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─十三章  動きはじめた『獣』(1)─



じめじめと続いた雨は、昨日の夕方には止んでいた。今朝から首都の上に広がる空は、気持ちいいぐらいの快晴だ。

まばゆい日差しの中、クレナは第一層区にあるラナ・セア広場にいた。フィスルナの各地区にある他の広場とはちがい、行事目的のために存在するこの巨大な広 場は、普段は一般市民には解放されていない。足を踏み入れることができるのは年に数度だけである。

広場は各層の市民ごとに区画整理されているため、「押し合いへし合い」とまではいかないものの、クレナの周囲は人々でごったがえしていた。これほどの人間 が一箇所に集まるのは、首都では珍しい光景だ。もちろん皆いつもなら生産区で働いている時間である。今日はこの式典のために、首都の全事業は休日なのだ。

とはいえ、すべての市民がこの場に集っているわけではない。ラナ・セア広場にそこまでの規模はない。入る権利があるのは第五層の人間までだ。クレナの階級 は五だからギリギリだった。それ以下の階級の市民は、普段自分達が使っている広場で行われる催し物への参加となる。公共広場はここに比べればずっと狭いた め、そちらはもっと混み合っているのだろう。

共に出かけたはずの両親とは、知らぬ間に別れ別れになってしまった。この人だかりの中ではもはや探す気も起きず、クレナは眺めがよい場所へとそそくさと移 動した。

円形の広場は、『継承者』の居住区側に面したその半分を大きな天蓋でおおわれている。白く太い石柱が幾本も屹立する中、涼しげな影の下に、普段は目にする こ ともかなわない支配者達が一堂に会しているのが遠目に確認できた。ここラナ・セア広場と、他の公共広場で催される式典。両者の決定的な差は『継承者』の 有無である。最上層に位置する人々は、下層の広場になど出向いたりはしないのだ。

『継承者』の格好は、一目でそれとわかるほど上質できらびやかなものである。緻密な模様の織りこまれた染み一つない長衣。宝石の輝く装身具の数々。大人も 子供もそれらを自然に着こなしているあたりが、「雲の上の人々」たる由縁なのだろう、とクレナは思った。楚々とした立ち振る舞いも、自分達のような慌ただ しいものとは真反対である。

こうも歴然とした差があると、嫉妬も羨望も起きない。どのみち、そんなものを抱いたところで不謹慎なだけであるから、起きないに越したことはないのだけれ ど。

もちろん、『継承者』と市民の間には、物々しい警備がしかれている。同じ広場に集っているといえど、住む世界の違う人々の間には、明確な境界線が引かれて いるのだ。

ようやく落ち着いた場所に陣取り、クレナは一息ついた。興奮にざわめく人々の間に交わされる言葉。そのすべては、これから起こる出来事に関するものばかり である。

『聖戦』──ついに、はじまるのだ。

セラーダの歴史始まって以来の、最大にして最後の戦。それに自分が立ち会うのだと考えると、クレナも胸の高鳴りを抑えきれない。

ひょっとしたら……と、いたるところに立ち並ぶ兵士達の中に、イノとスヴェンの姿を探してみる。だが見当たらなかった。目に映るのは鉛色の鎧姿ばかり。あ の黒姿がいるとしたならば一発でわかる。

(まあ、「黒の部隊」が式典の警護なんてするわけないか)

結局、あの二人はまだ帰ってきていない。でも、各地から続々と「黒の部隊」の他の班が、『聖戦』のために帰還しているという噂は聞いていたから、まだ到着 してないだけかもしれない。

予定では兵士達は明朝に、軍本部から正門までの大通りを行進して出陣することになっている。直接会う時間はないかもしれないが、出発する二人の姿を見送る ことぐらいはできるかもしれなかった。

広場の端に控えている楽隊が、高らかにラッパを吹き鳴らした。人々のざわめきが静まり返った。

やがて、『継承者』達の中から一人の男が、市民達の前に設えられた高い壇上へと進み出た。

ガルナーク・セラ・アシュテナ。この将軍の名を知らない者はないだろう。

鷲のような鋭い双眸が群衆を見下ろした。華麗な装飾を施された暗緑色の衣をまとった身体から放たれる威厳が、静寂に満ちた広場に浸透していく。それは市民 達だけではなく、彼の後ろにいる『継承者』達に対しても同様だった。

「栄えあるセラーダの市民諸君!」

遠く離れたクレナの耳にも、はっきりと届くほど力強い声音だった。

「かつて我々『継承者』の父祖が住まいし彼の地≠フことは、いまさら諸君らに説明するまでもないことであろう。栄華と至福に満ちた彼の地にまつわる語り 事のすべてが、夢幻の類ではなく、まぎれもない真実であるということも、あらためて告げるまでもないことと思う」

