─二十四章 決戦 ・ 上(6)─
巨大な建物≠ニ呼び現すにふさわしい黒ずんだ赤色の身体。うなりを上げる四肢が踏みだす爪のついた足先は、
ちょっとした家屋ほどはあるだろう。それが外見どおりのとんでもない重量を備えていることは、盛大な地響きと、押しつぶされる瓦礫のあげる悲鳴とが必要以
上に証明している。
「まいったな……遠くで見たときとは、ずいぶんちがって見える」
こちらが身を潜めている場所まで近づいた『ギ・ガノア』を見上げて、スヴェンが乾いた笑いを浮かべた。
レアは黙ってうなずいた。彼と同じように、自分の顔も強ばっているのがわかる。間近で見る獣の印象──それは遠くから眺めただけのときとは、あきらかにケタがちがっている。
まず、その大きさに圧倒されてしまう。レアはもちろん、スヴェン達もこんなバカでかい物体が動いているのを見るのは生まれて初めてだ。しかも、それは凶暴
な爪と牙をそなえた「獣」の姿を模して造られている。人間のもつ理性と動物的な本能とが、お互いに抱きあって悲鳴の合唱をあげるには十分すぎるほどの迫力
だ。
「ほんとに、あんなの止められんのかよ?」
「何度も言うけど、あれは人が造った兵器よ。だったら人の手で止められるに決まってるじゃない」
尻ごみした様子のドレクに、レアは叱りとばす調子で返した。もちろん、それは自分自身に向けた言葉でもある。相手はしょせん道具≠ナあり、金属の塊なの
だ──と頭ではわかっているが、『ギ・ガノア』の闊歩している姿に目を向けるたび、どうしても子供の童話に出てくる凶悪な魔獣か何かを連想してしまう。
だが、「魔獣」という呼び名の一部分は当たっているのかもしれない。目の前の獣は、あきらかに道具≠ニしての本分を逸脱し、人間の手を離れて行動しているように見えているからだ。
レア達が隠れ場所に到着したとほぼ同時に、『ギ・ガノア』は『樹』に向けて放ち続けている兵装とは別に、周囲から押し寄せる『虫』の群れめがけて光を撃ち
だしはじめていた。いや……ばらまく≠ニいった方がいいのかもしれない。獣の身体中にびっしりと生えた小さな砲塔から、レアの右腕にある白い籠手が放つ
『光の矢』に酷似した輝きの連なりがはきだされ、まるで悪意をもった雨のように『虫』と戦っている兵士達にまで容赦なく襲いかかっているのだ。人の命にな
ど微塵の価値もないかのように。
運悪く光の射線上にいたために、一瞬にして絶命するか手足を吹きとばされる兵士達の血しぶきと『虫』の体液とが、吐瀉物よろしく瓦礫にぶちまけられて、ぬ
めりのある赤色に塗りかえていく。外には『虫』の群れ。内には暴走した『ギ・ガノア』──人外のバケモノ同士に挟まれてしまった形で、逃げ場を失ってし
まった兵士達が口々に上げている悲鳴とわめき声。獣が断続的に生みだす光と音が、そんな人間達を嘲笑するかのようにまたたき響いている。
この世の地獄としか思えない光景──自分達はあの中に踏みこもうとしているのだ。そして、その地獄の主ともいえる獣を倒さなくてはならない。
レアは少しでも気をしずめようと深呼吸した。さっきから何度も。それでも、身体の震えはすこしも収まらなかった。
「あそこに」と獣の下腹部を指さした。「扉のようなものが見えるわ。あれが内部への出入り口ね」
「地面からかなり高い位置にあるが……」
スヴェンが目を細めて観察しながら言った。
「いや、周りにある瓦礫の山づたいに行けば、なんとか取りつけるかもしれないな。だが扉は閉まっているぞ。それはどうするんだ?」
「これがあるわ」
レアは右手を持ち上げる。その前腕をつつんでいるのは、光の筋が流れている白い籠手だ。
「この刃なら『楽園』の金属だって斬り裂ける。さっき、ラシェネがやったみたいに──」
「伏せろ!」
ドレクの警告に全員がさっと頭を引っこめた。だしぬけに飛来してきた光弾が、すぐ目の前のあった瓦礫を吹っとばす。まき散らされた小さな破片が、それぞれの兜に当たって乾いた音を立てた。
