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─二十四章  決戦 ・ 上(5)─



蠢く肉の塊をスヴェンの剣が両断する。

「ちくしょう! そこらじゅうに出てきてやがるぜ!」ドレクが叫ぶ。

イノ達と別れてから、建物の間をぬって『ギ・ガノア』を目指すレア達の周囲で、次々と空気のはじける音とともに、脈打つ肉塊が現れはじめた。獣の攻撃に触発されたかのように、その中にある怨念がついに『虫』という形で反撃に出たのだ。

「すべて相手にする必要なんてないわ!」

脚を生やしはじめていた肉塊に黒い刃を突き刺して、レアは怒鳴った。

『ギ・ガノア』のいるだろう方向に、レアは目を走らせる。その視界のあちこちには、すでに形となった『虫』の群れが、建物の屋根や街路を自分達と同じ方角めざしてウジャウジャと駆けていく姿が見える。

『虫』の攻撃対象は、まちがいなくあの獣だ。よほど近くにいない限りは、自分達には目もくれないにちがいなかった。

「『ギ・ガノア』は、最初の光で破壊した都市の上を一直線に進んでいる。わたし達はその手前で待ち構えて、いったん様子をうかがいましょう」

ネチネチと音をたてている肉の群れを後に駆けだしながら、レアはスヴェンに言った。

「ああ。まだあの獣の中に入る方法すらもわからないからな。『虫』の連中も向かっている以上、うかつに突っ込むのは危険だ」 

「待つのなら、あの通りがよさそうだ」

カレノアが遠方の一角を指した。その街路は大きな建物同士間にあった。『ギ・ガノア』の進路である壊滅した都市が一望できる位置にあり、道幅もさほど広くはない。そこなら『虫』達に襲われたとしても、四方を囲まれてしまう事態はさけられそうだった。

「決まりだな。そうとなりゃ──」

ドレクが言い終わらないうちに、駆けている一行のそばにあった壁が派手な音を立てて吹っとんだ。飛び散る破片の中を、丸太のように大きな灰色の塊が、自分めがけて横薙ぎに迫ってくるのがレアの瞳に映った。

瞬間、カレノアの腕に抱えられ横向けに倒れこんだレアのすぐ上で、ものすごい風圧が巻き起こった。駆けぬけた灰色の塊が、背後にあった建物の壁をえ ぐる音が耳に聞こえた。

レアは路面に横たわったままふり返った。目に映ったのは、細く引きのばしたような形をした巨大なハサミだ。「はさむ」よりも「突きさす」という使い方がふさわしい形状をしたその凶器は、獲物を仕留められなかったことを悟ると、すぐさま繰り出された場所へとひっこんでいく。

「ありがとう」

カレノアに感謝すると、レアすばやくその場からとび起きた。

目の前にある建物の壁の穴から、ハサミの持ち主がのそりと姿を現した。

通常の『虫』の五、六倍はある胴体に、異様に長い脚の生えたクモのような姿をした大型種だ。さきほど自分を襲ったハサミは、そいつの前脚の先っぽで興奮しているみたいにガチガチと打ち鳴らされている。

「また、とんでもないのに目を付けられたな」スヴェンが歯がみした。

小さな顎の上に散りばめられている紅い瞳。それが放つあからさまな敵意と殺意。『ギ・ガノア』に向かう前に目に入った人間達を、相手は見逃すつもりはないようだ。

『虫』が動いた。さっと剣をかまえたレア達の目の前で、長い脚をたくみに操り、その巨躯からは想像もできないすばやさで建物同士の間を駈けのぼると、あっ というまに高所に陣取ってしまった。八本ある後脚の先端を壁にめりこませるようにして身体をささえ、街路に異形の影を落としながら、唖然としている四人を 悠々と見下ろしている。