だが、と将軍は続けた。

「その彼の地≠ヘ我々の手より遠く離れた場所にある。そして、さらに遠くへと離れゆこうとしている。このフィスルナという地がもたらす僅かばかりの安寧 によって、人々の記憶から時の彼方へと追いやられてしまおうとしているのだ」

そこで、ガルナークはいったん聴衆を見渡した。憤慨を湛えたかのような
彼の表情が自分に向けられたような気がして、クレナはどきりとしてしまった。

「むろん、この都のすべてを否定する気はない。私達の父祖と、諸君らの父祖。彼らの血の滲むような尽力を持って造り上げたこの一大都市は、誇るに値する荘 厳なものである。だが、それでもこの地が、フィスルナという名が示す通りのかりそめ≠ナあることに変わりはしないのだ。ここは本来我々が立つべき大地で はない。私はそう断言する。その証拠に、いま諸君らは揺るぎない幸福に包まれているか? 怒り、憎しみ、悲しみ、不安や恐れ、それらが一片も胸にないと言 い切れるか?」

ガルナークはさらに声を張り上げた。

「諸君らに問おう! ここは永遠の安息にたる地か?」

ちがう、と聴衆の中から声がした。

「では、何故我々は今だこの地にいるのか? 否、何者が我々をこの地に縛りつけているのか? その怯えの念を、愛する者を失った癒えることのない憎しみと 悲しみを、我々に植え続けているのは何者だ?」

『虫』だ、と今度は別の声が返す。やがて、群衆の中から次々と声が上がりはじめた。『虫』という言葉に、それぞれが抱く怒りと憎しみを込めて。

「そうだ! 『虫』こそがすべての元凶であり、この世界から駆逐せねばならない存在である! あの醜きバケモノ達がいるかぎり、我らに真の幸福が訪れるこ とは決してない! そして、我々の父祖が奴らに戦いを挑みはじめてから幾十年、ついに子孫たる我らがそれを完遂させる時が来たのだ!」

人々に向けて拳を振りあげた将軍の、雷鳴のような声がとどろく。

「我がセラーダは、彼の地の奪還と『虫』の根絶をかけた神聖なる戦の始まりを、今ここに宣言するものである!」

わあっ、という歓声に広場がわいた。

「かつてない戦に、不安に思う者もいるだろう。だが案ずることはない。我がセラーダ軍は、これまでにない強固な結束を持ってこれに当たるのだ。そして、我 々には守護者たる『ギ・ガノア』がいる。それは、彼の地を追われた我ら『継承者』の父祖達が、持てる技術と執念のすべてを結集させ、後世に残してくれた強 大な兵器である。永い時を経て、裁きの獣≠ヘ産声を上げた。もはや、その歩みを止めることは何者であろうとできはしない。獣の放つ裁きの光は、不浄なる 者をことごとく焼きつくす。諸君らは明日の朝、我が軍の出陣と共にその偉大な姿を目に焼きつけることだろう!」

裁きの獣──どうやらそれが噂の新兵器らしい。しかし、この式典で公開されるわけではないようだ。色々と想像をめぐらせ楽しみにしていただけあって、クレ ナはちょっとがっかりした。だがあと一日の辛抱である。

「これまで諸君らが尽くしてきた忠義。戦いで散っていった者達の無念。卑しくも大任をまかされた身として、私はそれらを決して無駄にはしないと約束しよ う! 必ずや忌々しい『虫』どもに正義の鉄槌を下してみせると! ここにいるすべての者を栄華と至福の地へ導いてみせると! そして……その時より、我々 の 新たな繁栄の歴史が始まるのだ!」

高らかに奏でられるラッパ。頭上から舞い落ちてきた紙吹雪が、頭上からの日差しに色とりどりの輝きを放ち、その星々のようなきらめきが広場を満たしはじめ る。

「『継承者』とは、私達だけのことを指すのではない! 諸君らもそうなのだ! 今ここにいる我々すべてが、彼の地を──『楽園』を受け継ぐべき正当なる後 継者なの だ!」

興奮が最高潮に達した群衆にむけて、ガルナークが両手を掲げた。
    
「我らセラーダに栄光を!」

『我らセラーダに栄光を!』

「不浄なる『虫』に聖なる裁きを!」

『不浄なる『虫』に聖なる裁きを!』

「『楽園』を再び我らの手に!」

もはや、市民と『継承者』の境界は存在していなかった。すべてが一つになっていた。クレナはそれを肌で感じていた。幼い頃に亡くした兄への想い。自分がこ れまで築き上げてきた日々への想い。大切な人達への想い。それらが、唱和する声と万雷の拍手の中で、溢れんばかりに 高まる。

熱気の中、周囲に負けないようにクレナは叫んだ。

『楽園』を再び我らの手に!──



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