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─二十二章  もう一つの物語(5)─



「そこから先は……あなた方もご存じのはずだ」

トロフはそう話を締めくくった。重苦しい沈黙がその場を支配していた。

「ひでえ話だ……」

やがて、ドレクが呟いた。

「では……『虫』は、『継承者』の祖先が虐殺した『樹の子供』達の怨念だというのか?」

スヴェンが、かすれた声でたずねた。

「端的に言えばそうなりますな。殺されていった『樹の子供』達の悲痛な想いは、『樹』の中で醸成され、この世界に『夢』として現れてしまった。それを、あ なた方は『虫』と呼んでいるのです」

『虫』が持つ怒りと憎しみ。そして子供達の声。

「だったら、オレは、今まで自分と同じ『樹の子供』と戦って……殺していたことになるのか?」

その事実に愕然として、イノはたずねた。

「それは少しちがいます」

トロフは静かに首を振る。

「もはや『虫』には、『子供』としての個々の意識はない。憎しみそのままの存在とでも言うべきものです。そして、その矛先は、自分達以外のすべてに向 けられている。わしらのような『樹の子供』であっても例外ではない。彼らと意志を通わせることは、何者にも不可能。殺すか殺されるか……互いに戦うのはや むを得ないでしょう」

ドレクが憤慨して言った。

「許せねえのは、『継承者』の先祖だって連中だ。いくらとんでもねえ力があるからって、子供らを皆殺しにするなんざ人間のやることじゃねえよ」

「人間のやることではない……」

老人は重々しく口にする。

「たしかに、『楽園』の民が『子供』達に為した行いは非道なものだった。だが、それは、人ならば誰しも持ち得る感情に端を発するのではないのですかな?  理解のできないものへの恐怖。築き上げたものへの執着……。それらは、わしら一人一人の中にも存在しているはずだ。大なり小なり、似たような行いは、この 大陸 のいたるところで繰り返されてきた。その事実は、わしよりも外の世界に生まれたあなた方のほうが、よほど詳しく知っておられるでしょう。人間とは……どの ような悲劇でも創り出せる存在である、と」

彼の言葉に一同は沈黙した。それぞれの顔に浮かんでいる苦々しい表情。イノも、レアも、スヴェン達も、理由はどうあれ人を殺めた経験を持っていることに変 わりはないのだ。

『ネフィア』の本拠地を襲ったセラーダ軍。シケットを襲った残虐な盗賊達。その彼らを人ならぬ力をもって殺戮してしまった自分。そして、そんな自分に対し て、人々が向けてきた嫌悪と恐怖の視線。それらの光景が、イノの頭に一つずつ思い起こされる。

人の醜さが創り出す悲劇──『楽園』で起こった出来事は、そのほんの一例にすぎないのかもしれない。ただそこに『樹』と『樹の子供』がいないだけで、 『虫』が現れる条件はこの世界にいくらでもそろっているのかもしれない。

「まあ、ここで過去の人間の愚かさを糾弾したところで何にもなりますまい。もはや『虫』は現れ出た後なのですからな。そして、今やすべてを飲み尽くそうと しておる。わしらは、何としてもそれを止めねばならんのです」

トロフを見つめ、イノは静かに口を開いた。

「オレは、これから『楽園』で何をすればいいんだ?」

「あなたは『半身』と共に『樹』の下へと行かれよ。そこまでの道のりは、この子が先導してくれます」

老人に指されたラシェネが、こちらを見て強くうなずいた。

「それから先は?」

「その小さな輝きがあなたを導くでしょう。『樹』の内へと」     

「『樹』の内へ……」

「正確には『樹』の意識とでもいいますかな。われらに与えられた〈力〉、そして、『虫』として外に現れる〈力〉──そのすべての〈力〉の中核たる場のこと です。シリアはそこであなたを待っている」

「シリア……あの子は何者なんだ?」

肩に乗っている金色の光を見つめ、イノはたずねた。

「二百年前、『楽園の民』により非業の死をとげた子供達……シリアはその中の一人なのです」 

トロフは悲しそうな表情を見せていった。

「それじゃあ……」

「そう。厳密にはシリアは生者ではない。その肉体はとうに滅んでいる。ただ、その強すぎる〈力〉ゆえに、意識のみが『樹』の内にとどまっておるのです。そ して、たった一人で、この世界を護り続けてきた……」

