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─十六章  自由都市シケットの殺戮(4)─



避難所の入り口を飛び出し、散らばる死骸をたどるように街路を駆け続けていたレアの耳が、前方から轟いてきた大きな音を捉えた。

大砲の音だ。撃ったのはあの連中以外に考えられない。だが何に?

決まっている──イノにだ。もうズラセニ達には、他の人間を襲ってる余裕なんてない。今追いつめられているのは彼らの方なのだ。

手にした剣を握り締める。彼は大丈夫だろうか。一人の人間に向けて大砲を撃つなんて常軌を逸している。

しばらくして、風に乗り絶叫が聞こえてきた。どうやら大砲では止められなかったらしい。撃ちこんだ相手は、さらに常軌を逸していたということだ。

レアは安堵する。同時に胸が痛んだ。

絶叫の主へではない。それを上げさせているイノのことを思ってだ。

止めなくては。彼を止めなくては。

ズラセニ達がどうなろうと知ったことではない。あいつらが自分や他の人達にしたことを許すことはできない。同じ人間だろうと何だろうと、どんなひどい死に方しようと、絶対に同情なんてしてやらない。できれば、自分の手でぶちのめしてやりたいぐらいだ。

でもイノは。今、あの男達を殺し続けているイノは。

いつからだろう。彼を「イノ」だと考えるようになったのは。

最初は「敵」だった。その姿に両親を殺した男を重ね、幼い頃から培ってきた憎しみをぶつけて戦った。今となっては、苦々しい思い出だ。

次は「捕虜」だった。少しずつ相手のことを理解できていたにもかかわらず、それでも彼を「敵」という言葉に押しこめようとやっきになっていた自分。喧嘩したり。無視したり。そのくせ、夜の静かな庭園で一緒に剣の稽古をしたり。今となっては、少し気恥ずかしい思い出だ。

その後、自分達は多くのものを失い、残酷な現実に二人きりで放り出された。そして始まったのは『楽園』への旅。彼は自分にとって、「失った大切な人の意志を代行する者」になった。 

それは今でも変わらない。『樹の子供』という他の人間では代わることのできない役目を背負う彼ぬきで、この旅の目的を果たすことはできないのだ。何がなんでも彼を失うわけにはいかない。

だから、自分は彼の下へ行こうとしているのか?

(ちがう──そのためだけじゃない)

点々と続く肉塊の道しるべに導かれ、レアは一本の路地へと駆けこんだ。

立ちこめるむせ返るような臭い。通りには生きている者の気配はなく、車輪のついた大砲がぽつんと取り残されていた。グシャグシャになって石畳に転がっている鉄色の塊は、おそらく撃ち出された大砲の玉だろう。

ずっと前から悲鳴が聞こえた。イノはこの先にいる。そこには、月を背に巨大な塔がたたずんでいた。

ためらうことなく街路を突っ切るレアの目に、やがて塔を中心に都市を二分している分厚い防壁が見えてきた。幅広い通路になっているその上には、塔の入り口を目がけてわらわらと逃げ惑っている男達の群れがあった。

レアと壁との距離が縮まる。逃げている連中の恐怖と絶望の悲鳴が、耳に入ってくる。

そして──彼らをゆっくりと追いつめている小さな人影。

「イノ!」

レアは声を限りに叫んだ。

遠く頭上にいる彼が、こちらを見下ろした。

紅く輝いた瞳で。

思わず呼吸を止めた。続けて飛びだそうとしていた言葉も、駆け続けていた脚も止まってしまった。

彼はそのまま悲鳴を上げている連中へと顔を向けた。ふらついた足取りで追跡を再開する。

そのうち、塔入り口の鉄扉が閉まる重々しい音が響きわたった。外に取り残されたらしき連中の泣きわめく声が、風に乗って夜の街に流れていく。

深呼吸を一つした後、レアは再び走り出した。

彼の瞳。

レアの知っている不思議な緑色の瞳ではなく、レアの知っている怪物達と同じ紅い瞳……。

(それがどうした! そんなことぐらいで脚を止めるなんて!)

わき上がる怖れと不安。しかし、歯を食いしばって自分を叱咤する。

街路の突きあたりが見えはじめた。そこからは高い階段が伸びている。塔へと続く防壁に上るためのものだ。その緩やかな段差に点々と続いている死骸の群れ。 また群れ。

鮮血が染めている赤い階段を、レアはただひたすら駈け上っていく。 



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