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─二十三章  イノとレア(1)─



「レア」

ラシェネの案内で里の中を一通り見て回ったあと、自分達にあてがわれた部屋で一行がくつろいでいるときだった。

「どうしたの?」

部屋の扉から現れ、自分を呼ぶラシェネを見つめレアはたずねた。案内のあと一行と別れた彼女は、どうやら武装を外しに行っていたらしく、今は奇妙な青い服 だけを身につけている。肩まで伸びた淡い金色をした髪は、頭の後ろで一つにくくられていた。

「ちょっと、ちょっと」

ひたすら手招きする相手に首をかしげながら、レアは座っていた椅子から立ち上がった。

「一緒にきて」

「わたしだけ?」

「そうそう」

なんだろう? 自分だけが彼女に呼び出される理由がわからなかった。

まさか『継承者』の生まれであることに関係しているのだろうか。もちろん公然と口にしたわけではないが、『楽園』の真実が語られたときの自分の様子から、 ラシェネの祖父トロフは、 おそらくそのことに気づいたのではないかとレアは思っていた。

ひょっとして「この里を出て行け」とか言われるのかもしれない。もしくは、袋だたきにあわされるか……。なぜなら、自分はこの里に暮らす人々の先祖を、ひ どい目にあ わせた者達の血を引いているのだから。

レアは緊張の面持ちでラシェネを見る。だが、彼女はいつものようにニコニコしているだけである。

「なんだかわからないけど、行ってくれば?」

となりの椅子に腰かけているイノが、飲み物を口にしながらレアに笑いかけてきた。その和やかな表情。ラシェネと人ならぬ〈繋がり〉を持っている彼なら、相 手に不穏なものがあれば察してくれるはずだ。

「わかった。じゃあ行ってくるから」

とりあえず緊張を解き、イノにそう言い残すと、レアはラシェネと共に部屋を出た。白い建材で造られた通路に響く自分達の足音。窓もランプもないが、天井の 一部が発光しているために通路の視界はずいぶんと明るい。

「どこへ行くの?」

前を歩くラシェネにたずねてみる。物騒事ではないにしろ、連れ出される目的がわからない以上、少し不安だった。

「わたしの部屋」

「あなたの?」

「うん。わたしの部屋もここにある」

意外な答えに、レアは目をまるくした。自分達は今、トロフの小屋のとなりにある白い家にいる。その内部は三つの階層に分かれ、各階ごとにいくつもの部屋が 存在していた。ついさっき、レアがイノに抱きしめられ元気づけられた部屋も、その中の一つだ。

やがて目的の部屋に着いた。入り口の脇にある小さな文字盤を、ラシェネがポンとたたく。すると、扉が滑るように横へ移動した。彼女の説明によれば、『楽園』の 道具は、こうした文字盤で動かすものがほとんどなのだそうだ。

ラシェネに続き、レアは室内へと入った。広さや形はこれまで目にした部屋と変わらない。テーブルの上に無造作に置いてあるレマ・エレジオや鎧兜以外、これ といって目立つ飾り気はなかった。女の子の部屋にしては、やたらとさっぱりした印象だ。

もっとも、レアも人のことは言えない。ネフィアの本拠地にあった自分の部屋も同じようなものだった。飾り物といえば、ネリイのくれた花を水差しに生けてい たぐらいだ。

「ねえ。ここで一体何をするの?」

「もうすぐ宴。だから、レアはわたしと着替え」

レアは再び目をまるくした。つまり自分が呼び出されたのは、これからはじまる宴に備えて服を変えようということらしい。

「わたしはいいわよ」と肩をすくめた。「このままで」

「よくない」

ラシェネは首を振った。

「その白い服。汚れているし、臭いがする」

彼女の告げた最後の言葉に、レアの全身が音を立てて凍りついた。はじかれたように上着の袖を鼻に持ってくる。

……相手の指摘は正しかった。とはいえ、ここに来るまでの数日間、身ぎれいにする余裕などなく『死の領域』でずっと戦い続けてきたのだから、当然といえば 当然なのだが。

麻痺してしまったようなレアの脳裏には、ついさっきイノと自分とが抱き合っていた情景が浮かんでいる。

あのとき、ひょっとしたら「くさい」と思われていたのだろうか? 一度、彼が慌てて自分から離れようとしていたのは、照れていたからではなく「臭い」 のせいだとしたら──

「でも……」

レアは、すっかり血の気を失った顔と、震えた声とをラシェネに向けた。

「でも、わたし、これ以外の服なんて持ってないもの」

「服は、わたしのをあげる」

にっこりと笑うラシェネの格好を、レアはしげしげと見つめた。彼女の青い服。薄皮のようにぴたりと全身を包み、装飾こそあるものの、胸やお尻もふくめ身体 の線をそのまま浮き彫りにしている奇妙な服。