「世界を護ってきた?」

「二百年前の悲劇の時、『樹』の〈力〉は、殺された『樹の子供』達の想いを受けたことで一気に膨れあがったのです。この大陸すべてを包んでしまうほどにま で。ですから、本来ならば大陸中に溢れた『虫』によって、人はとうに滅んでいたでしょう……」

老人は一息ついて続けた。

「しかし、我らはまだこの世界に現存している。それは『樹』の内にあるシリアが、己の〈力〉でもって『虫』の具現を封じておるからに他ならないのです。彼 女はそれを『網』だと言っておった。外へと溢れ出ようとする憎しみの夢にかぶせられた『網』なのだと。それが人間を滅びから防いでいたのです。わしらの祖 先達も、彼女の導きによって『楽園』を脱し、この地で生き延びることができた」

イノは絶句していた。たった一度だけ会ったシリアの姿が脳裏に浮かぶ。あのか弱げな少女が、二百年もの間、『虫』の手から人々を護り続けていたというの だ。

「だが、いかに並外れた〈力〉があろうと、世界に向けられた憎悪をシリア一人で抑えきるのは不可能なのです。しかもその憎しみは、外へ漏れ出た『虫』と人 との争いによって、より大きく膨れ上がろうとする。それでも、彼女はずっと『網』を張り続けてきた。それがいかなる苦痛を伴うものなのか……わしらには想 像もつかんことです」

シリアが見せていた痛々しい笑顔の正体。『みんなが世界にあふれる』と、悲しげに口にしていた言葉。イノはようやくその意味を理解することができた。

無残に殺された仲間達の憎悪と戦い続けてきた少女。たった一人で。

「なんで……そうまでして」

「ここまで長い旅を経てきたあなたには、よくおわかりのことでしょう」

言葉に詰まったイノに、トロフは優しげに言った。

「人と『虫』との悲しい争い。その果てにある滅び。それを終わらせたいと願うのは、あなたも、他の方々も、わしらも、そしてシリアも同じなのです。い や……彼女こそ、誰よりもそれを強く願っている」

シリオスとの語らいの中で、アシェルがそう口にしていたのを思いだした。

「そしてすべてを終わらせるには、シリア本人と、彼女と同等の〈力〉を持つ『樹の子供』が必要なのです。それが『終の者』……すなわち、あなただ」

全員の視線が自分に集まるのをイノは感じた。

「『樹』の中って場所で……オレは何をするんだ?」

「それはシリアが教えてくれるでしょう。その資格を持たぬわしらの役目は、あなたを補佐し、『樹』の下へと連れて行くことだけなのです」

「彼女は、今も無事で『樹』の中にいるのか?」

微かな〈繋がり〉以外、何も感じられない肩の光を見ながらたずねた。

「心配なさることはない。もしシリアによからぬことがあったのなら、その具現たる『半身』も形を失い消え去っておるでしょう。だが、『半身』もこの村の 『護り』もまだ存在している。それは彼女が無事である証拠です。とはいえ、その〈力〉が弱まりつつあるのも、また事実ではありますがな……」

イノは深く考えこんだ。かつてない規模で侵攻しているセラーダ軍と『虫』との戦いは、シリアにどのぐらいの苦しみをもたらしているのか。また、知ら ずとはいえ、これまでに多くの『虫』を殺し続けてきた自分は、彼女にどれほどの負担をあたえてきたのか。そう思えば思うほど、胸が締めつけられるような気 分になった。

「時間は残されていない……しかし、急いて事を仕損じるわけにもいきますまい。わしらには失敗も、二度目の機会も許されないのですからな。今宵はここで休 まれ、明日の日の出と共に、『楽園』に向かわれるがよろしかろうと思います」

小屋の窓から差しこむ陽光は茜色に変わろうとしていた。今から急ぎ出発したとしても、『楽園』へ到着するのは夜になってしまうだろう。ラシェネ達でさえ彼 の地の現状をはっきりと把握できていない以上、闇の中を突き進むのは危険が大きすぎる。

「まあ。今は戦いのことをしばし忘れなさるがよい。『終の者』」

深刻なままの表情は目に見えずとも、〈繋がり〉を通してその気持ちが伝わったのだろうか。イノに顔を向け、トロフはいたわるように言った。

「あなたに課せられた役目は大きい。そして、他の誰も代わりに背負うことのできないものだ。ですから、ここにいるわずかな間だけでも、ゆるりと羽を伸ばさ れるがよいでしょう。今宵は、ささやかですが宴を開いてあなた方の労をねぎらう所存です。わしらは、この日をずっと待っておった……ぜひ受けていってくだ され」