紅い瞳が嘲笑に瞬く。前脚の先にあるハサミが獲物を物色して動く。

「野郎、汚ねえぞ! これじゃ手が出せねえじゃねえか!」

怒濤の勢いで振りおろされ地面をえぐる凶器をとびかわして、ドレクが罵声を上げた。

「とりあえず、いったん後退して隠れるぞ!」

スヴェンの声に、一同ははじかれたように動き、手近に口を開けていた建物に飛びこんだ。中は広間のような場所で沢山の椅子が並んでいる。一角には大きなカウンターがあるのも見える。

ガツン、ガツン、と建物の壁を通して響いてくる音と振動。やがて、真上から、『虫』が壁を破壊しているらしき激しい音がした。

「ここもそうもたねえかもな。どうするよ。奴がしびれを切らして下りてくるのを待つか? それとも、逃げて別の場所であの犬が来るのを待ち受けるか?」 

「そんな時間はない。こうしている間にも獣は『樹』を攻撃してるんだ。それに、今の奴からうまく逃げきれたところで、途中でさらに面倒な新手に出くわさないとも限らない」

ドレクに答えたあと、スヴェンはレアを見た。

「俺達三人でさっきの入り口から出る。お嬢様は、奥にある扉から出てくれ。こっちが奴の注意を引きつけている間に、その武器で仕とめるんだ」

レアの自分の右腕にはまっているレマ・エレジオを見た。ラシェネに託されたものの、下手な使い方をして自分達にも被害をあたえる可能性を怖れて、まだ起動させることすらしてないのだ。

自らにあたえられた大きすぎる力──今のレアには、イノが抱いていた不安や恐怖がよくわかる気がする。

「大丈夫さ。お嬢様ならできる。だから、ラシェネもそいつを渡したんだ。それに、あの二人がいない今、あんなデカブツの『核』を甲殻ごとぶち抜けるのは、その武器の『光の矢』ぐらいしかない」

レアはうなずいた。彼の言うとおり議論の余地はない。また、他にこの武器を使えそうな人間もいない。それに、今の自分の怯えなんかよりも、イノはもっと大きな怯えを抱えながら戦い続けてきたのだ。それを思えば……。

「わかったわ」

強く返事した後で続けた。

「それと──お嬢様って呼ぶのはやめて」

「すまないな」と、相手は肩をすくめながら苦笑した。

「そちらの身の上を知った以上、つい、フィスルナ市民の習慣が出てしまうんだ。じゃあ、頼んだぞ」

真顔に戻ったスヴェンが、ドレク、カレノアと視線で合図し、共に入り口から飛びだしていく。すぐさま『虫』のハサミが、建物の破壊から三人に標的を変えるのがわかった。

すぐさま、レアは広間の奥にある出口へ向かって駆けだした。街路へと抜ける。目を転じた瞬間に、通りの上に脚を張っている『虫』の横姿がとびこんでくる。こちらからだいぶ位置が離れており、怪物の注意はスヴェン達に向けられている。気づかれてはいない。

レアは、右腕にはめた白い籠手の脇にある仕掛けに触れた。小さくうなるような作動音と共に、引き金のついた握りが手先に滑りおりてきて掌に収まる。表面を光の模様が流れていく。

