじゃない。いくらお前がすさまじい〈力〉を持っていようと、不眠不休で突き進むわけにはいかないはずだ。二人だけだ
と、お前が休息する間の負担のすべては、そっちのお嬢さんにかかることになるんだぞ」
痛いところを突かれ、イノは沈黙した。彼の言う通りだった。『樹の子供』といえど、しょせんは生身の人間なのだ。シリオスもそれがわかっているからこそ、
『楽園』を目指すためにセラーダの強大な戦力を利用している。悔しそうな顔こそしているが、レアも内心では相手の指摘の正しいことを認めているのだろう。
イノはスヴェンを見た。穏やかさの中にある彼の決意。それは自分が抱えているのと同じものだと感じた。
「あんた達は……どうなんだ?」他の二人に目をやる。
「まあ、正直、今でも信じられねえ話ではあるが……」
ドレクは、不可視の〈武器〉によって穿たれた木の穴を見た。
「あんなもん見せられたら嫌でも信じるしかねえだろ。俺も付き合うよ。いや、付き合わしてもらいてえ。今までのことを、お前さんが水に流してくれるってな
ら
な」
「今までのことは、あんたにとって任務だったんだから仕方がないと思ってるよ。オレは恨んでも怒ってもいない。でも、これから先は任務でもなんでもない戦
いなんだ。あんたが無理に付き合う必要なんてどこにもない」
「まあ……そりゃそうなんだがな」
髭面の奥で彼は笑った。
「俺は、若い時分から剣を振りまわすしか取り柄のなかった人間だ。んでもって……認めたかねえがもう歳だ。そろそろ引退しなきゃならねえだろう。なもん
で、その戦人生の最後は華々く締めたいと思ってたんだ。それが『聖戦』になるはずだったんだけどな。だけど、ここにきてもっといい戦を見つけた。それがお
前さんのやろうとしてる戦だ。大きな意義のある、最後にうってつけのいい戦だと思う。だから、俺にも一枚かませて欲しい」
そう語ってしまうと、ドレクは口を閉ざした。後はこちらの返答に委ねるといった様子だ。
イノはカレノアに視線を移した。相変わらずの無言のまま、しかしこちらの目をしっかりと見つめて「鋼の男」はうなずいた。真摯なまでの、嘘偽りを感じさせ
ない瞳。それが相
手の意志のすべてを物語っていた。
最後にレアと顔を見あわせた。まだ、相手に対する警戒の色こそ消えていなかったものの、それでも彼女は「あなたに任せる」と目線で合図してきた。
流れる風と沈黙。
イノは一呼吸して三人を見上げた。そして言った。
「ありがとう。あんた達の力を……喜んで借りることにするよ」
スヴェンが笑みを浮かべた。そして手を差し出してきた。
「こちらこそ、よろしく頼む」
イノはしばらくその手を見つめた。そして、それが弟のような存在としてではなく、部下としてではなく、一人の対等な男としての自分に差し出されたものだと
気づいた。
立ち上がり、そして相手の手を握る。彼らに対して、もはや二度と使うことはあるまいと思っていた「仲間」という言葉が脳裏に浮かんだことで、自然と頬が緩
んでいた。
再び結ばれた四人を、レアだけが複雑な表情をして眺めていた。