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─二十四章  決戦 ・ 上(3)─



見上げる高さの山脈にぐるりと囲まれた大地。底の浅いお椀のような形をしたその大地は、視界の端から端までを占 める勢いで広がっており、びっしりと巨大な建造物が立ち並んでいた。その大部分はラシェネの里にあった家と同じように半円状をしていたが、中には塔のよう な形をしたものや、横に引きのばされた楕円形のものも混じっている。それらはすべて白色に統一され、一点の染みもないように見えた。

ひしめきあう建物同士の間には、大小さまざまな路地が走っていた。それは緻密に張りめぐらされた蜘蛛の巣のようで、幅の広いものには整然と植えられた街路樹が、枯れた様子すらなくおだやかな風に揺れていた。

大都市の街路は地上だけにとどまらず、まるで鏡に映したかのごとく空中にまでその規模を広げていた。優雅な曲線をえがくいくつもの道が宙で交差している様 は、まるで白いヘビが絡みあっているようにも見える。現在、イノ達を乗せたイモ虫≠ヘその通路の一つを走っているところだ。

ラシェネの里を出発したときと比べ、空はしだいに曇りはじめ薄暗くなってきていた。しかし、アラケル山脈の洞窟をぬけた先に広がっていた大都市は、それ自体が白く輝くかのように美しかった。

「これが『楽園』か……」

窓の外を静かに流れていく壮大な景色に、誰もが座っていた椅子から立ち上がり無言で目を奪われている中、スヴェンがようやく口を開いた。

「たしかに至福の都≠ニ謳(うた)われただけのことはあるな」

「しかし、たまげたな」

ドレクの声が続いた。

「ここが放棄されちまったのは二百年も前の話だろ? だけど、見るかぎり昔語りそのまんまの姿じゃねえか。『虫』が暴れまわったってのが嘘に思えるぜ」

「いえ……そうでもなさそうよ。通りをよく見て」

レアがつぶやき、眼下に流れていく路地を指さした。ドレクがつられるように目を細めて眺める。

「おいおい……」やがて彼の口からかすれた声がもれた。

都市を縦横に走っている街路。それは、遠目に一瞥しただけでは、ただの白い路面をした通りにしか見えない。しかし、よくよく観察してみれば、そこには膨大 な数の人骨と、それらがまとっているボロボロになった衣服とが、まるで掃き集められることのない落ち葉のように散乱しているのが見てとれた。

それは『楽園の民』──かつては大陸全土の頂点に位置していた人間達の成れの果てだった。彼らは、自らの行いが生みだした怪物達によって殺され、二百年という気の遠くなるような時間の中、誰にも弔われることなく雨風にその屍をさらし続けてきたのだ。

大人も子供もごちゃ混ぜになった白骨は、何千……いや、この都市の規模を考えれば何十万もあるにちがない。彼らの上げた恐怖と断末魔の悲鳴。流された血 潮。後に『赤い一日』と名づけられることになった当時の光景は、悲劇などという言葉ではとうてい収まりきらないぐらいの、この世の地獄だったにちがいな い。

一行を重苦しい沈黙が支配する。もはや誰の目にも、この白光りする大都市の姿が不気味なものとして映っていた。さらにその印象は、地上に散らばった無惨な 亡骸と、美しい外観をとどめたままの建物とがあからさまな対象を為しているために、よりいっそう強められているような気さえする。

「ここはもう生きている者の都じゃない」

ラシェネがぽつりと言った。

「死んだ人間と、『虫』達の都」

「そうだな。だが、その『虫』すらも見当たらないのはどういうことだ?」

「いや……いるよ。あの中に」

スヴェンの声にイノは低く返した。その瞳は彼方に見える都市の中央に、じっと据えられている。

小さな街の一つ二つを、軽く飲みこんでしまう規模で広がっている根に。

山かと錯覚してしまいそうになる太い幹に。

巨大な傘のごとく天に張りめぐらた枝に。

そして、自分の瞳と同じ色をした輝くような緑の葉に。

「あれが……」

レアが息をのむ音が聞こえた。

『樹』──それは超然とした佇まいで大都市の中心に存在していた。根のある大地は高い防壁におおわれており、そこだけが周囲一帯から隔離されているかのように見える。

イノはじっと『樹』を見つめ続けた。その姿。その〈力〉の強さ。その懐かしさ……。遠目にではあったが、それらすべては、シリアと初めて出会った光景にあったときそのままだ。

