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─一章  『虫』(7)─



戦闘は昼過ぎに終わった。

北棟の『虫』を掃討した後、イノ達は残る『虫』を殲滅するため、クロニクらとともに砦中を駆けまわった。幸いイノが相手にしたような「大型種」は現 れず、冷静さを取り戻したセラ・アレシアの指揮のかいもあって、その後の戦いは人間側の有利に働いた。最初の混乱模様を考えれば上々すぎる結果だ。

だが、スラの砦が受けた被害は大きい。建物内はめちゃくちゃに荒らされ、死傷者の数も過去最悪の多さだった。そして、何よりも『虫』が内部から 襲ってきたという事実が、生き残った人間達に深い衝撃をあたえていた。結局、奴らがどのような手段で侵入してきたのかは、今もわかっていない。

イノは一人で、砦をぐるりと囲んでいる防壁の上にたたずんでいた。日は沈みかけ、外に広がる赤茶けた大地と、その彼方に連なっている山脈を茜色にそめてい た。

防壁の内側には、砦の兵士達が活気なく働いているのが見下ろせる。演習場に次々と積まれていく死体袋。まともな形を残した者も、そうでない者 も、犠牲者はこの地にまとめて埋葬されることになる。首都フィスルナにいる家族のもとへと帰ることができるのは、装備の一部と、個人の情報が刻まれたセ ラーダの市民認識票だけだ。『継承者』のような、特別な身分の者以外は皆そうなる。父グレンの遺体も、辺境の地に埋められたのだと聞いている。

眼下の兵士達から視線をはずし、イノは再び防壁の外へと身体を向けた。手すりに両腕をあずけ、ゆっくりと形を変えていく紫色の雲をぼんやりとながめる。

これまで幾度となく『虫』達の侵攻を阻んできたスラの砦の防壁。今回のひどい戦闘で、唯一、ここだけが無傷だったというのは皮肉な話だ。

現在「黒の部隊」には待機命令が出ていた。そして、事後処理に働いている砦の兵士達もふくめて、まだ警戒そのものは解かれていない。今この瞬間 にも、再び怪物達が襲ってこない保証はないのだ。それが『虫』という存在だった。

この状況では、二度目は勝てないだろう。

だがそれでも自分は戦うだろう。仲間達も。この砦の兵士達も。

戦って戦って戦って……。

胸にこみあげる虚しさ。最近、戦いが終わるたびにそれを感じるようになった。

「黒の部隊」に入って一年。各地の戦場を渡り歩く日々の中で、イノは「戦争」というものの大きさが、しだいに実感できるようになってきた。それは同時に、 自分という存在がいかにその中でちっぽけなものであるかを、思い知らされることだった。

どれほど殺したところで、怪物達は後から後からキリなく攻めてくる。今日イノが倒した巨大な『虫』も、その無数の中のたった一匹にすぎない。死 力をつくした自分の戦いは、「戦争」という大きな行為の中では、砂粒のように小さな出来事でしかないのだ。

こうしている今このときも、どこか別の地では『虫』と人との戦いが行われている。互いに多くの死者を出し、数えきれない悲しみと憎しみを生んで‥‥‥。は たして自分の戦いは、それらを少しでもはやく終わらせることに、どれほどの役割を果たしているのだろうか。

いくら「黒の部隊」といっても、優秀な装備を与えられてるとはいっても、「戦争」というあまりにも巨大な戦いの中では、自分の存在がひどく無力なものに思 えてきてしまう。

だが少なくとも、こんな気分が戦闘に影響を出さないのは救いだった。戦っているときだけはすべてを忘れられる。バケモノへの憎しみだけを考えることができ る‥‥‥。

「よお! こんなとこにいたのかよ」

背中に声をかけられ、イノは振り返った。

手にした兜を肩にひっかけたガティが、階段を上ってくるところだった。細長い顔にニヤけた表情を浮かべ、砂色の髪がバサバサと風に乱れていた。 彼の後には、ドレクとカレノアが続いている。

「浮かねえ顔だな、おい。今日一番の手柄を立てたってのによ」

顔の半分をおおっているヒゲをいじりながら、ドレクがいった。ずんぐりした身体は、なんだかくたびれて見える。なにしろ五十半ばという彼の年齢 は、イノの三倍以上もあるのだ。無理はないと思う。もっとも、本人は断固として否定するのだろうが。

「どうせ隊長殿に、こってりしぼられたんだろ?」

ガティがイノの首に腕をまわしてくる。おかげで、嫌なことを思い出してしまった。

「しぼられるのは、これからだよ」げんなりした声で返す。

「ま、そら仕方ねえわな。手柄は手柄。違反は違反だ」ドレクがうなずく。

「でも、お前がしとめたってデカブツを見てきたぜ。あれを一人で殺ったんだろ? すげえじゃねえかよ」

ガティにバシンと兜をたたかれて、イノは曖昧にうなずき返す。さっきまで感じていた虚しさは、まだ胸の奥にこびりついている。みんなは、そんなふ うに感じたことはないのだろうか。