相手の好意はありがたい。しかし、とてもではないが、こんなきわどい&桙着て人前に出ることなんて自分にはできない。それこそ、明日の決戦にのぞむ以 上の覚悟が必要だ。

絶望ともいえる気落ちに、レアはうなだれた。宴は楽しみにしていたが、一人部屋の中に閉じこもっているしかなさそうだった。

「ちがう、ちがう」

ラシェネが笑って手を振った。

「あげるのは、この服とちがう。この服は戦うときの服。宴のときは、きれいな服を着る」

そう説明すると、彼女は壁にある文字盤に手をふれた。すると、ただの壁だった場所がさっと開き、その中に色とりどりのドレスが立てかけてあるのが見えた。下には装身具がぎっしりと入った箱も置いてある。

レアは、三たび目をまるくした。

「これ……全部あなたの?」

「ううん。ほんとは、わたしのじゃない。前にここを使ってた『楽園の民』のもの」

レアがこれまで見たことのない美しい生地で織られたドレスは、製造されてから少なくとも二百年以上は経っているにもかかわらず、どれも新品に見える。装身具も同様だ。

そして、身にまとってくれる誰かを待つドレスの行列を眺めているうちに、自分でも意外なことに心が弾んできた。これまで、きれいな服に興味を持ったことなんてなかったというのに。

「レアの服は洗う。出発のときに返す」

「ありがとう。でも、どうしてわたしに、ここまで親切にしてくれるの?」

さっそく何着か取り出したドレスを広げてみながら、レアはたずねた。

「きれいな服を着たレアを見たら、イノがすごく喜ぶ」

「イノが?」

どうなのだろう。たかが服を変えたりしたぐらいで喜ぶものなのだろうか。よくよく考えれば、大事な目的の瀬戸際でお洒落なんかにうつつをぬかして、逆に『浮ついてる』というふうに見られやしないだろうか。

「イノは喜ぶ。わたしにはわかる」

しかし、ラシェネはそう断言した。

「それは……あなたとイノとの〈繋がり〉のせいでわかるの?」        

「そうそう」

「前から聞いてみたかったんだけど、あなた達の〈繋がり〉ってどういうものなの?」

イノとラシェネ。出会ってほんのわずかな時間で、二人は兄妹(もしくは恋人)のように仲良くなってしまった。楽しそうに言葉をかわし、見つめあう二人の間 に、気が合った≠ニいう言葉ではくくれない強い絆のようなものが存在していることは、レアの目から見てもはっきりとわかる。

『樹の子供』という常人にはない要素──それが、二人を結びつけているのだと理解はしていても、レアは、そんなラシェネに対して嫉妬と羨望を感じざるをえ ない。

自分とイノとが長い時間と多くの出来事をかけて築きあげた親しい関係に、あっさりと到達してしまった感のあるラシェネに、当初はずいぶんとやきもきしたレ アだ。おかげで、危うく死人が出るところだった事故まで引き起こしてしまい、かつて経験したことのないほどひどい叱られ方をされた。

もちろん、今はちゃんと気持ちを切りかえている。ラシェネが自分にも好意をよせてくれているのはわかっているし、それを足蹴にするほどこっちだって子供で はないのだ。

でも、やはり、イノと彼女との間にある「人にはない繋がり」のことは気にかかるレアだ。このさいだし、詳しく聞いてみたかった。

「うーん」

しばらくの間、ラシェネは頭をひねっていた。常人にはない感覚を、すぐさま言葉で説明するのは難しいのだろう。イノもそう言っていた。

「手のひら、出して」

言われたとおり手のひらを向けると、ラシェネが自分の手のひらをぴたりと重ねてきた。 

「わたしとイノは、こんな感じ」

ふれあう肌と肌とが伝えてくる温もり。

「もしも、わたしの〈力〉がイノみたいに強かったら、こんな感じと思う」

と、いきなりラシェネが抱きついてきた。同姓に(ネリイ以外で)こんな抱きつき方をされたことはない。

「わかった?」

ぴたりと密着したお互いの身体。唇が触れあわんばかりの距離にあるラシェネの顔。そんな趣味はまったくないと断言できるが、少しだけ自分の顔が赤くなるのをレアは感じた。

とりあえず二人きりでよかった──この一連の行動を他人が見たら、妙な誤解をされかねない。

レアはぎくしゃくとうなずく。実のところは、わかったような、わからないような気分だったが。

「つまり……」  

ラシェネが離れた後、なんとなく咳ばらい一つして、レアは言った。

「今みたいにお互いの〈力〉がくっついて、そこから相手のことが色々わかるってこと?」

「そうそう。それが〈繋がり〉」

「相手の考えとか、気持ちだとかが、こうしてしゃべってるみたいに伝わるの?」

「うーん。しゃべるのとはちがう。でもわかる。わたしは強い〈力〉じゃないから、わかるのは少しだけだけど」

言葉でもなく、仕草でもなく、それでも相手を伝えてくるという不思議な結びつき。ラシェネが語るそれと同じものが、きっとイノとアシェルの間にもあったの だろう。ネフィアが崩壊したあの悲劇の夜、ほとんど見ず知らずの人間に等しい彼女を救おうとして、イノが不可解なほど必死になっていたわけが、ここにきて なんとなくわかった気がした。

