─二十二章 もう一つの物語(3)─
「なるほど。シリアの言っておった『終の者』の資格者は二人いたわけですな。アシェルという者と、シリオスという者と。そして、互いに争い片方が倒れた。あなたはそれに巻きこまれてしまった……」
イノが話を終え、しばらく沈黙が流れた後、トロフが口を開いた。
「驚くべき……そして悲しむべきことです。『樹の子供』同士で争うなどとは。我らの〈繋がり〉はそのために存在するのではないのに」
「アシェルはシリオスを止めるために、そして、シリアの願いを叶えるために、『楽園』を目指そうとしてた。だから……本当ならば、ここにいるのはオレではなく、彼女の方だったんだ」
あの悲劇が起こらず、アシェルと共にここを訪れることができたら、どれほどよかっただろう。強く、気高く、そして優しかった彼女。今ならば、『手を貸して
ほしい』というあの言葉に、迷うことなくうなずくことができるのに。思い出せば思い出すほど、イノは痛烈に彼女に会いたくなった。
「たしかに〈力〉こそあるけど、オレはアシェルの代わりにすぎないんだ。あなた達の言う『終の者』とはちがう。それでも、『楽園』へ行ってあいつや戦争を止めたいって気持ちは同じだ。だからこそ……ここまで旅をしてきた」
真剣な顔つきで、イノは前に座っているトロフとラシェネを見た。
「人違いですまないとは思ってる。だけど、オレが『楽園』に……『樹』の下に行くために、どうしてもあなた達の力を貸して欲しいんだ。この通りお願いする」
後ろにいるレアやスヴェン達に応えるためにも、遠く離れた地にいる親しい者達のためにも、今はもういないアシェル達のためにも。
イノは深々と頭を下げた。
気配でこちらの動きがわかったのか、やがて老人が言った。
「頭を上げてくださらんか」優しい声音だった。
「あなたの言葉。あなたの意志。しかとこの耳と〈繋がり〉とで受けました。そして理解しました。成り行きであろうとも、多くを知らずとも、やはり、あなたは我々の望んでいた者に間違ないということを。わしは、あらためてこの出会いに感謝いたします」
はっきりした口調で言うと、トロフはにこやかな顔をラシェネに向けた。
「この子のせっかちも、今度ばかりは当を得ておったようだ。微力ながらも、我々はあなたの助けとなり、『大いなる者』の下へと導くことを誓いましょう」
「わたしはイノを助ける。約束はちゃんと守る」
「……ありがとう」
イノは再び二人に向かって頭を下げた。レアやスヴェン達のように、相手が自分を認め受け入れてくれたことに胸が熱くなった。出会ってわずかな間に成されたそれが、人にはない〈繋がり〉のおかけであったとしても、嬉しいことに変わりはなかった。
「さて……」
トロフが口を開いた。
「あなたは知識を求めておいでだと、この子から聞いておりますが」
イノはうなずいた。
「さっきオレが話したこと以外に、『樹の子供』についてあなたが知っていることがあるなら教えて欲しい。恥ずかしいけど……何から聞いていいのかすらわか
らないんだ」
「それは無理もないことです。恥ずかしがることはない」
こちらを労るように、老人は言った。
「あなたは外の世界で生まれ育った。外の事情は、カビンとのかつての交流で、わしらも少しは知り得ております。『楽園の民』が造り上げた大国のあること。
その国と『虫』とが大きな戦をしていること。そして、その中で、『楽園』の物語は大いに歪められ伝わってしまっていること……。いかに『樹の子供』として生ま
れようとも、何もわからぬのは当然でしょう」
「どうして『楽園』の話が間違って伝わることになったのか……あなたは知っているのか?」
「おそらくそれは、『楽園の民』の為したことだと思われます。今では……その子孫達が『継承者』と呼ばれておるらしいですが」
その言葉に、となりいるレアが、ぴくりと身を震わせるのを感じた。
「彼らは真実を闇の中へと葬り去った。おそらくは子孫にさえ、そのことを伝えてはいますまい。たしかに伝えるわけにはいかんでしょうな。他の人々を束ね、再び『楽園』に戻ろうとするのならば……」
「それは、どういう意味ですか?」
強ばった顔と声でレアがたずねた。
「娘さん。あなたは、『虫』という存在がどこからやってきたのかはご存じかな?」
「『虫』は……『樹』が生み出すのだとイノから聞いています」
「さよう。では、その『虫』達がなぜ≠竄チてきたのかまではご存じかな?」
「……わかりません」彼女は首を振った。
「二百年前の『赤い一日』に、いきなり『楽園』に現れて襲ってきたとしか語られていませんから。それは真実ではないんですか?」
「いえ。それはまぎれもない事実です。前触れもなく、警告もなく、突如として彼らは『楽園』に現れた……」
ですが、と老人は続けた。
「何事にもはじまりはある。彼らの現れもまた然り。『楽園の民』が葬った真実こそがそれなのです。そしてそこには、『樹』と我ら『樹の子供』も深く関与している」
「教えてください。『継承者』の祖先達が隠した真実とは何なんです?」
語気を強めて問いかけるレアに、トロフは少し驚いた様子を見せた。
やがて彼は静かに言った。
「彼の地から『楽園の民』を追放し、今やすべての人々の脅威となっている『虫』。その『虫』がこの世界に現れる原因となったのは他でもない……『楽園の民』自身なのです」
レアの顔から音を立てて血の気が引いていくのが、イノにはわかった。
「おいおい。じゃあ『虫』は『継承者』のせいで生まれたってのかよ!」
ドレクが愕然と声を上げた。
人の繁栄の世のため、『虫』の根絶と『楽園』の奪還をかかげているセラーダ。その頂点に立ち、民衆を支配している『継承者』の祖先が、あろうことか『虫』
が世界に現れることになった原因の張本人だというのである。この話がもし世間に流れたならば、それを証明する手立てがなくとも、セラーダを根底から揺さぶるような騒ぎ
になることは間違いない。
「ならば……俺達は彼らに騙されていたということになるのか?」
「それはちがうよ。スヴェン」
イノは振り返った。
「その事実は誰にも伝えられていなかったんだ。だから……今の『継承者』がみんなを騙しているってことにはならない。彼らの知ってる『楽園』の昔語りは、オレ達が知ってるものと変わらないんだから」
そう言い終えると、イノはレアに気づかうような視線を向けた。彼女は何かに耐えるように顔を伏せ、色がなくなるほど強く唇を引き結んでいた。両手は膝の上で硬く握りしめられている。
「『終の者』のおっしゃる通りです」
トロフが後を継ぐように言った。
「過去の者達に造られた欺瞞によって、彼の国のすべては動いている。民も、それを支配する者も、我知らず罪を罪であがなおうとする行為に荷担し、滅びへの道を歩んでることに変わりはない」
レアがようやく頭を上げた。蒼白な顔のまま老人を見据える瞳には、強い覚悟の色があった。
「話してもらえますか……過去に『楽園』で何があったのかを?」
トロフは盲目の瞳をレアに向けた。目の前にいる少女の張り詰めた声から、老人が何事かを察したのがイノには感じられた。
しかし、彼はそれについてはたずねず、おごそかにうなずくと語りはじめた。
至福の地と謡われた『楽園』の──もう一つの物語を。