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─二十二章  もう一つの物語(2)─



『死の領域』を移動し続けていたイノ達は、ラシェネと出会って二日後に、彼女の里にたどり着くことができた。彼 女の先導のかいあって、その後の『虫』との戦闘が思っていた以上に少なく、また小規模なものだったため、予定よりも少し早く夕刻前に到着することができ た。『死の領域』に入って最初の数日間を思えば、それは拍子ぬけするほどに楽な行程だった。

不思議なことに、『死の領域』を奥深く進むにつれて、あれほど寒々しかった気候が穏やかなものへと変わっていった。雪を目にすることもなくなり、凍えるよ うに立ち並んでいた木々も、あきらかに幹と葉の大きさを増して、のびのびと生えているように見える。

ラシェネいわく、それらは大いなる者>氛氓ツまりは、『樹』がもたらしている影響なのだそうだ。北の寒地に存在する『楽園』という場所。至福の地と謳わ れたその恵まれた環境のすべては、『樹』が持つ絶大な〈力〉によって支えられているのだと彼女は説明してくれた。

『この世界の理を外れた存在』──アシェルがそう語っていた『樹』について詳しく知ろうと、道中イノはラシェネにたずねていた。しかし、彼女はそのことに ついても、「おじいが上手に話してくれる」とあまり口を開こうとはしなかった。それは自身の言葉下手に遠慮しているからというよりは、話題自体を避けてい るもののようにイノの目には映っていた。

つねに笑顔と愛嬌を絶やさず、出会ってまだ二日たらずだというのに、すっかりイノ達一行の雰囲気に溶けこんでしまった感のあるラシェネだが、『樹』や『樹 の子供』に関する話題になると、ときおり、その表情が暗くなることがある。

あきらかに何か重いものを胸の内に秘めている様子──しかし、その正体までは、自分達二人の間にある〈繋がり〉でも、はっきりと読み取ることはできなかっ た。もっとも、イノとしても、いずれ祖父が話してくれるという彼女の言葉を信じていたため、無理に追求しようとはしなかった。

そんなラシェネを先頭とし、森を進んでいくイノ達の目の前に、やがてひときわ大きな巨木の姿が見えてきた。それは自身の存在を主張するように、森の中の開 けた場所に堂々とそびえており、その下には、ぼんやりとした青白い光が灯っていた。カビンの村にあったものと同じ形の、クルクル回る羽のついた目印だ。

見上げるほどの高さをもつ巨木に圧倒されながら、それがたたずむ土地へ足を踏み入れたイノ達は、さらなる感嘆の声を上げた。

頭上高くから差しこんでいる木漏れ日。その神々しくさえ見える幾状もの光に照らされそびえ立っているのが、木ではなく建物だと気づいたためである。白い塔 のような建造物に、地面から生えた太いツタ状の植物がびっしりと絡み合っていたのだ。大量の苔も付着しているために、遠くから一見すると大木のようにしか 見えない。

「里は、この上」

驚くイノ達に向けて、ラシェネが笑いかけた。下から眺めている現状では、ツタと苔に覆われた底の部分しか目にすることはできないが、建物の上部が皿のよう に丸く平べったくなっているのは確認できる。彼女達の住んでいる場所は、その上に乗っかっているということなのだろう。

「この建物も、あなたのご先祖様が造ったの?」

「ううん。もともとは、『楽園の民』が使ってた建物。でも、『彼ら』が襲ってきたとき棄てられた。その後に先祖様が住んだ」

言葉を交わしあうレアとラシェネ。途方もなくくだらない理由で危うく仲間を失うところだった苦々しい事件と、その後のスヴェンの容赦ない説教を経て、二人 の少女の仲は普通に会話ができるまでに進展していた。もっとも、レアがラシェネを一方的に警戒していたのだから、彼女の方が気持ちを切りかえたのだろうと イノは思っている。

「入り口も階段もないけど、どうやって上に行くんだ?」

建物を眺めながらイノはたずねた。ツタと苔の間から見える白い外壁は、色こそ同じであるものの、ラシェネ達の武具に使われている金属とはまたちがう材質で 出来ているようだった。途方もなく長い年月を経ているはずなのに、少しも劣化しているようには見えない。

ラシェネは外壁の一角まで歩いて行った。そこには建物の上へ真っ直ぐに伸びている大きな溝がある。

溝のそばには、白い壁に埋めこまれた光る文字盤のようなものがあった。彼女の指が、なめらかにその上を滑る。

しばらくすると、はるか頭上から皿みたいな物体が、溝に沿ってゆっくりと降りてきた。

「乗って、乗って」

地面から少し浮いた位置まで降りてきた皿≠ノ飛び乗ったラシェネが、唖然と見ている一同に手招きした。

六、七人がまとめて乗れそうな平べったい形をした皿≠ヘ、建物と同じ建材で造られているようだった。きれいな円をえがいている淵は、腰の高さほどの手す りに囲まれている。