「羨ましいわ。わたしも、あなた達と同じだったらよかったのに」

レアはため息まじりに言った。

もし自分も『樹の子供』だったのならば、イノと初めて出会ったとき激しく戦うなんてことはなかっただろう。その後お互いにいがみあうこともなく、相手の痛みや悲しみを、すぐに理解してあげられただろう。

しかし、それは永遠に望めない関係だ。ただの人間である自分には、ラシェネが感じているようにイノを感じることなんて、できっこないのだから。そんな人並みの感覚しかもたない我が身の貧弱さが、ひどく悲しく思えてきた。

「そんなことない」

ラシェネは優しい眼差しをした。

「レアもちゃんとイノと繋がってる。それは、わたしとイノにはない〈繋がり〉」

「そうなの?」

「イノの中には、いつもレアがいる。きっとレアの中にも、いつもイノがいる。それは素敵な〈繋がり〉だと思う。わたしはレアが羨ましい」

にっこりと笑う相手。彼女から「羨ましい」と言われるとは思っていなかった。

イノの中にいるという自分。それはどういう「レア」なのだろう。ただ大事な仲間としてなのか。それとも……。思いきって、ラシェネにそれをたずねてみたい 気がした。

だがやめた。少し怖いのもあったし、自分でイノにたずねた方がいいと思ったからだ。その勇気があれば──いつか。

「さ。はやく全部脱いで。裸になって」

「ヘッ?」

だしぬけにそう要求され、レアの口から奇妙な声がとびだした。

「着替えの前にお風呂。わたしと入ろう」

「ああ……お風呂ね」

この里で使われる水は、土台となっている建物の中を通る管によって地下から汲み上げられ、各家に供給されているのだという。なおかつ、火でわかすこともな くお湯が出てくるという驚異の仕組みまで備わっているらしい。

「身体を洗って、きれいな服を着たレアを見たら、イノは喜ぶ。きっとレアも喜ぶ。わたしは二人に喜んでもらいたい」

「わたしにも?」

うん、と答えたあと、ラシェネは少し間をあけて言った。

「レアには、わたしの初めての友達になってほしい」

友達──その言葉を、レアは頭の中で繰り返した。

「わたしは長の孫。そして、人にはない〈力〉がある。だから、村の者はわたしを特別な目で見る。男の子も女の子もそれは同じ。だから、わたしに友達は一人 もいない」

悲しげな顔をするラシェネ。レアにはその気持ちがわかった。『継承者』として過ごしていた頃の自分と、ラシェネの境遇は同じものだったからだ。しかも彼女 は、ずっとこの閉ざされた世界の中で過ごさなければならなかった。祖父以外に心から打ち解けられる相手もおらず、ニコニコした顔の奥に寂しさを隠しつづけ てきたのだろう。

「だめかな?」

ラシェネがぽつりと問いかけてきた。もちろん、自分と彼女に人外の〈繋がり〉など存在しない。それでも、相手がこちらの返事に対し、不安と緊張を抱えてい ることは、すぐにわかってあげられた。

「ううん」

今度はレアが笑顔を向ける番だった。

「わたしにも……年の近い女の子の友達がいないの。だから、ラシェネがなってくれると嬉しいわ」 

「よかった……。ありがとう。レア」

少し顔を赤らめた相手の、晴れやかな笑みと言葉とに、素直に喜ぶことができた。

一緒におしゃべりして、お風呂に入って、服を選んで。それだって十分「素敵な繋がり」のようにレアには思えた。そして、そう思えることに驚いた。これまで ずっと、そんなごく普通のことに背を向け続けてきたのに。

あの二人に──アシェルとサレナクに見せたかった。

今の自分を。彼女達の意志を果たすために戦っている自分ではなく、この部屋でラシェネと話している自分を。友達をつくり、男の子を好きになっている……た だの女の子≠ニしての自分を。

きっとこれこそが、二人が自分に対し望んでいたものだろうから。

『あらあら。明日は大雨でも降るのかしらね』

あの人はそう言うだろう。からかうような口調で。心からの喜びを見せて。

「じゃあ。お風呂に入りましょ」

ふいに熱くなってきた目をしばたいて、レアは言った。

部屋に満ちる自分達の楽しそうな笑い声。

本当に見せたかった。



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