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─一章  『虫』(2)─



「とにかく生存者の救出が第一だ。ここの防備を固めるのはその後でいい!」

蜂の巣をつついたような、という表現そのままの騒ぎにみまわれている砦内部を突っ切って、中央棟司令室にたどり着いたイノ達の目に、混乱している部下へ 激をとばしている『継承者』の姿が入りこんできた。彼の視線が、入り口から自分の方へ歩いてくる全身黒ずくめの異様な五人の姿をとらえ、一瞬だけぎょっと したように見開かれた。

「君達か‥‥‥無事だったのだな」

激をとばしたばかりの周囲の部下達と同じぐらい、この状況に動揺している自身を笑ったのだろう。アレシア・セラ・アビエタの顔に苦笑が浮かんだ。そし て、絶対者である『継承者』への敬意を示すために膝をかがめようとしたイノ達を、「かまわないよ」と手をかざして制した。

「今は、形式的な挨拶をしている場合ではないからな」

「セラ・アレシア。この状況はいったい?」スヴェンが口を開く。

「正直、私にもよくわからない。奴らがこの砦の内部から攻めてきた、ということ以外は」

「内部から‥‥‥ですか?」

彼は苦しそうにうなずいた。年齢はスヴェンよりも少し上、三十半ばといったとこだろう。「黒の部隊」の指揮官である『継承者』セラ・シリオスと、同い 年なのだと聞いたことがある。まだまだ若さを残す顔には、内心の動揺を押さえこもうとしている様子がありありと見てとれた。普段はきれいに整えられている 髪も、幾分かみだれている。

「最初に襲撃の報告があったのは北棟からだ。そして南、東、最後に西だ。だが、それまでの間、外にいた見張り達は何も見ていないと断言している。攻めてき た『虫』達は一匹や二匹ではない。そのすべてが、監視の目を逃れて内部に侵入してくるなど不可能だ。つまり‥‥‥奴らは外から攻めてきたのではないという こ とになる」 

「ですが、どうやって?」

スヴェンが驚いてたずねた。イノ達も同様だ。スラの砦周辺には、遮蔽物のない大地が広がっている。いくら前触れもなく襲ってくるとはいえ、接近する『虫』 達の姿が確認でき なかったということは考えられなかった。彼らが地面を掘りすすんできたというのなら別だが、そんな事例は、これまでに聞いたことがない。

当然、『継承者』もただ首をふるのみだ。

「こんな事態は初めてだ。敵が中にいるのでは大砲も使えないからな。スエルの砦に援軍を要請しているが、到着にはまだまだ時間がかかる。それまで持ちこた えら れるかどうか‥‥‥」

イノは司令室の隅へ目をやった。そこでは卓上に埋めこまれた「音石」を操作している兵士の姿が見える。「音石」とは特殊な鉱石を使って複数の段階の音を飛 ばす ことで、遠距離にある同じ「音石」同士との相互連絡を可能にする通信器具だ。『継承者』の祖先達が設計したというこの器具を使えば、伝令を 走らせるよりもはるかに速く他の砦と連絡をとることができる。

「とにかく、今は無事な者達を集めて、砦のかたっぱしから奴らを叩いていくしかない。君達にも協力してもらう。断じて、ここを『虫』の好きにさせるわけに は いかないからな」

五人はうなずいた。事情がなんであろうと、『虫』と戦うことに異存はない。自分達はそのために、この場にいるのだから。

「生存者の救出と『虫』の討伐をかねて、すでに各棟へ何隊か向かわせている。君達には北棟へ行ってもらいたい。現状から判断して、奴らの戦力はそこに集中 しているようだ」

北棟──『虫』が最初に攻めてきたという場所だ。

「状況は最悪だ。だが私は君達がここにいてくれたことに感謝したい。シリオス卿の『黒の部隊』‥‥‥君達をあてにさせてもらう」

期待のこもった『継承者』の眼差し、そして彼が口にしたシリオスの名に、イノの胸は自然と高鳴った。

「クロニク」

『継承者』は一人の兵士を呼んだ。

「今すぐ隊を編成して、『黒の部隊』と共に北棟へ向かってくれ」

「了解しました」と威勢のいい声を上げた後、クロニクは畏怖にも似た視線を五人に送り、駆け足で司令室を出ていった。

「健闘を祈る」

再びこちらに向き直り、セラ・アレシアはいった。


*  *  *


「あんた達と肩をならべて戦えるなんて、こんなに光栄なことはないよ」

司令室のある中央棟から北棟へと向かう通路をすすむ途中、クロニクが話しかけてきた。セラーダ軍の鉛色をした兜の下から、日に焼けた顔が笑っている。 快活そうな男だった。その背後には、彼が集めてきた兵士達が十数人続いている。