だが同時に、あのときには感じなかったどす黒い何かが、その巨大な外観の中に渦巻いているのがイノにはわかった。世界に対するすさまじいまでの怒りと憎しみが、閉じ込められた囚人のように『樹』の内で暴れ狂っているのをひしひしと感じる。

殺された『樹の子供』達の想い。『虫』を生み出す想い。それは病巣みたく『樹』の内に蓄積され、本来の〈力〉を変質させてしまったのだとトロフから聞いた。

まるでせき止められた洪水の前に立たされているような緊張。もし、『樹』の中にある憎悪すべてが解き放たれたとしたら、どのぐらいの数の『虫』となるのだろう。何百、何千、何万……いや、過去アシェルが語ったように数の制限などないのだ。世界が滅ぶというのもうなずける。

「大丈夫?」

よほど張りつめた顔をしていたのだろう。レアがこちらを心配そうにのぞきこんだ。

「うん。大丈夫」

彼女に微笑んで見せたものの、イノは『樹』から感じているものに飲まれそうな感覚にみまわれていた。それは自分達を乗せたイモ虫≠ェ都市の中心に近づくにつれて、大きく強くなっていく。得体の知れない恐怖が、じわじわと身体を蝕むような気さえしている。

だが行くしかないのだ。取り止めはできない。そして、取り止める気もない。

イノは肩にある金色の輝きを見る。シリア──彼女が待っている。あのどす黒い巨大な怨念を抑えながら。たった一人で。

「ラシェネ。この乗り物で『樹』にどれぐらい近づけるんだ?」

イノの言葉に、ラシェネが文字盤の並んでいる円柱を調べる。その顔色がずいぶんと悪い。『樹の子供』である彼女も、やはり、こちらと同じような不安と緊張に捕らわれているのが〈繋がり〉を通して伝わってきた。

「この先に大きな建物がある。乗り物が走るのはそこまで。あとは歩いて『樹』のそばまで行く」

都市の中央付近に見える建造物を指しながら、ラシェネが説明した。今の位置からではまだまだ距離があるが、この乗り物の速さならば、たいして時間もかからず到達できるだろう。

「おい。あれを見ろ!」

唐突に上がったスヴェンの声に、二人をふくむ全員がそちらへと顔を向けた。そこにはアラケル山脈を切り開いて造られた巨大な門が見える。あの入り口が、『楽園』の正門と呼ばれる場所なのだろう。

「セラーダだわ」

レアがつぶやく。遠すぎてはっきりと確認はできないが、開かれている門から、まるでアリの群れのように兵士達が『楽園』へとなだれこんできているのはわかった。『聖戦』を掲げフィスルナから侵攻してきたセラーダ軍も、ついに目的地へと到達したのだ。

「こりゃまた、けっこうな数だな」

鉛色の小さな鎧姿達がみるみるうちに膨れ上がり、正門の前を埋めつくしている様を眺めて、ドレクがげんなりしたように言った。ここまで大規模なものは、イノ達が「黒の部隊」にいたときでさえ目にしたことはない。

「ま、この状況なら、俺達が連中とぶつかり合うことはないだろうさ。向こうが本格的に戦闘を開始するまでに、こちらが『樹』にたどり着くまでの時間は十分にある」

スヴェンの言葉にイノはうなずいた。到着したばかりのセラーダ軍とはちがい、自分達はすでに都市の半ばまで入りこんでいる。軍がどのような作戦で戦闘を行おうとしているのかはわからないが、それとはち合わせする前に『樹』の下へと行くことは可能だろう。

