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─二十二章  もう一つの物語(1)─



砂色の乾いた大地。突き抜けるような蒼穹。地平の彼方に見える山脈。

『死の領域』──『楽園』の正門へと続いている西側の光景は、過去に己が目にしてから九年が経った今も、当時と同じ姿をとどめていた。

帰郷したにも等しい懐かしさが、シリオスの胸の内にあふれる。

この地が自分の何もかもを変えた。初めて『樹』の呼び声を感じ、初めてシリアと出会い、初めて己が何者であるかを知り、その成すべきことに目覚めた。それまで共に戦ってきた多くの仲間を失い、誰よりも近しかったアシェルとサレナクとの間に、決定的な亀裂を造った。

『死の領域』──ようやく戻ってこれた。因縁の地とも呼べるこの場所へ。あのときよりもさらに先へと進み、自分を待っている偉大な存在の下に向かうために。

九年ぶりに聞く『樹』の呼び声。

行かなければ。返らなければ。

あのときと同じ……いや、それ以上の抗しがたい欲求をひしひしと感じる。

九年の間に激化し、さらに積み重ねられた戦争が、以前よりも『樹』の〈力〉を膨れ上がらせているのが、シリオスにははっきりとわかる。それは花弁を開こう とするつぼみのように、殻を突き破り芽を出そうとする種子のように、すべての〈力〉を解き放つためのきっかけ≠待っているのだ。

この自分による最後の一押しを。

シリオスは笑みを浮かべた。そのはるか頭上では、いくつもの閃光が放たれ彼方へと飛来していく。断続的に耳を打つ轟音、そして地を走る衝撃。やがて、太陽そのものが弾け飛んだかのような輝きが前方で起こり、そのまばゆさに目を細める。

直後、視線のずっと先に、高々と吹き飛ばされる膨大な土砂と、渦巻く稲光とが見えた。砕けたガラスのごとく、その中で四散していく黒い輝き。自身の深奥へと伝わってくる子供達の絶叫。

瞳を近くに転ずれば、そこには、霧のように漂う土埃をかき乱しながら突撃していく鎧姿の群れが映った。そこかしこで張り上げられる将士達の号令に、各々の 下に付く兵士らがさらなる大声を重ねて応える。血湧き肉躍る≠ニいう表現そのままの光にぎらつく彼らの眼光は、敵であるバケモノや、庇護者ともいえる獣 が放つそれと大差ないもののように思えた。

寒々とした気候をくつがえしてしまうかのような異様な熱気。今、シリオスはかつてないほど大規模な戦場の中にいた。

『死の領域』に到達したセラーダ軍を迎えたのは、これまでにない『虫』の大攻勢だった。襲い来る怪物達の数は、数百……いや千に到達しているのかもしれない。多種多様な形態を持つ異形の群れは、荒野を埋め尽くさんばかりの勢いで、容赦なく侵入者に襲いかかってくる。

むろん、彼らを真っ先に迎え撃つのは『ギ・ガノア』だ。相手の現れを瞬時に察し、身体の各所から発射される光の数々は、それが「小型種」であろうと「大型種」であろうと容赦なく消滅させ消し炭に変えていく。

人造の獣は疲れというものを知らない。それを証明するかのように、口内から立ち上る蒸気にかすむ八つの瞳は、戦いを繰りかえす度に、より強く輝きを増していくかのように見える。

だが、さすがに相手となる怪物の数が多すぎた。もちろん、『ギ・ガノア』が持つ力を思う存分解放させてやれば、これらすべてを始末することは朝飯前だろう。しかし、その場合は対象となる『虫』だけでなく、周囲に展開している兵士達にまで甚大な被害を及ぼす危険性があった。

そのため、『死の領域』に入ってからの『ギ・ガノア』は、前線で戦う兵士達の背後から相手の戦力を削ぐことに徹している。これまでのように獣の好きに暴れさせることなく、操作室からの指令によって鎖に繋いでいる¥態なのだ。

しかし、それを差し引いても、『楽園の遺産』による後方からの支援は、兵士達にとってあまりにも絶大だった。前線を受け持っているとはいえ、兵士達の仕事 は、基本的にこれまでと同じ獣の食べ残しの始末≠ナある。むしろ、獣の攻撃範囲にうっかり入ってしまわないよう陣形を維持することに、神経を注がれてい るほどだ。

シリオス自身はグリー・グルに騎乗し、「黒の部隊」を率いて『ギ・ガノア』の側に待機していた。『死の領域』に入ってしまったとなると、さすがに見物ばか りもしてはいられない。とはいえ、ガルナークから受けた指示は、獣の警護である。戦況を判断する限り、『虫』達がこちらまで到達する可能性は無きに等し く、結局は見物しているのと変わらないのだが。

もちろん、『虫』が『ギ・ガノア』の間近に具現化する可能性もある。その場合は、きちんと仕事をこなすつもりだ。この獣には、まだしばらく働いてもらわねばならないのだから。

シリオスは『ギ・ガノア』を見上げた。その背にある展望台には、いつものごとくガルナークが戦況を眺め渡している姿がある。自軍の圧倒的優勢に瞳を輝かせながらも、彼の表情はどこか感慨深げに見えた。

おそらく将軍は、自分が今いるこの場所を、二百年前、『虫』達に追われながら逃げ続けた祖先達のことでも想っているのだろう。わざわざ『虫』の攻勢が激しい進路を取ってまで、その道筋をさかのぼろうというのだから、ご苦労なことだ。

できることなら、シリオスは彼に話してやりたかった。九年前、シリアがこの地で自分に語った真実を。

肉親まで含む多くの犠牲を払いながらも、祖先の遺志を貫こうとしてきた将軍。だが、その遺志が大いなる欺瞞と罪とにまみれたものであることを知ったとき、彼はどのような顔をするだろうか? それを想像の内にとどめておかなければならないのは、非情に残念だ。

シリオスは戦場に視線をもどす。絶え間ない閃光と。轟音と。悲鳴と。土煙と。血煙と……。

ちがう。戦場ではない。これは宴だ。来たる世界を迎えるための盛大な宴なのだ。ガルナークも、兵士も、首都で勝利を祈り続ける者も、誰もが思い描けぬ新しき世界への。

『楽園の民』が……いや、『人』という存在が犯し続けた罪。その贖いの時は、もうすぐそこまで近づいている。



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