*  *  *


「ラシェネ」

トロフの小屋から出て階段を下りたところで、イノは彼女に声をかけた。一行はこれから彼女の案内で、里の中を見て回る予定だった。

「静かな場所を知らないか? その……レアと二人だけで話がしたいんだ」

振り返ったラシェネに顔をよせて、視線で後ろにいるレアを指した。

「レアは、どうして元気ない?」

ラシェネが声をひそめてたずねてきた。トロフから『楽園』にまつわる真実を聞かされた後、レアは一言も口をきくことなく、青い顔をしてうつむいたままでい る。

ときおり苦しげに歪む彼女の顔。イノはその理由を知っていた。

「まあ……色々あってさ。二人で話ができそうなところ、ないかな?」

トロフと話している間に、『終の者』の到着はすっかり里中に知れ渡ってしまったらしい。階段の下にいた人々の数が、小屋に入る前よりもずっと増えている。 もちろん、一番注目されているのはイノだ。これでは、レアと落ち着いて話もできない。ましてや、他の人間にはあまり聞かれたくない内容ならばなおさらだっ た。

「わかった」

こちらの心境を深く察してくれたのだろう。それ以上質問してくることなく、ラシェネはにっこりとうなずいた。

ラシェネが案内してくれたのは、トロフの小屋のとなりにある白い家の一室だった。ランプの灯りとはちがう光に照らされた通路を進んでたどり着いたその部屋 は、大きな丸い形をしていることはわかるものの、窓がないために、入ったばかりのときには暗闇に包まれていた。

ところが、ラシェネが壁に備え付けられた小さな文字盤にふれると、壁の一角が嘘のように消え去り、暗い室内が夕日の光に満たされた。おそらく、彼女の兜に 使われている技術と同じものなのだろう。透明になった壁の外には、里をぐるりと囲んでいる外縁の手すりと、その向こうに見える木々の枝葉が、オレンジ色に 輝いている光景が 広がっていた。

「わたし、他のみんなを案内してくる」

「ありがとう。オレ達も後から行くよ」

微笑みながら部屋を後にするラシェネに同じ笑みを返すと、イノはレアに視線を向けた。彼女は窓際に立ち、夕焼けに染まった景色をじっとながめていた。こち らに背を向けているため表情は見えない。脱いだ黒い兜が、テーブルの上にぽつんと置かれていた。イノに手を引かれながら、この部屋に連れてこられる間も、 彼女はずっと無言のままでいる。

「小さい頃、不思議に思ったことがあるの」

しばらくの沈黙の後、やがてレアは口を開いた。

「わたし達の先祖は、どうして『楽園』からあんなに遠く離れた何もない地にフィスルナを造ったんだろう……って。シケットやカビンみたいに、フィスルナよ りも『楽園』に近くて、『虫』の侵攻にさらされていない地域だってあるのに」

つぶやくように語り続ける彼女の背中を、イノは静かに見つめていた。

「『虫』から逃げてたどり着いた地に首都を定めた……伝承ではそう言われてる。でも、どうして、そこまで遠くに逃げなきゃならなかったのかの説明はされて ないわ。だから、わたしは先祖はよほど『虫』が怖かったんだなって思ってた。この世界で一番最初に『虫』の犠牲になったのは、『楽園』に暮らしていた先 祖達だもの。誰よりもその怖さを知っていたから、絶対に安全な所まで逃げ続けたんだって……そう理解してたわ」

でも、少し間違ってたのね──と、苦痛をこらえるかのように、レアは大きく息を吐き出す。

「先祖は知ってたのよ。なぜ『虫』が『楽園』に現れたのか。なぜあれほどの怒りと憎しみを向けてくるのか……。全部わかっていたからこそ、怖くて仕方な かったんだわ。だから、あんな遠く離れた場所まで逃げたのよ」

イノは彼女のそばまで歩み寄り、そっと肩に手をのせて振り返らせた。

「父は正しかった……」

うつむいた青い瞳から、涙がこぼれる。

「わたし達の先祖は、取り返しのつかない大きな罪を犯したのよ。その罰が『虫』だった。それでも『楽園』を忘れられず、過ちを隠して、無関係な多くの人を 巻き込んで戦争を起こした……。真っ先に殺されるべきは自分達だったのに。知らなかったし、知りたくもなかった。自分が……そんなどうしようもない大罪人 の血を受け継いでいるなんて。『継承者』とは、よく言ったものよね」

