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─二十二章  もう一つの物語(4)─



もはや数えることもできないほど遠い昔に、人はこの大陸にやってきた。

大海原を包んでいる『嵐』は、その頃はま だ存在していなかった。そのため、人々は『発祥の地』と呼ばれる彼方の大陸から、船で渡ってくることができたのだという。そこは人が『母なる地』と呼ばれ る本当の故郷から、この世界に最初に降り立った場所だと言われているが、今となっては真偽のほどは確かめようがない。

やがて海は絶えることのない『嵐』が吹き荒れるようになり、人々は大陸の外へと出ることができなくなった。だが、大陸には、閉じ込められた人々が生きていくには十分な広さがあった。永い時をかけて、人々は大陸の各所に散らばり、独自の生活を築くようになった。

大陸の北へと向かっていった者達は、後にアラケルと名づけられた山脈の中に不思議な大地を見つけた。周囲の山に匹敵するほど巨大な一本の木がそびえ立つそ の土地は、大陸のどこよりも豊かな自然と資源とに恵まれていた。さらには、北の肌寒い空気とは裏腹に、なぜかその場所だけは一年を通して穏やかな気候に包 まれていた。まるで、その豊穣なる大地が、何者にも侵されることのない神聖な領域であるかのように。

誰が呼びはじめたかは定かではないが、そこは『楽園』と名付けられた。

他の地域とちがい、自然の猛威になんら左右されることのなく、尽きることのない資源を持つ『楽園』の発展はすさまじかった。さらには、北へ向かった者達が 『母なる地』で培われた知識と技術の多くを蓄えていたことが、その勢いに拍車をかけることになった。自分達の持つ技術が外界に出て行かぬよう徹底的に管理 していたこともあって、やがて『楽園』の名は、他を圧倒する文明を誇る国家として大陸の隅々まで響きわたるようになる。

ある日、『楽園の民』達の中から、不思議な緑色の瞳を持つ子供が生まれるようになった。両親から受け継いだものとはあきらかに異なるその色は、『楽園』の天空に覆い茂るかのごとき巨木の葉と、まったく同じ色をしていた。

しかし、子供と巨木とが何らかの関連を持っている可能性には思い至ったものの、人々にそれ以上のことはわからなかった。『楽園』設立前から存在していた大樹は、彼らの高度な知識を持ってしても理解に及ぶものではなかったのだ。

その大きさもさることながら、あきらかに他の木々と一線を画してそびえている巨木──そもそも、それが本当に植物なのかどうかすらも定かではなかった。い かなる道具でも傷一つ付けることができず、季節を通して同色を保つ葉は、一枚たりとも地上に落ちてくることはなかった。わずかに判明したことといえば、こ の巨木が『楽園』という整いすぎた環境を持つ場所に、何らかの影響をあたえているという事実だけだった。

やがて、緑色の瞳を持つ子供達は、言葉をしゃべれるほどに成長した。そして、幼い彼らの口から、人々は『樹』という存在についての一部を知ることになる。

「『樹』は夢を見ている」──子供達はそう言った。「その大きな大きな夢の中に、ぼくらはいる」のだと。

幼子ゆえのつたない言葉から多くを理解することは難しかったが、『樹』は、自身が見ている『夢』──あるいは抱えている〈力〉──とでもいうべきものを、 自然の法則すら無視し、この世界に実体を持って現すことができるというのである。無尽蔵の資源。異様なまでに整った環境。『楽園』を支えるすべてをもたら しているのは、自分達よりもはるか昔からこの地にあった『樹』という存在であることに、人々はようやく気づいたのだ。

そして、『樹』についての本格的な研究が始まった。物質、あるいは生命ですら無から具現化できるその〈力〉を自由に操ることができれば、『楽園』はさらなる覇権を手にすることになるのだから。

だが、その結果は思わしくなかった。人が理解するには、『樹』はあまりにも異質すぎたのだ。操るどころか、下手に手を出せば、相手の〈力〉が『楽園』全体 にどのような影響をおよぼすのかも知れず、人々は畏怖をこめてその存在を認知するのみに止まった。ついには、「神」という言葉を用い崇めはじめる者達まで 現れた。

『樹』は不可侵の相手と決定した後、人々の関心は、それよりも身近な存在である緑色の瞳をした子供達に向けられた。彼らは、例外なく〈繋がり〉という 互いを感知する能力を持っており、さらに一部の者に至っては、手を触れることなく物を動かす等の現象すら引き起こすことができた。