「ちくしょう。こんなのが雨あられで飛んでくる中に突っこむのかよ。ここから嬢ちゃんの『光の矢』で、あのバカ犬をぶち抜きゃいいんじゃねえのか?」
「ラシェネの話を聞いてなかったの? そんなことしたら獣が爆発して、わたし達まで吹っ飛ぶかもしれないって言ってたでしょ」
「じゃあ、せめてあの砲台だけでも潰せねえのかよ?」
「あんな沢山あるものを一つ一つ狙ってる時間なんてない。それに『光の矢』だって無限に撃てるわけじゃないのよ? さっさと獣の仕組み自体を停止させるしかないわ」
「急いだほうがいい。新手の『虫』がこっちまで押し寄せてきそうだ」
後方を警戒しているカレノアが告げてきた。
「えいくそ!」
ドレクがやけ気味に立ち上がった。
「こうなりゃ、いっちょ出張るしかねえか!」
「俺達でお嬢さんを守るようにして、一気に駆けぬけるぞ。見たところ獣の後ろ側が砲火も兵士達も少ない、そこから奴の足下ぎりぎりまで接近しよう」
「待って!」レアは声を上げた。
「あなた達が、わたしの盾になることはないでしょ?」
「気にしなさんな。その武器が扱えるお嬢さんは、この作戦の要だからな。それに、万が一のことでもあれば、元上司としてアイツにあわせる顔がないよ」
「俺の身体はこの通り大きい。盾にはうってつけだ」
「べつに俺らだって死ぬ気なわけじゃねえよ。だいいち、イノの奴に抱かれないまま死ぬのは嫌だろ。嬢ちゃん?」
笑いながら肩をすくめているスヴェンと、優しげな眼差しをしたカレノアと、ニヤニヤしているドレクと。
レアの胸がつまった。最初は信用すらしていなかった「その他三人」が、今では自分にとってかけがえのない仲間なのだとはっきりわかる。
「ありがとう」
心からの感謝が言えた。
「おいおい。やけにしおらしくなっちまったな」
「べつに……あんたに言ったわけじゃないわ。それに、わたしはお嬢さんでも、お嬢ちゃんでもない。レアよ」
どこまでもからかうドレクにぶっきらぼうに返す。この下品きわまりないヒゲが口にした抱かれる≠ニいう言葉に、ほんの一瞬だが妙な想像をしてしまったレアだ。こんなとんでもない状況だというのに……わずかに顔が赤くなってしまった。
でも、おかげで緊張が少しだけほぐれた気がする。ほんの少しだけ。
背後から聞こえてきた路地をひっかく音。『虫』達が迫っている。
「行くぞ。お前達、覚悟はいいな?」
スヴェンの言葉に、全員がうなずく。
四人は建物の影から飛びだした。
黒い姿の三人の男達と、その中央に位置する白い姿の少女とが、一丸となって瓦礫の上を駆けていく。やがて、彼らの隠れていた場所に到達した『虫』の群れが、そのまま四人の後を追いすがるようにして疾走してくる。
「やべえ! 奴らもこっちに向かってきやがるぞ!」
「かまうな! とにかく突っ走れ!」
互いに叫びながら、四人は瓦礫の山を次々と乗り越える。近づいてくる轟音。悲鳴。光。そして獣の姿。
必死で脚を動かすレアの瞳に、遠く前方で『虫』と戦っていたセラーダ軍の一隊めがけて、上空から光の連なりが容赦なく降りそそいだのが映った。怪物を相手
にするのに気を取られていた幾人かが、あっけないほど一瞬で頭や腹を撃ちぬかれる。彼らが上げたのは断末魔の悲鳴ではなく、血しぶきにまみれた脳漿と内臓
だ。そして、白い瓦礫を染める赤い赤い色。
「獣の近くまで後退しろ!」と、『継承者』の将官らしき格好をした男が叫んでいる。わめいている。誰も彼もが、とことん追いつめられた形相をしている。外から接近する自分達に注意を払うそぶりさえ見せない。もはや、それどころではないのだ。
吐き気をもよおす光景から、レアは悠々と歩みを進めている『ギ・ガノア』に目をやった。斜め後ろから見た獣の背中には、手すりのついた展望台らしきものが設置されてる。
一瞬、その上に人影を見たような気がした。
ガルナーク──彼なのだろうか?