籠手の先端を『虫』目がけて突き出す。狙うは「核」のある胴体だ。

引き金にかけた指に力をこめた。

キィン、という甲高い音。青白い閃光が目の前で瞬く。衝撃で腕が跳ね上がる。放たれた『光の矢』が、怪物の胴を包んでいる甲殻をえぐる。

燃えるような紅い瞳がレアを睨めつけた。

外した!──自分の顔から血の気が去っていくのがわかった。

ガツン、ガツン、と長い脚を器用に動かして、『虫』がこちらに向きを変えようとしている。じきに迫ってくる。

次々と引き金をひく。抑えようのない焦りと動揺に狙いが乱れる。やみくもに撃った『光の矢』は、いたずらに相手を傷つけるだけだ。

だめだ。自分には、あの二人のような特別な〈力〉なんてないのだから。

ガツン、ガツン。向きを変えた『虫』が迫ってくる。その姿を追いかけながら、スヴェン達が自分に向かって何か叫んでいるのが遠く聞こえる。

身体が逃げ出したがっている。心があの二人に助けを求めている。

自分を抱きしめて送り出してくれたイノに。自分に大事な武器を託してくれたラシェネに。

──だめだ。

逃げない。こいつにこれ以上時間はかけられない。『樹』に向かっている二人のためにも。自分をアテにして身体を張ってくれた三人のためにも。

レアは大きく深呼吸した。突き出した右腕に、黒い剣を逆手に握った左手を重ねる。

ガツン、ガツン。見下ろす殺意の紅い瞳。見返す決意の青い瞳。

引き金をひいた。三度。甲高い音。瞬く輝き。放たれた小さな光達が、高所にある灰色の巨躯に吸い込まれるように消えた。

『虫』の動きが止まる。体内をつらぬいた光に連れ去られたかのように、瞳から輝きが消える。力を失った脚が建物から剥がれ、ぐらりと傾いた巨体が路面に落下して派手な音と地響きを立てた。

息を一つ吐きだして、レアは構えを解いた。黒い兜の中にある顔が、すっかり汗にまみれていた。

横たわる死骸の脇から、スヴェン達が駆け寄ってきた。

「ほらな。ちゃんとできたじゃないか。ま、実のところはヒヤヒヤしたがな」

「これなら、あの二人がいなくても大丈夫だ」

「ええ。その、実にお見事なお手際でしたな」

三人は珍獣でも見るような目つきでドレクを見た。

「悪いか? 俺だってフィスルナ市民だぞ。この嬢ちゃ……様のことを知ってりゃ、これまでの無礼だってだな──」

「あからさまに無理してる誉め言葉、すごくうれしいわ」

レアはわざとらしく意地悪げに目を細めた。

「でもけっこうよ。すごく気持ち悪い≠ゥら」

なにやらわめきはじめたヒゲ男にそっぽを向いて、レアは右腕にある白い籠手をなでる。たとえ道具の力であったとしても、自分がイノやラシェネのように戦えたことがうれしかった。この場にいない二人の気持ちに、少しだけでも応えられた気がする。

ズシン……と彼方からの地鳴り。『ギ・ガノア』だ。もうそこまで近づいている。

レアは気を引き締めなおす。自分達にはこれから大仕事が待っている。 


*  *  *


『樹』の脈動が激しくなったとたん、頭上に満ちはじめた馴染みの感覚。

いよいよ『虫』は本格的に攻勢をはじめたようだ。

「セラ・シリオス。ここは?」

天井に不思議な明かりの灯る暗い通路を見て、部下の一人が不安そうにたずねてきた。

「『楽園』の各所を走る地下の通路ですよ。当時は、乗り物を使ってこの中を移動していたようですがね」

「黒の部隊」を引き連れ、セラーダ軍の下をはなれたシリオスは、まっすぐにこの地下通路を目指した。正門から中央の『樹』へとたどり着くには、建物と街路の絡みあう地上よりも、そちらの方が近道だと判断したからだ。

『楽園』に着いてからの行動は、あらかじめ何通りか決めてあった。『継承者』となり、貴重な文献を閲覧する許可をあたえられてから、シリオスは熱心にそれ らの資料に目を通していた。もちろん、それらは『樹』について隠蔽されたものばかりだ。あからさまに記述をさけた痕跡が多く見られ、よしんばあったとして も、それは『楽園の中央にある広場』とだけしか書かれていなかった。

『広場』ついて触れている数少ない記録には、その『広場』は周りを強固な外壁におおわれているとあった。入るには外壁の一角に建造された施設の中を通るしかないらしい。

もちろん『広場』とは『樹』のことだ。そして、それを囲む外壁とは『樹』を一般人から隔離するためのものであり、施設は「異質な存在」の監視と研究を目的として建てられたものだと、シリオスにはすぐ見当がついた。

頭上で繰りひろげられているだろう激戦をよそに、自分達の進んでいる通路はしんと静まり返っていた。うれしいことに、『虫』は地下まで具現化する気配がな い。どうやら、彼らは攻撃の対象を『ギ・ガノア』をはじめとするセラーダ軍に絞っているようだ。むろん、獣もあっさりと倒される程度のシロモノではない。 両者の不毛なつぶし合いは、こちらの目的を達するまでの十分な時間稼ぎになってくれそうだ。

