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─二章  首都フィスルナ(2)─



「急にお呼び立てして、申し訳ありませんでした」

目の前で膝をついているイノ達へ、椅子に座ったセラ・シリオスが、机の向こうから穏やかに微笑みかける。

こちらが帰還したことがすでに伝わっていたのだろう。軍本部のグリー・グル発着場まで到着した五人は、シリオスの従者に出迎えられ、そのまま施設内にある 彼の執務室まで案内された。

書類の積み重なった机。難しそうな書物がぎっしり並んだ本棚。壁にはってある大陸全土の地図。他に目立ったものは見あたらない。「英雄」と呼ばれる男の部 屋にしては、ずいぶんと質素な印象を受ける。もっとも、ここは軍人としての部屋であり、彼自身の邸宅は『継承者』の居住区にある。

「スラの砦での報告は受けています。我々が受けた被害は痛ましいものですが、私個人としては、あなた方が無事でなによりでした」

よどみない口調。涼やかな黒い瞳と、その上にかかる同じ色をした頭髪。ヒゲのない整った顔は、三十半ばよりもずっと若く見える。そして、相手が誰であれ丁 重な話し方と物腰を崩さないセラ・シリオスから、「英雄」という言葉を連想するのはちょっと難しい。戦士というよりは学者といった印象だ。

「緊急の任務だと、うかがっていますが?」

スヴェンが口を開く。正門で見せていた暗い表情はかけらもなく、いつもの隊長としての顔つきにもどっている。

シリオスを前にして、かしこまっているのはスヴェンだけではない。ガティはいつものようにヘラヘラしてないし、ドレクはヒゲをいじくったりしていないし、 カレノアは‥‥‥彼はいつもと同じだ。

イノ自身はといえば、肝心のシリオスの話を聞き流してしまいそうなぐらい緊張していた。彼に出会うのはこれで二度目。前回は今から一年前、「黒の部隊」に 入ったときだ。

当時の緊張はさらにひどかった。「がんばってください」と黒い装備一式を手渡された以外、まったく記憶がない。ものすごくもったいない話だと自分でも思 う。

フィスルナで暮らす者で「セラーダの英雄」を知らない者はいない。下層市民の出身であるにもかかわらず、軍の中で異例の出世を成し遂げ、ついには『継承 者』の一員として迎えられ、その証である「セラ」を名前に冠することを許された唯一の男‥‥‥それがシリオスだった。

今では直接戦場に出ることはないものの、過去、彼が率いていた名もなき部隊の活躍は、もはや伝説として兵士達の間で語りぐさになっている。

すべての兵士の、いや、すべての市民の憧れの存在。

そんな男を目の前にして、緊張するなというほうが無理だ。

そんなイノをよそに、シリオスは淡々と事情を説明しはじめる。

事の発端は四日前、西の辺境にあるブレイエの砦からの報告に起こったという。

『虫』との戦いに縁のないこの辺境の小さな砦に、その日、負傷した男が一人転がりこんできた。

砦にいた兵達が手当てをしたものの、そのかいもなく、いくつかの言葉を残して男は息を引き取ってしまった。脇腹に矢傷があり、それが死因だった。身元は不 明で、長距離を旅して(あるいは追われて)きたらしいことしかわからなかった。

そこまでなら、小さな事件として内輪だけで処理されただろう。

問題は男が死ぬまぎわに残した言葉と、彼が砦に転がりこんできたときから後生大事に抱えていた、あるモノにあったのだ。

「男の口から、はっきりと聞き取れた言葉は二つ。『楽園』と‥‥‥そして、ネフィアというものでした」

「ネフィア?」

「イノ君は初耳ですか?」

聞き慣れない名前に思わず口を開いてしまったイノを、シリオスが穏やかに見る。

「す、すいません!」ぎょっとして頭を下げた。

「まあ、君が知らないのも無理はないですよ」

英雄は優しげに笑う。

「我々セラーダに反旗を掲げているいくつかの組織‥‥‥ネフィアはその内の一つです。そして、最も謎に包まれている。彼らに関しては、本拠地はもちろん、 その規模、指導者、一切が不明ですからね。一般への知名度はないに等しい。これまで表だった妨害工作の類もありませんし、我が軍としては放置しているのが 現状です」

物資を独占しているとして、戦争を拡大させているとして、セラーダに反発している者は多い。そんな不満をかかえた者同士が集まったのが、反組織と呼ばれる 存在だ。彼らの行動はビラまきから、ひどいものになれば施設の襲撃にまでと多岐にわたる。

八年前の「アシュテナ卿暗殺事件」も、そういった反組織による犯行だった。もっとも、殺された卿の弟であり、その地位を継いだセラ・ガルナーク将軍の徹底 した反組織狩りによって、今ではその数もめっきり減ってきてはいる。

「その謎の反組織と『楽園』とがどう結びつくのか‥‥‥私には、何かしら重要な意味があるように思えてならないんです。もちろん、確証があってのことでは ありませんが」

「死んだ男が持ちこんできたものとは、何だったのですか?」

スヴェンがたずねた。

「それなんですがね‥‥‥」

男が小脇に抱えていたもの。布でくるまれた小さなカゴに入っていたもの。

「『虫』‥‥‥だったと?」

「ええ。人の手のひらぐらいの大きさをした、金色に輝く『虫』だったそうです」

イノは眉をひそめた。他のみんなも疑問に思っているだろう。そんな『虫』なんて見たことも聞いたこともない。最小の「小型種」ですら犬ぐらいの大きさはあ るし、バケモノの甲殻は例外なく灰色である。