危うく瓦礫につまずきそうになって、レアは慌てて注意を自分の周りにもどした。一度だけ振り返る。背後にある瓦礫の山を乗り越えて、『虫』達が迫ってくる
のが見えた。悪路では人間ばなれした四肢をもつ怪物達の方が、はるかにすばやく移動できるのだ。このままでは追いつかれる。
そのとき、『ギ・ガノア』の後脚上部ある砲台のいくつかがこちらを向いた。
ぞっ、と全身の毛が逆立つ。細い砲身の先に口を開けている深淵。それが背後にいるバケモノ達を狙っていることはわかっていたものの、レアには暗闇が放とうとする死≠ェ、自分を品定めしたかのように思えた。
「伏せて!」
叫ぶと同時に、レアは目の前に飛びこむ勢いで身を伏せた。瓦礫に激しく身体を打ちつけた痛みと衝撃。瞬間、頭上の空間を裂き、背後にむらがる『虫』達めがけて、輝きの連なりが怒濤のごとく飛来する。
レアはすがるように頭を──黒い兜を抱えこんだ。祈りにかたく目を閉じた。周囲の騒音が遠のいていく。聞こえるのは、甲殻が砕ける音。肉を貫く音。体液が飛び散る音。でも、何にも増して大きく聞こえてくるのは、自分の心臓が破裂しそうな勢いでガンガンと脈打っている音だ。
情け容赦のない砲撃はまだ続いている。そして、あの砲口がほんのわずか下を向いただけでも、そこから撃ちだされる非情な光はこちらまで巻きぞえにする。
さっきの兵士達のように頭を粉々に吹っとばされてしまう。死んだということもわからないまま、自分の何もかもが一瞬で終わってしまう。イノとラシェネに二
度と会えなくなる。二度と──
何か叫んでいたのかもしれない。叫ばなかったのかもしれない。
やがてレアがまぶたを開け、腕から顔を上げたときには、光の掃射は終わっていた。ぜいぜいと息を荒げながら振り返れば、うっすらとした煙の中に、バラバラになった『虫』達の血肉が散乱している。遠のいていた周囲の喧騒が耳に飛びこんできた。
近くに身を伏せていた黒い姿が動きだす。安堵した。仲間達も無事だったようだ。
「今のうちだ。一気に近づくぞ!」
起きるなりスヴェンが叫ぶ。震える身体にむちを打って立ち上がり、レアは再び駆けだした。鼓動はまだ激しく鳴っている。四人とも顔に色がない。外傷こそないものの、あの光の連なりに命を削り落とされたような気分だ。
瓦礫の山を越え、人とバケモノの屍のあいだを抜けて、レア達はようやくの思いで、『ギ・ガノア』の後脚を間近にする位置にまでたどり着いた。
さっきよりもさらに近くで目にする獣の姿──腹の底まで響くような稼働音をともないながら、重厚さをもった足先が上下する様は、家が持ちあげられ地面にた
たきつけられるのを、そばで見ているに等しい。瓦礫のつぶれる大音響。地震のような揺れ。現実ばなれしたそれらの光景は、今すぐにでも背を向けて逃げだし
たいという気を起こさせるには、十分すぎるほどの迫力だ。しかし、少なくとも『虫』はここまでは押し寄せていない。そのため、死の砲撃に怯えることはなさ
そうだった。
「ここまでくりゃあ……一安心だな」
息をあえがせ、顔に光る汗をぬぐいながらドレクがいった。緊張に次ぐ緊張に、一行の肉体と精神は悲鳴を上げっぱなしだ。それでも、まだ課せられた大仕事は終わっていない。
レアは視線を上げた。獣の脇腹あたりに、めざす内部へ入るための扉がある。人一人が通れる幅をもつ扉のそばには手すりが設置され、下には短い踏み段があるのも確認できた。取りつくときの足場には困らないだろう。