「すごいな。これに乗って上がるの?」

「そうそう」

全員が乗りこんだのを確認して、ラシェネが手すりに設えられた文字盤に手を触れると、皿≠ヘ音もなく動き出した。

「大丈夫かよ……途中で落ちたり割れたりしないだろうな」

ゆっくりと遠ざかっていく地上の景色に背を向けて、ドレクがぼそりとつぶやいた。イノ達が起こした一件の被害者である彼は、必死に謝る三人に対して怒るこ とすらなく豪快に笑ってこそいたものの、その後すっかり『楽園』の道具が嫌いになってしまったらしい。

そんな年長者に向け、口々に「大丈夫」と声を上げる少年少女を見て、スヴェンが肩をすくめた。そのとなりでは、カレノアが不動の表情を保っている。しか し、「鋼の男」の大きな両手は、手すりをがっちり握り締めているように見えた。まさか……怖かったりするのだろうか。

そんな一行を乗せてゆるゆると上昇する皿≠ヘ、やがてツタと苔におおわれた暗いトンネルのような場所へと入った。

暗闇がしばらく続く。そして、突如として行く手から差したまばゆい日の光に、イノは目を細めた。

皿≠ェ動きを止める。頭上に広がっている青空。その下に、半円をえがく白い建造物がいくつも立ち並んでいるのが、イノの視界に映る。

「ようこそ。わたし達の里へ」

皿≠ゥら降りたラシェネが、両手を広げながらイノ達に笑いかけた。

きれいな円形。そして、淵を囲んでいる手すり。ラシェネの里を支えている土台は、自分達を運んできた皿≠、さらに巨大にしたような印象だ。その周囲で は、地上から高々と育生している木々の枝葉が風にそよぎ、陽光にきらめいている。そのために、里の外側にある景色は、のしかかるように北にそびえ立つアラ ケル山脈以外何も見えなかった。

どうやら、自分達がせり上がってきたのは広場のような場所らしい。事前にラシェネから連絡が入っていたためか、目の前にはすでに沢山の人間が集まっていた。

小さな子供から年寄りまで……ざっと見るかぎりでは百人ほどだろうか。それぞれの服装は、生地にこそあきらかな違いがあるものの、イノ達が身につけている ものと変わらない。ラシェネの特異な格好は、里の戦士と『導き手』という役目を負った彼女専用の装いなのだと聞いている。

好奇と期待に満ちた様子の人々に向けて、ラシェネが『楽園』の言葉で何やら語りかける。それが終わったとたん、住人達がイノへといっせいに視線を注いでき た。

以前「黒の部隊」で周りから向けられてきたものよりも、はるかに強烈な畏敬に満ちた眼差しの数々に、イノは思わずたじろいでしまった。

「すごいわね」

レアまでもが、まじまじとこちらを眺めている。

「あなたが『終の者』だ、ってラシェネが説明したとたんにこれだもの」

「まだ、そうと決まったわけじゃないんだけどな……」

イノは困ったように頭をかく。そもそも、自分達は『楽園』へ行くためにラシェネらの手を借りに来たのであって、彼女達の待ち人として現れたわけではない。 出会ってからここまでの間、何度かそのことを彼女に説明したのだが結局わかってもらえず、イノは『終の者』だということで落ち着いてしまったのだ。

レアみたく言葉は聞き取れないものの、イノにも、住民達が『終の者』の訪れに盛り上がってるのはわかる。これで人違いだとわかったらどうするのだろう。

「これから。おじいの家に行く」

そう告げてきたラシェネ従って、一同は広場から歩き出した。ざわめいている人々がぞろぞろとその後に続く。振り向かずとも、イノには彼らの注意が自分に集 まったままなのがわかる。

(まるで英雄みたいな扱いだな……)

内心でつぶやいた感想に、イノは、自分がかつて後ろにいる人達と同じような視線で眺めていた一人の男のことを思い出した。存在こそ感知できないが、彼も今 ごろはセラーダ軍と共に、こちらとは違う方角から『死の領域』に踏みこんでいるはずだ。向こうの主力となる『ギ・ガノア』という兵器がどういうものかは不 明だが、それがラシェネの武具と同じ技術で造られているのならば、『虫』の群れに足止めを喰らうことはなさそうに思える。

おそらくあの男にも届いているのだろう。この自分と同じく、巨大な存在の呼び声が。

イノは歩きながら、立ち並ぶ建物の頭上高くそびえるアラケル山脈を見上げた。地上を包む暖かな気候から切り離されたかのように、山々の中腹から頭頂までは 雪によって白くそまっている。以前のような強烈さはないものの、少し意識をかたむければ、その彼方にいる『樹』の招く声が、まるで耳もとで囁かれるかのご とく感じ取れた。