それに、セラーダの目的は『樹』への接触ではなく『虫』の殲滅である。このまま事がすんなり運ぶのなら、彼らがこちらの障害となることはなさそうだ。

あの中にいる……たった一人の男をのぞいては。

イノは彼方にある大軍勢にじっと瞳をこらした。そこにいるはずの相手に。自分と同じ〈力〉を持ち、自分と正反対の目的のために『樹』を求めている相手に。

シリオス──肉眼でも〈力〉でも存在を確認することはできないが、彼も今間ちがいなくこの『楽園』にいるのだ。

そのとき、イノの視界に、正門の向こうで何かが蠢くのが映った。門の両脇にそびえる岩壁が動き出したのか、と錯覚してしまったほどの巨大な何かだ。

眉をひそめ、さらに注視しようとした瞬間、のそりとした動きでそれ≠ェ正門をくぐって現れた。

驚愕したイノの耳にとどく、自分と仲間達の絶句した音。

突き出た顎。大きな耳。暗い赤色をした身体を支えているたくましい四肢。そして長い尻尾……。それ≠ヘ犬に似た姿をした獣だった。信じられないことに、遠目にも巨大とわかる『楽園』の正門と変わらないぐらいの大きさをしている。

全容をあらわにした獣が、大軍勢の後ろで雄々しくたたずむ。その姿は王のような威厳すら放っているように思える。

あまりにも現実ばなれした獣に畏怖の念すら感じて、イノ達はしばらく呆然と立ちすくんでいた。

「冗談じゃねえぜ……」

やがて、ドレクがかすれた声を出した

「なんだよありゃあ。軍があんなバケモノを飼ってたなんて、聞いたことねえぞ」

「あれは生き物じゃないわ」

遠く見える獣を険しい目でにらみながら、レアが答えた。

「『ギ・ガノア』──ラシェネの武器と同じ、『楽園』の技術で造り出された兵器よ。やっぱり、この戦いに投入されてたのね」

「あれが兵器って大きさかよ? 嬢ちゃんの持ってるやつとは、どう見たってケタがちがうだろ」

ドレクがラシェネを指差す。『楽園』の技術には慣れている彼女ですら、獣の形をした兵器には圧倒され言葉を失っている様子だ。

そのとき、赤い獣が天に向かって遠吠えするかのように頭をふり上げた。とてつもない重量のありそうな脚を動かし、四肢で踏んばるような体勢を取りはじめ る。ぬっと前に突きだされた巨大な頭部には、オレンジ色をした八つの瞳が、何者かをにらみつけるかのごとくギラギラと瞬いていた。

「なんだ?」

だしぬけに動きはじめた獣の様子に、ふと背筋の寒くなるものを感じて、イノは声をだした。

犬の威嚇にそっくりの姿勢を保ったまま、今まさに咆哮するかのごとく『ギ・ガノア』は鋭い牙の並んだ口を限界まで開いた。その暗闇の中から、何かがせり出 してくる。真っ赤な色をした──大砲だ。遠くはなれた自分達にもそれと視認できる以上、冗談のようにバカでかいものにちがいない。間近にいる兵士達には、 砲口がちょっとした洞窟のように見えていることだろう。

まるで舌のようにも見える砲身の先端が、花びらのように分かれて開いた。やがて、血の色をしたその花弁の奥に少しずつ光が満ちていく。生命の胎動にも似た脈を打ちながら。あふれていく。

青白い輝き(それはラシェネの武器が放つ光と同じ色をしていた)が、獣の前面にいる大部隊を照らしだす。イノには、ゆっくりと明滅をくり返している光に、兵士達がどうしてか慌てふためいているように見えた。

みんなと同じように窓辺でその光景をながめていたラシェネが、はっと息を呑んだ。何かを悟ったように血相を変え、弾かれたように乗り物を操作する円柱に飛びつく。

イノ達が彼女をふり返ろうとした瞬間。

すさまじい量の光が視界を埋めつくした。

光の奔流──そうとしか呼び現しようもないものが、獣の花弁じみた砲塔からほとばしった。稲妻をまとい、扇状にその規模を広げながら、凶悪なまでの勢いで 瞬きするよりも早くイノ達の前方を横切っていく。光のとどく範囲にこそ入っていなかったものの、それが引き連れてきた突風じみた衝撃に、乗り物全体がぶん 殴られたように激しく揺さぶられる。