「あの扉まで行けそうな高さの瓦礫は……まだまだ先にあるな。仕方ない。それまでこの辺りでねばるか!」
周囲の騒音に負けないよう、スヴェンが声を上げた。
「いえ、そんな悠長に待ってはいられない!」
同じく叫びながら、レアは獣のすぐ前方にある瓦礫の山の一つを指した。
「あそこからなら、あなた達の誰かに手を貸してもらって飛び上がれば、わたしだけでも扉に行けるかもしれないわ!」
ドレクが目をむいた。「ちょっと待てよ! 一人で乗りこむ気か?」
「他に手はない。グズグズしてたら、こいつはまたあのとんでもない大きさの光を撃つかもしれないのよ? もしそうなれば、『樹』の中にいるシリアや、そこ
に向かっているイノとラシェネだって危ないわ。大丈夫。レマ・エレジオもあるんだし、わたし一人でもなんとかしてみせる。この獣と……叔父を!」
決意に満ちたレアの瞳と言葉に、スヴェンがうなずいた。
「わかった。ただ無茶はするなよ」
「ええ。わかってる」
「どうだかな。もう十分に無茶だと思うぜ」
ドレクが笑った。
四人は『ギ・ガノア』の巨大な脚を脇目に、めざす瓦礫の山へと駆けだした。頭上では、なおも『樹』と周囲に向けての光が放たれ続けている。激しく明滅するその輝きの数々に、いいかげん目がおかしくなってしまいそうだ。
その中を、混乱から少し立ち直り、自分達と同じく獣の間近まで後退しようとする兵士達の姿があった。だが、遠くにいる大部分の者達は、背を向ければ『虫』の群れに襲われかねない状況のため、移動すらままならない様子だ。彼らのためにも急がねばならない。
うずたかく積もった瓦礫の山を駈けのぼる。ギラギラした八つの瞳で前をにらんだまま、『ギ・ガノア』がその脇を通りすぎようとしている。下腹部にある扉が山の頂に近づいてくる。
「放り上げるのは、俺にまかせろ!」
真っ先に瓦礫の頂にたどり着いたカレノアが叫び、両手を腰の下で組んでかまえた。
駆ける勢いそのままに、レアは躊躇なく大男の両手に片足をかけた。相手のたくましい巨体が生みだす力が、自分の身体を軽々と宙に押し上げるのを感じた。
飛んだ──そう意識した瞬間、頭上からの明滅の中、扉の下にある鉄色をした踏み段がレアのすぐ目の前に迫った。伸ばした両腕。めいっぱい広げた掌に、一番下にある段がたたきつけられたように当たった。つかむ。とたんにもどってきた重力が、一気に身体にのしかかってくる。
両腕だけで踏み段にぶらさがっている状況で、レアは歯を食いしばって身体を引き上げる。スヴェン達が何やら叫んでいるのが下から聞こえる。獣が歩くたびに
起こる振動がさらに腕に負担をかけてくる。が、思っていたよりも揺れはすくない。なんとか踏み段の上まで這いのぼると、息つく間もなく扉の脇にある手すり
をつかんだ。
すでに起動しているレマ・エレジオに目を走らせ、レアの指が『光の矢』に使用するものとは別の引き金に力をこめる。軽快な音をたて両脇から現れた刃が、瞬時に組み合わさり、さらには伸びて鏡のような刀身を形成する。
片腕で手すりをしっかりとつかみながら、レアはためらうことなく籠手の先に生まれた剣を扉に突き入れた。常識を超えた速度で振動しているという刃は、驚くほどあっさりと鋼鉄の扉の中にもぐっていき、思わず体勢を崩しかけてしまった。冷や汗が全身を流れる。
火花を散らしながら、慎重に扉を斬り裂いていく。いや、溶かしているといった方が近いのかもしれない。まるで布を相手にしているかのように、武器をはめた腕にはほとんど抵抗を感じなかった。
「下がって!」
