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─二章  首都フィスルナ(4)─



フィスルナの居住区は迷路のように入り組んでいる。そのため、新しく住み着く人間は、まず自分の家がある場所をしっかりと覚えなければならない。

その迷路の中を、イノはためらうことなく我が家へと向かっていた。家といっても独立した一軒家ではない。巨大な石造建築物の中に、いくつもの部屋がつめこ まれた集合住宅だ。その部屋の一つ一つが、市民達にとっての「家」である。まっとうな屋敷なんてものは、金持ちの住む区画か、『継承者』の住まう区画にし かない。

ひしめきあう集合住宅の間にできたせまい路地を、のんびりと歩く。見上げれば、隣家同士の窓に渡されている綱に、たくさんの洗濯物がかけられている。シャ ツ やらズボンやらが風にあおられるたびに、その隙間から乾季の澄んだ青空がのぞいていた。

この時間、路地に人影は少ない。見かけても年寄りか子供ぐらいのものだ。ほとんどの人間は働きに出ている。夜勤の者はまだ寝ているのだろう。彼らが交代 する夕暮れには、ここら辺もにぎやかになる。

居住区は、全部で十二区画にわかれており、数字はそこに暮らす人間の身分をそのまま現していた。イノの家は第五区画。中流といったところだ。

「黒の部隊」に入ったとき、今より上の区画に住む資格を得たが、イノはいまだ移らずにいた。下の区に退去させられるのとちがって強制ではないし、父との思 い出がつまった場所から離れたくないというのが主な理由だ。幼なじみのクレナの家だってそばにある。

ちなみに、数字が大きい区画ほど身分は下層になり、治安や整備も悪くなる。足を踏み入れたことはないが、第十二区にいたっては、「ゴミだめ」と言われるほ どの荒れようらしい。

ふと、イノは小さな商店の前で足を止めた。第六区から設置されているこうした商店は、ちょっとした日用品等を買う場合、居住者が わざわざ商業区まで出向くことがないようにとの配慮から建てられたものだ。政府によって運営されており、店主には退役した軍人が使われていたりする。もち ろん、治安の悪い下層区には存在しない。

立ち止まったのは、商店に用があったからではなく、そこの窓ガラスに映る自分の姿に気づいたからだ。普段は意識なんてしてないから、ずいぶん久しぶりに見 た気がした。

額にかかる焦げ茶色の柔らかい髪。その下からは、緑色の瞳がこちらを見返している。自分で言うのも変だが、不思議な緑色だと思う。明るくもなく暗くもな く。そのくせ、まるで輝きを放っているような印象を受ける。ちなみに、クレナはこの色が好きらしい。お互いが小さい頃、本気で「自分の目と取りかえて」と 迫られたことがあった。

イノはしばらく自身の姿を見つめた。髪がちょっと伸びたぐらいで、他は最後に見たときと変わっていない。悲しくなるぐらいに。

(ちっとも戦士らしく見えないな‥‥‥)

こうして装備を外してしまうと、痛いほどにそれが実感できる。小柄だし、細いし。カレノアのような巨体とまではいかなくても、せめて「黒の部隊」に名前負 けしない程度の外見が欲しかった。でも、十六という年齢ならばまだまだ希望はあるはずだ。

自己評価を前向きにしめくくると、イノは再び歩きはじめた。やがて目指す建物に到着し、その中へと入っていく。各部屋への扉がたくさん並んでる通路。とな りの 建物へと繋がっている橋。上ったり下ったりの階段。集合住宅の内部がこんなでたらめな構造をしているのは、人口が増えるにつれて、強引に増設したり補強し たりの結果 らしい。外の路地に負けないぐらいの複雑さだ。もっとも、自分の家ぐらいは目隠しをされてもたどり着ける。