短い悲鳴。となりにいたレアが、体勢をくずして尻もちをついた。

自身もよろけながら、レアを起こそうと手を伸ばしたイノの瞳に、二百年ものあいだ都市の景観を保ち続けていた建物の数々が、光の洪水にあっけなくなぎ倒さ れていくのが見えた。明滅する輝きの中で形を失い、粉々の断片となり、溶けるように消えて──外部の音が遮断されているせいか、それら破壊の一部始終は絵 画のように現実味がなかった。

さらなる衝撃。なおも懸命に走り続けていたイモ虫≠ェ、今度は下から突き上げられ大きく跳ね上がる。

レアをつかもうとしたままの姿勢で、イノは為す術もなく床から引きはがされた。後方へと転げ落ちていく身体。グルグルと回る視界に、仲間達が同じくすっ飛ばされている様子がかろうじて映る。互いの上げる悲鳴の数々が内部に反響して、さらにかき混ぜられる。

そして、腹から激突した椅子にイノが無我夢中でしがみついたとき。

パチン! と何かが断ち切られる音した。

内部の照明が、窓に映っていた景色が、手品のように一瞬で消えた。

イノの背筋が凍りつく。明かりを失ったことにではなく、明かりを失う前に見てしまったものに。窓が最後に映していたもの──それは自分達をのせた乗り物 が、道も何もない空中を走っている光景だった。薄れゆく光に縁取られていた建物の屋根。屋根。屋根──イモ虫≠ヘ宙にぶん投げられてしまったのだ。

一切が見えない暗闇に、自分と仲間達の悲鳴が反響する。下腹をわしづかみにされたような感覚。落ちている。どんどん落ちている。

まずい!──思考よりもすばやく、本能が死の危険を理解した。

イノは自らの内なる扉を開けた。生まれる〈繋がり〉。巨大な〈力〉。それはさっき目にした破壊の光に負けないぐらいの凶暴さで、我が身に襲いかかってくる。

しばらくぶりに解放したせいか。それとも、〈繋がり〉の主が近くにいるせいか。かつてない勢いで押し寄せ、思考をどす黒く染め上げようとする憎悪の念達。イノは歯を食いしばって意識を集中させる。聞き分けのない猟犬の頭を無理やり抑えつけて言うなりにさせているみたいだ。

そして反応する〈力〉。暗闇の壁の外に、黒い輝きが生まれるのがはっきりと視え≠ス。

こいつを止めろ!──絶叫に近い主の命令に、異質な輝きが脈動する。それは大きな顎の形を成し、いまだ宙を飛んでいたイモ虫≠ノ食らいつく。大きな衝 撃。金属のひしゃげる甲高い音。とたんにイノの身体にやわらかいものが激突してきた。目と鼻の先から聞こえた小さなうめき声。ラシェネだった。

「今度は……何なの?」

天地が逆さまになったような状況がピタリと収まり、何食わぬ顔でもどってきた重力に、レアが息をあえがせるが聞こえた。もっとも、一切が見えない闇はその ままであるため、彼女の居場所まではわからない。イノにわかっている現状は、自分達ごと地上へ身投げしようとしていたイモ虫≠ェ、黒い輝きのおかげで宙 に停止しているという事実だけだ。さながら、犬にくわえられた棒きれみたいなものだろう。外から眺めたならば、それはさぞかし異様な光景にちがいない。

「……イノ」

苦しそうに咳きこみながら、ラシェネが顔を向けてくる気配がした。彼女が今の事態を把握していることが〈繋がり〉によって伝わってくる。その中には、なぜかこちらへ対する悲痛な感情が混じっている気がした。

その疑念をひとまず押しやり、イノはかたく目を閉じて、再び意識を黒い輝きに向ける。その指示を受け、噛み砕かんばかりの力でイモ虫≠くわえていた顎が、しぶしぶといった様子で静かに地面へと下降していくのが感じられた。