「あなた方が、不審に思われるのも無理はありません。私自身、そのような『虫』が存在することに対して、半信半疑であるのは否定しませんから。ですが ──」

黒い手袋をはめた両手を机の上で組み、シリオスは続ける。

「ご存じのとおり、我々が『虫』について知っていることはあまりにも少ない。生態、総数、その目的‥‥‥そもそも、彼らがどのようにしてこの大陸に現れた のかという根本的なことですら、いまだに解き明かされてはいません」

伝説では二百年前、『虫』は突如『楽園』に現れ、そこに暮らしていた人々に襲いかかったのだという。その数は何万匹だったと伝えられている。しかし、そん な大量の怪物達がそれまでどこにいたのか、どうやって出現したのかは不明のままなのだ。

「ですから、今回ブレイエの砦にもちこまれたものが、我々の知らない新種の『虫』である可能性も否定できないと思うのです。もしそうならば、これを手に入 れ詳しく調べることで、彼らが持つ数々の謎を解明できるかもしれない。来るべき大戦を前に、相手の情報は少しでも欲しいところですからね」

「では、我々の任務というのは‥‥‥」

「現在、その例の『虫』はブレイエの砦に保管されています。あなた方には、その『虫』をフィスルナまで持ち帰ってもらいたい。それが今回の任務です」

憧れの英雄からの命令ではあるが、イノは少々疑問に思った。ようは「おつかい」である。わざわざ自分達を呼び寄せる必要なんてあったのだろうか。

「これが、風変わりな内容に聞こえるだろうことはわかっています」

シリオスの声に、内心の声が聞こえたのかと思ってしまい、イノは再びぎょっとした。

「はっきりいって、これは軍の決定ではなく、私の独断でしていることです。上層部の方々は、ネフィアも、『金色の虫』とやらも、真剣に取り上げる気はない ようでしてね。たしかに、『聖戦』を控えたこの大事な時期、確証もないことに人員をさくわけにはいきませんから。その点、『黒の部隊』ならば、ある程度ま で私の自由に動いてもらうことができる。そして、その中でも距離的に望ましい位置にいたのが、あなた方第二班でしたので、こうしてお呼び立てしたしだいな んですよ」

「了解しました」スヴェンがいった「我々はいつ出立すればよろしいでしょうか?」

「明朝六の刻でけっこうです。今のところブレイエに不穏な動きはないようですし、あなた方は最近連戦続きでしたからね。せっかくフィスルナに帰ってきたの ですから、それまではゆっくり休んでください」

「お気づかい感謝します。では、我々は明朝六の刻、ブレイエに向けて出立します」

「個人的な用事を頼むようで申し訳ない。ですが、私にはどうしてもこの一件が気にかかるんですよ。ネフィアと‥‥‥『金色の虫』とがね」


*  *  *


「イノ君」

スヴェン達に続いて、一番最後に部屋を出て行こうとしたイノは、シリオスに呼びとめられ振り返った。

「ちょっといいですか?」

「はい!」

おさまりかけてきた緊張が、一気に戻ってきた。

なんだろうか。自分だけに話だなんて。命令違反が多すぎて、叱責でもくらうのだろうか。

シリオスは静かにこちらを眺めている。おかげで、よけい不安な気持ちになってくる。

「最近の君の活躍は、スヴェン君からの報告で読ませてもらっています」

ああ。やっぱり怒られるんじゃないか‥‥‥イノの身体に嫌な汗が流れる。ひょっとしたら、「黒の部隊」から外されるのかもしれない。それは困る。自業自得 だが、ものすごく困る。

「君の進歩には目覚ましいものがありますね。最初は心配こそしていましたが‥‥‥我が隊に引き入れたのは正解だった。嬉しく思っています」

誉められている、と気づくにはちょっと時間がかかった。

「あ、ありがとうございます!」

床に兜をすっとばしそうな勢いで、イノは頭を下げた。英雄シリオスから誉め言葉をもらうなんて、こんな名誉なことはない。顔が真っ赤になっているのが自分 でもわか る。

「多少、『いきすぎ』はあるみたいですが‥‥‥」

相手は笑う。

「でも、私も人のことは言えませんからね。無茶ばかりして仲間からよく怒られていたのは、君と 同じですよ」

どこか懐かしむ表情。伝説の部隊とやらを率いていた頃の話だろうか。セラ・ガルナーク将軍直轄だったというその部隊には謎が多く、シリオス以外の構成員の 名前すらはっきり知っている者はいない。兵士達の間で語られているのは、実のところ「英雄が部隊を率いていた」という事実だけが、一人歩きしたものにすぎ なかったりする。

イノは思いきってたずねようとして‥‥‥やめた。いくら誉められたからといっても、英雄相手にズケズケと過去を聞いたりするのは、調子に乗りすぎだ。

シリオスが立ち上がった。こちらに背を向け、窓の外をながめる。すらりとした長身。その顔から下すべては、こちらと同じく黒一色の服装でつつまれている。

「もうじき『聖戦』が始まります。『楽園』を人の手に取り戻し、『虫』達を駆逐する‥‥‥。これは、我々の最後にして最大の戦いといってもいいでしょう。 兵士も、市民も、そして『継承者』の方々も、セラーダはそのすべてを結集してのぞむことになる。もちろん──この私自身も」

顔を紅潮させたまま、イノは英雄の流れるような言葉に聞き入っていた。

「世界は、あるべき姿を取り戻さなければならない」

つぶやくような静かな声。だが、不思議と力のこもっているように聞こえた。

「そのためにも、イノ君」彼が振り返る。

「あなたにも真価を出してもらいたい」

「はい。がんばります!」

「期待していますよ。君の力に」

「はい!」

そして、イノはシリオスの執務室を後にした。天にも昇る気持ちとはこのことだろう。



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