「連中がどれだけ潜りこんでいるかは知らないけどな、あんた達がいれば楽勝ってなもんだろうよ」

「ま、俺達はそちらの期待に応えるようにがんばるだけさ」

盛り上がる相手に、スヴェンが軽く返す。それをただの謙遜と受け取ったのだろう。クロニクや彼の部下達が、「黒の部隊」に注ぐ眼差しに変化はな かった。

彼らの目には、黒一色の装いをした自分達が、超人か何かのように映っているにちがいなかった。イノにはその気持ちがよくわかる。つい一年前までは、自身も そのような目をしていたのだから。

「黒の部隊」の指揮官セラ・シリオスは、「セラーダの英雄」とうたわれる人物である。生きながらにして伝説となっている英雄に、人々がいだく尊敬と憧れの 念。それはそのまま、彼に選び出された兵士達によって構成される「黒の部隊」にも向けられた。

まるで自分が英雄そのものであるかのような周囲の眼差し‥‥‥それは誇らしいと思える反面、重荷でもあった。だが「英雄の部隊」として、そのような周りの 期 待に応えるのもまた「黒の部隊」の任務なのだということを、イノはこの一年で学んでいた。

だが、クロニクやその部下達が自分に向けてくる視線の中には、スヴェン達を見るときとはちがう感情が混じっていることに、イノは気づいていた。

驚きと、不審と‥‥‥。しかし、腹は立たない。自分のみに注がれるそれらが不当なものでないことは、誰よりも自分自身がよくわかっているからだ。

無理もなかった。十六というイノの年齢は、新兵とほぼ変わらない。さらに不幸なことに、同年代の少年達とくらべれば若干小柄で、柔和な面立ちをしているた め に、実際の年齢より若く見られがちだった。幼なじみのクレナは「かわいいからいいじゃない」と言ってくれるが、当人としてはまったくもって嬉しくなかっ た。スヴェン達を含 め、歴戦の猛者が連なるといわれる「黒の部隊」の中で、自分の姿がやたらと浮いているのが、悲しいぐらいに自覚できる。

なんでこんな奴が「黒の部隊」にいるのだろう? 新たな戦場に配属されるたび、イノはそのような視線を受けてきた。だが、その理由が一番わからないのはイ ノ自身だ。人並み外れた戦果を上げたわけでもなく、もちろん、軍の上層部に顔がきくわけでもない。一年前のある出来事がきっかけで、セラ・シリオスによっ て新兵からいきなり「黒の部隊」に抜擢されてしまったのだ。異例の出世である。クレナやスヴェンよりも、まず自分が一番驚いてしまった。

アルビナの崩落‥‥‥一年前の出来事は、軍の上層部によって世間には公表されていない。もちろん、その関係者であるイノの出世も、同様に広まることはな かった。初めて彼を見る人間の眼差しに、驚きと疑いの眼差しが向けられるのはそのせいでもある。

幸いにも、ここの兵士はイノに話しかけてくることはなかった。ジロジロ見られるだけならもう慣れている。もっとも、「黒の部隊」に入ったいきさつをたずね られたところで、事情を説明してやる気はない。一年前の事件については黙秘を誓わされているし、自分自身が語りたくない出来事だからだ。

やがて通路の行く手に、急ごしらえのバリケードが設えてあるのが目に入ってきた。椅子やら机やらが、ゴタゴタと積み上げられている。ないよりはマシといっ た程度のその防壁の前で、五、六人の兵士が緊張した顔つきで警戒にあたっていた。

「どうだい。向こうの様子は?」クロニクがたずねた。

「しばらく前にコイツらが出てきてからは、気味が悪いぐらい静かですよ」

足下に何匹か転がっている『虫』の死骸を指して、イノと同じぐらい若い兵士が答えた。

「いったい何が起こったっていうんですか? 目が覚めてみればこの騒ぎで、詳しいことはまだ何も聞かされていないんです。北棟にいた連中は──」

「そいつをこれから調べに行くのさ」

言いつのる兵士達を制して、クロニクは続けた。

「とにかくお前達はここを守っていてくれ。一匹たりとも奴らを通すんじゃないぞ」

兵士達はうなずくと道を空けた。バリケードを通り抜けるさい、さっきの若い兵士が「お気をつけて」と不安げにつぶやくのが、イノの耳に聞こえた。



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