どすん、というおだやかな震動。やがて静寂。

まだ暴れ足りないと訴え押し寄せてこようとする〈力〉に抵抗しながら、イノはようやくのことで内なる扉を閉じる。時間にしてわずかだったというのに、どっと疲労が襲ってきた。

「だから……俺は乗りたくなかったんだ」

大きく息をはき出し、全身に汗の流れるイノの耳に、ドレクが恨み言をぼやくのが聞こえた。


*  *  *


「何だ……何が起こったのだ!」

爆発したかのような巨大な光に目をくらまされ、襲ってきた衝撃に展望台の床に倒れこんだガルナークは、叫びながら身体を起こした。

「将軍! 獣が、獣が『終の光』を放ちました!」

内部に通じる入り口の脇に取りつけられた通話管から、士官のうろたえた声が報告してくる。

『終の光』──『ギ・ガノア』の最後にして最大の武器。

「バカな! 誰がそんな指示を出した?」

声を荒げ、ガルナークは前方をにらみつけた。ついさっきまで目の前に広がっていた『楽園』の壮大な姿は、今では天までもうもうと立ちこめる煙幕によって すっかりおおい尽くされている。詳細は不明だが、獣の放った光が、貴重な遺産でもある都市に、甚大な被害をもたらしたことは間違いなかった。

被害は都市だけにとどまらない。展望台から下をのぞけば、きちんと統制されていた兵士達があからさまに混乱しているのが容易に見て取れた。

無理もない。事前の警告もなく、いきなり最大級の兵装を間近で撃たれてしまったのだから。『ギ・ガノア』の後部にいたガルナークでさえも、発射時のすさま じい光と熱と音のせいで、まだ目眩だの、顔が火照っている感じだの、耳鳴りだのがしているのだ。『終の光』の斜線上に展開していた者達は、おそらく何もわ からぬまま光に焼かれ、この世から消滅してしまったことだろう。

ガルナークは歯ぎしりした。予期せぬ事態──『楽園』に入って早々、自分達は奪還すべき都市と、せっかく保持してきた兵力の大半を今の一撃で失ってしまった。冗談としか思えない話だ。

「わ、我々はそのような指示を出しておりません。獣がこちらの命令を無視し、勝手に行動を──」

「勝手にだと?」

士官のあきらかな動揺の声に、ガルナークは眉をひそめる。 

「この後におよんで故障したとでもいうのか?」

「それが……」相手が口ごもった。

「不可解なことに、獣に異常は見あたりません。各所の機能は問題なく動いています」

「ならば、なぜ我々の指示を受け付けんのだ?」

「わかりません。ただ私が思うに、獣のこの行動は、頭脳による判断によって行われたものですから……」

「なんだ?」

「あらかじめ……祖先によって、こうなるよう施されたものではないかと」

「だからどうだと言うのだ!」

ガルナークは、通話管に向かって吠えたてるように言った。

「獣の管理をするのが貴様達の責務だろうが。今まで何を学んできたのだ!」

恫喝するごとく叫んだ後、ガルナークは再び前方に視線を向けた。苛立ちと焦りに表情が歪むのを抑えることができない。『聖戦』の土壇場で、計画の要である『ギ・ガノア』が支障をきたすなど、考えられなかったことだ。

しかし、技術士官は不調ではないと言っていた。怒鳴りつけはしたものの、その言葉が嘘偽りのないことは、ガルナークにもよくわかっている。

あらかじめ頭脳に施されていた? 祖先達によって? 『楽園』に到達したとたん、最終兵器をいきなり撃つことが?

そもそも、なぜ『終の光』だったのだろう。

『ギ・ガノア』の頭脳に判断をゆだねていたときの戦闘でも、獣はそれを使おうとはしなかった。どれほど大量の『虫』が現れようともだ。つまり、それは「最終兵器を撃つまでもなく処理できる」と獣が判断したためである。その正しさは、常に戦果が証明していた。

ならば今のは何だというのか。『死の領域』に比べればまだまだ序の口でしかなかったバケモノの群れに、『終の光』を撃たなければならない判断≠ニは。

いや……あれは、はたして『虫』を狙ったものだったのか?

