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─十章  交わる剣 ・ 重なる意志(1)─



鍛冶場から外へと出たクレナは、まぶしい陽光に目を細めた。見上げれば、雲一つない青い空に、よその工場が吐き出す煙がたなびいていた。ここ数日、セラーダの首都フィスルナの天候は、見事なまでの快晴にめぐまれているのだ。

うん、とクレナは思いきり伸びをした。生産区に立ち並ぶ建物の間をぬって吹いてきた風が、職場の熱気で火照っていた身体を、ぐんぐん冷ましていくのがなん とも心地よい。だが、それもつかの間のことだ。この小休止が終わった後には、また暑苦しい鍛冶場へと戻らなければならない。

今日、天からの恵みを身体に浴びるのは、これが最後になるだろう。仕事から解放されるのは夜中になる。普段はもう少し早く終わるだが、最近はとくに忙しい ため、どうしても遅くなってしまうのだ。「オレらの身体がもう二、三人分ありゃあな」と、鍛冶場の長は人手不足を嘆いている。

だがそれも仕方のないことだ、とクレナは思っている。目の回るほど忙しいのは確かだし、なんとかしてほしいとも思うが、露骨なほどに不満があるわけでもない。それは、みんなも同じ気持ちだろう。なぜなら、かつてないほどの大規模な戦がもう間近に迫っているのだから。

『聖戦』──以前から噂こそあったものの、その名が市民に向けて公に発表されたのはつい先週のことだ。それは、『楽園』の奪還と『虫』の根絶を掲げたこの セラーダという国家が、ついに最終決戦にふみきったことを意味するものだった。以来、首都フィスルナは異様なまでの活気に溢れ、労働者達はこれまでにない 忙しさにきりきり舞いしている。

十日後には、『聖戦』の開始を宣言するための大々的な式典が、首都中で催されることになっていた。そこでは『虫』との戦局をくつがえす兵器も公開され る……との噂もある。なんでもその新兵器は、大戦での勝利を確実なものにしてしまうほどのシロモノらしい。その噂が本当かどうかは別として、武器製造にた ずさわり、人並み以上の情熱をもつクレナとしては、かなり気になる話題である。

『楽園』──世間の空気に感化されてしまったのか、クレナは最近そのことについてよく考える。昔語りでしかしらない伝説の地。『虫』に奪われた『継承者』達の故郷。セラーダが『聖戦』で勝利を収めた後に、自分達はフィスルナからそこに移り住むことになるのだろうか。

飢えもなく、病すらも存在しなかったという『楽園』。そして、それらを支える高度な知識と技術とが造りだした、今を生きる人間には理解すらできない道具の 数々……。足で歩かなくても移動できたという「床」やら、火とはちがう明かりが使われていた「ランプ」やら、離れた場所にいる相手に声姿を送ることのでき た「窓」やら、触れるものすべてを滅ぼす「光」を放つ兵器やらやら……。子供の頃から聞かされてきた彼の地≠ノまつわる昔語りは、そのすべてがきらびや かな色彩を帯びるものばかりだ。

そんな夢のような場所が本当にあるのだろうか? 

『楽園』の昔語りを思い出すたびに、クレナはついついそう思ってしまう。どんなに想像をたくましくしても、伝説の地に移り住み暮らしている自分達の姿なんて浮かんではこない。もっとも、今から二百年以上も昔の話なのだから、想像するのは無理なのだろうけれども。

そんな『楽園』うんぬんの話よりも、『虫』との戦争が終結することの方が、クレナにとって重要であり現実味のある話だった。もう誰もあのバケモノ達に殺さ れる心配をしなくてすむ。幼い頃に兄を失った自分のような悲しい思いをしなくてすむ。そして、彼らと戦っているイノとスヴェンの無事を毎晩祈ることもなく なる。

(今頃、二人は何してるのかしら?)

最後にイノとスヴェンの顔を見てから、数週間が経っている。おそらく式典までには戻ってくるだろうと、クレナは見当をつけていた。そのとき時間があるようなら、美味いものでも作ってあげよう。とくに……スヴェンには。

「おおい! ちょっと来てくれや、嬢ちゃん!」

鍛冶場から長のがなり声が聞こえてきた。なにか問題が起こったときの声音だ。今ではすっかり顔も身体も老けているが、昔は軍でちっぽけな部隊を率いていたとか何とかで、声と雰囲気だけはやたらと迫力がある。

むろん、長の言う「嬢ちゃん」とはクレナのことである。見習いだったころからの呼び名だ。見習いをとっくに卒業し、腕前を認められた今になっても、なぜかそれだけは変わる気配がない。ぶっちゃけた話、クレナとしては忙しいことよりも、そっちの方がよほど不満だったりする。