おまけにこの地下の通路は、二百年の歳月を経た今でも、当時そのままの姿を保っていた。おかげで、予想していたよりもはるかに労せずして『樹』の下まで行けそうだ。

いくつもある分岐を、シリオスはためらいもなく進んでいく。地下通路の構造はすでに資料で調べつくしている。迷うことはない。

通路のところどころに散らばる白骨。引き裂かれた衣服。壁面にこびりついた黒い染み。そしてたちこめる悪臭。地下まで逃れたものの、結局は『虫』に追いつかれ、殺されてしまった『楽園の民』の屍だ。今も生き続けているのは、それらを照らす明かりだけ。

「セラ・シリオス。ここに『虫』のいる気配はなさそうです。いったん地上に出た方がよろしいのではないですか?」

黒い一団の先頭に立ち、黙々と歩みを進めるシリオスに、さっきの部下が提言してきた。

「いえ。我々はもうしばらく地下を進みますよ」

ふり返って却下すると、後ろを歩いている部下達が、少しだけ眉をひそめる様子を見せた。本隊とは別に『虫』を遊撃する──という名目で連れだしたのだ。当 然の反応だろう。これ以上おかしな行動を取り続ければ、いくら『継承者』と『英雄』の肩書きがあろうと、不審に思われるのは避けられない。もっとも、彼ら の信用などシリオスにはどうでもいいことなのだが。

『虫』が現れた場合の迎撃の手駒として、念のために連れてきた「黒の部隊」。だが、地下のこの様子だと、それもたいして必要なかったかもしれない。彼らを処分するのは、思ったよりもはやくなるだろう。

怪訝そうな部下達を尻目に、シリオス再び歩きだした。

意識を内へと集中させる。脳裏にさっと展開する『虫』達の意思の書物。彼我の距離が遠いために、それらはうっすらとしか読み取れない。その中から、あの少 年のものと思える〈力〉を探知しようとしたのだが、どうやら無理なようだ。〈手〉を生みだして本格的に探ってみてもいいのだが、それだと、わざわざこちら の居場所まで向こうに教えてしまう。

まあいいだろう。少年がどのような経路で『樹』を目指しているのかは不明だが、そうそうにたどり着くということはあるまい。

万事が好調だ。これまで自分のとってきた行動のすべてが、面白いように実を結びはじめている。

『樹』が近づいている。一歩、一歩、確実に。


* * *


すぐそばにある建物に、『虫』が現れるのを感じた。

イノが内なる扉を開こうとした瞬間、

「まかせて!」

となりを駆けるラシェネの手先から放たれた『光の矢』が、建物の影から飛びだしてきた『虫』を撃ちぬいた。子供の悲鳴が二人に響く。

「あの大きな建物に入る」

さらに進路上に現れた四匹を立て続けにしとめ、ラシェネが前方に見える建造物を指した。イノはうなずく。二人はそのまま路地を駆けぬけ、開いていた入り口から中へと飛びこんだ。

そこは巨大な空間だった。今だ生きている照明の下には、精巧な装身具を収めた、ガラスのように透きとおった陳列棚がたくさん並んでいる。もっとも、その棚の大半は床に倒されて粉々にくだけ、衣服をまとった白骨の折り重なる中でキラキラと飾られていた。

「ここは、色んなものを売ってた場所。先祖様は、ここから使える道具を拾ってきた」

足下にある破片を踏みしだき、奥に見える階段へと向かいながら、ラシェネが説明した。息を切らし、今は兜のクチバシに隠されているその顔には、大粒の汗が とめどなく流れている。レア達と別れてからずっと走りっぱなしで、なおかつ『虫』との戦闘は彼女一人で受け持っているのだ。無理もなかった。