我が家の前まできたところで、イノは眉をひそめた。扉がかすかに開いている。耳をすませば、室内からゴソゴソと音が聞こえてくる。

物取りか?──この区域は治安がいい方だが、まったく犯罪がないわけではない。まあ、金はクレナの家に預けてあるし、盗られるようなものは何もないのだ が。

イノは素早く扉まで近づき、腰の剣に手をかけた。泥棒なら、捕らえて警備の兵士に突きだすべきだろう。せっかくの休みなのに面倒なことになった。

一呼吸し、思いきり扉を蹴りつける。

建物中に響くような派手な音。

そして若い女の悲鳴。

「あれ? クレナじゃないか」

部屋に踏みこんだとたん、イノは拍子ぬけした声をだした。

「『あれ?』じゃないわよ!」

建物中に響くような怒鳴り声。

「死ぬほどびっくりしたじゃない! なに考えてるのよ!」

「ごめんごめん! てっきり泥棒かと思って‥‥‥」

「そんなわけないじゃない! ほんっとバカじゃないの?」

うろたえるイノをにらみつけながら、クレナがさらに怒鳴る。飾り気のない浅黄色の長衣を着た彼女の姿が、押しつぶさんばかりの勢いで迫ってくる。

背中まで波をえがく黒髪につつまれた小さな顔。薄茶色をした大きな瞳。背丈はこちらと変わらない。幼なじみのイノの目から見ても、クレナの外見は、世間で 十分に美人として通用すると思う。

よかった。彼女は元気そうだ。いや、よくない。めちゃくちゃ怒っている。

「いや。だって、鍵が開いてたから」

「あんたがあたしに預けたんでしょ? 忘れたの?」

「そんなことないって!」

──忘れていた。

「ほら、今の時間は、その、働いているのかと思ってさ」

「今日は非番なの! やってられないわ。せっかくの休日に、わざわざ掃除しに来てあげたってのに」

「だから悪かったってば‥‥‥」

自業自得だ。こうなればひたすら謝るしかない。「黒の部隊」の兵士になろうが、単独で「大型種」の『虫』を倒そうが、クレナにだけは永遠に勝てる気がしな いイノだ。昔からそうだった。

「まったくもう。で、いつ帰ってきたの?」

「今朝だよ」

相手はまだ少しぷりぷりしているが、とりあえず嵐は過ぎ去ろうとしている。イノは心の底からほっとした。

「お腹空いてる? なにか作ってあげようか」

「まだ大丈夫。ちょっと昼寝してから父さんの墓に行くつもりだから、その後でもいい?」

剣を外してテーブルの上に置いてから、イノはベッドに腰を下ろした。子供の頃には大きかったそれも、今だとずいぶんちっぽけに感じられる。

「そう。じゃあ、終わったらあたしの家に寄ってね。今日はたいした用事もないから」 

「わかった。おじさんとおばさんも休みなの?」

「いいえ。でも夕方には帰ってくるわ。あんたが来れば喜ぶわよ」

クレナの家は、イノの家と同じ建物の中にあり、両親と三人で暮らしている。父グレンとの生前からのつきあいもあってか、父を失ったイノを家族の一員のよう に扱い、ずいぶんと面倒をみてくれた。彼女の一家には感謝してもしきれない。

「最近、仕事はどうなのさ。忙しい?」

「大戦の前だもの。もう大変よ。今日の非番だって奇跡のようなものだわ」

彼女はおどけたように返すと、イノがテーブルに置いた剣を手に取った。

シュッと鞘から刀身をぬくと、大きな瞳でしげしげとながめる。

そして「相変わらず無茶してるのね」と感想を口にした。

「そう?」

「鍛え直す必要はなさそうだけど。でも、もう少していねいに扱ってほしいわ」

そう言うと、慣れたしぐさでパチッと剣をおさめた。

クレナの仕事は刀鍛冶である。

初めてそれを聞かされたとき、イノは驚いた。普通、女の子が選ぶような職業ではない。彼女から「働いてる」と言われてしばらくの間は、てっきり両親と同じ 紡績の仕事をしているのだとばかり思っていた。

もちろん理由を聞いた。「兄の仇を討ちたかったから」と答えが返ってきた。

クレナは七つの頃、たった一人の兄を戦争で亡くした。『虫』に殺されたのだ。彼はちょうど今のイノぐらいの年齢だったらしい。イノ自身は当時二歳だったた め、彼女の兄のことは記憶にない。

兄の仇を討つため、クレナが最初に考えたのは、セラーダ軍に入ることだった。たしかに、兵士になれるのは男だけと決まっているわけではない。イノはお目に かかったことはないが、女の兵士だってちゃんといる。あの英雄シリオスが率いていたという部隊にも(嘘か本当かは知らないが)凄腕の女戦士がいたという話 だってある。

