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─十二章  邂逅ふたたび(4)─



目と耳と……奪われた感覚が、少しずつ回復していく。

やがてスヴェンが視界を取り戻したとき、薄闇に包まれはじめた木々の中には反逆者も娘もいなかった。

「やれやれ。えらい目にあったな」

いまだ続いている耳鳴りの彼方で、ドレクの声が聞こえた。

膨大な量の光と音。ネフィアが使っていた兵器だ。うかつだった。まさかアイツがそんなものを隠し持っているとは思わなかった。

「すまん。オレのミスだ」

すぐさまケリを付けるべきだった。アイツを目の前にしたときの躊躇いと迷いとが、それをグズグズと引き延ばしてしまった。ここにいるのは「兵士」としての 自分だというのに。

相手が素直に抵抗を止めたとき、もっと疑ってかかるべきだった。いや、疑ってはいたのだ。

『どうして父さんを殺したんだ?』

あいつは知っていた。抱いていた疑惑が真実となった瞬間、「黒の部隊」としてのスヴェンは一気に打ちのめされ、裸の自分がむき出しにされた。罪の発覚に怯 え、恐れ、隠し続けてきた自分が。

「気にすることはねえよ。油断してたのは、こっちだって同じなんだ」

耳をたたきながらドレクがいった。

「あいつも、あの嬢ちゃんも、どうしてなかなかのもんだ。なあ?」

その言葉に、娘と戦っていたカレノアがうなずいて同意する。

耳鳴りの残響以外、肉体の感覚は戻っている。だが……平常心はまだ取り戻せていない。いまだ揺らいでいる己が、忌々しいぐらいに自覚できる。

「追うぞ。まだ遠くへは行っていないはずだ」

自身を奮い立たせるように、スヴェンはいった。

はやく「兵士」としての自分をまとわなければならない。

もう二度と脱ぐわけにはいかない。


*  *  *


月明かりに照らされた、静かな川のせせらぎが聞こえる。

身を潜めている岩の影から、レアはそっと外の様子をうかがった。

木立の間からのぞく、砂利の敷きつめられた広い河原には、今のところ追っ手の来る様子はなかった。相手がいくら気づかれずに立ち回ろうとしても、この浅い 川と河原に姿を見せず自分達に迫ることは不可能だ。

「しばらくは大丈夫ね」

レアは一息ついた。

「ごめん」

となりにいるイノが、ぽつりといった。

「何が?」

「何もかもだ。荷物だって無くなってしまった。全部……全部オレの責任だ。本当にごめん」

「あの状況で、荷物を回収してる暇なんてなかったわ。それに、最初からわたしの言う通りに戦ってたとしても、勝てたかどうかなんてわからないし 」

レアは本心から口にした。荷物に関してもそうだし、あのまま追っ手と戦い続けていたら、今頃はやられていたかもしれない。装備も、戦士としての経験も、向 こうの方が上だった。今はそれを認めていた。

「こうして二人とも無事なんだから……結果的にはよかったのよ」

優しい口調で締めくくったにもかかわらず、イノは返事をしなかった。その表情は暗く沈んでいる。顔色もひどい。

ひとまず追撃の手は逃れた。だが、相手がそう簡単に諦めてくれるとは思わない。それは、これからの旅の間、ずっと狙われ続ける可能性を意味する。さらに は、その旅に必要な荷物さえ失ってしまったのだ。大きすぎる痛手だった。自分達の『楽園』への旅は、まだ半ばも進まないうちから、のっぴきならぬ状況に追 いこまれてしまった。 

レアはイノを見る。暗鬱な表情をした彼が抱えているのは、この苦況を招いたことへの自責の念と、それ以上の複雑な思いだ。

追っ手がかつて親しかった仲間であることと、そして──

「『虫』じゃなかった……」

イノはつぶやいた。

「オレは、今まで『虫』が父さんを殺したんだと思っていた。だから憎かった。だから戦ってきた。信じていたんだ。あいつを……あいつの言葉を。あいつが、 父さんの剣をオレに届けにきてくれた気持ちを」