「少しだけ休もう。ここは今のところ静かみたいだ」

イノが気づかうように言うと、彼女は首を振った。

「だめ。『樹』のところへ急がないといけない」

「それはわかるけど、このままじゃラシェネが心配だ。やっぱりオレも『虫』と戦う。二人で手分けすれば、負担だって減るだろ?」

「もっとだめ。イノはとても大事な役目がある。ここで疲れるのよくない。それに、『樹』の近くであの〈武器〉を使うのは危険。あれは怨念の〈力〉。だから、イノが飲まれてしまうかもしれない。『虫』との戦いはわたしの役目。心配はしないで」

「それもわかるけどさ……」

もちろん、相手の言葉と実力を信じていないわけではない。だが、いくらレマ・エレジオが強力とはいえ、たった一人で『虫』達と戦うのは無茶としか思えない。しかも、ラシェネはその武器の片方をレアに渡してくれた。片腕だけでは、本来の戦い方はできないはずだ。

「わたしは『終の者』の『導き手』。そのために沢山のことを学んだ。小さなときからずっと。それはわたしの誇り。だから、『樹』のところに行くまで、イノには戦わせたくない。それは誇りを傷つけることになる」

ラシェネは兜のクチバシを一度後退させると、その中から真摯な瞳をイノに向けてきた。必死ともいえる様子。そして、それ以上に互いの〈繋がり〉から伝わってくる相手の強い決意と覚悟に、イノは思わず返す言葉につまってしまった。

階段を上がった先は、下と同じような広い空間だった。大量の人骨と衣服が散らばっているのも同じだ。所々にばらまかれ積み重なっている衣服の量からして、 ここでは衣類が売られていたのかもしれない。屋内であるせいか、いまだ残っている大量の血痕から立ちのぼる臭いが、辺りに充満しているような気がする。

二百年前、買い物をしている最中に、突然現れた怪物達によって殺された人々。彼らの驚きと恐怖はどれほどのものだったのだろう。しかし、それは過去の出来事だけにとどまるものではない、今を生きる自分達のつい目と鼻の先にまで迫っているかもしれないのだ。

「この奥に大きな通路がある。そこを通って、別の建物から表に出る。街路をずっと走れば。『樹』のそばにある建物に着く」

ラシェネがきびきびと説明する。彼女の話では、『樹』の周囲は高い防壁でおおわれており、その途中にある施設からしか中へは入れないのだという。  

積みかさなった衣服のやわらかい感触と、ときおりその下にある堅い骨の感触を靴の裏に感じながら、二人は奥にある通路をめざした。幅広いその通路の照明は壊れているのか、ゆっくりとまばたきでもするように明かりが点滅している。

通路の光景。そして、忽然とそこから伝わってきたものに、イノとラシェネの視線が険しくなった。

光、闇、光、闇──その奥に蠢いている。瞬くことのない黒い輝き達。

二人は身構えた。『虫』の群れ。この建物の中にも現れはじめたのだ。

「イノは、わたしの後ろに!」

右腕にある白い籠手を突き出し、ラシェネが叫んだ。

こちらに気づいた『虫』達が、いっせいに押し寄せてくる。明滅する光景の中、通路の床を、壁を、天井を伝って驚くほど静かに駆けてくる。

続けざまにラシェネが放つ『光の矢』が怪物達を正確に射ぬいていく。通路に響きわたる彼らの悲鳴。それにかぶさる血に飢えた無邪気な笑い声。

「だめだ! 数が多すぎる!」

同胞達の死骸をせわしなく乗り越えて、『虫』達は後から後から迫ってくる。やはり、ラシェネのみでは対処が追いつかない。それに『光の矢』だって無制限に放てるわけではない。

「さがれラシェネ! オレが〈武器〉を使う!」

「いけない! イノこそさがって!」 

「そんなこと言ってる場合──」

彼女の悲痛な声に叫び返したとき、脳裏に広がる印象から警告が上がった。全身を走る悪寒。二人が同時に頭上を見た瞬間、天井が音を立てて崩れ、降りそそぐ 破片とともに『虫』が襲いかかってきた。間一髪でラシェネが撃った青白い輝きが、人間大の灰色の塊をぶち抜く。しかし、相手の落下する勢いまでは止めるこ とができない。避けようと身を引いたものの間に合わず、重量のある死骸は二人の身体にまともに激突した。