地上で見守っているスヴェン達にそう警告すると、レアは最後に残った部分を切断した。さっと身を引いたとたん獣の歩く震動がして、重い扉がぐらりと前のめりになる。やがてそれは地上へと落下していき、瓦礫に激突してど派手な音をたてた。
レアは刃を収めると、ようやくできた入り口へと飛びこんだ。暗い内部には、鋼鉄の階段が曲がり角まで続いている。その階段の足下を照らすように、壁面には親指ぐらいの大きさをした白色の照明が設えられていた。
「行ってこい、レア!」
下から聞こえてきたスヴェンの声に振り返った。
「怪我すんじゃねえぞ!」
「俺達の心配はいらない!」
こちらを見上げている三人がいた。その周りでは、せわしなく体勢を立て直している途中で、ようやくこちらの存在に気づいたセラーダ軍の兵士達の、混乱に混乱を上塗りしたような顔も見える。
スヴェン、ドレク、カレノア。彼らのくれる笑顔と声援に、レアも同じような笑みを返し片手を上げて応えた。
そのまま身をひるがえし、一気に階段を駆け上る。途中、自分の黒い剣を鞘から抜き放った。内部の様子がまだわからない以上、威力のありすぎるレマ・エレジオの使用はひかえたほうがいいだろう。
とはいえ、外見の印象とは裏腹に、『ギ・ガノア』の内部は思ったよりもずっとせまい造りをしているようだった。警備の兵士等の障害が、途中に立ちふさがる可能性は少ないのかもしれない。
階段を上った先には通路が伸びていた。途中で三方に別れている。その一つはずっと奥の方まで直進しており、突きあたりに扉があるのが見える。今は開いているようで、中から血のような赤い光が通路にもれていた。
ひとまずその扉をめざずことにして、レアは警戒しながら通路を進んだ。
しだいに近づくにつれて、部屋の中から通路へと響いている声の数々が耳に入ってくる。複数の男達による取り乱した叫び。もしかしたら、あそこがこの獣を操作するための部屋なのだろうか。
入り口まで迫ると、レアはすばやく扉に張りつき内部の様子をうかがった。ちょっとした広間といってもいい部屋には、どっしりとした形の机がところせましと並べられていた。その机の上面は、光輝く小さな窓と、細かい文字盤でびっしりと埋めつくされている。
部屋の奥にあるひときわ巨大な窓には、そびえたつ『樹』の姿が一面に映し出されていた。いや、あれは窓ではなく板≠ネのだろう。ラシェネの部屋にあったものと同じ、離れた場所にある景色を映しだす仕組みをしているのだ。
不気味な赤い照明の下では、十人ばかりの男達が聞き慣れない用語を使って口々に叫びあっていた。全員が鎧も着用しておらず、身につけた剣も形ばかりに見え
るため、兵士という印象ではない。おそらくは、この『ギ・ガノア』を動かすことを専門とした技術者達だろう。となれば、やはり獣の操作はこの部屋で行われ
ているとみていい。
そのとき、一人の男が扉の近くへと駆け寄ってきた。レアは慌てて身を引いた。
「だめです! 我々の知るすべての手段を試しましたが……」
再びそっと扉から様子をうかがう。男は入り口から少し奥にある部屋の隅にいた。こちらに背を向け、壁に向かって話しかけているところからみて、声だけでやりとりする仕掛けがそこにあるのだろう。
そして。
『せめて弐の光≠セけでも止められんのか? このままでは展開している部隊が壊滅するぞ!』
男に応えた雑音まじりの声がはっきりと耳に聞こえ、レアは息をのんだ。
忘れたことのない太い声。
ガルナーク──叔父はやはりこの獣の中にいるのだ!