ラシェネの話によると、『楽園』へは、里から一時間ほど進んだ場所にある洞窟から入りこむのだという。そこは、『楽園の民』がアラケル山脈を掘って造り上 げた通路の一つなのだそうだ。かつて『シリアの護り』が強かった頃、彼女達の先祖はその通路を行き来して、『楽園』から様々な道具を調達していたらしい。

年月を経るごとに『シリアの護り』が弱まっているため、その進入路は使われることがなくなって数十年にもなるのだという。今では『虫』が溢れる危険な状況 になっている可能性は高い。しかし、そこを通れば、山越えなどするよりもはるかに早く『楽園』へ入ることができる。他に経路はないらしく、こことは反 対の位置にある正門まで回り道して、進軍してくるセラーダ軍と怪物達の両方を相手にするのは問題外だった。

ついに目前まで迫った『楽園』──すぐにでも目的地に出発したいという気持ちを抱えながらも、イノは、これから会うことなるラシェネの祖父という人物に強 い興味を覚えていた。

ラシェネの祖父は、この里で「長」というべき立場にいる人物らしい。そして、自分や彼女と同じく『樹の子供』でもあり、先祖から受け継いだ数々の知識を蓄 えているのだという。

そうこうするうちに、一行は村の外縁近くにある家の前へとたどり着いた。そこには、白い建物と隣接するように、高い土台で組まれた木の小屋が建てられてい る。小屋の入り口らしき扉までは階段が続いており、横手には白い建物のテラスへ伸びる狭い橋が渡されていた。

「ここ。おじいの家」

「白い家の方じゃないのか?」

イノはたずねた。白い家は、『楽園』の時代に建てられたものだと見当がつく。どれも半円を寄せ集めたような不思議な形をしており、窓らしきものがなさそう な壁には、少しの汚れも見あたらなかった。

白い家とは反対に、木造の小屋には、風雨にさらされた長い年月が顕著にあらわれている。双方が身を寄せ合うように並んでいる様は、なんともちぐはぐな印象 を受けた。

「こっちは、みんなで話したりするときに使う家。おじいは木の家が好き。だから、普段は木の家にいる」

ギシギシと音を立て、小屋までの階段上りながらラシェネが説明する。やがて扉の前までたどりつくと、彼女は『楽園』の言葉で何やら呼びかけながら中へと 入っていった。イノ達がその後にぞろぞろと続く。

意外に広い感じのする小屋の内部は、壁ぎわに机と寝台があるだけの質素な内装をしていた。天井の梁からは、木を削って作られた細工物がいくつかぶらさが り、窓から入る風に揺れてカタカタと小さな音を奏でている。

模様の入った敷物がしかれた床の中央には、一人の老人があぐらをかいて座っていた。白髪と髭をたくわえた日に焼けた顔から、かなりの高齢だと見当はつく が、飾り気のない藍色の上着とズボンを身につけている身体は、ずいぶんとたくましげである。

「これ。わたしのおじい」

「そんな紹介の仕方があるか。人を物のように言うでない」

孫娘の簡潔すぎる紹介に、張りのある声で老人が抗議する。厳格そうな顔こそ相手に向けられてはいるが、その瞳は閉じられたままだ。目が見えないのだとラ シェネから聞かされていた。

「座って、座って」

叱責を受け、ぺろりと舌を出したラシェネの言葉に従い、イノ達は老人と向きあうように敷物の上にあぐらをかいた。

こちらに向けられた老人の顔。視力を失った瞳。しかし、イノは相手が自分を視て≠「るのを感じていた。

まぎれもない『樹の子供』同士の〈繋がり〉──それが伝えてくるのは、安堵と感慨を混ぜ合わせたような印象だ。

やがて、彼が口を開いた。

「『終の者』。そして、お仲間の方々。我々はあなた方の訪れを心よりお待ちしておりました。わしはこの子の祖父で、トロフと申します」

こちらの言葉で丁重に挨拶すると、老人は深々と頭を下げた。

「いや。こっちこそ、ラシェネには色々と助けてもらって……」

あまりにもいんぎんな相手の出方に面食らってしまい、イノは慌て気味に言った。

「気になさることはない。『終の者』を助けるのは我らの役目。そのために父祖の代から『護り』を受けて、我々はこの地で暮らし続けてきたのです」

「ラシェネも、あなたも、どうしてオレを『終の者』と呼ぶんだ?」

ほがらかに返すトロフに、イノは思いきってたずねてみた。

「オレはカビンの村に行くまで、あなた達がこの場所にいることさえ知らなかった。『終の者』って言葉もそのときに初めて聞いたんだし、そもそも『樹の子 供』のことすらよく知らないんだ。がっかりするだろうけど……そちらの待ち望んでいた人間としてここに来たわけじゃない」