前方にたちこめる煙が、ゆっくりと上から薄まってきた。そして、『終の光』によって扇状に壊滅した無残な都市の彼方に、それ≠ェ姿を現すのが見えた。

ガルナークは驚愕に目を見開く。

それ≠ヘ信じられない大きさを持ち、『楽園』に入ったガルナークの瞳に、都市の姿よりも真っ先に飛びこんできたあの巨木だった。膨大な光と煙で隠れる前と「何一つ変わらない姿」をして。

信じられない。なぜならば、『終の光』があの木めがけて突き進んでいくのを、ガルナーク自身がはっきりと目にしていたのだから。

なんだ──あれは何なのだ? 大都市を半壊させる光をまともに浴びても、傷一つなくたたずんでいるあの木は。

誓ってもいい。祖先が残した『楽園』の資料の中に、あのような木に関する記述は一つもなかった。常識外れの大きさという点だけでも、記録する価値はありそうだというのに。それとも、祖先が『楽園』にいた時代には存在していなかったとでもいうのだろうか。

しかし、ガルナークにはそうは思えなかった。あの巨木は人知を超えた悠久の時を感じさせる。この地に人が現れるずっと昔から存在しているかのような……そんな雰囲気を。

(もしそうならば、なぜ祖先は記録に残さなかったのだ?)

『ギ・ガノア』が頭をもたげる。後部にいるガルナークにも、獣の燃えるような瞳が、彼方にそびえる巨木を捉えているのがわかった。

獣が狙ったのは『虫』ではない──あの木だ。

その事実が、閃光のように脳裏で瞬いた。

最大最強の武器でしか倒せないと獣の頭脳が判断した「敵」……それがあの大樹なのだ。もしかすると、『終の光』自体がそのため≠ノ用意された兵装だったのかもしれない。

だが、確実に命中したにもかかわらず、相手は傷一つ受けた様子もない。

わからない。あれが何なのか? 獣がなぜあれを葬ろうとしているのか?

ズシンというなじみの振動。『ギ・ガノア』が歩きはじめたのだ。

「将軍!」

通話管から、士官の悲鳴じみた声が聞こえる。

『聖戦』において、今初めてガルナークは混乱していた。それでも、こちらの鎖を引きちぎって勝手に行動している獣が、どこへ向かって歩みを進めているのかだけは、はっきりとわかっていた。


*  *  *


それが起こったのは、シリオスが「黒の部隊」を率いて『楽園』へと踏みこみ、すでに展開していた軍勢の右翼へと移動して、グリー・グルの背から降りたときだった。

『ギ・ガノア』の予期せぬ動き。そして放たれた膨大な光。

目のくらむような輝きと、熱をはらんだ衝撃の波が押し寄せ、とっさに視界をおおった腕に、兵士達の上げる悲鳴と破壊される都市の音とがたたきつけられた。

やがて光の収まる気配がし、腕をおろしたシリオスの瞳に、山のごとく煙の立ちこめた大都市の姿が真っ先に飛びこんできた。

『終の光』──以前に技術士官から聞いた説明を思い出し、すぐに事態を悟った。

思わず鳥肌がたった。煙で詳細こそ確認できないものの、すり鉢状に広がっていた大都市の面積の何割かが、今の光の一撃で焦土となってしまったことは見当がつく。これまでの兵装とは比べものにならないすさまじい威力だ。たしかに最終決戦用と銘打つだけのことはある。

だが、なぜそんなものを放ったのかまではわからなかった。しかも、こちらへの警告もなしにだ。これでセラーダが奪還すべき『楽園』は大きく傷ついてしまっ た。なおかつ、獣の前面に展開していた大軍さえも巻きぞえを食って消し飛んでしまったのだ。下手をすればシリオス自身も消滅していたかもしれない。