だが、クレナの両親は、断固として娘が軍に入るのを許さなかった。結局、あきらめた彼女が選んだのが刀鍛冶という職業だった。兄を奪った『虫』と直接戦う ことはできないけれど、自分の造った剣が怪物達を一匹でも減らしてくれるなら‥‥‥と、考えたらしい。

そんなクレナは、今や立派な刀鍛冶である。しかも、鍛冶場の長に次いで一、二を争うほどの腕前だというのだから恐れ入る。

自分と方法はちがうけど、クレナはクレナなりのやり方で『虫』と戦っているのだ──イノはそう理解していた。そして、ある一点をのぞいて、 そんな彼女を尊敬している。

イノは、まだクレナの仕事ぶりを目にしたことはない。でも、長いつきあいのある幼なじみとして、その光景を想像するのは簡単だ。

真っ赤に焼けた鉄に、力強く鎚を叩きつける彼女。その手が、これまで何度となく自分に振り下ろされたことか‥‥‥。
   
「なに笑ってるのよ?」

鋭い声に、イノは一気に現実に引き戻された。

しまった──「えっ? べつに笑ってないけど?」

「嘘おっしゃい。あたしの話を真面目に聞いてないでしょ。もし剣が折れたらどうするの? あんた、自分で治せる?」

「いや‥‥‥それは」まずい。

「ただでさえ、あんたの装備には手間も、暇も、お金もかかってるのよ? ロクに考えもしないで使って壊されたんじゃたまらないわ。あんたがちゃんと戦える よう、造る側の人間だって真剣にやってるんだから」

「わかってる、それはわかってるから!」非常にまずい。

「わかってたら、人の話をヘラヘラ笑って聞いたりなんてしないはずよ。いっぺん、あんたも自分で造ってみたらいいんだわ。ジステリウスを鍛造するのが、ど んなに難しくて集中力が必要か知ったら、あんただって──」

ああ。はじまった。やってしまった‥‥‥イノはうなだれた。

クレナが努力して目標を達成したのはわかる。腕前が一級品なのもわかる。そして、真剣に仕事に取り組んでいるのもわかる。でも、その情熱が職場を飛びこえ て、猛烈な長さの語りとして他人に襲いかかるのだけは、どうしてもわからない。

ちなみに彼女の話に出てきたジステリウスというのは、イノの持っている「黒の部隊」の剣に使われている金属の名称だ。希少で高価なものらしく、熱処理の過 程で漆黒に変色することから、「闇の金属」なんて不気味なあだ名がついている。余談だが、ジステリウス同士を激しくぶつけた瞬間、そこには淡く白い光の粒 子が発生する。「闇の金属」の鉱脈を探すときは、この原理を使った方法が用いられているらしい。

と、こうした知識は全部、目の前にいる幼なじみの女刀鍛冶から仕入れたものだ。いや、仕入れさせられたというべきか。むろん、今と同じような状況のときに であ る。

クレナはまだしゃべり続けている。こうなったら、イノはもうお手上げだ。彼女の瞳はこちらを見ているようで見ていない。きっと、真っ赤に焼けた鉄板だとか 大きな竈だとかの熱気に包まれた、大好きな鍛冶場が映っているにちがいない。