『樹』という異質な存在の〈力〉を授かった子供達。

人々は彼らをラフスルエン──『樹の子供』と呼んだ。

しばらくの間、『樹の子供』は、それが奇跡であるかのごとく丁重に扱われていた。最初に生まれた者達を皮切りに、次々と緑色の瞳を持つ子供が現れるようになるまでは……。

しだいに数を増していく『樹の子供』に、『楽園』を支配する層にいた者達はある懸念を抱きはじめた。

「成長した人ならぬ力を持つ子供らが、自分達に取って代わって『楽園』を支配するのではないか」と。

弱者は強者により駆逐される──そのことを彼らはよく知っていた。なぜならそれは、『楽園』が周辺の人々に対して行っていることそのままなのだから。そして、自分達と『樹の子供』とを能力的に比較した場合、どちらが強者≠ナあるかは、あまりにも明白だった。

その不安は、病のように少しずつ上層から下層へと人々の間に蔓延していった。神聖視されていた子供達を見る目が、忌むべき者を見る目へと変わるのに、さし て時間はかからなかった。『樹の子供』を持つ家庭には、自分達の理解を超えた力を持つ我が子を、恐怖の眼差しで眺める親の姿が増えていった。

手を打たねばならない。『楽園』を動かす者達はそう判断した。

『樹の子供』達が、まだ未熟な子供である今のうちに。彼らが様々な知識を身につけ、その異質な〈力〉を自分達に向けようとする前に。

隔離という手段では、憂いを完全に取り除くことはできない。理解のおよばない存在を統制し管理するのは不可能だからだ。

そして、彼らは『樹の子供』を「始末」することを決断した。

支配者層の決断は、『楽園』に住む多くの大衆の支持を得ることとなった。もはやその頃には、人々の目には『樹の子供』はただの怪物としてしか映っていなかったのだ。反対したのは、『樹』を「神」として崇めていたごく一部の者達だけだった。

最初に生まれた者達をはじめ、物心づいている『樹の子供』は数百人という規模に達していた。彼らは『楽園』の大衆広場に集められた。そして、互いの〈繋がり〉の中で無邪気に笑いあっていた子供らは、『楽園』が誇る光の武器によって、一人残らず焼き尽くされることになった。

なぜ自分達がこのような目にあわされるのかもわからず、ただ痛みと恐怖とに泣き叫ぶ幼い声の数々は、無情な青白い光が広場に明滅する度に、一つ、また一つと消え去っていった。

惨劇の広場には来ず、「始末」に反対する者達や、異質な力を持つとはいえ我が子を愛する両親の手でかくまわれていた『樹の子供』もいた。そうした子供達 は、捜索隊や通報者により発見されしだい、かくまっていた者共々殺されることとなった。『樹の子供』の特徴である緑の瞳をした赤ん坊が生まれた場合は、そ の場ですみやかに処理された。

『楽園』の秩序を守るための凶行──それは徹底的な管理の下、数年間におよび断行されていったのである。

だが、自らの安寧と、それを壊す可能性のある『樹の子供』という存在に囚われるあまり、人々は忘れていたのだ。

『樹』の存在を。

虐殺された子供達の感じた、痛み、悲しみ、そして怒りと憎しみ。それらすべては、〈繋がり〉を通してその大元である『樹』に届いていたのだ。

澱のように日々蓄積されていく子供達の悲痛な想い。それはやがて『樹』へ影響を及ぼすまでに至り、その〈力〉を少しずつ変質させていった。

そのことに気づいたのは、虐殺の手を逃れ、少数の大人達にかくまわれながら、ひっそりと身をひそめていた『樹の子供』達だった。彼らは『樹』の見ている『夢』が、怖ろしいものへと変わっていこうとしているのを、怯えながら感じ取っていた。

そして、変わり果ててしまった『夢』は、ついに形となって現れた。

白昼、突如として人々の前に現れた灰色の怪物。昆虫のような甲殻に包まれた容姿。憎悪に紅く輝く瞳。街路、屋内を問わず、彼らは『楽園』のいたるところに溢れた。

唖然とする人々めがけて、怪物は容赦なく襲いかかった。外界を圧倒し、『樹の子供』達にも振るわれた兵器で反撃する暇もなく、美しい至福の都は鮮血と悲鳴とに包まれた。

虐殺された子供達の、『樹』に蓄えられた負の想いの具現。

この世界にとって、『虫』という『悪夢』がはじまりを告げたのだ。 



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