血と肉の焼けた臭いが漂ってくる。うめき、泣きわめく声が、まだ晴れぬ煙の向こうから次々と聞こえてくる。消滅こそまぬがれたが、身体を焼かれ、肉体の一 部を失ってしまった兵士達による苦痛の悲鳴だ。煙が完全に去ったとき、そこに広がっているのは、阿鼻叫喚と表現するにふさわしい地獄絵図だろう。

こんなことが自軍にとって何の意味があるのか?──その答えを得ようとするかのように、シリオスは『ギ・ガノア』を見上げた。『楽園』に入った当面の間 は、獣はこちらの指示に従わせて戦うと昨夜の作戦会議で決定していたはずだ。ならば、今の『終の光』はガルナークの独断による命令だったのか。

ちがう。いくら『虫』憎しといえども、将軍がこのような無茶な命令を下すはずがない。それにあの段階では、まだそこまでの数の怪物は現れていなかったのだ。

『ギ・ガノア』は指示を無視し勝手に動いた──そうとしか思えなかった。しかし、堂々とした佇まいを見せる獣に、故障した様子など微塵も感じられない。『聖戦』のほとんどの時間を、獣の中で過ごしていたシリオスにはそれがわかる。

ならばさっきの一連の行動は、あらかじめそう仕組まれていたと考えるのが自然だろう。おそらくは……獣の頭脳を造った『継承者』の祖先達によって。

そして、シリオスはすべてを理解した。

なぜ『終の光』が放たれたのか。それが何を狙ってのものなのかを。

『継承者』の祖先達の──『楽園の民』の真の意図を。

彼らは『楽園』の奪還などどうでもよかった≠フだ。

辺境の地まで追いやられ、故郷の土を二度と踏むことはないと絶望した『楽園の民』にとって、それは子孫をふくめた後世の人間を動かすためのお題目にすぎなかった。自分達が築きあげた至福の都を誰かに継がせる気など、彼らにはさらさらなかったのだ。

『楽園の民』の真の目的──それは復讐≠セ。自分達から故郷を奪い、僻地で朽ち果てざるをえなくさせた『虫』への……いや、それを生み出した『樹』への 純粋なまでの復讐だったのだ。その原因となったのは、自らの行いのせいだというのに。狂気と化した憎悪は、それすらも忘れさせたということか。

すべては『樹』を殺すため。『継承者』も、市民も、首都フィスルナも、軍も、セラーダの何もかもがそのため道具でしかなかった。絶望と憎しみに散っていった過去の人間達──彼らが計画した「復讐劇」を行うための。

そして、その演劇の主役たる『ギ・ガノア』は、ここにきてついに本性をあらわにした。獣の名そのままに、もはや誰にも従うことはあるまい。『楽園』がどうなろうと、人がどうなろうと関係なく、本来の目的である『樹』を殺すための戦い≠演じはじめるだろう。

『樹』が抱える怨念と。『ギ・ガノア』が抱える怨念と。この両者の激突こそが『聖戦』の本当の構図なのだ。

なんという醜さ。浅ましさ。一体、どこまで愚かなのだろう。人というものは。

「セラ・シリオス?」

近くにいた「黒の部隊」の一人が、こちらに向かって気遣わしげに声をかけてくるのが聞こえた。不審に思われても仕方がない。この状況で、シリオスは一人声を上げて笑っていたのだから。だが、これが笑わずにはいられるだろうか。

「申し訳ない。私としたことが、つい取り乱してしまいました」

発作のように起こりそうになる笑いを抑えて、シリオスは部下に釈明する。我ながら情けない英雄≠フ姿だとは思う。しかし……傑作すぎる。

今頃、ガルナークをふくめ『ギ・ガノア』の中にいる連中は大慌てだろう。もっとも、彼らに事態を収拾させることは不可能だ。それどころか、真相すらもわか ることは永遠にない。悲愴な信念もしょせんは茶番でしかなく、この土壇場で舞台から引きずり下ろされてしまった哀れな将軍には、同情の念すら感じてしま う。