通路の床に吹っとばされ、打ちつけた身体の痛みに歯を食いしばって起き上がったイノの視界に、『虫』の死骸の下敷きになっているラシェネの姿がとびこんで きた。このわずかな間に、さっそうと距離をつめた群れの一匹が、宙にただよっている粉塵の膜を突き破り、死骸からぬけ出ようとしている彼女のそばに躍りで る。

「ラシェネ!」

彼女が気づき、飛びかかってくる相手にすかさず腕を向けた。とっさに向けた──武器のない左腕を。

イノが内なる扉を開けた瞬間、『虫』と少女の姿が一つになった。やわらかいものを貫く嫌な音。赤い飛沫。小さく上がった悲鳴。

イノの口からほとばしった腹の底からの怒声。それに応え生まれた黒い輝きが、ラシェネに組みつき貪ろうとしていた『虫』を引きはがし、すさまじい勢いで壁にたたきつけて粉々の肉片に変えた。

さきほど乗り物を救ったときよりも、さらに強烈な〈繋がり〉が生まれている。爆発したかのような〈力〉が扉の奥から溢れてくるのを感じる。どす黒いそれは あっという間に精神と肉体に満ち、さらには通路そのものまで埋めつくしそうな勢いだ。左腕をおおう異形の甲殻がエサでもあたえられたかのように音をたてて 膨れあがり、手袋と袖を引き裂きながら一気に肩まで達したのを感じる。鎧の肩当てが留め具からひきちぎられ弾けとんだ。

狂喜ともいわんばかりに押し寄せてくる〈力〉に、目眩をおこしてしまいそうなほど強い〈繋がり〉に、自分の存在すべてが飲まれそうになる。だが、飲まれるわけにはいかない。

光、闇、光、闇──壊れた照明が映しだす景色の中にひしめき、なおも攻めてこようする灰色の群れを、イノはにらみつけた。相手と同等の紅く輝いた瞳で。

使い手の殺戮の意思を読み取った黒い輝きが、瞬時に〈武器〉の形を成す。それは無数の刃となって、駆ける怪物をズタズタに斬り裂いていく。さらに生まれる 異質な光。それは食らいつく無数の牙となって、壁や天井に張りつく怪物を奪い合うようにかっさらい、グシャグシャに噛み砕きひきちぎった。

怨念にぶつけられるより大きな怨念。子供達の輝きが放つ呪詛の声が、イノの使役する輝きの放つ呪詛の声に飲まれていく。光と闇が交互に入れかわる惨劇の光景にほとばしる体液が、巨人の水浴びよろしく通路一面をべっとりと赤黒く塗りかえていく。

イノが奏でさせている幼い絶叫の数々。耳をふさいだところで、それは心の奥の奥まで聞こえてくる。相手を殺すことで断ち切られる〈繋がり〉に、小さな針を 突き立てられるような痛みを覚える。憎悪の具現とはいえ、自分と同じ者≠殺しているのだという、真実への苦い思いとともに。

やがて、相手の黒い輝きがすべて消えた。それでも全身を満たそうとするどす黒い想いはおさまる気配がない。バラバラになって消え去りそうな意識をありったけかき集めて、イノは、さらなる殺戮に飢える〈力〉を扉の奥に押しこめた。

ようやく自身に訪れた静寂。よろけ、大きく息をあえがせながら、『虫』の体液にまみれた床に膝をつく。

そのとき、後ろで聞こえた小さなうめき声。

「ラシェネ!」

イノはふらつく身体で駆け寄ると、いまだのしかかっていた死骸を脇にどけ彼女を抱き起こした。防具には損傷はないものの、青い服の所々が裂かれて無残な傷口を見せていた。いちばん負傷の激しい太腿には、『虫』の爪に貫かれたらしき肉色の穴が鮮血を流している。