レアが浮かべる自虐的な笑み。アシェルがなぜ彼女に『樹の子供』のことを話さなかったのか、その本当の理由がイノにはわかった気がした。

「『楽園』で殺された子供達。『虫』との戦争で死んでいった人達。数えきれないほどの命を犠牲の上で、わたし達はずっとあぐらをかいてきた。そのうえ、今 度はすべての人々を犠牲にするかもしれない行為まで引き起こしている……」

こらえきれず両手で顔をおおったレアの腰に腕をまわして、イノは彼女の身体を抱き寄せた。いつかの夜とはちがい、その動作はごく自然なことであるかのごと く落ち着いてできた。

「なんで……なんでこんなに愚かなのかしらね」

黄昏に染まった髪を小さく振るわせながら、レアがつぶやく。過去の者達へ、そして、今を生きる自分へと向けるかのように。

声を殺して泣く彼女を抱きしめ、イノはしばらく黙ったままでいた。

「終わらせよう」

やがて静かに言った。相手が顔を上げる。

「終わらせるんだ。過去から続いてきた悲しい出来事のすべてを。オレ達みんなの手で」

こちらを見つめ続け、レアはぬれた瞳を手でぬぐった。

「そうね……そのために、ここまで来たんだものね」

そして彼女は小さな金色の輝きを見た。

「わたし達が犯してきた罪を、一人で背負ってくれたシリアのためにも……終わらせましょう。わたし達の手で」

「うん」

イノが笑顔を向けると、ようやくレアの顔に笑みが浮かんだ。

「ありがとう。またあなたに慰められちゃった」

耳に届くやわらかな声音と。顎のあたりに暖かく触れる彼女の息と。

だしぬけに、そして今さらに、イノは自分達がこれ以上ないぐらいピタリと密着していることに気づいた。 

「それは、まあ……お互いさまじゃない?」

ついさっきまで強気だった自分の声が、すっかりうろたえ気味になってしまった。慌ててレアの腰から手を放す。しかし、彼女の腕は今だにこちらの背中にしっ かりとまわされていたため、お互いの身体が離れることはなかった。

無理に引きはがすわけにもいかず、またその気もないため、手持ちぶさたになったイノの腕は、再び相手の細い腰を抱きしめる形になった。今度の動作は、自分 でもはっきりわかるほどにぎこちなかった。

レア自身はまったく気にしている様子もない。それどころか、こちらの肩に頭をもたれかけてさえいる。心地よさそうについた相手の吐息が、軽く首筋をくす ぐった。

顔面が真っ赤になっているのも、心臓がはじけ飛びそうになっているのもわかっていた。それでもこうしているのは気持ちよかった。

「不謹慎だと思うけど……」

耳のすぐ下で、彼女の声がした。

「こうしてると、何もかもを少しだけ忘れられる気がするの。あんな辛い話を聞いて……これから大きな戦いがはじまる前だっていうのにね」

「いいんじゃないか? ここにいる間はゆっくり休んでくれって、トロフも言ってくれたんだし……今ぐらいは忘れてもさ」

いまだ落ち着かない気持ちを抱えたまま、イノは微笑んだ。彼女の言うとおり、互いに抱きあっている今このときは、『楽園』の悲惨な物語も、この先に待ち受 ける戦いも、頭の奥に引っこんでいくかのように感じていた。

そして、ふいに気づいた。

そう思えるのは、相手がレア≠セからだと。

幼い頃から親しい者達に感じるものともちがう、自分と同じ〈力〉を持つ者達に感じるものともちがう、この浮き足だった居心地のよさを自分にあたえてくれる のは、この世界に彼女≠オかいないのだと。それはトロフが語った真実と同じぐらい、自分にとって大切な真実に思えた。

頭の中がすっきりしたような──それでいて気恥ずかしいような気分。

「さて」

イノは明るい声で言った。

「そろそろ、みんなのところへ行こう。まだラシェネと一緒に、この里を見学してるはずだから。せっかくだし、オレ達も色々見せてもらおうよ」

「そうね。それに、夜には宴もあるっていうから楽しみだわ」

レアがほがらかに応える。そして、二人は少し名残惜しそうに、お互いの身体から離れた。扉を出て行く客人に合わせるように、差し込んでいた夕日も、ゆっく りと部屋を去っていった。



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