煙が少しだけ晴れてきた。周囲の状況を見渡す。絵に描いたような混乱模様。『ギ・ガノア』も勝手に動きはじめた以上、もうセラーダ軍に用はないとみていいだろう。独自に行動を起こすなら今がいい機会だ。

「どうやら……獣は変調をきたしてしまったと判断するしかありませんね」

居ずまいを正し、シリオスは漆黒の一団に向かって告げる。とはいえ、真摯な表情を保つには、なかなかの努力が必要だったが。

「ですが、『虫』はそんなことにはおかまいなしに攻めてくるでしょう。全軍が混乱している今、彼らが本格的に攻めてくれば、我々は一気に劣勢に追いこまれてしまう。その前に、我が隊は独自に行動し相手の数を減らすことに専念します」

「しかし……戦列を離れてよろしいのですか?」

「残念ながら、今の状況では陣形も何もありませんよ。そして、我々が再び体勢を整えるまでにはまだまだ時間がかかる。私は少しでもその時間を稼ぐために戦いたい。あなた方と同じ……この神聖なる戦の一翼を担う者として」

周囲にいる部下の面々を見渡して、シリオスは訴えるかのように続けた。

「我が『黒の部隊』の第一義は『虫の殲滅』──今こそ、それを果たす時ではないのですか?」

そう力強く締めくくったとたん、部下達から気概に満ちた歓声が上がった。なんとも単純なものだ。英雄、『継承者』、最後まで役に立ってくれたくだらない肩 書き。本当は一人静かに消えてもよかったのだが、「黒の部隊」はせっかく育てた自分の隊である。目的を遂げるための間、もう少し使わせてもらおう。

シリオスは煙の彼方を見つめた。そこには、〈力〉の脈動が激しく渦巻いているのが感じられた。怒っている。『ギ・ガノア』の攻撃に、『樹』の中にある子供 達の怨念が怒り狂っている。それはもうじき『虫』となってこの地に溢れるだろう。その時は、我が身も絶対安全とはいかない。急がねばならない。

『ギ・ガノア』に関しては、さほど問題視する必要はなかった。『終の光』であろうと『樹』を殺すことは不可能だ。それに、あの兵装は一度撃つと次に撃つま でに大量の時間を要すると聞いている。再びこちらが巻き込まれる気づかいはないだろう。それまでには、すべてにカタがついているはずだ。

それよりも──とシリオスは思い出す。

『終の光』が放たれたあのとき……すさまじい光と熱と音とが収まりつつあったあのときに、はっきりと自身の存在に触れてきたものに。

それは〈力〉だった。『樹』のものでも、『虫』のものでもない〈力〉だ。

突如生まれた〈力〉の主──それがイノという少年であることに、まちがいはなかった。信じがたいことだが、今あの少年はこちらと同じく『楽園』にいるのだ。

何にせよ驚きである。あの少年は、もはやどこかで朽ち果てたか、滅びの時を怯えて待っているものとばかり思っていたのだ。スヴェンらに追跡を命じたものの、その後の報告もなく、また、『聖戦』に気を取られていたせいもあって、両者のことはすっかり失念していた。

あの爆発したかのような〈力〉──おそらく、内なる扉を開け〈武器〉を解き放ったことによるものだろう。少年の〈力〉を感じたのはあのときの一瞬だけだ。それでも、シリオスが多くを読み取るには十分な邂逅だった。

少年がアシェルの意志を継いだことを知った。この自分を止めるため、シリアの願いを叶えるために、この場にいることを知った。

我々の戦い≠ヘまだ終わっていなかったのだ──

本性をむきだしにした『ギ・ガノア』。自分を阻むために現れた少年。何事も予想外の出来事が多ければ多いほど面白い。終わりゆくこの世界は、最後の最後になってから、自分を楽しませてくれようとするかのようだ。

シリオスは再び笑い声を上げそうになるのを抑えた。さすがにもう醜態をさらすわけにはいかない。

いいだろう。決着をつけようではないか──少年のいるだろう彼方を見つめ、かすかに唇をつり上げるだけに止めた。

そして、漆黒の一団は立ちこめる煙の中に姿を消した。



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