あいつ──それが追っ手の一人であるスヴェンという男を指しているのだと、レアにはわかった。

「でも嘘だった。父さんを殺したのはあいつだった。オレは……騙されていたんだ。いや、オレだけじゃない。クレナだって騙されてた」

一語、一語、吐き出すようにイノは続けた。

「バカみたいだ。騙されてるなんて全然考えもせずに……何度も何度も死ぬ思いをしながら……ずっと……意味もなく『虫』と戦ってきたんだから」

「そんなことないわ」レアはいった。

「あなたが『虫』と戦うことで助かった人だっているのよ。わたしも、その一人だもの。感謝しているわ」 

思えば、そのことでちゃんとイノに礼を言ったのは初めてだった。これまでは口が裂けても絶対に言わなかっただろうに。すんなりと言葉にできたのが自分でも 意外だった。

ようやく、イノがこちらに顔を向けた。

「四度目だよ」

「四度目って?」

「サレナクと、アシェルと、イジャと、あのときのことで礼を言われるのは、レアを入れてこれで四人目なんだ。言われる度に変な気分になるけど」

「変じゃないわ。命を救われたんだから感謝するのは当然よ。まあ……わたしは……言うのが少し遅くなっただけだけど……」

口ごもるレアを見て、憔悴しきった彼の顔に、少しだけおかしそうな笑みが浮かんだ。

しかし、それはすぐに消えた。

「あいつを憎むべきなんだと思う。これまで『虫』にそうしてきたように。それに、あのときレアが言ったとおり、オレ達には大切な目的があるんだ。今後も向 こうが邪魔してくるなら、戦って倒さなくちゃいけない。そして──」

イノの顔が微かに歪んだ。

「オレには、それが簡単にできる」 

彼が持つ人の理解を超えた〈力〉。たしかに、『虫』達を瞬く間に虐殺したあの力を持ってすれば、何者であろうと葬るのはたやすいことだろう。

それなのに、と彼はいった。 

「結局オレは、あれを使うことができなかった。使っていれば、こんな目に遭わずにすんだっていうのに。そして……今も使いたくないって気持ちは変わってい ない」

見る者を戦慄させる〈力〉。でも、それを一番怖れ、忌み嫌っているのは、他ならぬイノなのだということを、今のレアは知っている。

「情けないよ」

彼は笑った。今度のは自虐的な笑顔だった。

「できないんだ……あいつ憎むことが。恨むことが。本当の事を知った今になっても。ただ、どうしようもなく悲しいって思ってるだけなんだ。これじゃだめ だってわかってるのに」

親しかった人間を憎みたくない。怖ろしい〈力〉は使いたくない。それは当たり前のことだと思う。しかし、現実は逆のことを要求している。その狭間でイノは 苦しんでいる。

「わたしは──」

「心配はいらないよ」

自身でも何を言おうとしているのかわからないまま口を開いたレアの声に、イノの声が重なる。

「だからって、この旅を投げだそうとは思ってない。誓いは絶対に守るよ。今日、レアがオレにそうしてくれたように。もし、また『あいつら』に追いつかれる ようなことがあったら……今度はちゃんと戦ってみせる」

誰よりも自分に言い聞かせるように、イノは強くいった。でも、瞳だけは少しも強そうではなかった。悲しい色に揺れていた。

(そうじゃない。わたしは、そんな確認をしようと思っていたわけじゃない)

その想いをレアは口に出すことができなかった。イノの言うことは正しい。もし、再び彼らに捕まるようなことがあれば、今日のようにまんまと逃げおおせるこ とはできないだろう。今回それが成功したのは、おそらく向こうにも、かつての仲間としての「ためらい」があったからだとレアは考えていた。

再び彼らと相対することがあれば、今度こそ向こうはこちらを葬ろうとしてくるはずだ。だからこそ〈力〉の使用の有無は別としても、イノには『ちゃんと戦っ て』もらわなければ、確実にやられることになる。

レアは再びイノを見た。

なんだろう。このもやもやした気持ちは。

亡きアシェルの目的を代行する者──旅をはじめたとき、レアはイノのことをそういう人間として見ていた。だから、『誓いは絶対に守る』という彼の言葉に、 ひとまず安心していいはずだった。自分にとって何よりも大事なのは、『アシェルの意志』を貫くことなのだから。

でも、少しも気分は晴れなかった。それどころか、胸が締めつけられる思いがしていた。

どうしてだろう──わからなかった。

戦っているときにはよどみなく答えを出してくれる思考が、今は空回りばかりしている。

自分は、さっき彼に何を言おうとしていたのか。それは、もやもやした心の中に埋もれてしまった。

「とにかく……わたしはイノが悪いとか思ってないから」

それでも強引に胸の奥から引っぱり出したのは、まるで子供が口にするような慰めの言葉だ。自分の耳にさえ安っぽく聞こえた。

イノが小さく微笑む。でも、それは元気づけられたための笑みではなく、無理をして慰めようとしてくれている相手への、気づかいの笑みだった。

レアは口を閉ざした。己に対するひどく情けない気分で。

互いに一言もなく俯いたまま。

川のせせらぎだけが静かに流れていた。



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