「らしくなったじゃねえか。最初は自分のケツも拭けねえように見えてたもんだがな」

腕組みしたドレクが、しみじみと言った。

「コイツと入れ違いに、今度はあんたがそうなるんだろうな」

ガティがにやりと笑った。

「ああ?」

「もうアンタも歳だっていってんだよ。そのうち誰かに支えてもらわなきゃ、まともに剣も振れなくなるんじゃねえか?」

「ふざけたことぬかすんじゃねえぞ!」ドレクが怒鳴る「お前だって、俺がいなきゃとっくに死体袋に入ってる連中の仲間入りなくせしやがって」

「おいおいオッサン。そいつは聞き捨てならねえな」

さて──と二人のはじめた口争いを無視して、イノはカレノアのそばまでそそくさと移動した。彼らの口喧嘩はいつものことだ。もう慣れてしまっている。

「スヴェンの姿が見えないけど?」

「セラ・アレシアのところだ」

低 いけれどよく響く声で、カレノアはこたえた。こうして近くで見ると、彼の大きさが身にしみてわかる。イノの頭三つ分の高さに、岩のようにごつごつした顔が ついている。その表情からは何の感情も読み取れない。一緒に戦うようになって一年が経つが、イノはこの通称「鋼の男」が泣いたり笑ったりするのを見たこと がない。スヴェンとは「黒の部隊」に入る前からの仲間づきあいだ、と聞いたことがある。

それっきり「鋼の男」は黙ってしまった。彼も、口喧嘩している後ろの二人と一緒にあの巨大な『虫』の死骸を見たのだろうが、とくに感想は言ってはこない。 イノとしても、べつに期待していたわけでもないから気にはならなった。

そう。手柄を立てたいとか、誰かから誉められたいだとか、そんな理由で戦っているわけじゃない。だから虚しい気分になったりするのだろうか。

それでも、仲間から誉められたこと自体は悪いものではなかった。ガティ達は、純粋に自分の成果を認め喜んでくれている。この部隊に入った当初は、まともに 口もきいてもらえなかったときを思い出せば大きな進歩だ。
 
(それで十分じゃないのか?)

「来たぞ」カレノアの声で、イノは我に返った。ガティとドレクがようやく静かになる。スヴェンの黒い姿が演習場を横切って、自分達の方へ向かってくるのが 見えた。

「俺達は、これからフィスルナに帰還する」

やってくるなり、スヴェンはいった。

イノは眉をひそめた。他のみんなも(カレノアはどうかわからない)同じ反応だ。まだ他の砦からの援軍も到着せず、再び『虫』が攻めてくる可能性のあるこの 状況で、「黒の部隊」がスラの砦を去ってもよいのだろうか。しかも、セラーダの首都フィスルナは戦闘とは無縁の地にある。

スヴェンはきびきびと続ける。

「音石に連絡があったんだ。セラ・シリオスからな。『今すぐスラを出立し首都まで帰還されたし。詳細は到着時に伝える』だそうだ。文句も質問もなしだぞ」

「よくわからねえが‥‥‥それなら行くしかねえな」

ガティがいった。

セラ・シリオス。「黒の部隊」の指揮官である彼直々の命令は、イノ達にとって絶対だ。どんな内容であれ、有無をいわずに従わなければならない。

「運よく、俺達が乗ってきたグリー・グルは無事らしい。いまから出発すれば、夜半にはガルナの駐屯地に着く」

そして、スヴェンはイノを見た。

「準備はお前に任せたからな」

「え?」ぽかんとしたとたん、ガティが笑い出すのが聞こえた。

「全員分だ。急げよ」

「ちょっと待ってよ。急ぐならみんなでやったほうが──」

すかさず兜が派手な音を立てた。

「文句も質問もなしだといったぞ。それに時間がない。フィスルナへの到着が遅れたら、お前がシリオス様に詫びろ。俺は知らんからな」

「わかったよ! 急げばいいんだろ。全員分‥‥‥急げば!」

ニヤニヤと成り行きを見守っている一同(カレノアはどうかわからない)をにらんで、ずれた兜を直しつつ、イノはぶつぶついいながら歩き出した。 どうやら、さっそく命令違反の懲罰がはじまったらしい。もっとも、自業自得なのはまちがいないし、隊内での懲罰だけですみそうなぶん、まだマシである。

フィスルナ──首都に帰るのは久しぶりだ。クレナは元気にしてるだろうか。まあ、彼女のことだから、心配はいらないと思うが。

それにしても、セラ・シリオスが直々に呼び戻すほどの指令とはなんだろう。こんなのは初めてだ。考えたところでわかるはずもないが、よほど重大な用件にち がいない。

「セラーダの英雄」に直接会うのは、「黒の部隊」に入隊したとき以来だ。イノも人並みに彼には憧れている。それを思うと、少しだけ気分が軽くなった。

「あんまり急がなくたっていいぜ。そのぶん俺達はゆっくりできるからな!」

防壁の階段をおりたところで、ガティが上から無責任な野次をとばしてきた。

夕日を背にした四人の影法師を眩しそうに見上げて、イノは投げやりに手を振って応える。みんな(カレノアはよくわからない)笑いながら、こちらを見下ろし ていた。

イノも、いつのまにか笑っていた。

(これでいいんじゃないか?)

さっきまでの虚しさに語りかけた。ちっぽけな存在でも、小さな役割しか果たせないのだとしても、仲間達と一緒に、自分にできることを力の限り やっていれば、それで十分じゃないのか。

それに、もうすぐ大規模な作戦がはじまるのだ。セラーダのすべてを結集して行われる『楽園』への侵攻。「聖戦」と名づけられたそれは、人間の存 続をかけた最後の戦いになるといわれている。

当然、「黒の部隊」も「聖戦」に参加することになる。成功すれば戦争は終わる。『虫』はこの世界からいなくなる。それは亡き父の悲願であ り、イノの悲願でもあり、そして、全ての人々の悲願だ。

それまで戦い続けよう。余計なことは考えずに。

戦いはまだ終わっていない。これからも続いていく。

まるで血の色のような夕焼けの中を、イノはしっかりした足取りで歩いて行った。



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