小さく息を吐き、さわやかな日の光と涼しい風に名残惜しさを覚えながら、クレナは仕事場へと戻っていった。


*  *  *


薄い闇の中、鋼鉄でできた足場の上にセラ・ガルナークは一人たたずんでいた。

そこはフィスルナの軍本部の地下に造られた広大な空間だった。心地よい陽光を浴びている地上とは反対に、ここの空気は寒々としたものを感じさせる。巨大な 松明の明かりは、周囲を埋めつくす闇のすべてを払うこともなく、聞こえるのは空気孔が立てている低い唸るような音だけだ。

ガルナークは、静かな眼差しを前方に向けていた。そこには、この大規模な空間のほとんどを占領し、うずくまっている巨大な影がある。

『ギ・ガノア』──古き言葉で裁きの獣≠ニいう意味の名を持つ者。それが、うずくまる巨大な影の正体だった。

二百年前、『赤い一日』により『楽園』を追われ、この地まで逃げのびたガルナークの祖先達は、セラーダという国家の基盤を造り上げるのと同時に、一つの兵器の建造に取りかかった。圧倒的な数と力を誇る『虫』に対抗し、奪われた故郷を取り戻すための兵器を。

だが、その建造には途方もない時間がかかった。無理もない。『楽園』で用いられていた高度な知識──それらも大多数が失われた──以外、祖先達はほとんど何も持たずに、この地にやってきたのだから。

ほぼすべてを一から始めなければならなかった祖先達は、兵器の設計図と、根幹となる部分、そして建造のための地下工廠を子孫に残し、無念のうちに故郷から 遠く離れたこの場所で朽ち果てていった。そして、代々の『継承者』達の手により、じつに百年以上もの時をかけて、地下に眠る『獣』は少しずつ形を成してい くことになったのだ。

この広大な空間には、祖先達の妄念が漂っている──ガルナークはここに来るたびにそう感じる。故郷への想いと『虫』への憎悪。それらをすべて内包し、象徴しているのが、眼前にうずくまる『獣』なのだと。

自らの代で『ギ・ガノア』を完成にこぎつけられたことを、ガルナークは心から誇りに思っていた。その資材確保のために、フィスルナ外部の者達には過酷な労働が課されることになったが、そんなのは知ったことではない。

むろん、実働試験はすませている。「生命の火」を灯され、眠れる『獣』が産声を上げたときに感じた高揚感。決して忘れられるものではない。

そして、あの武器──。

『ギ・ガノア』の存在は秘匿事項であったため、当然、実働試験はこの地下で行われた。しかし、兵装に関しては野外で行わなければならなかった。祖先から託 された設計図の説明によれば、獣が持つ武器のどれ一つとっても、この巨大な地下空間を崩壊させる事態を引き起こす威力を秘めたものばかりだったからだ。

正直そのときまで、ガルナークは『獣』の力について半信半疑でいた。祖先達の残した膨大な知識は、あまりにも高度で多岐に渡る内容だったため、それを受け継いだ子孫の手にあまるものだったのだ。知識だけが宙に浮いたまま、実現されることなく眠っている技術も少なくはない。

もちろん、それは『ギ・ガノア』に関しても同じだった。獣の根幹となる部分は祖先達によって製造されており、子孫らはその後を受け継いで組み上げてきたにすぎない。機構その他の仕組みについて、『獣』のすべてを正確に理解している者は皆無だったのである。

兵装の試験は、『獣』本体から取り外しても問題なさそうな武器を選び、首都の郊外で行われることになった。武器の一つといっても巨大であるため、それだけでも大がかりな作業だった。

そして、深夜の闇を引き裂いた一条の光。「光の槍」としか形容しようのないその輝きが、すさんだ大地に現行の兵器すべてをくつがえす傷跡を刻みつけた瞬 間、ガルナークの疑惑は完全に消滅し、あらためて祖先の偉大さに畏怖の念を抱いたのだった。もちろん、それは彼にかかわらず、その場にいた者すべてを圧倒 する光景だった。

もはや、『虫』の大群など恐れるに足らない──誰もがそれを確信した。

こうして絶大な力を持つ『ギ・ガノア』は完成した。この広大な闇の中で、『獣』は目覚めの時を静かに待っている。罪なる怪物達を裁き、人を至福の地へと導く「光」を放つその時を。

さきほど、遠方にいるシリオスから一報が入った。『虫』という予想外の事態が発生したらしいが、ネフィア壊滅の目的は成し遂げたとのことだった。ガルナーク自身にはどうでもいい話だったが、これで聖戦の最中に、セラーダに対して不届きなことを企む輩も沈黙するだろう。

すべてが自分の思い通りに動いている。そのことに満足しながら、ガルナークはうずくまる巨大な影に背を向けた。



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