「大丈夫。傷は……この服がふさいでくれる」

イノの腕の中で、ラシェネが苦痛に顔をしかめた。彼女の言葉通り、ながめているうちに、傷の開いた箇所に服から白い泡のようなものがじわじわ溢れてきた。流れる血と混じり合ったその泡はみるみるうちに凝固して、溶けたロウソクを思わせる塊へと変わっていく。

しかし、出血が止まったところで、ケガ自体が治ったわけではないだろう。現にラシェネの脂汗の浮いた顔はやわらぐどころか、傷にしみ込んでいく泡によってさらなる苦痛に歪んでいる。イノは唇をかんだ。

「ちくしょう。オレの援護が間に合わなかったせいだ」 

「それはちがう。バカしたのはわたし。レアに武器渡した方の腕を使っちゃった。これは……おじいには言わないで。絶対に怒られる」

色をなくした顔に照れ笑いを浮かべて、ラシェネが舌を出した。だが、それはすぐに悲しみの表情に変わった。

「ごめん。わたしは……イノに〈武器〉を使わせた」

彼女の手が、そっとイノの左腕に触れる。いびつな甲殻でいたるところが盛り上がり、手先以外はもはや人としての大きさや形すら失った灰色の腕。まるで肩から『虫』をぶらさげてでもいるような有り様。ここまで変質してしまった以上は、もう隠しようがなかった。

「わたし……イノの腕のこと知ってた」

彼女の言葉に驚いた。

「会ったときからわかった。イノの左手に『虫』と同じ感じがすること。そして、イノがみんなから隠そうとしてるのもわかった。だから、わたしも何も言わなかった」

「そっか……」イノは力なく笑った。「ラシェネにはバレて当たり前だったか」

「それは『終の者』が使う〈武器〉の代償。『虫』と同じ憎しみの〈力〉を呼び出すから、たくさん使うほど身体が『虫』と同じに変わっていく。もとに治す方 法は誰も知らない。だから、わたしはイノに〈武器〉を使わせたくなかった。使わなければ身体がひどくなることはないから。それなのに……」

ラシェネの顔がくしゃくしゃに歪んだ。涙がその頬を伝った。

「それが、オレに『戦うな』って言ってた本当の理由?」

イノが優しく問いかけると、彼女は泣き濡れた顔でうなずいた。

「ありがとう。でも仕方ないよ。あのままじゃラシェネは『虫』にやられてたかもしれないんだから。そうなってたらオレだけじゃなく、レアだって、スヴェン達だってすごく悲しむに決まってる。この腕のことはとっくに覚悟してたし……いまさら何てことないよ」

さらにおぞましくなった腕をイノは見つめる。しかし心は不思議と落ち着いていた。我が身への嘆きよりも、目の前でこの腕のために泣いてくれている少女の優しさの方に、ずっとずっと強く胸を打たれていたからだ。

「立てそう?」

「うん」と目をぬぐいながら、イノに支えられながら立ち上がったラシェネだったが、やはり足下がおぼつかない様子だ。

「オレの背中につかまりなよ。おぶさって行くから」

「それはだめ。わたしは大丈夫。ちゃんと走る」

「どう見たって走るのは無理だ。急がなきゃならないし、オレは道がわからないし、どのみち置いて行く気もないんだから、遠慮せずおぶさりなよ。それに『終の者』の言うことは、何でも聞くって約束だろ?」

なおもためらっていたラシェネだったが、やがて粛々とイノの背中に身体を預けた。案外に軽い。よくよく考えれば、女の子をおぶさったのはこれが初めてだ。

「もしまた『虫』が襲ってきたらオレにまかせて。このままでも〈武器〉は使えるから」

「ごめん」 

歩みながら、背に感じる心地よい重みに向かって言葉をかけると、今にも泣きだしそうな声が耳もとで返ってきた。

「大丈夫。トロフには、このことも内緒にしておくよ」

そうラシェネに笑いかけ、『虫』の死骸と血にまみれた静かな通路を進むイノの姿に、壊れた照明が光をあたえ、そして闇へと溶けこませた。



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