どうしよう──このままでは、せっかくのわずかな休みが武器の講義で終わってしまう。

イノは必死で考えた。思えばスラの砦から、色んな形の危機にみまわれっぱなしな気がする。もっとも、そのほとんどは自分で招いているものなのだが。

そのとき、脳裏に一筋の光明が差しこんだ。

「あの。スヴェンがさ」

「えっ?」

イノが口にした名前に、自分の仕事と関係ない大砲製造にまでおよぼうとしていたクレナの語りが、ぴたりと止んだ。

「彼がどうかしたの?」

「いや。今、他のみんなと酒飲みに行ってるんだけどさ」

「ふうん。で、それがどうかしたの?」

さほど興味のない様子で、何気なくテーブルの上の物を整理し始めたクレナ。でも、ときたまイノに注がれる視線が、彼女の装った無関心さを、ものすごく裏 切っている。

なんてわかりやすいんだろう‥‥‥イノはしみじみと思ってしまう。

さて。はてしない講義は止めたものの、これはこれで困ってしまった。とっさにスヴェンの名を出したのはいいが、そこから先は考えていない。また窮地だ。

「まあ、その‥‥‥」

「なんなの?」さりげない口調で、あからさまにせっついてくる彼女。

いまさら「なんでもない」とは言えず。

「飲みに行った後で‥‥‥久々にクレナに会いに行こうかな、って言ってたから」

と、つい嘘をついてしまった。

クレナの顔が真っ赤になった。それこそ、彼女自身が毎日鍛えている熱した鉄板のように。なんだか身体の大きさまで縮んでしまたように見える。イノの剣はそ んな彼女の手の上で、意味もなくいじくられている。

こういうときのクレナは、年下のイノから見ても女の子らしくてかわいらしい。さっきまで、武器について憑かれたように語っていた女性と同じ人物だとは信じ られない。それだけに、嘘をついてしまったことに罪の意識を感じてしまう。やはり嘘はよくない。

「ほんとうなの‥‥‥それ?」

「いや」

建物中に響くような鈍い音。

「やめろよ! 叩くなよ──剣で!」

「あんたが、くだらないこと言ってるからよ」

頭をかかえて叫ぶイノを見下ろして、クレナは赤い顔のままふん、と鼻をならした。

さっき「ていねいに扱え」って自分で言ってたのに‥‥‥割れそうな頭をなでながら、彼女の手に握られたままの剣に目をやる。とりあえず、刀身が鞘に入って いる状態でよかった。でなければ死んでいた。

「なんだよ! そんなに気になるなら、自分からスヴェンに会いに行けばいいだろ?」

「いつわたしがそんなこと言ったのよ? それに‥‥‥わたしは今日色々とやることがあるの。あんたみたいなヒマ人と一緒にしないでちょうだい!」

「嘘つくなよ! 『今日はたいした用事がない』って言ってたくせに!」

建物中に響くような鈍い音。

イノは頭をかかえてうめく。こんなのあんまりすぎる。最初に叩かれたのは自分の嘘のせいだが、二度目のはどう考えても理不尽だ。なにも間違ったことなんか 言ってないのに。

父にかわいがられていた部下として、この家を訪れていたスヴェンを、イノと一緒に遊んでいたクレナが好いていくようになった過程は、手に取るようにわか る。最初は亡くしてしまった兄の姿を彼に重ねていたのだろう。それがしだいに‥‥‥といった具合だ。男女の経験はないイノだが、それぐらいのことは想像で きる。

そしてスヴェンの方でも、そんな彼女をだんだんと意識するようになっていったのも知っている。

でも、二人はなんだかんだで一緒にならない。板一枚ごしにくっついている磁石のようなものである。イノにはそれが不思議でならない。人にはズケズケともの を言うくせに、自分達の関係となると、歯のない老人がモグモグしゃべるのと同じぐらいはっきりしないのである。見ている方がやきもきしてしまう。

スヴェンとクレナが一緒になることは、本人達だけでなく、二人と昔なじみであるイノにとっても嬉しい出来事だ。だからこそ、色々世話を焼いてみるのだが、 それはいつも悲惨な失敗をしている。

「とにかく、わたしはもう帰るから。後でちゃんと寄りなさいよ? わかった?」

二度も主の頭をぶってしまった非業の剣をテーブルに置いて、クレナが念を押すようにいった。まだちょっと怒っているけれど、ちゃんと食事は作ってくれる気 ら しい。

そんな彼女が好きだからこそ、スヴェンとの仲をなんとかしてあげたくなるイノだ。

「あのさ」真面目な顔をして言った。

「スヴェンにも何か作ってあげたら? オレ達こんな生活だし、ホント喜ぶと思うよ」

「よけいなお世話よ」

顔を赤らめたまま、クレナが言い返した。今度は叩かなかった。

「あんたこそ、誰かいい人見つけなさい」

イノは肩をすくめた。それこそよけいなお世話だ。

「あと」出て行く彼女を呼び止める。

もう一押しぐらいしてあげよう。

「ご飯のついでに、子供も作ってやりなよ」

建物中に響くような鈍い音。



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