そして、互いに混乱したやり取りが続いたあと、男は壁からはなれ、再びもと来た場所へもどろうとした。
レアは意を決し部屋へ飛びこんだ。
駆ける。こちらの気配に振り返った男が目をみはる。しかし、そのときには、レアはすでに間合いをつめ、相手の首筋に黒い刃を当てていた。
「なんだお前は! どこから──」
他の男達がこの事態に気づき、叫び声を上げはじめた。突然あらわれ、仲間の一人に剣を突きつけている少女の姿。彼らの混乱は、さらに拍車をかけられたことだろう。
「名乗ってる暇なんてないわ。この獣を今すぐ止めなさい」
睨めつけるように男達を見渡して、レアはいった。
「わ、我々だって止めようとしているところだ!」
刃を当てられている男が、青い顔をしてしどろもどろに答える。
「そう? 少しもおとなしくなっているようには見えないんだけど」
「それは──」
「これは『楽園』の技術を使って造られた兵器なんでしょ? だったら、心臓だか何だか知らないけど、力を生み出す源になってる部分があるわよね。それを止めれば獣自体を停止させられるはずよ」
「それは『生命の灯』のことか? あれを止めるにはガルナーク将軍の許可がいる。我々の一存ではできない。それに、停止操作に必要な鍵だって将軍が持ってるんだ」
「そう。ならわたしが彼と話をつけるわ。どこにいるのか教えて」
「ば、バカな。なぜお前のような者に──」
レアは男を鋭くにらみ。首筋にあてがった黒い刃に力を入れた。相手の顔色がさらに青くなった。
「時間がないの」冷たい声で告げる。「言わないと腕を切りおとすわ。片腕でも、がんばれば文字盤の操作ぐらいはできるでしょうからね」
沈黙。こちらが本気だと知り、男の瞳にまじりけのない恐怖が浮かんだ。
「し、将軍は……その先だ」
震える指先が、部屋の奥に見える通路に向けられる。
「進めば階段がある。将軍のおられる展望台に続いている階段だ」
「獣の中には、他にどれぐらいの人間がいるの?」
「我々と……将軍だけだ。ほ、本当だ」
相手の言葉に嘘はなさそうだ──レアは刃を退けた。息をあえがせている目の前の男もふくめ、この部屋にいる全員がこの成り行きに度肝をぬかれている様子だ。もともと兵士ではないためだろう。反撃はおろか、腰に剣を下げていることすら忘れているようだった。
男達に抵抗する意志がないのを横目で読み取りながら、レアは示された通路へと早足に歩きだした。
「あんた達は自分の仕事を続けて。わたしを追いかけようとは思わないことね。そうなれば命の保証はしないわよ」
「将軍をどうするつもりだ?」
「言ったでしょ? 話をつけるだけだって」
「い、いったい何者だっていうんだ。お前は?」
「将軍の──昔の知り合いよ」
背中にかけられた声。振り返りもせず答えた。
通路は一本道で、階段にはすぐにたどり着いた。長いその階段を見上げれば、頂上にある出口に日の光が満ちている。
レアはためらいなく一つ一つの段に脚をかけていく。靴底と鉄とが触れあう小さな音。それは、出口から流れてくる騒音に少しずつ飲みこまれていった。
やがて段を上り終える。出口を抜けたとたん、雲間から差しこんできた金色の光に目を細めた。風が服をはためかせる。
再び目を開けたとき、レアの前には、手すりのついた小さな展望台が広がっていた。そこには、豪奢な刺繍の入った深い緑色の衣を着た男がいた。こちらに背を向け、握りつぶすほどの強さで手すりをつかんでいる男が。記憶にある後ろ姿が。
「ガルナーク・セラ・アシュテナ」
レアは口を開いた。眼下に広がる混沌とした光景に。遠く響いてくる喧騒に。吹きすさぶ風の中に。自分の声が静かに流れていくのが聞こえた。
男が振り返った。
「なんだ……貴様は?」
記憶にあるものよりも老けた顔。かつては大好きだった顔。そして……その後は自らの手で殺すことを願っていた顔。
目と鼻の先にある男の顔に、レアの鼓動が高鳴る。
「女? 何者だ。どこから入ってきた?」
彼が再び問いかけてきた。操作室にいた男達と同じように、いきなり目の前に現れた見知らぬ相手にさぞ混乱していることだろう。しかし、その様子からあから
さまな動揺はうかがえなかった。鋭い眼光。威圧する太い声。たとえそれが虚勢であったとしても、他者の上に身を置く者としての威厳は、十分に保たれてい
る。
もちろん、こちらの正体に相手が一目で気づくわけがないとは思っていた。最後にこの男と会ったとき、自分はまだほんの子供でしかなかったのだから。おまけに、彼の中ではその子供は死んだことになっているのだ。
死んだ……いや、ちがう。殺した≠ニいうべきだろう。
「八年ぶりだというのに、ずいぶんなご挨拶ね」
胸の内にわき上がる様々な想い。それらを抑えるかのように、レアは兜を外しながらゆっくりと続けた。
「お久しぶり──叔父様」