「よく知らないですとな?」

ようやく相手が意外そうな顔をした。

「あなたは、以前この地でシリアに会われたのではないのですか? そのときにすべてを伝えた……とわしは彼女から聞いておりますが」

「シリアから聞いた?」

「さよう。父祖の代から、シリアとわしらは〈繋がり〉を通して語り合ってきました。今、あなたがお連れの『半身』──それは、もともと彼女がわしらとの 〈繋がり〉を保つために生み出したものなのです。ですが、長い時を経て互いの〈力〉が弱まるにつれ、それは困難になっていきました。わしの代では、もは や彼女の方から、わずかながらに言葉を伝えてくる程度のことしかできなかった……」

老人は嘆かわしそうに息をついた。

「九年ほど前でしたかな。ある日、シリアがわしに告げてきました。外からやってきた『樹の子供』に出会ったのだと。しかも、その者は『樹』と繋がれるほど の〈力〉の持ち主であったと。わしは驚きました。待ち望んだ『終の者』たりえる資格を持つ者が、我々の中からではなく、はるか離れた外の世界から現れたということに……」

その時点で、イノには相手の勘違いがなんであるかがわかった。

「その者は『虫』との戦いで傷つき、再び外の世界へと戻っていったということでした。ですが、シリアがすべてを語る時間はあった。その者は、再びこの地を 訪れることを約束してくれたそうです。そして、彼女の『半身』はその手助けをすべく、我々の下から外の世界へと旅立っていった。それが、あなただと思って おりましたが」

「……いや」

イノは首を振った。

「それはオレのことじゃない。別の……二人の『樹の子供』のことだ」

「二人? あなたの他にも、『樹の子供』は外の世界にいると?」

「ああ。でも、その内の一人は……もういない」 

重苦しそうに答えるイノのとなりで、レアが沈痛な顔をした。

「そしてもう一人が、今のオレ達と同じように『楽園』を目指している。オレは……そいつのやろうとしていることを止めに来たんだ」

「ふむ。どうりであなたの声がやけに若いと思いましたが……。わしらの知っておる事情とは、だいぶ異なってしまっておるようですな」

「だから、オレはあなた達の待ってた人間じゃないんだ。ラシェネにもそう説明はしたんだけど……」

これ! と、トロフが脇にいるラシェネに顔を向けた。

「お前の報告と、この方の言っておられることは、全然ちがうではないか」

「ちがわない。イノは『終の者』」

老人の再びの叱責に、彼女は首を振って言い返した。

「この方はちがうと言うておられるぞ。お前にもそう説明したそうではないか。まったく……大方はしゃぎすぎて、ろくに話が耳に入っておらんかったんだろ う。お前は人の言葉をせっかちに聞くからいかんのだ」

「おじいだって。『終の者』が来たって喜んでたくせに」

「口答えするでない。それはこの方の事情を聞く以前の話だ。お前とちがって、わしは人の言葉をちゃんと聞く耳は持っておるわい。だいたいお前は……」

そして、祖父と孫娘は『楽園』の言葉でやいやいと言い争いをはじめた。イノ達はどうしていいものやらわからず、ぽかんとそれを眺めていた。どう見てもただ の家族喧嘩らしきものを、わざわざレアに通訳してもらうわけにもいかない。

「ほれ! お前はお客人に出す飲み物でも取ってきなさい」

こちらにもわかる言葉にもどったトロフに追い立てられ、ラシェネは頬を膨らませたまま、小屋の横手にある扉から出て狭い橋を渡り、となりの白い家へと消え た。

やれやれ、と老人は首を振った後「失礼しましたな」とイノに顔を向けた。

「あなたが、シリアの言っていた者でないことはわかりました。ですが、あなたが『樹』との繋がりを持てるほどの〈力〉の主であり、そして彼女の『半身』を 連れているのは動かしがたい事実です。失礼を重ねますが、その二人の『樹の子供』のことも含めて、詳しい事情を話していただけませんかな? お恥ずかしな がら、『半身』がこの村を去って以降の出来事を、わしは何一つ知らんのです」

そのとき、ラシェネが白い家から戻ってきた。祖父との喧嘩はどこへやら、いつもの笑顔で盆の上に乗ったグラスを一人一人に手渡す。透き通ったそれはガラス とはちがう軽い材質で造られていた。中身は薄い赤色をした飲み物だ。果実をしぼったものだろう。口にすると甘い味が口内に広がった。

「人違いでも、イノは『終の者』。わたしにはわかる」

「これ。お前はもう黙っていなさい」

たしなめるトロフに、ラシェネは舌を出して絨毯の上に座った。

イノは気を取り直して、肩にいる黄金の輝きに少しだけ目をやり、そして話しはじめた。 



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